2-(2)
「最後に採血をする。腕を出して」
空の注射器を構えた中里が言う。
「え…。注射は苦手なんだけど!」
本当に注射というものが嫌いだった。白衣も医者も注射も大っ嫌い。
つまり病院全般が。
それなのにこんなバイトなんて…!
「注射じゃない、採血だ」
「針を刺すのは一緒でしょ!」
両腕を隠して騒ぐ私に「なら、やめるか」と中里が言う。
「もう…!やめないわ、やって!」
観念して右腕を差し出し、きつく目をつぶる。
「…そっちの腕を出してくれ」掴んだ右腕を離してそう言う。
「何でよ」
「血管が細すぎる」
そんな事を言う医者に、初めて出会った…。
「そうかしら」自分の右腕を眺めながら呟く。
「言っただろう、俺は研究者で、医療行為は殆どしない。わざわざ面倒な事はあえてしない主義なんだ」 終始ぶっきら棒の中里。
「何それ!先が思いやられるわ…」
・・・
三日後。再び中里の研究所を訪れる。
「朝霧さん。おめでとう、健康面では問題ない。ただ…」
健康面には自信があったので、当然の結果なのだが。
「ただ、何?」私を見て口ごもる彼に、強気で聞き返す。
「君の血液型が、少々引っ掛かってね」
「確かに私はRHマイナスよ。でも、それほど特殊っていうのでもないでしょ」
「ああ。二百人に一人はいる計算だな」表情を変えずに答える。
「で、何が引っ掛かるっていうの?」
幼い頃から、ケガにだけは注意するようにと、きつく言われて来た。
血が何か、影響する?
だとしたら予想外だ…。
「まあ、いいだろう。合格だ」中里が考えた末に言った。
「それは良かった。是非お願いします。今すぐにでも!」安堵の息と共に答える。
今すぐにでも、お金が欲しかった。
そんな私を、中里が無表情で見つめて言う。
「最後に一つ、確認事項がある。とても重要な事だ」
「何かしら」まさか、死ぬ覚悟でも聞かれるのかと不安になる。
「この行為は、少なからず君の将来に影響を及ぼすだろう。特に、不妊になる可能性など…」
言いにくそうに話す中里をよそに、「問題ない。そういう平凡な幸せを望んでないから」とすぐさま答えた。
十代にしてすでに、人並みの幸せなど求めていなかった。その理由はもちろん、私の実家、朝霧家にある。
彼は目を細めただけで何も答えなかった。
しばらくすると、私に背を向けて、引き出しから何かを取り出した。
下を向いて何やらしている様子。
横から覗き込むと、大きな飴玉を口に放るところだった。
「お前も、…食うか?」私の視線に気がついて聞いて来る。
「遠慮するわ…」
この大事な話の最中にそれ?空気の読めない男!
そう罵りたい気持ちで一杯になるも、体中の力が一気に抜けるのを感じた。
彼からは終始、口の中で飴玉が転がるコロコロという音が聞こえて来る。
「で。ど、う、な、の!」
たまり兼ねて声を荒げると、ようやく振り返って彼が立ち上がった。
その頬は、飴玉が作る膨らみで可笑しな風に変形していて。
思わず噴き出してしまったじゃない…。
「ねえ、ふざけてる?」笑いながらも次第にイラ立ちが募る。
「いいや。全く。俺は常に真剣だ」確かにその表情は、真剣そのもの。
でも、デカい飴玉のせいで、ちゃんと話せてない!
「それで、現在の仕事は?」と話題が質問に変わる。
「仕事?」
自分が二十一歳と名乗った事をうっかり忘れていた。
「掛け持ち、の件なんだが」
「ああ…!それなら問題ない。辞めて来たから」
レストランのバイトは本当に辞めた。学業の方は辞める訳には行かないけれど。
「結構。であれば問題は特に…」と彼が話している途中に割り込む。
「確認だけど、もしかして毎回血液検査とか、やるの?」恐る恐る尋ねた。
この人に毎回注射されるのは遠慮したい。
「注射は嫌いだったな。じゃ、やっぱりやめるか?」
「やめないってば!ただの確認よ!」
膨れっ面の私に、「子供じゃあるまいがね」と吐き捨てるように言う。
「放っておいて!」と言い返したけれど。
こんな調子じゃ、二十一歳にはまるで見えないかもしれない…。
健康体に治験って例えば?…ご想像にお任せします。m(__)m