16 南十字星のもとで(1)
朝霧ユイ。二十一歳春。
「朝霧さん!お願いです、どうか、引き受けてくれませんか!」
私は今、とある美術館の副支配人と面会しているところ。
今回は正式な依頼だ。
近所の喫茶店にて、交渉が始まっている。
「だけど、責任者が反対してるんじゃね~。ダメでしょ」
責任者、つまり男の上司でもある支配人が、私への依頼を猛反対しているらしい。
それは当然の事だろう。
若い女に大事な美術品を守らせるなんて、もってのほか!なのだから。
こんな状況は、当に慣れっこだ。
「今、巷を騒がせている海外の窃盗犯、もちろん知っていますよね?」
副支配人が言う。
「エリック・ハント、だった?知ってるわ。彼が、お宅の美術品を狙っているらしいじゃない」
今、世間は、この男の話題で持ちきりだ。何しろ日本に初上陸(?)らしいので。
答えた後に、注文しておいたコーヒーを手に取る。
良い香りが、先程から辺りに漂っている。
もう一度香りを楽しんでから、程良い温度になったそれを味わう。
私の両親はコーヒー好きだ。
遠い昔の我が家には、いつも挽き立てのコーヒーの香りが漂っていた。
この香りを嗅ぐと、そんな幼い日々を思い出す。
「警察やICPO、さらに、あらゆるやり手の警備会社に警備を依頼しています」
「だったら、それで十分じゃない」
そう返しつつも。実際はそう思ってはいない。
なぜならこのエリック・ハントは、いつでもそんな厳重警備体制の中から、獲物を獲得していたから。
彼が狙うのは、主に宝石。
たいていは、手のひらに収まるサイズで。持ち出すのは容易だ。
「とにかく、責任者が反対してるなら無理。私が現場に入る事さえ、許されないわ」
「ヤツの弱点は美しいものです。つまり、あなた…朝霧さんなら、きっとヤツに勝てると思うんです…!」
副支配人は、興奮と期待で赤らんだ顔で、私を凝視する。
この私に、色事掛けで彼を捕まえろとでも?
「そう言われても、ねぇ…」
ICPOまで来るとあっては、あまり立ち会いたくはない。
そんな所では、相棒のコルトも使えない。
それともう一つ。
目立ちたがり屋の男が、私は大嫌いだ!
理由は間違いなく、あの目立ちたがりオヤジ、義男のせいだろう。
「それで。犯行予告とか、来てるの?」
「そ、それが…、三日後の夜なんです!」大きく頷いて即座に答える。
いろいろ言ったけれど…。
結局、引き受けてしまった。
報酬は後払い、つまり成功報酬という事になった。
やれるものなら、やってみろ、という事だ。
やってやろうじゃない?
引き受けた一番の理由。
それは、売られたケンカを買った、などという子供じみた感情からではない。
この国の宝が盗まれるのを、黙って見てはいられないから。
それに、自分の腕を買ってくれた、依頼人の期待を裏切りたくはない。
私の事を、美しいと言ってくれた人に、冷たい態度は取れないじゃない!
・・・
そして問題の日。
私は館内の隅で、副支配人の秘書を装って立ち、ひたすら周囲に目を光らせた。
日が暮れて夜も更けた頃。
さすがに、だんだん疲労が溜まって来た。
眠気覚ましに席を立ち、部屋を出た直後。
何やら、足元の床を転がって行ったような気がした。
「うう、寒い!ちょっと薄着だったかしら」
気にせずに、廊下を早足で洗面に向かった。
もうすぐ四月だというのに、やはり夜は肌寒い。
持ち場に戻ろうと、通路を急いでいると。
「(フフッ!全然手応えがないな。もう少し楽しませてくれないと拍子抜けだ)」
気取った英語が、部屋から聞こえて来た。
そこには、武装した警官達とは違う、軽装の男が一人だけ立っていた。
「ちょっと!…何てザマ?」あちこちに倒れた警官達を見渡す。
先ほどの転がった物体は、催眠ガスだったようだ。
ガスはたちまち、警備に当たる連中を一網打尽にしていた。
「あなたがエリック・ハントね…」
目の前の、青い瞳のブロンド男、エリックが近づいて来る。
その手には、今回のターゲットの美術品がすでに握られていた。
暗闇でも、その存在が際立っている。
男の手の中で、月明かりにきらめく大きな宝石に、一瞬目を奪われた。
「(こんな場所にレディがお一人で!良く見れば、この宝石のように美しい!決めたぞ、君も盗んで行くとしよう)」
「きゃ!」
私はエリックに軽々と持ち上げられてしまう。
「離して!」と言いつつ、されるがままで様子を見る事にする。
「(こっちには人質がいる!道を開けろ!)」
エリックは叫び、私を楯に現場からの脱出に成功。
副支配人の青くなった顔が横目に映った。
「(レディ、悪いがしばし、お休みの時間だ)」
突然、顔に布を押し付けられた。
しまった、クロロホルム!
気づいた時には、もう意識はなく…。
何とも不甲斐ない幕開けとなってしまった。




