10-(5)
受け取ったアタッシュケースを、ゆっくりと開いて中を確認する。
そこには…。
予想通りに札束が並んでいた。
数としてはちょうど、私が神崎さんに借りた分くらいだろうか。
「少なかったか?」
真剣な顔で聞いて来る彼に、唖然とするばかり…!
「何のつもり?私はお金なんて要求してない」あなたと違って!と心の中で続ける。
「私の気持ちだ。要求されなくても、この場合支払って当然だろう」
この人はこうやって、今まで何でもお金で解決して来たんだろうと、しみじみ思った。
「戴くわ。その方があなたも、私に借りができたとか、考えずに済むものね」
ケースを閉めて床に置いた。
「しかし。おまえは私の事が嫌いだったよな」
私を見つめて改めて聞いて来る。
「ええ、好きではないわね」この質問にはあっさり答えた。
いきなり何を言い出すの?
「なぜ助けた?自らの血液を提供してまで。それも、相当必要だったはずだ」
「なぜ、ですって?おかしな質問するのね、新堂先生」
軽く笑いながら言って、今度は私が彼をマジマジと眺めた。
「教えてくれ」
彼は本当に、どうして私が助けたのか分からないようだった。
「驚いたわ。あなた、本当に医者なの?苦しんでいる人間がいたら、普通助けない?」
「さあ。普通の人間の行動がどうなのか、私には分からない」
この回答には本気で呆れた。
私が何も言い返さないでいると。
「嫌いな人間でも、助けるのか?頼まれてもいないのに」と続ける。
「あのねぇ…。好きとか嫌いの問題じゃないの!それと、見返りを期待してるのでもないからね?」
中にはそういう人間もいるのだろうが。
私は立ち上がると、彼の視線を感じつつ窓辺に移動した。
振り返らずに「ねえ、新堂先生」と問いかける。
「じゃ、聞くけど。なぜあなたは、私を助けたの?」
言い終えてから、振り返って彼を見た。
「放っといても良かったんじゃない?五千万の報酬をあなたに払うために、私があんな事したから…」
責任を感じたのか、と続けるつもりだったけれど、途中でやめる。
「おまえを助けたのは、中里から依頼されたからだ」
何の感情もない声だった。
「そう言えば、その時にお金を請求しなかったって?」
私のこの質問に、新堂が沈黙した。
「それって、どうして?」
ここぞとばかりに追求する。私から中里さんを遠ざけた理由は何なのか。
「どうもこうもない」
「何で中里さんと会っちゃいけないのよ」
そんな事まで、この男に指図される覚えはない。
あの時の怒りが込み上げて来る。
「そうする事が、あなたに一体、どんな得になるって言うの?」
「そんな事を、おまえに答える必要はない」
全く取り合ってくれない新堂に、これ以上の質問はムダと判断。
その後しばらく、沈黙が続いた。
やがて新堂が口を開く。
「まだ、こちらの質問の答えを貰っていない。嫌いな人間を助けたのはなぜだ」
こんな疑問を持ってしまうこの人が、何だか憐れに思えて来て…。
いつの間にか、怒りはどこかへ消えていた。
「確かに。あなたの事は好きではないけど」
私は真剣に答えた。
「私にとって、新堂先生は大切な人よ。母の命の恩人だもの。私だっていろいろお世話になったし」
これらは紛れもない事実だ。
「あなたに死なれては困るからよ」と続けた。
「ミサコさんの病は完治した。再発の心配はない」彼が確認するように言う。
「そうじゃない!」睨みつけて言い返す。
医者としての自分の腕が必要だから、私が助けたのだと思っているらしい。
「言っとくけど、私に例の、副作用の再発とかがあったとしても!この際、関係ないからね?」
指摘される前に先手を打つ。
彼は何も言って来ない。
「お世話になった人が困ってたら、力になりたいと思うのは当たり前。誰かが困っていたら、例えそれが赤の他人だったとしても、助けてあげたいと思うものなの」
まだ沈黙を続ける彼に付け加える。
「だけど。これはあくまで私の考え。誤解しないでね、先生に押し付ける気なんてないから。聞かれたから、答えただけよ?」
「ああ」ようやく彼が声を出した。
「さて。それじゃ…、用は済んだから帰るよ」ゆっくりと立ち上がって言った。
「もう?もう少し、ゆっくりして行ったら」
一応引き止める。もちろん社交辞令。
その時。
「そうだ、ユイの連絡先…」と思い出したように彼が口を開いた。
「ああ。携帯の番号、教えてなかったね」
今では、自分で携帯電話を契約している。
運転免許証があれば、身元証明書類としては十分なのだ。
でもまだ、あと半年程は未成年だが。
私は番号を教えた。彼が連絡して来る事など、ないとは思うが。
「ありがとう」玄関まで送った私に礼を言って来る。
直後に、辛そうに動きを止めた。
「大丈夫?私、今日は時間あるから、良かったら先生の家まで送りましょうか」
「いや…。車なんだ。大丈夫だ」
「そう?でも何だか辛そう。私が運転するわ。帰りは電車で帰れるし。ね、そうしよう」
私も靴を履き始める。
「大丈夫だと言っただろう」彼の声が強まった。
その口調は、やり過ぎなくらいにきつかった。
この人が、少しでもまともな人間になったと思ったのは、勘違いだったかもしれない。
こんな気遣いは、彼には無用だと思い知った。
「済まない、つい…」
黙り込んだ私に気がついて、謝罪して来た。
「気にしないで。私こそ、余計な事言ってごめんなさい。気をつけて」
玄関のドアが閉まり、部屋はまた元の空気に戻る。
ここに人が訪ねて来たのは、彼が初めてだった。仕事柄、自分の居所を知られる事は避けたいので…。
それにしても。
相変わらず冷酷な男だ。
大きなため息が、無意識に私の中から吐き出された。
そのモヤモヤとした重いものは、いつまでもいつまでも、部屋一帯に漂っている気がした。
ここだけの話、新堂は、本当は可哀想な人なんです…。




