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大嫌いは恋の始まり  作者: 氷室ユリ
第一章 大キライな人を守る理由
51/215

10-(5)


 受け取ったアタッシュケースを、ゆっくりと開いて中を確認する。


 そこには…。

 予想通りに札束が並んでいた。


 数としてはちょうど、私が神崎さんに借りた分くらいだろうか。


「少なかったか?」


 真剣な顔で聞いて来る彼に、唖然とするばかり…!

「何のつもり?私はお金なんて要求してない」あなたと違って!と心の中で続ける。


「私の気持ちだ。要求されなくても、この場合支払って当然だろう」


 この人はこうやって、今まで何でもお金で解決して来たんだろうと、しみじみ思った。


「戴くわ。その方があなたも、私に借りができたとか、考えずに済むものね」

 ケースを閉めて床に置いた。


「しかし。おまえは私の事が嫌いだったよな」

 私を見つめて改めて聞いて来る。


「ええ、好きではないわね」この質問にはあっさり答えた。


 いきなり何を言い出すの?


「なぜ助けた?自らの血液を提供してまで。それも、相当必要だったはずだ」

「なぜ、ですって?おかしな質問するのね、新堂先生」


 軽く笑いながら言って、今度は私が彼をマジマジと眺めた。


「教えてくれ」

 彼は本当に、どうして私が助けたのか分からないようだった。


「驚いたわ。あなた、本当に医者なの?苦しんでいる人間がいたら、普通助けない?」

「さあ。普通の人間の行動がどうなのか、私には分からない」


 この回答には本気で呆れた。


 私が何も言い返さないでいると。

「嫌いな人間でも、助けるのか?頼まれてもいないのに」と続ける。


「あのねぇ…。好きとか嫌いの問題じゃないの!それと、見返りを期待してるのでもないからね?」

 中にはそういう人間もいるのだろうが。


 私は立ち上がると、彼の視線を感じつつ窓辺に移動した。


 振り返らずに「ねえ、新堂先生」と問いかける。

「じゃ、聞くけど。なぜあなたは、私を助けたの?」


 言い終えてから、振り返って彼を見た。


「放っといても良かったんじゃない?五千万の報酬をあなたに払うために、私があんな事したから…」

 責任を感じたのか、と続けるつもりだったけれど、途中でやめる。


「おまえを助けたのは、中里から依頼されたからだ」

 何の感情もない声だった。


「そう言えば、その時にお金を請求しなかったって?」


 私のこの質問に、新堂が沈黙した。


「それって、どうして?」

 ここぞとばかりに追求する。私から中里さんを遠ざけた理由は何なのか。


「どうもこうもない」

「何で中里さんと会っちゃいけないのよ」


 そんな事まで、この男に指図される覚えはない。

 あの時の怒りが込み上げて来る。


「そうする事が、あなたに一体、どんな得になるって言うの?」

「そんな事を、おまえに答える必要はない」


 全く取り合ってくれない新堂に、これ以上の質問はムダと判断。


 その後しばらく、沈黙が続いた。


 やがて新堂が口を開く。

「まだ、こちらの質問の答えを貰っていない。嫌いな人間を助けたのはなぜだ」


 こんな疑問を持ってしまうこの人が、何だか憐れに思えて来て…。

 いつの間にか、怒りはどこかへ消えていた。


「確かに。あなたの事は好きではないけど」


 私は真剣に答えた。

「私にとって、新堂先生は大切な人よ。母の命の恩人だもの。私だっていろいろお世話になったし」


 これらは紛れもない事実だ。


「あなたに死なれては困るからよ」と続けた。


「ミサコさんの病は完治した。再発の心配はない」彼が確認するように言う。

「そうじゃない!」睨みつけて言い返す。


 医者としての自分の腕が必要だから、私が助けたのだと思っているらしい。


「言っとくけど、私に例の、副作用の再発とかがあったとしても!この際、関係ないからね?」

 指摘される前に先手を打つ。

 

 彼は何も言って来ない。


「お世話になった人が困ってたら、力になりたいと思うのは当たり前。誰かが困っていたら、例えそれが赤の他人だったとしても、助けてあげたいと思うものなの」


 まだ沈黙を続ける彼に付け加える。

「だけど。これはあくまで私の考え。誤解しないでね、先生に押し付ける気なんてないから。聞かれたから、答えただけよ?」


「ああ」ようやく彼が声を出した。

「さて。それじゃ…、用は済んだから帰るよ」ゆっくりと立ち上がって言った。


「もう?もう少し、ゆっくりして行ったら」

 一応引き止める。もちろん社交辞令。


 その時。

「そうだ、ユイの連絡先…」と思い出したように彼が口を開いた。


「ああ。携帯の番号、教えてなかったね」


 今では、自分で携帯電話を契約している。

 運転免許証があれば、身元証明書類としては十分なのだ。


 でもまだ、あと半年程は未成年だが。


 私は番号を教えた。彼が連絡して来る事など、ないとは思うが。


「ありがとう」玄関まで送った私に礼を言って来る。

 直後に、辛そうに動きを止めた。


「大丈夫?私、今日は時間あるから、良かったら先生の家まで送りましょうか」

「いや…。車なんだ。大丈夫だ」


「そう?でも何だか辛そう。私が運転するわ。帰りは電車で帰れるし。ね、そうしよう」

 私も靴を履き始める。


「大丈夫だと言っただろう」彼の声が強まった。

 その口調は、やり過ぎなくらいにきつかった。


 この人が、少しでもまともな人間になったと思ったのは、勘違いだったかもしれない。


 こんな気遣いは、彼には無用だと思い知った。


「済まない、つい…」

 黙り込んだ私に気がついて、謝罪して来た。


「気にしないで。私こそ、余計な事言ってごめんなさい。気をつけて」


 玄関のドアが閉まり、部屋はまた元の空気に戻る。


 ここに人が訪ねて来たのは、彼が初めてだった。仕事柄、自分の居所を知られる事は避けたいので…。


 それにしても。

 相変わらず冷酷な男だ。


 大きなため息が、無意識に私の中から吐き出された。


 そのモヤモヤとした重いものは、いつまでもいつまでも、部屋一帯に漂っている気がした。



ここだけの話、新堂は、本当は可哀想な人なんです…。

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