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静まり返った教室。
ドアが開く、ガラガラ…という派手な音が響き渡った。
「朝霧ユイ。まだいるか?」
ようやく新堂先生のご到着のようだ。
「新堂先生…」顔だけをそちらに向けて、彼を確認する。
「遅くなって済まない。オペが長引いてね。どうした、大丈夫か?」
私の体を起こして、額に手を当てて来る。
何も答えずに、呼吸の荒さで高熱を訴えてみた。
「こんな寒い所に、ずっといたのか」新堂がやや体を震わせて言う。
「…寒くないもん」
「熱があるからだ。風邪でも引いたか?」
彼は例の症状が再発したとは言わなかった。
「今日は何を?」と質問が続く。
「強いて挙げるなら、体育のマラソン?」
「何キロ?」
「五キロ」と答えた後に、しばし沈黙が続く。
しばらく間を置き、「それで、完走したのか」と新堂が改めて聞いて来る。
「当然でしょ。ブッちぎりで優勝よ」
急にテンションが高くなって元気に答える私に、彼は頭を抱えた。
「お陰で皆のゴールを待ってるうちに、体が冷えちゃったわ」
新堂がため息をついて、「病院へ行くぞ」と、私の体勢を起こしにかかる。
「家に帰りたい…」
「ウイルス性の肺炎かもしれない。念のため調べる」
「家に…」
再び訴えようと口を開いたけれど。
「おまえに拒否権はない。立てるか?」
言葉を遮られて、あっさり会話の主導権を持って行かれた。
ふらつく私は、支えられながら車に向かう。
「保健室で待っていれば良かったのに」と非難し始める新堂。
「今日、保健の先生、お休みなの」
「もっと早く来れれば良かった。済まなかったな」
新堂が謝罪の言葉を口にした。
これには慌てて、「ううん。いいの。私が急に呼び出したんだし」と否定する。
もはや、私の思考は正常ではなかった。
横にいるのが誰で、どんな人物なのかも忘れるくらいに。
車に乗り込むと、私はそのまま病院へ連れて行かれた。
到着後。
ベッドに寝かされた私は、長らく戦っていた睡魔にあっさり負けて、深い眠りについたのだった。
どのくらい時間が経ったのだろう。
病院のベッドで目を覚ました。
「新堂先生…」
「起きたか。あと少し放置していたら、本当に肺炎になっていたところだったよ」
新堂が私を見て静かに言う。
「風邪じゃなくて?」
「おまえの肺は、炎症を起こしやすくなっている。風邪のウイルスが、肺に入るところだった」
私のために分かりやすく解説してくれる。
「昼頃まで、全然普通だったのよ…。肺炎って!」大袈裟だ、と思いながら訴えた。
「ユイは我慢強いから、少々の不調は感じなかったんだろう」
「それって、褒め言葉かしら」
「どうとでも。熱が下がるまでは、ここで様子を見る」と答えて私に近づく。
「どうとでも」同じセリフを言ってみる。
彼が私に、新たにもう一本、点滴針を刺し込んだ。
抵抗する気力もない。
体が底なし沼に沈んで行くような感覚が、どうしても消えない。
「頼むから、無茶はしないでくれ。こんな調子じゃ、いつまで経っても治らないぞ?」
沼の水面から聞こえて来る新堂の声に答える。
「無茶なんてしてない。こんなの普通よ。学校がつまらないだけ」
意味不明な事を言っている自分に気づくけれど、どうでも良くなる。
「五キロも走っておいて、普通か!」呆れてため息をつく彼が見えた。
私を見て、いつまでも首を横に振っている。
先生は、私の何を否定しているの…?
沼底に沈められたまま、身動きもできずに、ただこんな、訳の分からない事を考え続けるのだった。
翌日。
懸念された肺炎になる事もなく、熱は無事に下がり。
その日の午後には、退院が許可された。
新堂のマンションへと〝帰宅〟する。
「先生…、体中が痛いんだけど」動きが制限されるくらいの痛みだ。
「高熱のせいだ。そのうち良くなる」
「熱は、下がったのよ?なのにまだ痛い!」
ベッドに横になるのも辛くて訴える。
「それは、体がウイルスに対抗しているサインだ。おまえの体の免疫システムが正常な証さ」
「ふう~ん…。この筋肉痛、動かしてたら良くなるんじゃ…」
「あのなぁ…」新堂が呆れた様子で私を見つめる。
「そうじゃない。大人しく安静にしてろって事だ!さあ、つべこべ言ってないで早く寝ろ」
いつまでも体を横たえる気配がない私に、痺れを切らしたらしく…。
声に怒りの色が見え始めた。
力ずくで体をベッドに押し付けられるも、負けずにムダな抵抗をする。
「痛いってば!もう少し、優しくできない訳?」
「おまえが言う事を聞かないからだろ」
安静にしろって、自分で言ったくせに!




