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大嫌いは恋の始まり  作者: 氷室ユリ
第一章 大キライな人を守る理由
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1-(3)

 

 すぐにシャワー室に駆け込んで、ドアを固く閉じる。


 沈黙に耐えられない…。蛇口を開いてお湯を出し、急いで音を立てる。

 これで、自分の心臓の音だけを聞かなくて済む。


 そのうち温かい湯気に包まれ始めて、ようやく気分が落ち着いて来た。


 驚くほど体が冷えていた事に気づき、しばらくは体を温める事だけに専念した。


 およそ二十分後。


 服がびしょ濡れだったので、仕方なくバスローブ姿で男の前に出て行く。

 

 彼はソファに深々と身を沈め、寛いだ様子でブランデーを味わっていた。

 姿を見せた私に気づき、手招きをしている。


 固まる私。


「さて。ではまず先に、君の値段を聞こうか」

「私の、値段…」

 予想はしていたけれど、こんなにも直球の質問に黙り込むしかない。


「そういう目的で、ついて来たんじゃないのか?」

 間近で見下ろされる。


 その目はまるで、獲物を狙っているタカのように鋭かった。

 

 こんな状況にも関わらず、こういう目、結構好き!などと思う私は、やっぱりどうかしているのだろうか?


 目の前に停まったリムジンが、どこか別の世界から来たカボチャの馬車に見えた。

 このうんざりする世界から、私を連れ出してくれるかもしれないと。


 そう訴えたかった。でも、こんな考えは子供じみている。


 沈黙をかき消すべく、意を決して口を開く。

「…五万」それは文字通り、蚊の鳴くような声だったはず。


「おいおい!自分を安売りするもんじゃない。遠慮はいらないぞ?」

「え…?」

 この時自分は、相当間の抜けた顔をしていたに違いない。


「五十万でいいな。キャッシュで払うよ」

 沈黙していた私をよそに、彼は勝手に金額を決めてあっさりと言って退けた。


 平静を装いたいのに、どうしても全身の震えは止まってはくれない。

 

 動こうとしない私に、彼の方が近づいて来る。


「震えてるじゃないか」彼が耳元で囁く。

「髪がまだ濡れてるから…」

 とっさに誤魔化そうと、半乾きのセミロングの髪に手をやる。


「おいで」

 彼がゆっくりと近づき、私を抱き寄せる。


 バスローブが肌蹴て肩が露わになる。

 

 その時、私のバッグが床に落ちた。

 中から、あろう事か学生証が飛び出しているじゃない!


 音に反応した彼。視線を移し、落ちた物を拾い上げる。

 

 学生証には、紺のブレザーにライトグレーのネクタイを締めた制服姿の自分が、不機嫌そうに写っている。


「君は、高校生か…」やや驚いた様子で告げられる。

「だったら何?」バレた…。


 私の答えに、彼は目を閉じた。


「ふふ…。あと四年ほど経ってから出直して来い」

「なぜ?どうして今じゃダメなの」


「女子高生と寝る趣味はないんだ」私に背を向けて言い放つ。


「子供扱いしないで。私はもう大人よ、ちゃんと一人で生きてるわ!」

 私の答えを聞いて振り返った彼を、真っ直ぐに見上げる。


「金のためか」頭上から、冷たい視線が注がれる。

「そうよ。軽蔑でも何でもしてよ」


「あんな所で、何をしていた」男が話題を変えた。

「雨宿り。傘、持ってなかったから」


「雨宿りがてら、未成年が堂々と喫煙か!」


「まだ…吸ってなかったけど?」

 何しろ火を点けた直後に、ダメにしてしまったのだから。


「まあいい。金が欲しいなら、親にねだればいいじゃないか」

「あなたはそうできたかもしれないけど、私には頼れる親はいないの」


「フフ…!俺か。確かに、体は売った事ないな」笑いながら言う。

「私だって!」


「良く言うよ。あっさり俺の誘いに乗ったくせに」間髪を入れずに言い返される。

「あなたがお金持ちなら、何かいい話をもらえるかと思っただけよ」毅然と返す。


「いい話って?」

「だから…、仕事先とか。とにかく、お金になる話よ!」


「そんなに稼いでどうする。大方、遊ぶ金だろ?」


 見下すような言い様に、「遊ぶ暇なんてない。学費に生活費、諸々よ。それと、母の入院費用に手術代」とすぐさま答える。


「全部、君が払うのか?学生の君が!」


「おかしい?世の中、こんな生活を送る女子高生もいるの!」

 そう声を張り上げつつも、私はまだ震えていた。


 しばらく彼は、私を眺めていた。


「受け取るといい」

 やがて財布から金を取り出すと、ベッドに放り投げた。


「え?でも…」

 交渉は決裂したはずなのに。混乱した頭でその理由を模索する。


「君は服が乾くまでいるといい。俺は帰る」

 彼は私を残したまま、部屋を出て行った。


 閉まったドアを見つめて、しばらく呆然と立ち尽くす。


「本当に、貰っちゃうんだからね」

 独り言を呟きながら、驚くほどスプリングの利いたベッドに乗り、散らかった札束を拾い集める。


 集め終えて、窓の方に目をやる。

 その時はじめて、眼下に広がる、見た事もない夜景に気がついた。


 それは本当に、見た事もない程に眩い景色だった―――



王子様は、カボチャの馬車には乗りません?

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