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どのくらい経っただろう。
泣き疲れて、今は涙も出ない。
大きなため息を一つついた時、薄暗がりから靴音が響いた。
誰かこっちにやって来る。私はその方角をぼんやり見つめた。
そう、それはさっきのあの男だった。
「あ…!あの、シンドウ、先生?」
男は、立ち上がった私に気がついたらしく、一瞬こちらに目を向けるも、すぐに反らされた。
「待って…、待ってください!」
去って行こうとするシルエットに向かって叫ぶ。
足音が止まり、男が振り返る。
右手をポケットに突っ込み、左手で黒い鞄を持っている。
「あの、外科医の新堂先生ですよね?」
「そうだが。君は確か…」制服姿の私を上から下まで眺めて呟く。
彼の言葉の続きを待たずに続ける。
「私、朝霧と言います!先生に、私の母の手術をお願いしたいんです!」
少し間を置いてから、新堂が口を開いた。
「やってもいいが、いくら払える?」
「今は五十万あります。足りなければ、もう少し何とか…」
視線を強く感じて口を閉ざす。
「ははっ!本気で言ってるのか?話にならないな」
「あの…」
「まあ、君の年齢にしてみれば、五十万は妥当か。残念だが、交渉決裂だな」
「ちょっと待って!まだ終わってません。いくらなら引き受けてくれますか?」
「私は忙しいんだ。まだこの後に、二本依頼が入っている。すぐに向かわねばならないんでね」
「五分!五分だけ時間をください!料金、いくらなのか教えて。用意しますから…」
ここで逃したら、チャンスはもう来ない気がした。
少しして、新堂がため息をついて「本当に五分だけだぞ」と言った。
「用意する、か。これは凄い!もしかして君は、どこかの財閥のご令嬢か?」
私を見て、あざ笑うように続ける。
嫌味な男だと心底思った。
薄暗い中、怪しげな交渉が続く。
「なあ、こうは思わないか」
「え?」ふいに投げられた言葉に驚く。
「こんな腐った世の中だ。生き続ける方が不幸な場合もある。君がそこまでする必要があるのか、と思ってね」
「どういう意味よ。死んだ方がいいって言うの?死ぬよりもずっとずっと、幸せに決まってるじゃない!」
何も言わない新堂。
私は構わず続けた。「医者のクセに、人の命を何だと思ってるのよ。悪いけど、私達は親子二人で幸せに暮らしてるんだから…!」
この医者は一体、何を考えているの?腐っているのは世の中じゃなく、アンタだ!と言いたいところだ。
「幸せ、か…。そんなものはただの幻想だ。君も、もっと大人になれば分かる」
新堂がようやく口を開いた。
「幻想?あなたは幸せを感じた事がないみたいね。可哀想な人!だったら、幸せがどういうものか、私達が教えてあげる。だから、お母さんを助けて…!」
涙をこらえながら、必死で目の前の冷徹な男に訴えた。
「悪いが、私の契約対象は君のような…」私を一通り眺め言いよどむ。
「何よ!」
「失礼。私はね、腐り切った連中に、生きる苦しみを分からせるために仕事をしているのさ」と何の感情も示さず、新堂は続けた。
生きる事は、この人にとって苦しむだけの時間だとでもいうの?
「あなたが何のために仕事をするかなんて、私には関係ない。お金さえ払えば、文句ないんでしょ?いくら必要なのか、いい加減教えて」
「家が一件建つくらい、だな。言っておくが、値引き交渉には応じない。もっとも母親の命が懸かっているんだ、サービスしろなんて言わないよな!」
「…五千万くらい?」嫌味を無視して答えた。
家の値段なんて良く知らないけれど、不動産屋の広告に、確かこんな数字が出ていたような気がする。正直、当てずっぽうだ。
「上等だ」新堂が満足気に頷いた。
どうやら当たったらしい。こんな額を請求されて安心するなんて!
高校生の私にはまだ、金銭感覚というものが備わっていなかった。
さらに何を思ったのか、私の中に、急に笑いが込み上げて来た。
この時の自分は、不敵な笑みすら浮かべていたと思う。それはあの憎き父のような表情で…。
「二週間ください。五千万、用意しようじゃない」
「さっきの院長の様子から察するに、もうそんなに時間は残されていないだろう。もたもたしてると手遅れになるぞ?」新堂は鼻で笑う。
「諦めるんだな」
そう口にする姿は、心なしか楽しそうにさえ見える。
「いいえ、諦めません!では一週間。一週間だけ待って下さい!」
「君一人で、何ができる」見下した態度で言って来る。
「学生だからって、バカにしない方がいいわ。何だって、やればできるって事を認めてもらうまで、私は諦めないから!母の手術、引き受けてくれますよね?」
きちんとした答えがほしかった。
「ああ!こちらは、報酬さえいただければ喜んで。楽しみにしているよ、泣き言を言いに来るのをね」
さらに嫌味を言い放ってから、私に背を向けた。
去って行く後ろ姿に向かって、「その腐り切った性格、私が叩き直してやるんだから!」と拳を握って叫ぶ。
何しろ負けず嫌いの私。
売られたケンカは買うのが基本、そう幼い頃から叩き込まれて来た。
「やってやろうじゃない。こうなったら、何が何でもお母さんを助ける…!」
こんな設定どこかにあった?…気のせいです。この先、盛り上がって行きます!どうぞ引き続き、お付き合いくださいませ。(*^-^*)




