『ウソツキ』は『ドロボウ』の始まり
学校の屋上。赤に染まる夕焼けに照らされる二人。その二人を隠れて見守る三つの影。男子生徒は、女子生徒に一歩歩み寄る。そして、彼は、意を決して言葉を少女にぶつけた。
「…好きです。もしよかったら、付き合ってください。」
放課後を知らせるチャイムが鳴る。生徒たちは、各々に荷をまとめると、部活や友達のもとへ、はたまた家路へと向かいだす。そんな中、荷物をまとめてから教室どころか席からも動こうとしない男子生徒が二人いた。
「一組と三組はまだ終わってないみたいだな。」
教室の中が二人だけになると、待っていたかのように窓際の席に座っていた男子生徒が、もう一人に話しかける。
「そうみたいだな。でも、あと十分もすればどこも終わるんじゃないか。」
話しかけられた生徒は答える。
「どうする、あと十分。二人じゃ駄弁るくらいしかできないと思うが。」
窓際の生徒がつまらなそうに言う。声色と表情から退屈だと言わんばかりの雰囲気を察したもう一人は、少し声に情を載せて言う。
「そんなつまんなそうな顔するなよ、達也。まるで、俺がつまらない人間だと言われてるようで、少し不愉快だ。」
「誰もそんなこと言ってないだろー。ったく。直樹はいつもまじめだなぁ。」
真面目と言われて、直樹はムッとする。思春期の男子に「お前はまじめだ」という言葉は、たいてい褒め言葉ではない。
「どうした、直樹。不機嫌そうな顔をして。」
「ちーす。」
直樹の機嫌が悪くなる中、教室に二人の男子生徒がやってきた。
「よお、巧真、悟。なんか、お前はまじめだなって言ったら直樹のやつが不機嫌になっちゃって。」
達也は、入ってきた二人に直樹の不機嫌の原因を教える。
「達也。それは、思っていても言っちゃダメなことだよ。」
入ってすぐに直樹の機嫌が悪いことに気づいた巧真は、モノをあまり考えずに言う達也に優しく言った。言われた達也は、「何で」と言わんばかりに首をかしげて見せる。
「これだよ。無神経というか、がさつというか。悟。お前もなんか言ってやってくれ。」
達也の態度に、これまた機嫌を悪くした直樹は、そう言って入ってきてすぐに席に腰を落ち着かせ、ぼーっとしていた悟に話を振る。
「…ん?なんのこと?」
本当にぼーっとしていて何にも耳に入っていなかった悟は「ハハハ」と苦笑いを浮かべながら直樹に聞き返した。
「だから、…」
直樹が再び悟に同意を求めようとしたところに、巧真が割って入った。
「まあまあ、直樹。達也も悪気があるわけじゃないことぐらいわかってるだろ。今日は、この辺にして、さっそくゲームしようぜ。」
直樹は、無理やり押し込められた感が否めなく、少しふてくされた表情を浮かべながらも大きく息を吐いて自分を落ち着かせた。それを見た巧真はうなずき、悟は巧真に手を合わせ、達也は頭をかいた。
「今日のゲーム内容はポーカーだ。コインは十枚。五ゲームやってコインの多いものが勝者で、コインの少ないものには罰ゲーム。いいね。」
『異論なーし。』
ゲームを仕切るのは、いつも決まって巧真だ。巧真の意見にほかの三人は賛同する。
「よし。じゃあ、ゲームを始める前に、罰ゲームを決めよう。」
「待ってました。」
罰ゲームを決める時だけ、達也は妙にテンションが上がる。窓際に座っていた達也は、教室後ろに並んだロッカーの一つからティッシュ箱を持って三人の集まっている席につく。
「じゃあ、引くぜ。」
そう言った達也は勢いよくティッシュ箱に手を突っ込んだ。ティッシュ箱の中には、あらかじめ罰ゲームの内容の書かれた紙が折りたたまれて入っていた。これは、あまりにおかしな罰ゲームを防ぐことと、公平性を演出するために先月作られたものだった。達也は、そのまま二、三秒ティッシュ箱の中に手をさまよわせ、「これだ!」と勢いよく一枚の紙切れを引き抜いた。
「今回の罰ゲームは―…」
引き抜いた紙を開きながら、じらすように間をあける。
「なんと、白石さんへ告白する、です。」
『キター!』
罰ゲームの内容を聞いた三人は、奇声を上げた。
「とうとう来たか―。」
「おい、今どの位なんだ。」
「確か、今週の月曜日の先輩で二十八人切りだったと思う。」
「すげー。本当に只者じゃないよ。」
罰ゲームの中心である白石薫の名前を聞いて、四人のテンションが上がっていく。
白石薫は、今年四人と同じ日に入学した一年生の女子生徒。その整った顔立ちと、すらっとしたモデル体型で、入学当初から今日に至るまで学校中の男子生徒の目を奪っていた。彼らの通っている高校は、調子の良い者がたくさんいる学校だった。そのため、白石薫をものにしようと考える輩も多く、今日までに彼女に告白した男子生徒は二十八人に至る。
しかし、彼女は不思議なことに、というか頑なに告白されてもオッケーを出すことはなかった。噂では、かなりのお嬢様らしく、顔や性格で断ったという感じではないらしい。
つまり、誰とも付き合う気などないのだ。ならば、いくら告白しても迷惑にはなるが、傷つくことはない。そう考えた四人が、これは使わない手はないと罰ゲーム内容に加えたのだ。
『白石薫に告白する』という罰ゲームをかけたポーカーが始まった。白石薫は全校生徒の注目の的である。その彼女に告白をすれば必ずフラれ、さらに噂で告白した者も有名人になる。まだ入学して二か月の四人にとっては、あまりさらし者にはなりたくない。四人は、必死に勝ちに行った。
ボードゲームの得意な直樹は、他の三人が調子に乗る前に先手を打ち、駆け引きに長ける達也が流れをひっくり返し、運だけでは右に出ない悟が一撃で逆転を見せ、常に冷静な巧真がじりじりと追い上げを見せる展開になった。
そして、いよいよゲームは最終局面を迎えた。現在の四人の持ちコインは、悟=十三枚、達也=十二枚、直樹=九枚、巧真=六枚となっている。このままいくと巧真の罰ゲームが決まる。しかし、巧真は一切焦りを見せず冷静な面持ちを維持していた。それが強がりであるのはわかってはいるが、負ける気が一切感じられない態度に三位の直樹は動揺せずにはいられなかった。
「よしお前ら、泣いても笑っても最後のゲームだ。行くぞ。」
賽は投げられた。そう言った達也がカードを配る。達也の左隣の直樹から順に時計回りに一枚ずつ、慣れた手つきでカードは配られていった。最後の五枚目を達也自身に配り終え、全員が顔を見合わせる。
「行くぞ。せーのっ。」
達也の合図で四人同時に自身の手札を勢いよく手元に引き寄せる。そして、みな恐る恐る手札を確認していく。
「ラスト一回。一位と二位の達也と悟は降りれば罰ゲームはない。だからと言ってここで降りたら男が廃ると思うんだが、どうだろう達也。」
手札を一度確認し、すぐに手札を伏せた巧真が全員の表情をうかがってから達也に聞く。その目はとても挑戦的で、表情は勝利の自信がにじみ出ていた。しかし、聞かれた達也も自分の手札に自身があるのか終始にやけ顔だった。
「おおとも。そんな逃げ腰のやつこの中にいるわけないだろう。」
「流石達也だ。わかってる。」
達也の返事に巧真は大げさにうなずく。この流れだと誰も降りることはない。まだチャンスはある。心の中で直樹はガッツポーズをする。
「それじゃあ、カード交換といこう。」
今回親の達也からカード交換が始まった。
「一枚だ。」
そう言って、達也は手札から一枚を裏向きでテーブルの中心に捨て、山札から一枚引き抜いた。
「三枚!」
次の直樹は、三枚を交換。
「ノーチェンジで。」
次の巧真の言葉を聞いてほかの三人は驚きの視線を巧真に送る。巧真は、視線の集まった一瞬だけ口元をわずかに釣り上げたが、「どうしたみんな」と、すぐに冷静な表情に戻した。ここにきて悟に勝負手が来たのか。みんなの顔がこわばる。
「じゃあ、全部。」
一変して、次の悟は手札をすべて交換した。
全員のカードの交換が終わると、流れの知った四人は持ちコインを一枚それぞれ机に出した。
「それじゃあ、ベットしてくぞ。」
「ちょっと待った!」
親の達也がベットを始めようと手を動かすと同時に巧真が口を開いた。
「最後のゲームだ。いまさら一枚や二枚賭けたって面白くない。ここは全員上限の五枚賭けにするべきじゃないか。」
巧真の口から出たのはとんでもない提案だった。しかし、それを聞いたほかの三人はみんな呆れ顔だった。
「それは何ともひどい提案だな。駆け引きにもなっちゃいないぞ。」
「らしくないんじゃないか。」
達也と直樹が反論する。
「なんだ達也。嫌に弱気じゃないか。もしかして自信がないのか。」
しかし、二人の反論を受け止めず、巧真は達也を挑発する。達也は、こういった安い挑発に弱い。
「…そんなことは言ってない。それに、お前は今回ノーチェンジだったじゃねえか。」
一瞬達也の顔が赤くなったが、すぐに元に戻ったかと思えば達也の言葉は知りつぼみに消えていった。
「待て。いいだろう。その提案に乗ってやるよ。」
満面の笑みで達也は言った。
「ちょっと待てよ。こんな見え透いた挑発に乗ることなんてない。」
急な姿勢の変化に隣の直樹が横槍を入れる。ここで負けて痛い目を見るのは直樹だ。そうやすやすと巧真の思い通りになってはいけない。しかし、達也はにやけ顔で答えた。
「いいか直樹。あいつのノーチェンジはブラフだ。ここで全員降ろさせるのが目的で、あんな無茶な提案を吹っかけてきたんだ。」
なるほど。達也の言い分に直樹は納得する。確かに、巧真にしてはらしくない行動ばかりが目立った。つまり、何らかのウソ、はったりを言っていることは間違いなさそうだ。それに気づいた直樹も口元を緩ませる。
「いやー危なかった。もう少しで巧真の作戦にハマっていたところだ。」
巧真の意図に気づいた達也と直樹は、お互いに顔を見合わせると、自信満々にコインを上限の五枚ベットした。それを見た巧真は、一度驚いた表情を見せたが、すぐにポーカーフェイスに戻した。そして、驚愕の一言を漏らした。
「…えっ。なんて?」
巧真の言葉に耳を疑った直樹は聞き返す。
「だから、俺はこのゲーム降りる。」
「そんなバカなこと許されるわけ…」
「ルール上、何の問題もないはずだ。」
あまりの衝撃発言に身を乗り出した直樹に最後までものを言わせず、巧真は冷静に正論を返す。まんまと騙された。直樹は顔を下げる。終わった。これで罰ゲーム決定だ。
「悪く思うな。これは、ポーカーだ。他人を騙して蹴落とすゲームだろ。それに、よく言うだろう。騙される方が悪いってね。」
「このペテン師が。」
すっかりポーカーフェイスからにやけ顔へと変貌した巧真に向って、達也が吐き捨てるように言う。しかし、何を言っても状況は変わらない。
「俺も五枚ベット。」
ここまでだんまりを決め込んでいた悟が口を開いた。そして、手持ちのコインから五枚を机の上に積んだ。
「お前、いいのかよ。降りれば負けはないんだぞ。」
「関係ないよ。それに、俺は負けない。」
悟の強気な口調が、少し場の空気を換えた。まだ終わってない。顔を落としていた直樹は目線を上げた。さっきすべての手札を換えていた悟がゲームを下りなかった。まだ勝負はわからない。
「いいのか、本当に…。」
勝機の希望が表に出ないよう気を配り、直樹は不安げな声で悟に確認する。
「もちろん。ここで降りるなんて男じゃない。」
悟の言葉に思わず巧真は眉を動かした。それを見た達也と直樹は少しだけ気持ちがスッとした。
「じゃあ、勝負といくか。」
全員の準備が終わり、いよいよ決着の時。緊張の空気が張り詰める。勝負に挑む三人がお互いを見合い頷く。
「いくぞ。せーのっ。」
達也の合図で三人は、手に持ったカードを机に勢いよく叩きつけた。
夕日の光を前から受けて白石薫の前で深く腰を折る直樹。直樹の目には白石薫から伸びた影しか映らなかった。耳まで真っ赤になるくらい恥ずかしさに駆られた。しかし、夕日のおかげできっと白石薫には気づかれないだろう。直樹は、なかなか返事が返ってこないことに不安と羞恥心を余計に感じ、息がつまりそうだった。何をそんなに考えることがあるのだろうか。誰とも付き合う気がないのならスパッと答えて、この気まずい空気を終わらせればいいのに。
直樹が心の中で呟いたその時だった。夏を感じる少し湿った空気に乗って白石薫の声が直樹の耳に届いた。その言葉の意味が理解できず、直樹は下げていた頭を上げ疑問の視線を送る。視線の先には、スカートの裾を軽く握り少し困った笑顔の白石薫がいた。
「…だから、私でよければ、いいよ。」
聞こえないと思われたのか、先ほどより大きくはっきりとした声で白石薫は直樹に行った。そして、その声が聞こえたのだろう。後ろの階段の影から直樹のもとに達也と巧真と悟の三人が駆け寄ってきた。
直樹は、状況を全く呑み込めないままだったが、みんなが大騒ぎするのに便乗して浮かれることにした。しかし、その後直樹が学校中の注目の的になったことは言うまでもない。