第七話 ジャグジーで水着撮影会
午後、再び雲さんに案内されて裏庭を見に来た。そこは白樺林に囲まれた広大なスペースだった。いや、広大というよりどこまでが庭で、どこからが森なんだかわからない。おそらく森の向こうの小高い山も私有地なのだろう。
裏庭に木の杭と板で作られた簡素な木道が設けられていて、屋根のついた東屋のような建物につながっている。
「あの建物はなんですか?」
「行ってみる?」
雲さんが軽い足どりで木道を進んでいく。近づいてみると、それは六角形の屋根を持った小さな建物で、床に白い円形の浴槽が埋め込まれていた。露天風呂かと思ったが浴槽の内壁にいくつも金属のノズルが見える。
「ジャグジー……ですか?」
「入ってみる?」
また疑問符に疑問符で返された。大人っぽい雰囲気の雲さんなのだけど、いたずらっぽく笑うと雨そっくりになる。やっぱり姉妹なんだなあ。
「僕は撮るほうですから、入るなら雲さんに……」
自然に笑顔になる。シミュレートされた水着姿が頭の中に結像する。彼女の持つ美しさや気品までも写し撮りたいと思う。それにはどんなロケーションが適しているのか、無意識のうちに考えていた。だけどそんな僕の期待は見事に裏切られる。
「残念だけどあたしは今アレなんで、雨と霧を呼ぶね」
アレなんですか、雲さん。残念だけどそれじゃ仕方がない。
「雨ぇー、霧ぃー、水着ぃー!」
雲さんが叫ぶ。そんな簡潔過ぎるメッセージで用件が満たせるのものなのだろうか。それに二人が今どこにいるのかもわからない。聞こえたのかどうなのか、返事はどこからも返ってこない。
でも、しばらくすると白いパーカーを着た雨が現れて、裏庭の木道をゆっくり歩いてやってきた。
その下に水着を着ているのだろう。パーカーの裾から剥き出しになった脚が、太陽の光を反射してまぶしい。足には白いサンダルを履いていた。
そんな雨に見とれていると、再び彼女と目が合ってしまった。すぐに視線を外す。僕の無意識は雨が危険だと伝えているようだ。
その後ろから、霧ちゃんが追いかけるように走ってくる。こちらはピンク色のタンクトップに黒いショートパンツを履いている。タンクトップはとても短くてヘソが見えていた。長い黒髪はピンクのリボンで、高い位置でポニーテイルに結われている。
「透くん、お待たせー」
二人はほとんど同時に東屋にやってきた。
今日は建物付近のロケハンのつもりでいた。ロケハンとは、ロケーションハンティング、つまり撮影に適した場所を探す作業のことだ。ところが今、僕の目の前には水着のモデルが並んでいる。僕は頭の中でざっと撮影手順を組み立てる。いま持っているレンズは17-35ミリの広角ズームだけだ。それに光をコントロールするレフ板やストロボもない。ポートレート撮影に適しているとは言えない装備だった。
「ちょっと機材を取ってきます」
「あたしが持ってくるよ」
雲さんが洋館に向かって走り出した。
「重いですよ!」
そう叫んだ時にはもう彼女は洋館の中に消えていた。何が必要なのかわかるのだろうか。心配して洋館の方を眺めていると後ろで雨の声がした。
「準備できたよー」
振り返ると二人の水着モデルがジャグジーのふちに腰をかけて待っていた。霧ちゃんはタンクトップを脱いでグレーストライプのチューブブラになっていた。下はショートパンツのままだ。あれも水着なのだろうか。
パーカーを脱いだ雨は、同じ色の白いビキニの水着を着ていた。ということは、朝のブルーのあれは下着だったということか。
首筋も肩も腰もどこもほっそりとしているが、霧ちゃんに比べるとずっと女性らしいプロポーションをしている。
彼女の過剰な親密さは苦手だが、被写体としての魅力は認めざるを得ない。
無意識で一眼レフの電源を入れる。撮影モードを絞り優先AEに、オートフォーカスを常時AFに切り替える。ISO感度は100のまま。ストラップを首からはずし、右腕に巻きつけた。レンズキャップをポケットにしまう。レンズを雨に向ける。絞りは開放。親指でオートフォーカスを作動させ、彼女の睫毛にピントを合わせる。
構図はとりあえず成り行き。息を止めてシャッターを切る。
液晶画面でピントと露出を確認する。直射日光は屋根にさえぎられて強い影は落ちていない。周囲の光が白いバスタブに反射して、雨のあごに出る影を偶然和らげていた。バスタブに張った湯の温度は低めで、湯気は写らない。
露出を少しずつ補整しながら、何枚かシャッターを切る。
一段高い東屋の床から地面に降りる。足元には雑草が生い茂っていて土は見えなかった。
腰を落としてジャグジーのふちに近い高さまで視線を落とす。雨は顔の角度を固定したまま、すまし顔でレンズを見下ろす。そのまま連続して撮影を続けると、雨の表情がわずかずつ変化していくような気がした。シャッター音のたびに頬に赤みが差し、口元がゆっくりと上がっていく。その変化はファインダー越しに覗く僕の目に、強烈なめまいを起こさせた。
僕は夢中になってシャッターを切る。
気分が高揚してくる。
シャッターを連射に切りかえる。
レンズの焦点距離が足りない。
ファインダーを覗きながらどんどん雨に近づいていた。
被写界深度が浅いのでマニュアルでピントを微調整する。
そしてシャッター、シャッター、シャッター。
雨の瞳は潤み、胸は激しく上下して空気を取り込む。そのすべてをカメラに収めようとシャッターを切り続けた。
「これでいいかな? 透くん」
振り返ると、雲さんと家政婦の恵理子さんが、二人掛かりで僕のカメラバッグを持っていた。
それを見て、ふっと我に返る。
「ああっ! ありがとうございます」
バッグを受け取ると85ミリ単焦点につけ変えた。気がつくと両手にびっしょりと汗をかいていて、レンズを落としそうになる。いつの間にか雨の表情に飲まれていたようだ。落ち着け落ち着け。
「どう? 撮ってもらった?」
雲さんが聞いている。二人が返事をしているようだが、僕はカメラの液晶画面に目を落としたまま彼女たちの方を見られなかった。しばらく深呼吸。
楽しい。初めてカメラを持った時のことを思い出して、自分でも驚くほど興奮していた。
落ち着いて呼吸を整えてから雲さんたちの方に向き直ると、何故かみんなが僕を見ていた。
レンズを切り替えると一息ついた。
ストロボを補助光に使って光線をコントロールする。
落ち着いてファインダーを覗いていると、霧ちゃんの水着が目に止まる。彼女も細めだが、雨とは違って少年のようなプロポーションだ。黒い前髪に半分覆われた、うつむいた顔。伏せた長いまつげ。幼さが残る顔立ちに二人の姉の面影がある。
ポートレートはあまり撮り慣れていない。書籍やネットで勉強した知識で、二人の姿をなんとか写真に収める。モデルへの的確な注文も出せず、ただ目の前に用意されたポーズを撮っただけだが、僕がモデルに要求するレベルが低いのか、彼女たちが撮られ慣れているのか、何も言わなくても彼女たちは不思議と僕の考えた通りに動いてくれた。