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第五話 三女『霧』

 山間の日没は早い。夏だというのにディナーが終わるころには日がとっぷりと暮れてしまって、写真は撮れそうもなかった。三姉妹も、撮ってもらう立場で遠慮しているのか撮影のことなど一言も触れず、結局洋館に到着したその日は何も撮らずに過ぎてしまった。

 洋館も同様だけどモノを撮影するときは、その持ち主に話を聞くことが不可欠だと僕は思っている。持ち主とモノとの関わりやこだわりが、明確なストーリーとなって、絵作りの重要なヒントになるのだ。


「霧がまだうんと小さい頃、家族でこの洋館のすぐ近くに住んでいてね。ここはあたし達の遊び場だったの。

 その頃はお婆様が一人で住んでいたのだけど、身の回りのお世話をしてくれる家政婦さんがいてね。お部屋の掃除をする時に、隣同士つながったドアを全部開けて部屋を一度に掃除するの。カギが片方からしか開け閉めできないし、元々何のためにあるドアなのかわからないんだけど、掃除やベッドメイクするときに使ってたみたい。

 それでね、最初の部屋から順番にカギを開けていって一番端の部屋まで開けたら、そこから掃除を始めて、部屋を逆に戻りながらカギをかけていくの。ちょうど家政婦さんが掃除をしている間に、そのドアを通りぬけてまた戻ってくる競争をよくやったわ。お婆様はその頃からずっとベットで寝たきりだったんだけど、遊んでるあたし達を見ていつも微笑んでいたわ。きっと、お婆様も一緒に走りたかったんでしょうね」


 彼女の微笑みにわずかに影が差す。


「それにしても、お婆様がまだ存命なのに、ここの売却の相談をするなんて酷いと思わない?! この洋館はお婆様にとってかけがえのない思い出の場所なのに」


 怒りの感情を隠そうとしないで雨が話に割って入ってきた。右手のナイフを突き出している。

 彼女の両目には透明な液体があふれ、いまにもこぼれ落ちそうになっていた。

 なるほど、そういう事情なのか。彼女たちが如何にこの洋館を大切に思い、また、祖母を愛しているのかが痛いほどわかる。

 

 午前一時を回った頃、僕らは食堂を出て隣のリビングに移動した。地下のワインセラーから選んできたワインを飲みながら、彼女たち三姉妹の昔話をたくさん聞かされた。未青年の霧はワインには手を出さずに、途中で自分の部屋に帰ってしまった。眠いのか足元がややおぼつかないが、あいかわらずうつむいたまま表情に乏しい。


「僕は霧ちゃんに嫌われてるのかなあ」


 お互いアルコールが入っているからか、開けっぴろげな会話も許される。


「あの子はいつもあんな感じね」


 雲さんがそっけなく答える。


「あれでも透くんのこと嫌なわけじゃないのよ。嫌だったら一緒の食卓にもつかないもの」


 おつまみの皿を手にリビングに入ってきた雨がフォローする。


「気になるの?」


「嫌われたら、モデルを頼みにくいからね」


 我ながらよくこんな台詞が口から飛び出すものだ。


「大丈夫じゃない?」


「そうそう。それにモデルだったらあたし達がいるでしょ。透くんのお願いなら水着だろうとその先だろうと、ね……」


 雨は相当酔いが回っているようだ。見ているうちに革張りのソファーからずるずると滑って、腰が落ちたあられもない格好になってしまった。それでも彼女は僕をじっと見つめていた。その瞳に射すくめられて僕は動くことができない。

 雲さんがブランケットを持ってきて、雨にそれを優しく掛けた。気がつくと、雨はいつの間にかまぶたを閉じて軽い寝息を立てている。一人っ子の僕にもし姉がいたら、こんな優しい姉がいいな。酔った頭でそんなことを考える。


 雨が寝ってしまったのを合図にささやかなパーティーはお開きとなり、僕も部屋に引き上げることにした。

 リビングを出るときに雲さんに声をかけられる。


「透くんありがとう。楽しかったわ。おやすみなさい」


「おやすみなさい」

 

 僕もかなり酔いが回っているようで、階段を登る足元がふらついた。

 部屋に戻ると風呂に湯を入れながら、机の上に持ってきたカメラとレンズを並べる。広角、標準、望遠ズーム。単焦点レンズを何本か。その他の機材、三脚。ストロボはクリップオンとモノブロックを一台づつ。フィルタ類。携帯用のレフ板などはバッグの中だ。

 風呂から出ると、バッテリー残量をチェックしてレンズを広角ズームにつけかえる。部屋の灯りは白熱電球の間接照明で、屋外に比べるとかなり暗いがこの雰囲気は写真に残したい。

 モノブロックストロボをスタンドに固定してカサを拡げる。モノブロックとは撮影スタジオなんかで使うプロ用ストロボの簡易版みたいなものだ。コンセントにつないで使うので、バッテリーのものよりも充電が速くてリズムを崩されずに撮影できる。

 部屋のインテリアの中でもっとも特徴的な、作りつけの机とベッドを中心に構図を考えてみる。木材の天板にペンキを塗っただけの簡素なインテリアは、アメリカで設計されたものなのかも知れない。

 カメラを三脚に固定してストロボをつなぐ。ストロボメーターで露出を計測し、絞りとシャッタースピードを決めた。インテリアを撮ってみる。画像を液晶画面で確認してみたが、もとの間接照明の落ち着いた優しさが出せなかった。

 酔った状態で撮っても良いものは撮れなかった。

 気がつくと時計は午前四時を回っていた。僕はそのままベッドに倒れこみ、翌朝起こされるまで夢も見ないでぐっすりと眠ってしまった。

スタジオ用のストロボセットをバッグにつめて持ち歩くのは地獄です。

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