第四話 二女『雨』
季節は夏だというのに、窓の外はすでに薄暗くなっていた。
案内された一階の食堂は、十数人が一度に座れそうな長いテーブルとソファーセット、それにミニバーで構成された豪華な造りだった。
設備とは対象的に飾りつけは非常に簡素で、絵も置物もほとんどない。代わりに、様々な風景写真やスナップが簡素に装額されて飾られていた。
個人の家というよりも美術館に近い感じのインテリアだ。
大きく引き伸されたモノクロの風景が食堂の壁の大半を占めている。カラーは八つ切り程度の大きさのものばかりだ。
「ほとんどはお爺様が写したものなの。写真が大好きだったみたいで、あたしたちもその影響を受けてるわね」
下手だけどね。そう言って雲さんは微笑んだ。理知的な微笑みが絵になる人だ。
テーブルにはこれもまた簡素なデザインの燭台が並んでいた。椅子の前には白い皿と銀食器、ナプキンが置かれている。
ソファーに近い方の椅子に、昼間裏庭で見た少女が腰かけていた。霧という名前だ。
彼女は薄いブルーのドレスに着替えていた。白い肩はボレロで隠されている。
食堂に入ってきた僕と目が合う。でも彼女はすぐに目を伏せてしまった。幼い顔つきに長い睫毛が印象的で、まるでビスクドールのようだ。
雨の襲撃で動転して気がつかなかったが、雲さんもドレスに着替えていた。目の覚めるような真紅のドレスだ。
こう言うときはたぶん何か言うべきなのだろうけど、女性を褒めるのに慣れていない僕は、どう言っていいのかわからない。
うながされて霧ちゃんの斜め前に座る。僕の前には雲さんが座った。彼女は上品に微笑んでいる。頬笑みは彼女のデフォルトの表情なのかもしれない。
「この子は下の妹の霧よ。ちょっと人見知りするんだけど、あなたが嫌いなわけじゃないから安心してね」
「いやー、さっき窓から見てたら目が合って、逃げられちゃいました」
笑って答えながら霧に視線を向けたが、彼女は無表情のまま黙って座っている。うーん、気まずい。ひょっとして彼女には歓迎されていないのかも。
「もう一人、上の妹がいるんだけどまだ来てないの。何やってるのかしらあの子。時間は言ってあるのに。透くん知ってるわよね?」
「えーと……」
さっきの部屋での一件以前に雨の名前は出ただろうか。メールに名前が書いてあったかな。それとも車の中で聞いたんだっけ。それを必死に思い出そうとする。
「ああ、まだ会ってなかったわよね」
そう言って微笑む雲さん。まさかこの人、わかっていて言ってるんだろうか。背筋に冷たいものが流れる。
曖昧に返事をしていると、食堂のドアを開けて少女が入ってきた。
雨だ。
細めのボディラインにぴったりフィットした黒のドレスを着ている。そのセクシーさは雲さんの真紅のドレスを凌駕していた。なぜなら、ついさっき部屋で目に焼きつけたばかりの白い脚が、そのまま剥き出しになるほどドレスの丈が短かったからだ。
つま先にシルバーのチップがついた黒いエナメルのハイヒールを履き、足首にはやはりシルバーのアンクレットをつけていた。
「遅れてごめーん。こんな格好久しぶりだから遅くなっちゃった」
白い歯を思いっきり見せて笑顔を作る雨は、さっき部屋で出会った妖艶な彼女とは別人の明るさだった。
「はじめまして、透さんですね。次女の雨です」
澄まし顔で自己紹介をした雨は、雲さんの隣の椅子を引くと、ストンと勢いよく腰かけた。
それと同時に部屋の奥のドアが開いて、エプロンをかけた中年の女性がワゴンを押して現れた。おそらく家政婦さんだろう。三姉妹がドレスアップしていたのは、ディナーの準備をする必要がなかったからか。やっぱり彼女達はお嬢様なんだなあ。
家政婦さんはにっこりと微笑んでテーブルにスープの皿を並べていく。湯気が出ていないところを見るとビシソワーズのようだ。冷製スープをスプーンですくいながら、いくつか聞きたいことを頭の中で整理してみた。
「この建物は明治時代、曾祖母の時代にアメリカから移築して建てられたの。当時はトタン製の屋根だったそうだけど、戦後に日本風の瓦屋根に改修されたみたい。その時に壁や床を張り換えたり、ガスの湯沸かし器を入れたりしたんだけど、それ以外は当時のままらしいわ。
ここは元々お婆様が一人で住んでいたの。私たちは透くんに写真を撮ってもらうためのお手伝いに来てるだけで、普段は家族と一緒にふもとの町に住んでるのよ」
ゆっくりと、だけど淀みなく一気にそこまで説明すると、雲さんはスプーンを口に運んだ。
簡潔な説明ではあるけれど、僕が知りたかったことの大半は十分説明されていた。
「撮影は透くんの好きなときに、好きなように撮ってもらって構わないわ。トイレとお風呂はお部屋のを使ってね。期限は決めていないけど、あたし達も夏休みだから好きなだけここにいてくれたらうれしいわ。それから……」
雲さんの目がすぅーっと細くなる。
「こういう写真に必要かどうかわからないけど、もしモデルが必要だったらいつでも私たちに言ってね。素人だしヘアメイクもスタイリストもいないけど、こんなドレスと、それから……そうね、水着くらいなら用意できるわ」
洋館を写真に残す代わりに僕が出した条件がモデルの依頼だったのだ。しかし、まさかこんな山奥で美人三姉妹の水着ポートレートが撮れるとは。心の中でガッツポーズ。この嬉しさが顔に出ないように全神経を集中した。
ささやかな商談が成立すると同時に、前菜が運ばれてきた。名前はわからないが白身魚のマリネ。
「透さんは大学生?」
雨が探るような目で聞いてきた。
「そう。写真には関係のない学部だけどね」
「将来は写真家になるの?」
「うーん。写真で飯が食えたらすばらしいなあとは思ってるけど、プロの世界は厳しそうだし、僕なんかまだまだだしね」
苦笑いした顔から偽りの言葉が漏れ出る。これは謙遜だ。一眼レフで撮った写真をネットにアップしているような人間は、少なからず腕に覚えがある奴ばかりだ。それなのに最初からプロを目指そうとしない。プロにも負けないプライドを持っているくせに。そんなアマチュアカメラマンはたくさんいる。そして僕もまたその一人だ。
「アマチュアの方が好きなことができて楽しいよね」
雨がまるでフォローするように話を合わせてくれる。ひょっとして意外と良い奴なのかも知れない。
「皆さんは学生なんですか?」
「あたしは役場勤務の公務員。雨は大学生、霧は高校生。三人とも学生に見えちゃったかなあ」
「いえ、思った通りです」
「あらそう」
雲さんが口をへの字に曲げて不満そうな顔をする。僕が正解したことが面白くなかったのだろう。外見とは裏腹に子供っぽいところがある人だ。