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第九話 名探偵再登場

 病室のドアが開いて見慣れた顔の看護婦が入ってきた。


「狩屋さーん。検温ですよー」


 そう言って体温計を差し出す。

 僕はまだ目覚めたばかりの頭でそれを眺める。何かが変だ。でも何が変なのかわからない。


「それから、また刑事さんが来てますよ」


 スーツを着た一人の男が病室に入って来た。男は、ポケットから警察バッジを取り出しながら、看護婦に見えないように人差し指を立てて口にあてる。


「I県警の神田です。先日の強盗事件についてもう一度お話を聞かせてください」


 体温計が電子音を発して時間を知らせる。看護婦は僕の脇から体温計を引き抜くと、それを一瞥してから黙って病室を出ていってしまった。

 病室のドアが閉まると、刑事と名乗った男は事務的な表情を崩してこう言った。


「お久しぶりです、狩屋透さん。このたびは大変でしたね」


 神田と名乗る男の顔には見覚えがあった。僕が霧を連れてあの村を脱出した後、潜伏していたマンションにやってきた探偵だ。巧く撒いたと思っていたけど、尾行されていたということか。

 こいつはあの村の『彼女』に雇われたと言っていた。意識がなくなったまま眠り続けていた霧を見て、そのまま帰って行ってしまったのだ。僕が霧を妊娠させてから連れて帰るように『彼女』に指示されていたに違いない。

 しかし、霧はもういない。いったい何をしにきたと言うのだろう。


「もう、用はないでしょう」


 そう良いながら僕は病室を見渡す。そう、霧はもういない。いない。

 あれ? どうしてここにいないんだ?


「夕べのことは覚えてませんか。お見舞いにきていた女性たちは一体どこへ行ってしまったのでしょうね」


 そう言われて思い出す。

 昨夜、あの事件の後。白衣の女が病室にきて僕の腕に注射をした。それから何人もの男が入ってきて、霧と雪の身体を運び出して行った。僕の頭の中で再生される映像は、まるで昔日の映像のように色褪せてセピアに染まっていた。

 映像に白衣を着た神田の姿が一瞬映る。指示を出していたのはこの男だ。


「霧をどこへやった?!」


 神田は答えない。


「あんたは一体何者なんだ!」


 男はベッドの脇に立ったまま話し始めた。


「探偵とか刑事とかの肩書きは職務上必要だから使っているだけで、申し訳ありませんが本当の所属先をお教えする事はできません。教えられないし、探しても見つからない、誰かに訴えてもまともに取り合ってはくれないでしょう。私が言えるのは谷津峰村と戦前から交流があった公的機関であるということだけです。

 さて、あなたがあの村でボディを一体破壊し、もう一体を奪って逃げ出した後、『彼女』から私に連絡が入りました」


 雨や霧の事をボディと呼ぶ。この男の言葉は気にくわなかった。


「あなたの行き先や車の特徴を聞いてすぐに追いかけましたが、何のことはない。あなたは自宅のマンションに隠れていたから探す手間もかかりませんでした。

 ご存じのとおり私はマンションに行って昏睡状態のボディを観察した。そしてまだ餓死するまでに余裕がありそうだったのでそのまま辞去しました。もちろん、帰ったわけじゃなくてずっと監視していたのですがね。

 それからしばらくして驚くべきことが起こった。あなたが奪って行ったボディが意識を回復した。いや、回復という言葉は正しくないですね。空っぽの脳に自我が芽生えた。まさに奇跡です。

 私はそれを谷津峰村の『彼女』に報告しました。ええ、驚いてましたよ『彼女』。

 無理もないですよね。テレパスのせいで、いや、自分のせいで数十年に渡って魂のない子供を産み続けたんです。

 それを聞いて『彼女』、なんて言ったと思いますか? 是非会ってみたいって言うんですよ。そのためにあの車を作りました。あなたもご覧になったでしょう。あの馬鹿げた霊柩車ですよ。テレパスを生命維持装置ごと鉛で作った棺桶に入れてアメリカ製の霊柩車に乗せたんです。余計にバッテリーを積んでいて、エンジンが止まっている間もテレパスを生かし続けます。

 そうやって『彼女』はあなた達に会いにきた。しかし、皮肉にもそこで不幸なアクシデントが起こってしまった。

 あなたは事件に巻き込まれて大怪我をします。これには『彼女』も我々も焦りました。どうして我々が焦るのかって? それはもちろん次世代のテレパスを作るため。我々もまた、テレパスが欲しかったのですよ」


 ここで男は一呼吸分の間をとると僕の目を覗き込んできた。


「『彼女』は自分の自我を生きながらえさせるためにテレパスが必要でしたが、我々は違います。理由を申し上げるわけにはいきませんが、我々が欲しいのはまっさらの白紙のテレパスなのです。母親の自我の影響を受けていないニュートラルなテレパス。それを手に入れるためには、妊娠した時点で意識のない母胎が必要です。

 我々は彼女と取引していたのです。彼女の生活を全面的にバックアップし、希望を叶えてきました。あの村であなたが出逢った三姉妹は、テレパスを産むために育てられた巫女のような存在でした。

 だから、姉妹にあなたを誘惑させて妊娠が確定したボディを回収する。これが我々のプランAでした」


 神田は右手の人差し指を立てて見せる。


「もちろん『彼女』と利害が競合するわけにはいかないので、最初に生まれたテレパスの所有権は『彼女』に。そして、その母胎は次に白紙のテレパスを生むために我々に提供される約束でした。

 しかし、せっかく受精を終えた二女のボディをあなたは壊してしまった」


 バスタブに横たわる雨の白くて細い首を両手で締める光景が僕の記憶の中に鮮明によみがえる。


「次に我々は残った三女のボディを使ってテレパスを産ませることを考えた。これがプランB」


 男は人差し指に続いて中指を立てて見せる。


「ところが三女は自我を得てしまった。そうそう、霧さんでしたっけ。自ら人格を手に入れた偉業に敬意を表して名前でお呼びしましょう。まぁ、あの名前だって『彼女』が思いつきで名付けたものなんですが……。霧さんは、あろうことかこの病室であなたと交わる彼女に嫉妬してテレパスを排除しようとした」


 昨夜の霧の様子が目に浮かんだ。固く目を閉じて、両手を握りしめ、そして霧は……誰かを操りテレパスが乗った霊柩車を道路に飛び出させたというのか。あれは霧が意図的にやったことだというのか。


「霧にそんなこと……」


「できなかったと言い切れますか? 霧さんはストーカーに襲撃された時に、自分の身体を『彼女』に操られていた。そのプロセスを霧さんの自我は見てたんじゃないでしょうか。つまり、あの事件から霧さんは、人の身体が他人にも操れると学習した。

 もちろん、操られたのは霧さんがあの村で産まれたテレパシー受容体の持ち主だからなのですが、幼い霧さんにはそこまで考えが及ばない。しかし、それが一般的に正しい認識か否かに関わらず、同じ環境に産まれたボディに対して彼女にもそれができてしまった。そうは考えられませんか。

 操られているうちに『彼女』の愛情に触発されたのか、あるいはあなたに対する独占欲が芽生えたのか。今となっては詳しいことはわかりませんが、とにかく霧さんはテレパスを排除しようとする。そして『彼女』に絞め殺されてしまった」


 床に倒れている霧の記憶が鮮明になった。見開かれた目から涙が流れ、紫色に染まる舌が飛び出した唇からは唾液があふれていた。

 僕は不意に強烈な激情に支配されて息ができなくなった。どこか遠いところで声が聞こえる。それが自分の叫び声だとわかるまで少し時間がかかった。そうだ、雨も霧ももういない。みんな死んでしまった。

 抗えない怒りに突き動かされて、僕は目の前に立つ男に飛びかかっていた。こいつがいなければ霧は死なずに済んだはずだ。

 しかし、掴みかかった僕の手首はむなしく空を掻いた。神田は軽く身体を反らせて避けると、パジャマの襟をつかんで僕をベッドの下に引きずり落とした。流れるような動作でまったく隙がない。


「なにか勘違いをしているようですが、よく思い出してください。狩屋さん」


 息一つ乱さず僕を見下ろして冷ややかに言う。


「私が尾行していなかったら、そしてあの村から『彼女』とテレパスを連れてこなかったら、霧さんもあなたもストーカーに殺されていたのですよ。もう忘れてしまったのですか。

 でも、霧さんの死は誤算でした。これでプランBもダメになってしまいました。

 もう一つ、プランCというのもあったのですよ。これは妊娠可能なボディとあなたの精子を使って人工授精させる方法です。

 ああ、もちろんあなたの協力は望めないでしょうから、少々荒っぽい手を使うことになったでしょう。でも、これも巫女のボディが全て失われたことで不可能になってしまった。

 男は落胆した様子もなく言った。

 その方法なら雪が使えるのではなかろうか。


「雪はどうした」


「あの双子の片方のことですか。それも『彼女』が勝手につけた名前ですね。おかげで把握するのが大変ですよ。

 そうそう、あのボディについて村の役場で調べたのですが、不思議なことに巫女の三姉妹とは血が繋がっていなかったのですよ。妊娠してもテレパスは生まれない。一体何のために『彼女』は双子をここへ寄越したのかわけがわかりません。まぁ、どちらにしろあれも破壊されていましたから同じことなんですが。頸椎が折れていたんです。あなたが霧さんを助けようとしてやったんだと思っていましたが、違うんですか?」


 神田は床に倒されたままの僕に視線を投げ続けている。その目には同情もあざけりも何も含まれてはいない。


「ついでに言えば、双子のもう片方はつぶれた霊柩車の運転席で発見されました。顔も身体も原型がわからないほどのひどい状態でしたが、フリルのついた黒いドレスを着ていたそうです。おそらく霧さんに操られていたのでしょう。

 誤解しないで欲しいのですが、狩屋さん。あなたを責めているわけではないのですよ。

 今回はテレパスを手に入れ損ないましたが、それほど大きな損失というわけじゃない。正確な数字は申し上げられませんが日本国内でも……そうですね、狩屋さんがびっくりするくらいの数のテレパスは存在します。世界中にもたくさんいるでしょうね。公の資料が存在しないので推測するしかないのですが。それよりも、テレパスの存在が公になる方が問題なんです。

 あなたと『彼女』が遭遇するとどういうわけか死体がいっぱいできあがってしまう。それを隠すのにけっこう手間がかかってるのですよ。洋館の時は間に合わずマスコミに報道されてしまいましたが、もう失敗はできません。おまけに『彼女』が連れてきた村人の処分も考えなくてはならないし。

 こんな事を言うとさらに誤解されるかも知れませんが、あなたの口封じに強硬な手段を使うことはありません。その点はご安心ください。記憶を消す便利な道具があるわけじゃないし、ましてや監禁したり命を奪うこともできません。あくまでも我々は公的機関なので。

 それに、どうせあなたが喋っても誰も信じないでしょう」


 そう言って、男は僕の腕をつかんで引き起こすと、ベッドに座らせる。とたんに傷口に激痛が走った。痛みが顔に出る。


「あのストーカーもアンタたちが仕組んだのか」


 僕は男の飄々とした顔を睨みつけた。


「まさか!」


 神田は大げさに驚いてみせる。


「人を傷つけるような真似はしません。それに、万が一にも霧さんかあなたのどちらかが死んでしまったら、私のプランは失敗です」


 そのままこちらを向かずに病室のドアを開けた。神田の言っていることは辻褄が合っている。


「そうそう、申し訳ありませんが今回この温泉地で撮影されたデータはすべて回収させていただきました。これも仕事ですからご容赦ください」


 神田はそれだけ言うと病室を出ていった。

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