第五話 双子のゴシックロリータ
写真館のPCであの村について検索をした。I県H郡谷津峰村。人口百五十一人。面積十五・四平方キロメートル。役所のホームページにはあの村について、それだけしか掲載されていなかった。村役場の連絡先も書かれていないし、グーグルマップでも表示されない。村の情報の少なさに改めて驚く。そこは文字通りの地図にない村だった。
数日前、テレビのニュースで燃えた洋館が映された。しかし、最寄りの駅から車で何時間も走った場所にある隠れ里のような場所だ。取材するのも大変だったことだろう。
ニュースでは正確な人数は公開されていなかったけれど、一体何があったのか。『彼女』が自我の崩壊を恐れて、尊厳を保ったまま自らの命を断とうとしたのだろうか。
僕が拒絶したから。祖父と同様に一度は愛した『彼女』を、僕は村に置き去りにして逃げ出してきてしまったから。
それに最初に気がついたのは里美さんだった。僕らが間宮写真館で住み込みで働くようになって二週間が過ぎた頃だ。
観光客がデジカメで写真を撮るようになってフィルムも現像も必要なくなってからは、撮影のない日の写真館は開店休業状態だ。まるで黄昏れた飼い猫のように、日がな一日店の前の通りを眺めていた里美さんが近所に同じ乗用車が毎日停まっているのを見つけた。
「どんな車なんですか?」
「それがね。なんだか気味が悪いワゴンなのぉ。ここ数日ずっと近所に停まってるのよ。あんな車がいたらせっかくの観光地が台無しだわ」
彼女の話では数日前から停車位置を変えながら出没しているらしい。
「乗ってる人を見ましたか?」
「ん〜ん。見てないわ。朝にはもう停まってて、見ている間は誰も乗ったり降りたりしないもの」
「誰も乗ってないんですか?」
「中はよく見えなかったのよ」
里美さんの話はわかりにくかった。知らずに語調が激しくなる。
「車種は? どこのナンバーでした?!」
「怒らないでよ! そこまでわかんないわ」
里美さんが耳を塞ぎ口をとがらせて抗議する。彼女にとって所詮は違法駐車か、あるいは単なる近所迷惑に過ぎないのだろう。しかし……。
「すみません。怒ってるわけじゃないんです」
でも、もしその車が僕らを見張ってるとしたら。
僕と霧は例の村から脱出した後、自宅のマンションにしばらくのあいだ隠れていた。そこに『彼女』に雇われて来た探偵が現れた。『彼女』とはあの燃えた洋館の持ち主であり、村の唯一の住人であり、あの夏に村から逃げ出すまで霧の体を支配していた人格のことだ。
『彼女』の事を思い出すと、僕は未だに心が締め付けられるような思いに駆られる。『彼女』にとって生きていることそのものが罪だった。『彼女』自身が生きている限り永遠の孤独と言う罰を受け続ける。自らが産んだテレパスによって人格が村人全員に分散し、悠久の時を生きながらえる代わりに、自分の人格の在処である村を離れることができないのである。
もし、その車が僕らを見張っていたとしたら、居場所は『彼女』に筒抜けになっているということだ。
逃亡先を慎重に選んだとは言えない。幹線道路から幾分離れているとはいえ、温泉地なんかに腰を落ち着かせたのがいけなかったのだろうか。いや、まだ『彼女』の監視だと決まった訳ではない。
それに『彼女』の目的は僕に霧を妊娠させて新しいテレパスを産ませることだ。だから、僕にも霧にも身の危険があるとは考えにくい。しかし、とにかく今は、用心しながら逃亡のチャンスを探っておいた方がいいかもしれない。僕はそう考えていた。
間宮写真館は、その仰々しい名前を裏切らない渋い木造建築の撮影スタジオで、建物の外観も被写体として十分に魅力的だ。壁は黒塗りの板壁で、一階は天井が高いため二階の窓は通常の住宅の二階半ほどの高さにあり、屋根は黒い瓦の甍になっている。
町のカメラ屋的な機能も担っていて、いくつかの高級カメラとともに安価なデジカメやカラープリンター、インクなども販売している。
間宮写真館での僕の仕事のほとんどは、ホテルの宴会場での記念撮影だ。ほとんど客の来ない写真館がどうして経営していけるのかと疑問に思っていたが、観光客や修学旅行の学生の記念写真撮影が収入のメインだと聞いて納得した。
大人の観光客は酒が入ってしまうとみんなで整列することなどできなくなってしまうので、先に集合写真を撮ってしまい、それからゆっくりと個別の撮影に移るのがいつもの手順だ。
今日の仕事も大手ホテルの宴会場での記念撮影だった。
ホテル側が用意した部屋に雛壇を作ってライティングの準備をするが団体客が到着した連絡はまだ来ない。そんな時は玄関ロビーのソファーで時間を潰す。
「マミヤさん、どうぞ」
呼ばれて顔を上げると、ホテルの仲居さんが冷たい麦茶を入れたグラスを持ってきてくれた。
団体客はほとんどの場合、車での移動になるので時間通りに到着することは稀だ。でも準備する側は遅れるわけにいかない。
日が傾き始めた頃になってやっと団体客が到着した。ホテルのマネージャーとポーターが玄関に足早に向かう。ロビーに設置された骨董品の大時計を見ると、予定より三時間以上遅れた時刻を差していた。
ソファーに座ったまま首だけ回した僕は、ガラス張りの玄関を覗いて驚いた。そこには霊柩車が停まっていたからだ。真っ黒なアメ車のワゴンで、棺桶が乗せられるようにストレッチされている。昔よく見かけた走るお寺みたいな和風の霊柩車ほどではないものの、豪華なホテルの車寄せに停まっていると、これほど違和感があるものもないだろう。そんな車でホテルに乗り付けるなんて悪趣味か悪い冗談か、あるいは営業妨害にも見える。出迎えたスタッフは一体どんな顔で応対しているのだろうか。
いつも穏和な表情を決して崩さないロマンスグレーのマネージャーが静かに霊柩車のドアを開ける。すると運転席から黒い衣装の女性が降りてきた。フリルが何層にも重なったスカートと長いリボンで飾られた真っ黒なドレスとストッキング。ちゃんとブレーキが踏めるのか心配になりそうなくらい底の厚いブーツ。長い黒髪に飾られた白いフリルのヘッドドレス。これはいわゆるゴシックロリータ……ゴスロリという奴だ。黒いレースの手袋をした手で、同じくレースの日傘をさすと、頭を下げるホテルマン達に向かって首をちょっとだけ傾けて微笑みかける。全身モノクロの衣装だが、その華美な装飾は、霊柩車のような車にそぐわない。
助手席からも同じ衣装、同じ背格好の女性が降り立った。
霊柩車の後ろには二台のマイクロバスが停まり、中から次々に人が降りてくる。こちらは先の二人に比べたらカジュアルな格好だ。マイクロバス二台だと二〜三十人くらいだろうか。ごく普通の団体客という感じだが、みんな一様に手ぶらだ。そして不思議なことに誰もが一言も喋っていない。
団体客はマネージャーに案内されてホテルのロビーに入ってきた。彼女達はよほどのお得意様なのか、フロントを通さず直接エレベーターホールに案内されていく。
ロビーを横切る途中で、ゴスロリの片方がふいにこちらを振り向いた。僕と目が合う。間近で見ると意外と若く、まだ少女のように見える。
到着が遅れたせいか食事の準備もかなり遅くなっていた。宴会場の用意ができるまでの間に、先に集合写真を撮った。みんながホテルの浴衣に着替えて整列すると、四十代以上の中高年が圧倒的に多いのに気付く。
その中に、昼間見かけたゴスロリ少女達を見つけた。化粧はやや控えめになっていて皆と同じ浴衣姿だ。横に並ぶと二人の顔はそっくりだ。
仲居さんの仕切りで団体客が滞りなく宴会場に収まった。ホテルに到着した時と同様に、誰も一言も喋らず一列に並んで部屋に入ってくる。幹事の挨拶もなければ乾杯もない。それでも皆同じように食事を始めた。
ノートパソコンで集合写真の出来をチェックして、次の個別の撮影のために宴会場の隅に座ってレンズを交換していると、後ろから声をかけられた。
「カメラマンさんも一緒にどうですか?」
振り返るとさっき見た双子の片方が、僕に微笑みかけていた。手に冷酒らしい透明な液体が注がれたグラスを持っている。浴衣の胸元が大きく開いていて、薄目の胸の丸みが覗いていた。化粧のせいで正確な年齢がわかりにくいが見ようによっては未成年にも見える。しかし、他の客達が皆オジサンオバサンばかりだから、彼女が余計に若く見えるのかもしれない。
「残念だけど車なんで飲めないんです」
と言って愛想笑いを浮かべる僕。宴会の撮影中に酒を勧められたのは初めてだ。しかし、たとえ温泉宿の記念撮影と言えど、酔っぱらってできるほど簡単な仕事ではない。
「いいじゃないですかぁ。減るもんじゃなし」
そう言って食い下がる彼女。
アルコールで頬がほんのり桜色になっている。とても色っぽかった。ひょっとすると霧よりも年下かも知れないが、表情はずっと妖艶だ。はだけかけた胸が僕の左腕に微妙に当たってやわらかく押してくる。こんな場末の温泉地で記念写真のカメラマンにボディータッチして一体どういうつもりなのだろう。それとも彼女は単に酔っているだけなのか。
「さっき、私のこと見てましたよね」
彼女がいたずらっぽく微笑む。
「ロビーのソファーに座ってたでしょ」
わかっていたのか。少女がよりいっそう僕にしなだれかかる。
「何してるの? ユキ」
女性がもう一人現れた。
こちらは薄手のパステルピンクのキャミソールとワインが注がれたグラスで武装している。双子のもう片方のようだ。
彼女は静かに僕の隣に座ると、空いている僕の右腕に獲物を襲う蜘蛛のように絡みついてきた。そして微笑みながら目の前にワイングラスを近づける。
彼女の髪は風呂から出たばかりのように濡れて、アルコールで薄紅に染まった頬に貼りついていた。
その顔を見た瞬間に僕は何かを思い出したような気がした。でも、一瞬後にそれは霧に包まれたように輪郭をなくし、再び掴もうとしたが見失ってしまった。
僕は自分の顔から表情が急速に消えていくのを感じていた。感情をブロックするものが、再び僕のまわりを取り巻いているような気がしてくる。
最初に僕に冷酒を勧めた女性が視界の端に映る。でも、彼女はもう僕を見てもいなかった。グラスを持って僕の隣に座ったまま、どこか遠くを見ているようだ。なにかがおかしい。でも、自分の内から恐怖や嫌悪がまるで湧き起こってこない。それこそがこの状況の異常さを物語っているように感じた。なにかがおかしい。なにかがおかしい。なにかが……。




