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第四話 霧の撮影会

 白く塗られたコンパネをレフ板代わりに配置して、被写体に平均して柔らかく光が回るようにセットを組み立てた。


「霧ちゃんの浴衣姿が撮りたいっ!」


 里美さんのたっての希望で、撮影の仕事が入っていない今日、霧をモデルにミニ撮影会をすることになった。

 里美さんが霧に浴衣を着付け、メイクを施して、髪をアップにまとめた。スタジオの隅に設置された鏡台の前に座らされた霧は、普段なら数分もしないうちに飽きて暴れ出すところなのに、今日はすました顔をして大人しくしている。キレイにしてもらっているというのが、幼心にもわかるのだろう。こんなに小さいのにしっかり女の子なんだなぁ……なんて普通なら言う場面なのだが、外見はそれほど幼くないのでそれほどの感慨はない。

 それに、霧の人格が成長するスピードは普通の子供よりも圧倒的に速いようだ。村を脱出して僕のマンションで過ごしたわずかの間に新しい人格を得た霧だったが、一週間ほどで立ち上がって歩き出し、翌週には簡単な言葉を話し始めた。テレパスを経由して『彼女』に操られていた時期の経験を、新しい人格も共有しているのかもしれない。どちらにしろ、霧の人格が一体何歳くらいのレベルなのか、正確にはわからなかった。


 里美さんの浴衣を着せてもらって、綺麗にメイクされた霧はとても可愛いかった。

 背景になるホリゾンを降ろして手前の床に垂らし、スタンドを配置してストロボヘッドを乗せた。柔らかな光がモデルに均一に当たるようにストロボに白い布製のバンクを被せる。

 できあがったセットに霧を立たせると、白地のちりめんに赤い金魚が描かれた浴衣がストロボのモデリングライトに照らされて淡い黄色に染まった。ストロボメーターを使って露出とストロボの出力を決める。


「まぶしー」


 テスト発光のたびに霧が眩しそうに目をつぶる。ちょっとの間、我慢してくれ。


「里美さん、準備できましたよ」


「待ちくたびれたぁー!」


 今まで僕の後ろで黙って待っていた里美さんが、デジタル一眼レフを構えてセットに駆け寄ってきた。左手はレンズに添えられ右手はグリップをしっかりと握っている。ストラップは右腕に巻き付けられていて、格好だけはなかなか様になっていた。

 里美さんのカメラにストロボの送信機を取り付けてマニュアルモードで絞りとシャッタースピードを設定する。


「はい。いいですよ」


「わぁーい」


 里美さんは無邪気な子供にもどって霧にレンズを向けた。

 歯切れのいいシャッター音と同時に一瞬の雷光のように瞬くフラッシュ。ボッという発光音の後に充電完了を告げる電子音がピピピピピっと軽快に鳴り響く。


「霧ちゃぁーん。可愛いよぉー。美人さんだよぉー。ちょっと視線を下の方にしてみてぇー。ココ、ココ、この辺ね。いいねいいねぇー。ちょっと首を傾げてぇー。おー! キレイだよぉー」


 どこのグラドルカメラマンだよってくらいの饒舌さと熱意でモデルに指示を出す里美さん。ひょっとすると、入院中のお父さんも彼女をモデルにこうやって撮っていたのかもしれない。

 ストロボが光るたびに、シャッター音が響くたびに、霧の表情にごく僅かな変化が訪れる。注意して見ないとわからないほどの変化だが僕にはわかる。ファインダーを覗いている里美さんにもおそらくわかるはずだ。


 シャッター音とフラッシュの閃光を浴びてモデルは興奮状態に陥る。カメラマンはモデルを自由自在に操って思い通りの表情を引き出す快感を覚える。でもそこにはロマンチックな要素はみじんもない。ギブアンドテイクな関係のみが存在し、単純な信頼関係は相互依存にまで発展していく。できあがった写真は、その時その場所で行われた撮影という名の契約であり、モデルとカメラマンとの関係性をある一面からのみ切り取った記録に過ぎない。いかに優れた写真家と言えど、その関係性の本質を作品に反映させることはできないと僕は思っている。記録されるのは真実の中のごく一部の断片に過ぎないのだ。だから、本質への限りない漸近を追い求めて何度も何度もシャッターは切られる。


「もうだめー」


 里美さんが早々にギブアップを宣言した。

 彼女が着ていた黒いTシャツは、汗でびっしょりと濡れて肌に貼りついていた。

 霧の方に目をやると、肌が上気しているものの大して汗をかいている様子はなかった。この勝負は霧の勝ち……なのか?


「次は透くん待望の水着撮影でーす」


 いつから僕の待望になったのやら。

 スキップしながら二階へ上がって行った里美さんが、紙袋を下げて戻ってきた。ちゃっかりと自分もピンクのタンクトップに着替えている。彼女の希望で霧の撮影会になったというのに、どうやらもうカメラマンに飽きたらしい。今度はスタイリストごっこを始めた。


 ストロボの送信機を僕のカメラに付けなおす。

 霧をどこで着替えさせるのかと思って見ていたら、里美さんはセットの中に立ったままの霧の浴衣の帯をいきなり解きにかかった。次の瞬間、全裸の霧が現れる。

 霧の裸は見慣れていたけど、モデリングライトに照らされたセットの真ん中でいきなり全裸になるとびっくりする。


「どうして下に何も着てないんです?」


「どうせ水着に着替えるしぃー。下着の跡とか残っちゃたらダメでしょー」


 いや、まあ、その通りなんですけど、スタジオでいきなり裸にされる霧の気持ちも考えて欲しいものだ。中身は幼児だから本人は気にしないかもしれないけれど……。

 実際に霧は、あははーとか言って笑っていた。もう少し恥じらいを持って欲しいと思うのだけど、それは無理な注文か。


 里美さんが霧に水着を着せている間、僕は彼女が撮った写真を写真館のPCに読み込ませて、露出やコントラスト、シャープネスの調整を行っていた。PCの画面を食い入るように眺めている僕の顔を見て、里美さんがたくらみ顔で近づいてきた。


「んふふふふふふふふふふふふふ」


 たくらみ顔に台詞がついた。

 いや、台詞というよりもそれはオノマトペに近い。目尻と口の端がつり上がった顔がドアップになったときに必ず使われる擬音の定番というやつだ。


「霧ちゃんの裸。見ないのねぇー」 


「兄妹ですから…」


 一体僕に何を言わせたいのか。不気味な質問には当たり障りのない返答をする。

 その返事は、どうやら里美さんのお気に召すものではなかったようだけど、彼女は何も言わない。


 バンクの位置を少し上げて太陽の角度を再現する。ストロボのテスト発光をやり直して露出を計る。

 自分のカメラを構え、マニュアルモードに設定して絞りとシャッタースピードを決める。まずはオーソドックスに85ミリのレンズを選んで霧に向ける。彼女に表情はない。オートフォーカスで大まかにピントを合わせてから、フォーカスリングを回して睫毛の先で微調整。身体がゆっくりと前後にゆれて、ピントの山がわずかに動いていく。息を止めてシャッターボタンにかけた指に静かに力を込める。ピンが睫毛の先に戻った瞬間にシャッターを落とす。

 一瞬ファインダーが暗転し、ストロボが閃光を浴びせかける。絞りを二分の一絞ってもう一度シャッター。さらにもう一度。


 カメラの液晶画面で露出とライティングを確認。霧の美しい瞳がデジタルデータで再現される。露出は適正だ。


「いくぞー、霧。楽しそうにウサギのジャンプだー」


 霧の大好きな幼児番組のダンス。彼女は毎日テレビの前で踊っている。


「霧ちゃんかうわぁいいぃー!!!」


 里美さんが嬌声を上げる。

 続けてシャッターを切り続ける。ポーズの注文をつけると霧は即座に反応する。しかし、どれほど外見が綺麗でも彼女のポーズは幼児のお遊戯だ。

 あの村で、ファインダーの向こうから僕を挑発し魅了しつづけた雨の、あの妖艶さのかけらも見つけることはできない。でも、それでいい。霧は『彼女』とはちがう。自分の命を削って『彼女』の呪縛を振り切り、ついに自我を手に入れたのだ。それこそが雨との最大の違いであり、『彼女』が長い年月を費やして望んでもたどり着くことができなかった自由の証なのだ。

 同い歳の少女達が造作なくできることを霧は何もできないけれど、彼女は彼女であるがゆえに、その身体が魂の所有物であるがゆえに、何者にも代え難い尊い存在なのである。


 里美さんが着せた布地の少ない漆黒のビキニは、霧の高校生にしてはややスリムすぎる身体に貼りついて陶器のように白い肌を強烈にアピールしている。メリハリの少ないプロポーションのせいか、露出度とセクシーさが比例しないのも霧らしくていい。僕の霧はこれでいいのだ。それをもう一度確認するために、僕はシャッターを切り続けた。


 その夜、一日の遊びの締めくくりに里美さんとバスルームでさんざんじゃれ合った霧が、バッテリーが切れたように布団に倒れ込んで寝息を立てていたころ、風呂から上がった僕をキンキンに冷えたジョッキが待っていた。中身は黒ビールだ。


「お疲れさまー! 今日はありがとねー」


 里美さんと二人で乾杯する。


「このところ宴会の撮影が続いて毎日忙しかったもんねー。今日は思いっきり霧ちゃん撮れて楽しかったー! 透くんも楽しめたかな?」


 里美さんが悪戯っぽく笑う。

 相変わらず、僕と霧の関係をおかしな妄想に当てはめて見ているようだ。里美さんの物の見方が普通と異なるのか、それとも誰が見てもそう見えるものなのか。霧と逃げ出してからほとんど他人と接していないから、何が普遍的なのか、どんな視点が客観的なのかまるでわからなくなっていた。

 それでなくても、あの村で価値観が根底から覆される出来事に遭遇したのだ。僕の中の物差しは猛烈な勢いで歪み、変形して、普通の人と同じ感覚で物事を差し計ることなどできなくなってしまっていた。


「霧ちゃんのこと好きなんでしょ」


 うーん、どうなのだろう。


「霧は僕の家族ですよ。好きとか嫌いとかそういう感情とは別の次元の話ですよ」


「おー!」


 里美さんがスタンディングオベーションで僕の台詞を讃える。


「でもさぁ。従兄妹なんでしょう? 妹と違って結婚だってできるんだよぉ。それに、いままで一緒にお風呂入ったりしてたのに、なんてゆーか、こう……ムラムラしたりしなかったのぉ?」


 里美さんの話題がどんどん露骨な方向に流れていく。アルコールのせいだろうか。酔った年上の女性というものは、例外なく扱いにくいものだ。


「確かに見た目は美人ですけど、中身があれだってわかっているとそんな気分にもならないですよ。僕は一人っ子だし、まだ独身ですけど、妹とか娘っていう感覚がピッタリくるような気がします」


「ふーん」


 里美さんが考え込む。


「でもさぁ。自分の妹とか娘に手を出そうとする奴いるじゃん。あんな風にはならないものなの?」


「そんなのと一緒にしないでくださいよ」


 僕は笑って答える。

 僕だって健康な成年男子なのである。若い女性の裸に欲情するのは当たり前で、それは霧の身体だって同じだ。でも、僕と霧との間に子供ができたら……とても恐ろしいことになるのだ。


 僕はその運命から逃れるために、あの村を脱出したのだ。でも、この先はどうなるのだろう。霧だっていつまでも中身が幼児のままじゃない。成長して大人になったら誰かを好きになるだろう。その時、僕はどうするのだろうか。


「じゃあさ! ちょっと年上の巨乳なおねえさんとかはどう?」


 里美さんの目が笑っている。これだから酔った女性は苦手なんだ。自分の魅力を確認するためだけに、その気もない駆け引きを平気で展開する。これで僕が迂闊に食いついたら、手のひらを返すように冗談だと言ってゲラゲラ笑うに決まっているのだ。

 あの村で出逢った雨だってむこうから僕に近づいて来て、僕がその気になると……どうしたんだっけ。なんだか雨の記憶が曖昧になってきていた。

 あの夏のにわか雨の中。全身ずぶ濡れのまま洋館の離れに避難した僕と雨は、それから一体どうしたのだろう。服を乾かすために脱いだのだろうか。お互いの冷えた身体を温めるためになにかしたのだろうか。手のひらからこぼれ落ちていくように雨の記憶が薄れていく。


「あたし、もう寝るわ」


 里美さんは思い出したように立ち上がると、そのまま部屋に戻ってしまった。おやすみの一言もない。なにか怒らせることを言っただろうか。もし怒らせたとしたら明日から気まずい。謝らないとならないかも知れないな。

 これだから酔っぱらった年上の女性は嫌いなんだ。

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