第二話 写真館の女店主
祖父が残した古いドイツ製のカメラを売って当座の逃走資金に充てようと、僕は街道沿いの古びた写真館のドアを開けた。僕より少しだけ歳上に見える女性店員にカメラを見せて事情を話すと、彼女は困った顔をした。
「ごめんなさい。いま店長が入院してて、詳しいことわかる人がいないのよ」
稀少な機種でかなりの価値のある代物なのだが、見た目は単なる古いフィルムカメラだ。価値のわかる相手じゃないとまとまった金にはならない。
仕方なく他を当たると言おうとしたとき店の奥から女性の声がした。
「里美ちゃーん。まだかしらぁ」
「あー! 河田のおばちゃん。ごめんなさい。今いくわぁ」
里美ちゃんと呼ばれた彼女は、僕らを残したまま店の奥に走って行ってしまった。店には他に店員はいないようだ。
祖父のカメラをケースに仕舞っていると、店の奥から先ほどの女性の声が響いてきた。
「困ったわぁ。なんとかならないのぉ?」
「うーん、なんで光らないのかなぁ?」
店の奥がスタジオになっているのだろう。光らないということはストロボ、つまりフラッシュのことだろうか。そういえばさっき、詳しいものがいないと言っていたが。まさか、写真に素人の彼女が一人で撮影を任されているのだろうか。
聞くとなしに話を聞いてしまったけど、目の前で若い女性が困っているのに黙って店を出ることはできない。余計なお世話だったら今度こそ帰ればいい。
それに、なんとなくスタジオを覗いてみたい気持ちもあった。
「どうかしましたか?」
僕は店の奥に進んで、さっき彼女が入って行ったドア代わりの遮光カーテンをめくり上げた。
奥の部屋は二十畳ほどの広さのスタジオで、電動で高さ調整ができるホリゾンや、照明器具、ストロボなどが一通り用意されていた。スタジオの中央には明るい色の羽織袴姿の若い男性が所在なげに立っていて、カメラを設置したドリーの後ろに里美ちゃん。そのすぐ横に、おそらく河田のおばちゃんと呼ばれた女性がいて文句を言っていた。
スタジオに顔を覗かせた僕を見て、里美ちゃんは困惑と期待をない交ぜにした複雑な表情を浮かべた。
「フラッシュがどうしても光らないんです」
彼女は大きな瞳を輝かせて答える。
「カメラマンはいないんですか?」
僕の質問に首を縦に振る彼女。ああ、やっぱり。
「ちょっと見せてもらってかまいませんか?」
おそらくは紋付き男の母親と思わしき河田のおばちゃんに許可を求める。親切心で首を突っ込んだものの、文句を言われたらつまらない。でも、おばちゃんは僕に向かって手招きしてきた。どうやら細かいことを気にしない性格らしい。
近づいてみると、ドリーに取り付けられているのは国産のデジタル一眼レフカメラだった。プロが使うグレードのものだが、速写性能を抑えて画質を優先させたモデルだ。一眼レフはどこのメーカーでも操作方法に大きな違いはない。まるで車の運転のように迷わずに使うことができる。
里美ちゃんがカールした長いケーブルを手のひらに乗せて僕の目を見る。
「つなぎ方がわからなくてぇ」
彼女が持っているのはストロボを光らせるためのケーブルなのだが、これが使える旧型のストロボ用のコネクタは隠れている場合が多い。カメラの周りを見回していくつかのラバーのふたを開けると目的のコネクタがあった。彼女からケーブルを受け取ってそこにつなぐ。
テストしてみるとちゃんとストロボが発光した。
「やったぁ!」
二人の女性から嬌声が上がる。
僕と交代してカメラの後ろに陣取った里美ちゃんが、カメラ位置を調整してピントを合わせシャッターを切る。ところが液晶画面に表示される画像を見て彼女は首をひねっている。
「ちょっとアンタ! 見てちょうだい」
河田のおばちゃんが僕の方を向いてカメラを指さす。どうやらこの人にとっては、店員も客も区別はないらしい。里美ちゃんも黙って道をあける。仕方ない。僕はカメラに近づいて液晶画面を覗いてみる。画像は露出オーバーで真っ白に飛んでいた。
ストロボさえ光れば撮影できるだろうと思っていたが、僕の予測は甘かった。スタジオ用のストロボはコンパクトカメラに内蔵されているオートフラッシュと違って、きちんとした露出設定が必要なのだ。
撮影道具を収納した棚を教えてもらいストロボ用の露出計を探し出すと、ストロボの出力を絞ってテスト発光をしてみた。カメラの絞りを確認してからストロボの出力を絞り、カメラのシャッターを切る。
液晶画面にベストな露出の画像が現れる。
「これで撮れますよ」
僕の後ろで様子を見ていた里美ちゃんを振り返って、にっこりと微笑んで見せる。ところが何故か彼女はカメラに近寄ってこない。
「アンタ撮ってちょうだい」
河田のおばちゃんが僕を指名する。ここまでやってしまったので僕が撮っても構わないのだけど、写真館としては問題ないのだろうか。店員の里美ちゃんを振り返ると、彼女は両手のひらを上に向けて『プリーズ』のサイン。
念のため、もう一度ピントを確認してからシャッターを切る。露出を三分の一段変えて、都合五カットほど撮った。
「終わりましたよ」
おばちゃんは画像を見てご満悦のようだ。里美ちゃんは、写真館の店員であることなど忘れてしまったかのような尊敬のまなざしで僕を見つめている。さて、撮影はしたもののその後はどうするつもりなのだろう。
「現像はどうするんですか?」
「現像? デジタルなのに現像なんかするの?」
里美ちゃんは首を四十五度傾けたまま静止する。ああ、この人は写真のことにあまり詳しくないんだった。
仕方ない。乗りかかった船だと思って最後まで面倒をみるか。




