一章
学校帰りに行きつけの古本屋に寄った時のことだった。
そこはどうして未だ潰れていないのか不思議なくらい客の少ない古本屋で、レジではいつも店主の爺さんが舟を漕いでいて、たまの客を見かけても立ち読みばかりだ。あんまり人が居ないから、ある意味では穴場なのかもしれない――人に見られたくない本を買うには。
そういう俺自身もやはりそういうわけで、品揃えが良いとはいえないもののこの古本屋はよく利用していた。幸いなことに、同じ穴の狢の知り合いがここには殆どいないからだ。
けれど今日この日――十月十三日水曜日。
目当ての商品を見付けてレジに向かっている途中、通っている高校の制服がふと目に入ってきた。
店内の隅も隅。心なし陰りを帯びたそのコーナーは、何と言うかアダルティな本や雑誌が固められている……所謂エロ本コーナー。そこで同校生徒が一人、その場に相応しいモノを手にして食い入るように凝視していた。
それだけなら何も思わない。思春期だからそういったこともあるだろう――でも手にしているのが女性同士のそれで、しかもそれを手にしているのが女生徒だったのだから、俺は思わず足を止めてしまった。
どんな反応をすれば良いのかわからない。いや、反応してはいけないのか。ここは気付かなかった振りをして、そそくさと店を後にするのが正しい判断だろう。
僅かの逡巡、それが致命的だった。
ふっ、と女生徒が顔を上げた。
ほんのり火照った白い頬。腰まであるストレートの黒髪。長い睫毛――その下の黒い双眸と、視線が重なった。
やや切れ長な目を丸くして、あっ、とでも言うような顔。季節外れの桜のように顔を染め、次には血の気が引いたように青ざめた。俺は思わず口元を引きつらせて、会釈する。
それが契機とばかりに女生徒は持っていたアダルト雑誌を本棚に突っ込んで俯き、カツカツとローファーの踵を床に打ち付け早足で、いや徐々に駆け足となって店の外へと飛び出した。
脇を駆け抜けられた俺も、他の数少ない客もなんだなんだと目を奪われる。
しばらく彼女の飛び出して行った方を見ていて、
「あれ」
女生徒の顔に見覚えがあることに気が付いた。
「……柴咲か?」
柴咲かぐや。今年で十六歳。同学年他クラス。俺こと穂高涼の友人の彼女の友人。直接的といえる関わり合いはほとんどなく、たまに顔を合わせたとしても一言二言交わすだけで、顔見知り程度の関係だ。彼女がどんな人間なのか全くと言っていいほど知らないし、それほど関心があるわけでもない。
大和撫子然とした風貌で、肌は白くきめ細かく、艶やかな癖のない黒髪を腰まで垂らしている、スレンダーながら魅力的な女子である。客観的には。主観的にいうと、近寄りがたい。見た目も、ほのかに接した感じも。口数少なくまた声音も小さく、清冽な見た目。どれをしても侵し難いもののように感じてしまう。
ともあれそんな、これまで見てきた様子から大人しく静かで清楚といった印象を抱いていた彼女だが、
「んー……」
昼休み。まばらに生徒がうろつく教室内で中学時代からの友人――黒峰直哉と向かい合わせに机を引っ付けて、昼食を摂りながら牛乳パックに差したストローに息を吹き込んでブクブクいわせ、つい二日前の記憶を遡る。ここのところの日課みたいなものだった。
確かに柴咲だったと思う。直哉の彼女の友人。たまに昼食を共にすることもあれば、一緒に下校することもあった。顔見知り程度といっても、それこそ、顔は覚えている。ただこれまで抱いていた印象とあまりにも重ならなくて、どうにも受け入れがたいものがあった。
「ここの所いつもそうやってるけど、なんか悩み事か?」
やや色素の薄い黒の短髪が視界の端で揺れた。軽く立てられた前髪の下、柔らかく気の良さそうな目が疑問を呈している。ストローから口を離して、考え、返答する。
「あー、いや、別に」
直哉は親友と臆面なくいえる唯一の相手だ。隠し事なんて普段ならするような間柄ではないが、しかしことこれに関しては柴咲の面子のためにも言わない方が良いだろうと思い、俺は言葉を濁した。
「ふうん? ま、良いけどさ。今日おれ百合子とちょっと行くとこあるから、帰宅別で」
「ああ、わかった……つうか、前も言ったけど逐一知らせなくて良いから。居なけりゃ勝手にそう判断して先に帰る」
「誰かに言うことで幸せを噛み締めてるんだよ」
言う直哉の顔は、ずいぶんと緩んでいる。
高校入学してすぐに付き合い始めたから、今月で大体六ヶ月。自他共に認めるバカップルぶりで、横で眺める身としては倦怠期突入しないかと願うばかりである。
「噛み締めるのは構わねぇけど、報告相手は他の誰かにしてくれ」
「言い回るのは趣味じゃないんだよ」
直哉なりの拘りというか、そういったものがあるらしい。どちらにせよ報告相手を変える気はないようで、「そうかよ」とおざなりに返して息を吐いた。
「涼も彼女が出来ればおれの気持ちがわかるようになるって」
「彼女ねぇ」
頬杖を突いて何となく想像してみるが、自分が女子と二人で歩いている姿を想像出来ず、すぐに断念した。あいにくと彼女が欲しいとは思わない。そんな相手が居なくても、現状に満足している。
「言ってしまえば理解者だからな。好きな人と付き合えるってのはそれだけで十分幸せだけど、理解までしてくれるんだから悪いもんなわけがない」
直哉が笑みを浮かべて朗々と語る。
「理解者なら直哉が居るだろ」
素直な思いだったが、直哉が言っていることとは少し外れた答えであるとも自覚していた。
「違うって。いや、確かに涼の理解者ではあるかもしれないけど、何て言うかな……自分だけの理解者、みたいなさ」
そう言われると確かに魅力的な響きに聞こえなくもないが、いまいち実感の湧かない俺には理解しかねた。
「独占欲の強い奴だな」
俺の言葉に対して直哉は如何にもといった風に顔を逸らし、
「愛故に」
「寒いからなそのセリフ」
そんな下らないやり取りをしていると、休憩終了五分前を知らせる予鈴が鳴り響いた。広げたままにしていた空の弁当箱を手早く片付けて鞄に収めて席を立ち、
「ちょっとトイレ行ってくる」
「行っトイレー」
ひらひら、と直哉が手を上げる。
「…………」
たまに、いや割りと頻繁に親父ギャグを繰り出すのが黒峰直哉という人間だ。しかもクスリともしないようなつまらないものばかり。トイレに行くと言えば今の返し、というのがもはや定番のようなものだった。
後ろ手に応えながら教室を出て、時間も時間なので少し早足にトイレに向かい、済ませ、手を洗う。
洗面台の前で、うーん、と頭を悩ませた。
先程は直哉が声をかけてきたので思考半ばだったが、やはりあの柴咲が……と腑に落ちない。いや、或いはイメージを瓦解させるのが嫌なだけか。清楚な女子というのは、それだけで心の保養になる。見た目もよければ尚更だ。恋愛感情とか、そういうのではなく。ただそれはそういうもので、愛玩動物を愛でるそれと似たようなものかもしれない。興味はなくとも惹かれる物はある。
まあ、しかし。ともあれ。
考えても仕方のないことだ。俺が頭を悩ませたところ意味はない。必要もない。他人ではない程度の顔見知り――干渉できようはずもなかった。
もやもやした物を胸裡に抱えながらも、トレイを出る。教室まで数十秒くらいの距離だが、急がないとちょっと危ない。足早に廊下を行こうとして、カツッ、と後ろでローファーの踵を打ち付ける音がした。
次いで、
「穂高くん」
鈴の音のような、小さくも透りの良い声が俺の名前を呼ぶ。どことなく振り絞ったように震え、警戒の色を滲ませているように聞こえたのは、きっと勘違いではない。
頭の中でその声の主のことを思い浮かべながら振り向き、違わぬことを確認して、俺は苦虫でも噛み潰したような顔を浮かべていたに違いない。そうでなければ二日前のように、引くついた笑みでも浮かべていたか。
どちらであったか確認のしようがないが、ともかくとして。
これといって表情を浮かべることなく、柴咲は言った。
「……話があるから。放課後。時間取ってもらえる」
「それは、ええっと……二日前の」
俺が言い切る前に、彼女は踵を返して自分の教室がある方へと歩いて行った。
「…………」
掛ける言葉もなく。
しかし、どうにも面倒なことになりそうだな、と予感する。不干渉に甘んじるつもりが、そういうわけにもいかなくなりそうだった。
うー、とか、あー、とか唸っていると、授業開始の鐘が鳴った。
そして放課後。
軽い足取りで彼女を迎えに行った直哉を見送って、徐々に人が少なくなる教室の窓際に立って何となく外を眺める。
面倒事は嫌いだ。巻き込まれるのも、その中心になることも。おかげで手酷い目にあった経験が何度かある。そのせいで俺の、いやさ俺と直哉の中学生活はあまり彩りある物とは言えなくなり、それまでの努力は水の泡になった。ただ今考えるとあれは自業自得な部分もあって、そう思うと、俺は直哉を巻き込んだことを後悔しているだけなのかもしれない。俺が巻き込んだなんて言うと、直哉は怒るかもしれないけれど。
そうこうしていると、教室から俺以外の最後の一人が出て行く。少しして、見計らったように教室のドアが開かれた。
目をやると、やはり柴咲かぐや。黒のブレザーに白のカッターシャツ、首元には赤のリボンを付け、下は黒を基調に紅いチェックの入ったスカート。黒タイツに包まれた細い足が床を踏みしめている。ここ四季ヶ丘高校の女生徒用の制服を、違反など一つもなく着こなしていた。
かくいう俺は黒の上下にネクタイをやや緩めているので、目聡い教師なら咎められる程度に着崩している――というのは、まあ、置いといて。
黒い瞳がこちらに焦点を定める。目が合い、思わず逸らす。あちらも似たようなもので、気まずそうな表情を浮かべていた。
取り敢えず自分の席に掛けてあったカバンを持ち、柴咲の前に行く。ずいぶんと身長差がある――女子の平均身長よりやや高めであろう彼女だが、百八十より少し高い俺からしてみれば、やはり小さい。無駄な威圧感を与えてしまわないように、出来るだけ柔らかい声音を意識して口を開く。
「あー……教室だと誰かに聞かれそうだし、場所移す?」
提案に、ややあって、
「そうするわ」
と固い声を返した。
そうして移した先は、学校からそれなりに離れた所にあるファミレス。ここまでに他のファミレスが何軒かあるので、この場所にまで足を運ぶ生徒はあまり多くない。そうはいっても休日なら話は別だが、まあ今日のところはここで問題ないだろう。
向かい合って腰を落とし、ドリンクバーを頼んで飲み物を持ち。
「…………」
「…………」
無言。
どう切り出したことか。いや、あちらからの話だから、待っていた方が良いのか。何にせよ、あまりにも気まずい。
「それで、話ってのは」
堪えられず、促す言葉を向けた。それにようやく、柴咲はおずおずとだが口を開いた。
「二日前の、こと」
「はい」
「――百合子には黙っておいて下さい!」
がんっ、と。
テーブルに両手を突いて、柴咲は頭を下げた。それはもう見事に。男らしいくらいに。だから逆に、俺は面食らってしまう。
「ああ、いや、そりゃ……誰にも言わないけど」
何だろう、この必死さ。しかも不特定多数ではない個人――直哉の彼女であるところの、天海百合子の名前を念頭に置いて。
親友には知られたくないこと、だったのだろう。それはわかるが、こうも必死になるのはちょっと大袈裟な気がする。それとも女子にとってああいった物を読んでいたというのは、そうも他人に知られたくないことなのか。
……ああ、そうか。そういえば。
彼女が読んでいたのは、同性同士のそれ。エロ本読んでたインパクトがあまりにも大きくて忘れそうになっていたが、成程そう考えれば、こうも必死になるのも頷けなくはない。しかしこうなってくると、ややも興味が首をもたげてくる。……興味というか、少しの悪戯心が。
こそっ、と未だ頭を下げたままの柴咲の耳元に誰が近くに居るわけでもないのに口を近付け、訊ねる。
「なんで同性愛物?」
がばっ、と顔を上げ、
「妄そっ――」
何やら不届きな言葉を中程で途切れさせた。
「な、何を聞いてるのよ!」
「何言おうとしたんだよ」
一瞬鋭くした眼差しをすぐさま明後日の方へ向ける。
「べ、別に何も? あなたこそ、あんな人気の少ない古本屋に何を見に来てたのよ」
「残念ながらエロ本じゃないことは確かだ」
「……けっ」
うわっ、今女子からぬ小悪党みたいな声漏らしたぞこいつ。
話す毎に彼女のイメージが崩れていく。
「あなたはもっと生真面目で物静かな人だと思っていたわ」
「奇遇だな。俺もだ」
勝手な印象とは恐ろしいものだ、と心の底から感じていた。話してみれば、かくも互いが互いを如何に勘違いしていたことか。まあ単に、どちらもが親しくない相手の前では猫を被っていただけのことといえばそれまでだが。
ふん、と鼻を鳴らし、開き直ったように柴咲は口を開く。
「女の子がエッチな本読んでいたら悪いかしら? ええそうよそうよ、確かに私はレズ物のエッチな本読んでたわよそれがどうかした?」
いーっ、と子供がするような安い挑発。
どうかしたからわざわざ呼び出して口止めしたのだろうに、それすらどこかに行ってしまっているらしい。
悪戯もそこそこに。
今度は本当に興味だけで声を作る。
「いや、ただ気になったからな。女同士の物を見るなんてそっちの気があるんじゃないかと」
勿論冗談半分。弄りネタくらいの気持ち。そういう風にした方が気楽に話せるだろうという俺なりの思考の元。
それが功を奏した――のではなく、ある種の地雷を踏んでしまった。
「な、なななななんっ……で……!」
赤いのと青いのと。顔色が目眩く変わる。わかりやすいくらいにわかりやすくて、だから、冗談半分だった俺は虚を突かれたような心境だった。
まさか本当に。そういう……女性同士……いや彼女の性別を考慮するというか状況的に判断して。判断するまでもなく。物語っているままに。
「え、おまえレ――」
「うわあああああああああああっ!?」
誤魔化すためか悲鳴か、どちらとも取れる叫びを発して彼女は俺の口を力いっぱい両手で塞いだ。
静まり返る店内。向けられる数多の視線。それに気が付いた柴咲はさも何事もなかったかのように居住まいを正し、
「場所を変えましょうか」
こくん、と俺はただ頷くしかなかった。
そうしてまた場所を変え、次にやって来たのは古びた小さな公園だった。日もやや暮れ始め、昨今の子供が外であまり遊ばないということもあり、そこには人影一つない。
錆の浮いたベンチに横並びに腰掛ける。柴咲がひどく疲れたように息を吐き、また吐き、空を仰ぎ見る。艶やかな黒髪が絹のように滴って、何も知らない人からすれば一つの芸術品のようにでも見えたかもしれない。あいにくと何故彼女がこのように疲労しているのかを知っている俺からすれば、いやそれにしたところでやはり綺麗だなという感想を少なからず抱くのだがともかくとして。
「まあ、なんだ……うん」
「かける言葉がないなら無理に話そうとしなくても良いわよ……」
項垂れながら、恨みがましい視線をこちらに向けてくる。
どうしたものか、と彼女を見ないように左に視線を反らしつつ思考。
有り体言って。結果から言って。
――柴咲かぐやは同性愛者である。
「ああでも、勘違いしないでほしいんだけど」
声につられ、柴咲を見やる。
「男の体でも興奮するわ」
「身も蓋もねぇな」
違う両性愛者だった。
「ただ今好きな人は女の子。これまで好きになった相手も……といっても、一人しか好きになったことないんだけど」
それで、と紡ぐ。
「黙っておいてくれるの?」
怯えとは違う、どこか諦観したような面持ち。へら、と口元を歪め、嘲る色。ただそれは俺に向けられたものではなく、彼女自身に向けられているように感じられた。
「私としてはね、別にあなた一人に知られようが関係ない――勿論誰にも知られたくなかったけれど、今大事なのは、あなた以外の人に知られないこと。特に百合子には」
聞いていればわかる。
柴咲の好きな相手は、天海百合子だ。そしてそれを隠している。隠そうとしている。
「黙ってた方が良いのか」
問う、というよりは、確認。
柴咲は首を傾げ、
「当然でしょう?」
「どうして」
「どうしてって、それは……知られたくないから」
「――知って欲しくはないのか?」
今度こそ、俺が発したのは問いだった。
その抱いている気持ちを相手に知ってほしくはないのか。伝えたくはないのか。
そういう問いだ。
俺の言葉を受けて柴咲は驚いたように目を丸くし、乾いた笑い声を漏らし、足元に視線を落とす。
「変なこと言うわね。普通、引くところよ? 女の子が女の子を好きになるなんて、漫画なんかならともかく……気持ち悪いでしょう?」
「気持ち悪い……ね」
柴咲の言葉を嚥下するように呟き、何となく遠く、沈みかけた太陽に細めた目を向ける。
「俺は、そうは思わねぇけど。結局、だから……好きになっただけだろ。人を。そりゃ、他から見たらそう思われもするかもしれないけど、自分で言ってちゃ世話ねぇよ」
慰めや、その場しのぎの言葉ではない。本心だ。そうして、経験則だった。
一息。微かに揺らぐ覚悟を定め、口を開く。
「俺も好きな奴が居る。男だ」
「はっ?」
間抜けな声が柴咲の口を突く。
何を言ってるんだ、とでも言いたげな表情。俺も、自分がどうしてこんなことを口にしているのかわからない。でも言わないといけないような、そうでなければフェアではないような、そんな、ずっと前に辞めてしまったスポーツマン精神に則るような形で声を作っていた。
「同じなんだよ、柴咲と。好きな相手が男。同性。それだけだ」
他人に知られたくない、という気持ちはわかる。周りの目を気にして、そうでなくとも自分の中の倫理観のようなものが邪魔をして、簡単に打ち明けられるような物ではないこともわかる。だけど、この気持ちを伝えたいという思いは、否定してはいけないような気がする。自分にまで嘘を吐いてしまったら、ただでさえ味方の少ない人間は、誰を頼れば良いのか。
「だから、まあ、勿論無関係な奴とかには言わないし、黙っておくけど……好きな相手には、伝えられるなら伝えた方が気持ちは楽になると――」
がしっ、と。
話半ばに、両手を合わせるようにして左手を掴まれる。
その華奢な手に目を落とし、上げて目線を合わせれば、そこにはどこか爛々と輝くような眼差しがあった。期待や、喜びの色が浮かんでいる。
「理解者」
溢れ出すように柴咲の口から発せられた言葉。
「初めて、同じ境遇の人に出会えた」
惚けているような、締まりない顔。
掴んだ手にぎゅっと力を込め、胸に抱くようにして。
「共闘しましょう」
そんな言葉を俺に向けた。
「きょ、共闘……?」
「協力でも構わないわ」
「いやいやいやいや、おいおいちょっと待て落ち着け」
掴まれていた手を少し強引に振りほどき、右腕を前にして距離を置く。今度は右手を掴まれる。
俺としては先程話していたことを伝えたらもう終わりにしようと思っていたのに、どうして共闘や協力なんていう言葉が彼女の口から出てきたのか。いや、わからないではない。わからないではないのだ。同じ境遇の人間。それはそれだけで安心出来るもので、ある種求めていたもので、距離を詰めたいというその気持ちは理解出来る。だがそれが、どうして共闘や協力という形になるのかは理解出来なかった。
「あなたが好きな人は、黒峰くんでしょう?」
柴咲の言葉に、ぐっと息を呑む。
否定はしない。その通りだった。
「なんで……直哉だって……?」
「あなたが私と同じだと聞いて、好きな相手が男だとわかれば、もう他に居ないじゃない。それに私の知ってるあなたの交友範囲なんてそれくらいだし」
推測と、当てずっぽう。それが見事に当たっていたと。いやに頭の回転が早い。まあ仮に俺の他の交友範囲を知っていたとしても、数少ないその中から鑑みればすぐにわかることかもしれないが。
言い当てられ、しかし今さら隠し立てするようなことでもなく。
「まあ、その通り……俺が好きなのは直哉だよ。でも、だからってなんで共闘なんだ」
「だからっ」
察しが悪い、とでも諌めるような視線。
そうしてようやく俺の手を離して、にっ、と悪役のような笑みを浮かべた。
「お互いに好きな相手を取り返そうってことよ」
取り返す。
その言葉に、どれだけの想いが込められているのか。わからない俺ではない。先程柴咲が言った通り、俺達は同じ境遇で、理解者足り得るのだから。だからこそ俺はその言葉にすぐ答えを返せず、窮する。
「取り返すって言ったって、おまえ、それは……」
「何? あなたの倫理観にでも反するのかしら?」
「倫理観とか、そういうのじゃねぇけど」
略奪愛。別に結構だ。好きにやってくれ、と他の人のことならばそう言える。言葉こそ悪意的だが、結局それも一つの努力の形であり、俺個人としては否定する物ではない。しかし、俺自身に関しては――直哉に関するものとして――それは当て嵌らない。やってはいけないことだとまでは言わないが、違うのだと、もうとっくにそういう問題ではないのだと。
けれども目の前に居るこの少女、柴咲かぐやにとっては正に今からのこと。同じ境遇として、そして少なからず後押しをした身としては手伝ってやりたい気持ちもあった。ジレンマだ。
だから、取り敢えず。
「……共闘って、どうすんだよ」
柴咲の提案を聞いた上で判断してみようと思う。まあ俺の性格からしてそこまで足を踏み込んでしまえば最早断りきれなくなると自覚しきっているので、つまりそういうことだった。
柴咲は満足気に大きく頷き、今日初めて……ともすればこれまでで初めて柔和な笑みを浮かべた。嬉しそうな色を惜しげもなく滲み出させた、子供みたいに素直な笑顔だ。
「まずはね、お互いのことから話していきましょう。自分と、相手と。私たちはお互いのことを、殆ど知らないもの」
こうして。
俺と柴咲かぐやの共同戦線が発足することとなったのだった。