あの世へ、この世へ
年の瀬になりました。もう、主人は8ヶ月目です。ここは大阪の大学病院です。主人の父、日下部拓夫がベットから起きて主人のお腹を見て言いました。
「何ヶ月だ。」
「8ヶ月です。」
「そろそろだな。出産かあ。完全に女になったな。」
「いや、いや、僕は男ですよ。まだ、おちんちんもあるんです。みせましょうか。」
長くなった髪を後ろでまとめて、頭にのせている姿はやっぱりお母さんです。今日も紅を引いてばっちり化粧をしています。
「いいよ。どんな格好をしてても、おまえが長男だ。おれにもしものことがあったら、お母さんを頼むぞ。」
「うん、覚悟している。」
「大丈夫かな・・」
「大丈夫だよ。春には退院してよ。」
「ああ。」
でも、主人はわかっていました。これが父親の最後の入院となることを知っていました。肝臓がんでした。新しいがんが見つかる度に入退院を繰り返してして、抗がん剤の注入の繰り返しをもう5年も続けていました。医者からはだんだん抗がん剤の効かない悪質のものが残ってくるものだから、もう治療できないかもしれないと言われていました。
それは、母も二人の姉も承知していましたが、父親には言っておりません。でも、うすうす気がついているようでした。
2週間後のことです。さすがの主人も大きなお腹を抱えて、家事と仕事の両立も大変になってきましたので、休んでおります。肌寒い日が続きます。由縁と智勇も思わぬ熱をだしたり、気が気ではありません。
今日のように何もない時間は貴重です。夕暮れの赤い太陽で窓から注ぐ光が真っ赤です。私はこたつでウトウトとしていました。そのとき、電話がなりました。ぱっと起きて、見渡すと主人の姿がみえません。遠くで「トイレだよ。電話出て・」という主人声が聞こえました。電話に出てみると、主人のお姉さんからの電話でした。
「はい、日下部です。」
「・・・・」
「あら、お姉さんですか、ご無沙汰しています。」
「・・・!」
「はい、主人はいますが、トイレで・・え?お父さんが危篤?!」
「・・・・」
「わかりました。すぐ、行きます。」
電話を置くと、おおきなお腹を抱えた主人がやってきました。
「なんだった。」
「お姉さんから電話よ。お父さんがあぶないんだって!」
「え? 先日、見舞いに行ったときは元気だったぞ。」
「来てほしいという電話が・・はやく行かないと。」
「わかった。車を用意する。」
「由縁と智勇はどうする?病院には連れて行きたくないわね。院内感染とかあるじゃない。」
「いや、連れ行こう。千香も来い。」
「はい。」
行けば、父親は心音と呼吸を検出する機械がとりつけれて、ピッピッピッという音だけが病室に響いていました。みな心痛の思いで黙り込んでいます。そこへ、私と主人が由縁と智勇をベビーカーにのせてやってきました。
「これは、千香さん。あんたとこの子供?かわいいわね。」とお姉さんが私に声をかけてくれました。
「ごぶさたしています。今回はご連絡ありがとうございました。」
「おう、拓也か。うあ、その腹はなんだ!」というお兄さんです。正確に言うと長女の姉の旦那さんです。義兄です。
「へへへ、8ヶ月です。」と主人が笑います。笑い事じゃないでしょうが・・
「また、妊娠したのか。」という義兄です。
「残った受精卵を着床させたら、いとも簡単に妊娠しちゃいました。」
「美希姉ちゃん。着床て何?」と突っ込んできたのは姪の加藤美奈です。
「美希姉ちゃんて何だ。おまえ、こないだまでタク兄ちゃんで呼んでいたじゃないか。」「外ではそう呼べといったのは、姉ちゃんよ。それとも、美希おばさんがいい?」
「う・・・・まあ、着床というのはだな。受精卵、つまり子供のもとなるのが、子宮に根付づくことなんだ。これが起こると血管が伸長してきて、胎児の育成が始まるのであって・・」
「よけいわからん。」と言う姪の加藤美奈です。
「だったら聞くな!」
そのときです。病室がにわかに騒がしくなりました。
「お父さん!お父さん!しっかりして!」
「拓也がきたわよ。」という次女の姉です。
「拓也だと。間に合ったか!ん・・・?」と言う次女の姉の義兄です。
「お父さん!」と主人がいいました。
「拓也!こっちだ!」という長女の姉の義兄です。
主人は大きなお腹を抱えて、義兄に連れられて父親の病室に向かいます。
一方、次女の姉の義兄はきょとんとした顔をしています。
(え?この綺麗な妊婦さんはだれだ。親戚にいたか?)
次女の姉の義兄と合うのは久しぶりです。まだ、主人が中高生だった昔はよくいろいろ遊びに連れて行ってもらったそうですが、他県に引っ越してから縁が遠くなりました。主人の結婚式以来かもしれません。次女の姉の義兄にとっては、大きなお腹を抱えた女がどうみても拓也に見えません。
「あの・・・ちょっと聞いていいか。この人、拓也の奥さんか?」という義兄です。
「何言っていいるの。拓也に決まっているじゃないの。」という次女の姉です。
「男の拓也がどうやって腹ボテ女になれるんだ!」
「女なったからよ。二卵性の双生児だったから・・・ああん。あんた、前に説明したでしょ。」という次女の姉です。
「いやだから・・拓也が・・うーん。」
「それどころじゃないでしょ。後にして!」
病室には兄弟孫が全員揃っていました。長女の姉夫婦は子供が二人、次女の姉夫婦も子供二人、長男の主人は子供二人+1人(予定)です。
心音を示す音が変化し止まりました。すぐに心臓マッサージが・・しかし、だめでした。しーんと静まりかえっています。意外と絶叫するものはいませんでした。手は尽くされたことを示していました。
「うーん。子も孫が全員これてよかったな。こんなことありえないな。」
「そうですね。まだ、生まれてない孫までだもんな・・」
「実は、この子はもう名前もつけてあるんですよ。立派な孫です。先日、お父さんに報告したばかりなのに・・・」
主人のの母の悲しみようはすごかったです。いつもはいろいろ悪態をついていましたが・・。葬儀場へ遺体が運ばれ、体を清めるときも「お父さん、お父さん・・」とつぶやいていました。今晩は枕経≪まくらぎょう≫で一晩すごし、明日、お通夜、明後日に葬式と決まりました。
主人と弁当を食べていると、長女の義理の兄がやってきました。そして、言いにくそうに切り出しました。
「ところで、拓也、ちょっと話がある。本来は長男のお前が喪主であり、お通夜と葬儀の中心なんだが・・」
「はあ・・なんでしょう。」
「どうする?・・・・いや、お前がやるというならやってもいいんだぞ。ただ、女になったとバラすことになるし・・ちょっと、説明するのがめんどくさいだろう。」
「あ!・・・そうですよね。こんな腹ボテ女が・・いいです。喪主はお母さんでいいんじゃないですか。」
「そうか。じゃあ・・そういうことで」
義兄はちょっと安心したようです。
「それから、今日はどうする? 弁当を食べたら帰ってもいいぞ。」
「そうですね。僕たちは子供達のことがあるんで帰ります。兄さんはどうするんです?」
「布団があるらしい。泊まるつもりだ。」
「すみませんね。本来は僕がすべきなんですが・・」
「いいってことよ。ところで、千香さんは明日はどうする? 家で子供を見ていてもいいと思うが・・」と義兄は私の方を見て言いました。
「お通夜ですよね。みんなで送って上げたいのでまた来ます。それに、たぶん、明日は私の両親も来ると思いますから。」と私は答えました。
「あっ、そうか。あんたとこの両親が来たとき、長男の嫁がいないというのまずいわな。すると、拓也をどうするかだが・・」と義兄が困った顔をしました。
「僕は海外出張で不在ということにしておいてください。」
「いや、そうじゃないんだ。妊婦のおまえのことだよ。お通夜と葬儀には出たいだろう。来賓者、特に田舎の親戚には誰だと説明するんだ?」
「僕の奥さんということに・・・・千香がいるから嫁が二人になっちゃうか。知らないととぼけときゃいいんじゃないですか。」
「知らない女が親族一同と一緒にいる訳にはいくまい。」と義兄が言います。
「内縁の妻にしちゃうか。」と笑う主人です。
「ふざけないてないで・・ じゃあ。私の姉は? 私の両親以外はほとんど女の姿の主人のこと知らないから、両親に言っとけば大丈夫です。」
「あっ、それいい。しかも、不倫の子供を身籠もって、日下部家に居候しているというのはどうです? そして、妹の子供の面倒をみるために、式場にいるというので通じるじゃないですか。」
「不倫とか言う話はいらないだろう。しかし、千香さんの親戚は、本当に両親以外はこないのか?」
「たぶん、私の弟ぐらいだと思います。弟は主人ことを知っています。もし、聞かれたら主人の姉だと言っときます。」
「なんだか。獣でも鳥でも無いと言われいるコウモリみたいだな。」と主人は不機嫌顔です。
「妊娠なんかするからだよ。そのお腹でなけりゃ。結婚式のときみたいな手段がとれるんだが・・・」
「まあ、確かに・・この腹は隠せないなあ。」
翌日、お通夜が設けられました。町の酒屋のオッちゃんにどうしてこんなに沢山の人が来るのだろうというくらい大人数でした。おそらく、お父さんの徳のなせるわざでしょうか。私の友達や知り合いも多く来ていました。主人の兄弟の知り合いも沢山来てくれました。もちろん、私の両親もです。
「おお、千香。えらく急なことだったな。」
「うん。入院は私達も知ってはいたんだけど。子育てに忙しくて、なかなか、見舞いにいけなくてね。姉さんから連絡がなかったら間に合わないところだった。」
「そうか。みんな、最後を見られたんだな。よかったな。」
「しかし、豪勢で立派な葬式だな。花輪がすごい数だな。大手どころの製薬会社がずらりとならんでいるぞ。東亜製薬は会長が4つに社長が2つか。すごいな。」
「あれね。会長の秘書をしてたいたからよ。製薬連合会の秘書のみんなとも知り合いだったんで、その会社の関係じゃないかしら。」
「すごい、人脈だな。仲野病院は、見合いしたところだな。ん? 交通警察はだれの知り合いだ?」
「さあ・・初耳ね。だれも知り合いはいないと思うけど。」
実は主人のことを調べに来ていた交通警察の課長だったのですが、どうやって主人の父親のことをしったのかは、未だに謎です。
「おい。千香。拓也さんはとうした? 長男だから喪主じゃないのか。」
「親族の控え室で、子供をみているわ。」
「そりゃ、おかしいだろ。お前が出ていて、どうして、出ないんだ。」
「それがねぇ・・・」
「日下部家はちょっとおかしいんじゃないか!」
「おとうさん。だまってて!考えがあるのよ。」
そこへ、義姉がやってきました。
「千香さん。拓也はどこ? 知り合い方が、拓也さんはどこかって。あいさつしたいらしのよ。」
「会社の方ですよね。わかりました。私が案内します。」
見れば喪服の美女集団、ナイショの会の皆様でした。他にも日スカ会や食品研や秘書室のメンバーもいます。みんな結婚式以来です。二十数名以上はいそうです。
みんなわいわいしゃべりあっています。小声ですが・・
「あら、ウチがあるわ。間に合ったのね。」
「ひぇ、竹山薬品工業は花輪二本もしているわ。やるわね。さすが業界一位。」
「わあすごい。このハンドバッグはブランド物?」
「えへへ、あんたもその喪服、それって喪服なの。」
「しかし、ぴちぴちねぇ。あんた少しふとったんじゃない。」
「そうなのよ。」
「すごいわね。社葬なみじゃない。」
「それは大げさよ。」
「ねえ。どうして、日下部さんが喪主じゃないの。」
「奥さんがしいるからじゃない。」
「ふーん。ちょっと、変ねえ。」
そこへ私が現れました。
「あら、日下部さんの奥さん。お久しぶりですね。日下部さんは?」
「主人は控え室にいますので、ご案内します。」
主人は、大きなお腹を抱えて、智勇と由縁を見ていました。
「日下部さん!お久しぶり・」
「この度はご愁傷様でした。」
「お父様でしょ。大変ねぇ。」
はじめは、小声で話していましたが、仲の良い女性集団です。だんだん賑やかになってきました。
「あら、これが日下部さんのお子さんなの。かわいい。」
「きっと、美人になるわね。え?!こっちは智勇?男なの。」
「ねぇ、ねぇ。ちょっと、聞きたかったのだけど。どうして、こんなとこに閉じこもっているの。」
「田舎の親戚には、僕が女になったと話してないんだよ。結婚式のときはうまくごまかしたけど。」とそう言って笑う主人です。
「あっ、そうか。あの事故ときも週刊誌が取材に来ていたわね。こんなに来賓客の多い葬式で、日下部さんのことがバレちゃうとまずいもんね。」
「しかし、日下部さんは相変わらず綺麗ね。それに若いわ。何か秘訣あるの。」
「さあ、そんなことを言っても・・」
「あんまり、太ってもいないじゃない。」
ほとんどが結婚しており、まるで同窓会の様相を示してきました。お通夜というのに主人をそっちのけで散々会話をし、近況報告をやり、十一時頃にあわてて解散していきました。
あっというまに静かになりました。
「すごかったわね。」
「うん、みんな、元気でよかったよ。ちょっと、気がまぎれた。」
「なんだか。同窓会みたいだったわね。」
「うん、会社をやめているから、もう、利害関係がないしね。」
「いいわねぇ。私の倶楽部の同窓会もそんなものよ。」
「へぇ。」
「あなた。お父さんとお別れしてなかったでしょ。これからしてきたら?」
「うん。そうするよ。」
「智勇と由縁は見ててあげる。」
主人はお棺の側で、静かに語りかけていました。
「お父さん・・・ごめんなさい。・・・僕がしっかりしないといけないのに。」
「なんで、こんな体なんだろう・・・」
「お葬式も僕がしっかりしていたら・・・式さえもでられないなんて・・」
「男のはずなのに・・・長男として、母さんを支えるはずなのに・・」
「お父さん・・僕は・・くやしいよ。・・・くやしいよ。」
「なんでなんだう。男なのに・・・男なのに・・・」
そして、マタニティードレスを濡らしていました。私はそっと見守るしかできませんでした。
主人は葬式も式場の隅にたっているだけでした。焼き場に向かう車には、私が代わりに乗ることになり、主人が子供を見守ることになりました。さぞかし、悔しかったと思います。自分の体のことを恨んだと思います。
それから、四十九日を迎えました。父親は思った以上の財産を残しており、それを3人で分け合うのです。母親は私との同居を嫌がり、元の酒屋を続けると主張します。相続の問題でいろいろもめましたが、子供達が通いで面倒を見ることになりました。
姉弟で侃々諤々の意見を交換し合っているうちに、主人は産気づきました。そして、実が産まれました。父の拓夫の生まれ変わりかという人もいました。
それから、半年が過ぎました。智勇と由縁も1歳半、実も6ヶ月です。主人も会社に復帰しました。まだ、半日出勤ですが、毎日、出勤するようになりましたので、育児の負担もぐっと増えました。18ヶ月の怪獣はじっとしていません。私も母親の意地に賭けてがんばっています。
秋です。昼下がりの午後です。淡い緑葉っぱに、秋桜のピンクの花がとても綺麗に咲きました。綺麗に咲いた秋桜を見て、主人が写真を撮ろうといいました。
私に3人を預けて、三脚に自慢の一眼レフカメラをセットします。まずは、秋桜にピントを合わせて準備をします。しかし、なかなか、智勇と由縁はじっとしていません。
主人は、まだ、0才6ヶ月の実を胸にだき、ポーズをとろうとしますが、1才の智勇と由縁が言うことをききません。
「おーい。由縁、じっとしてろ。」と智勇をがっしりと足で押さえ込み、由縁に声をかけました。
「由縁! こっちへ来なさい。」
「やだよ。」と由縁は女の子くせに活発でにじっとしておりません。
「あっ、智勇、動くな、前にいろ!」
「ふぎゃーー」
挙げ句の果てに寝ていた実が起きてしまいました。
「あー、よち、よち、パパですよー。お腹がすいたかな。」
今日も楽しく大変な一日が始まりました。
主人のお父さんが亡くなったときは、もちろん普通に喪主をつとめていました。妊娠していたのは私でした。ちなみに、私の両親はまだ元気です。
妊娠・出産編はこれで終わります。シー1のプロローグは、春を想定し桜草としていましたが、秋でないとおかしいので、コスモスに変えました。