産んでもいいですか
いよいよ、妊娠です。日下部拓也に妊娠させるのは、体外受精しかないので、そうせざる得ない流れにしました。生理があるという設定はこの日のためにあったのです!ホントかな・・。
青空の綺麗な日です。ここは来栖先生のいる仲野病院です。生理が起こって、ここに運び込まれてから、はや、10年経ちました。今日は、月に1度の診察です。主人は黒いパンスト、ハイヒールにフレアスカートといつもように色ぽいです。ホントにこれで男だという困ったヤツです。
本日は病院が休み人の気配もまばらです。さすがに、10年も通い詰めると、病院のスタッフとも顔見知りです。
「こんになちわ。」と主人が守衛室に挨拶をします。
「おお、日下部さんですか。今日も来栖先生の診察ですか。」という守衛さんです。
「車は例のところに止めときましたがいいですか。」
「ああ、院長のところだね。今日はこないからいいよ。」
「すみませんね。」と主人はにっこりと答えました。
しばらく歩くと、診察室の待合場所で3~4才の男の子が本を読んでいます。診察の無い休みにはめずらしい風景です。
(お見舞いにきた人の子供かな。)と考えながら主人はその側に座りました。時計をみると少し早く来すぎたようです。
主人がだまって、座っていると男の子が声を掛けてきました。
「お姉ちゃん。この字はなんと読むの。」
(お姉ちゃん?僕は・・まあ、いいか。)
「ああ、それはだね。」
「あっそうか。ありがとう。」
「ぼくちゃん、お母さんはどうしたの。」
「ママはお仕事だよ。終わるまでここで本をよんで待っているんだよ。」
「そう、偉いなあ。」
そう言ってにこやかに、頭をなでていました。そのときです、診察室のドアが開き、来栖先生が顔をだしました。
「おう、日下部かあ。もう来てたのか。待たせたな。」
「いえ、今、来たばかりです。」
「あっ、ママだあ。」
「へぇ?!先生の子供なんですか。」と驚く主人です。
「ああ、来栖拓人だ。おまえの子供だ。」
「えーーえ!」とさらに驚く主人です。
「おまえの精子を始終採試しているだろ。ついでに人工受精で作ったんだ。名前もおまえの拓也から1字取った。」
「え・・本当なんですか。」と唖然とする主人です。
「ウソだよ。」
「う・・・冗談にしては、悪すぎますよ。」
「ははは、実は、子供に対する態度を見ていたんだ。母性本能を刺激してみるとどうなるかと思ってな。」
「え?・・・そう言えば、いつ結婚したんです?」
「してないよ。養子だ。ちょっと、訳ありでな、亡くなった妊婦さんの子供だ。」
「そうなんですか。」
「高齢出産はいろいろと事故が起こりやすいからな・・さてと、診察しようか。」
「はあい。」
「おい、拓人とママはもう少し仕事だ。そこでおとなしくしていろよ。」
「はい、ママ。」と元気に答える来栖拓人でした。かわいい!
主人が診察室に入いると、毎度のCTやレントゲン像が並んでいました。血液検査のデータもあります。
「うーん。特に変化はないようだな。新婚生活はどうだ。子造りはしっかりやっているか? 奥さんも高年齢だろ。拓人の母親の例もある早く産んだ方がいいぞ。」と来栖先生が笑いながらいいました。
「ええ、それなんですがねえ。なんか生理の前後の頃に調子悪いんですよ。」
「何!本当か。どうおかしいんだ。」と来栖先生が真剣な顔で聞きます。
「うまく、立たない日があるんです。」といって主人が頭をかきます。
「ちょっと、調べてみるか。大体、ホルモンの分泌異常が起こってるくせに何ともないというほうがおかしかったからな。」
「そうなんですか。」
「生理が始まって10年か。もともと、体はすっかり女になったのに、精巣が元気という希有な体だからな。」
「はあ・・」
「体の変化と言えば、骨格なんかすごいぞ。おっきな骨盤で安産体型だ。子宮も若いから妊娠も安定化しやすい。一度、子供産んでみないか?」と笑いながら言いました。
「冗談はよしてください。卵巣が無いんでしょ。無理ですよ。」
「できないのは受精であって、受胎ではない。こっちは、十分可能なんだ。」
「え?」
「体外受精した受精卵を着床させれば、受胎可能なんだ。さっきも言ったように、安産体型で子宮も若い、乳腺もよく発達している。奥さんよりよっぽど出産・育児に向いているぞ。」
「いやですよ。そこまで女になりたくない。僕は男です。」
「それは別として、一度、精液を検査してみよう。生理の前後におかしくなるというのが気になる。自慰とか手淫は一切せずここにきてくれ。2日おきぐらいに精液を採取してみよう。」
「へえ?それって1ヶ月続けるんですか?」
「当たり前だ。生理との関係を調べるだからな。併せて奥さんの様子も調べてやるよ。連れてこい。」
「はあい。」
ドアを開けると来栖拓人はおとなしく本を呼んでいました。
「拓人君、ママのお仕事終わったよ。」
「え?本当!やったー。」
そう言って診察室に駆けていく来栖拓人を、主人はにこにこして眺めていました。
1ヶ月後のことです。ここは来栖先生の診察室です。
「奥さんは異常が無かった。しかし・・うーん。なるほどなあ。妊娠は難しい訳だ。」
「どうなんです?」
「おまえの精巣が性周期に合わせて活動が変化しているんだ。昔はそんなこと無かったんだがな。」
「ええ,えー?」
「精子数なんだが、生理と生理のど真ん中の時期に最高になっている。これが奥さんの排卵時期と一致しないと妊娠はむずかしいということだ。おまえは正確に28日間、奥さんは24日から26日間だ。ちょいと考えればサイクルを一致させるむずかしさがわかるだろう。」
「ううう、そうなんですか。」
「不妊治療の必要があるな。」
「まあ、出産年齢としては奥さんは高齢だし急いだ方がいいぞ。」
「どうするんですか。」
「不妊治療の手段は大きく分けて3つある。タイミング法、人工授精、体外受精だ。後になるほど女性の負担が大きいが確実性が増す。」
「具体的にはどうするんですか。」
「タイミング法は、基礎体温やホルモン分泌などを調べて、排卵時期をとらえて、セックスする方法だ。はっきり言って、無駄打ちになることが多い。ずるずると時間が過ぎて行き別法に移ることが多い。」
「毎日、体温はかるって大変ですよね。」
「かなりの負担だろう。さらに、性ホルモンの注射や経口投与で奥さんの排卵時期を動かす必要がある。おまえの子宮にはこれがあまり効かないことがはっきりしているから、奥さんだけになるがな。微妙コントロールが必要で時間がかかるだろう。」
「人工授精というのはどうするんですか。」
「これは奥さんの排卵時期を狙って、奥さんの子宮内におまえの精液をぶち蒔ける方法だ。普通の男は、精巣の活動が一定だが、おまえの場合は変化しているから最高の時期に精液を採取したほうが精子数が多くて確実性が増すだろう。そうすると、やっぱり、奥さんの排卵時期を動かすことになる。さらに、排卵誘発剤を使用して、確実にするのが常識だ。」
「最後に、体外受精というのは?」
「これは、卵子と精子をべつべつに採取して、人工環境で受精させて、子宮に戻す方法だ。受精卵を子宮に着床させるわけだから確実に妊娠する。」
「どのようにして卵子は採取するんですか。」
「ホルモン注射で卵巣の成熟をコントロールし、排卵誘発剤を用いて排卵させる。排卵されたタイミングを狙って、膣から小さな管を突っ込み、卵子を2~3個吸い上げるんだ。後は、おまえから採取した精子と卵子を受精させる。ウチの場合は、複数個受精卵を作って凍結保存させ、着床に失敗した場合に備える。しかも、卵子の中に精子を直接ぶち込むという最新技術を使う。この場合、精子は1個以上あればいいので、新鮮ならば精子採取はいつでもいい。」
「ウチの奥さんの負担が大変ですね。膣に穴をあけるなんて・・・」
「穴といっても小さなものだ。麻酔もあるし痛みはない。何よりも、体外受精の方が確実だぞ。ちょっとした実験に付き合ってくれたら、奥さんの診察料を只にしたうえに、体外受精のほうも只にしてやろう。これは保険がきかないから大きいぞ。」
「本当ですか。その実験って何をするんです。」
「受精卵をおまえの子宮に入れて着床するかどうか見るんだ。医学的見地からおまえの子宮にその能力があるか実験したいだけだ。」
「妊娠するんですか・・・」
「確認したら堕胎させるからな。出産までしなくてもいいぞ。断るならこれまでの奥さんの診察料はちゃんと請求するからな。」
「うう・・・考えてみます。」
ここは我が家です。
「へえ-、自然にしてるとそんなに難しい訳なの。」
「うん、ごめんね。僕のせいらしい。」
「大体、いくらぐらいかかるの」
「タイミング法、人工授精法、体外受精法で、大体の予算としては・・・だそうだ。」
「うああ。そんなにするの。」
「しかし、えらい値段ね。体外受精なんてぼったくりじゃない。」
「保険が使えないからね。でも、これがタダになるんだ。僕が着床テストを受ければだけど。」
「あなたはどうしたいの。」
「こどもは産みたくないけど、子供はほしい。体外受精が確実らしいけど、君の負担がねえ。」
「うう・・タイミング法でやってみない?」
「そうかあ。」
それから、3ヶ月ほどやってみましたが、うまくいきませんでした。
結局、体外受精することになったのです。一緒に、不妊治療を受けていたお母さん達が、よってたかって、タダですむ体外受精を勧めたからです。何しろあの高価な不妊治療をタダでするというのですから・・ 。まさに、来栖先生の思うつぼだったのですがそのときは気がつきませんでした。
数ヶ月後のことです。ここは来栖先生の診察室です。
「無事、着床に成功したようだな。」
たくさんの写真やデータを眺めて、にっこりして来栖先生がいいました。
「今度は、母胎も順調らしいし、ありがとうございました。」
「バカ、おまえのことだよ。おれはおまえの奥さんのことには興味ない。」
「なんですか。それは・・」と怒る主人です。
実は、同時に着床させたですが、私は失敗して再挑戦になりましたが、主人は一発で成功したのです。前途多難なようです。今、私は病室で安静にさされています。
「まあ、飯の種の大事なクランケだ。流産しないように出産を迎えもらわないと困るが、若くないからいろいろと面倒な患者になりそうだ。」
「ひどい言い方ですね。」
私がいないとはいえ、そりゃあんまりではありませんか。でも、ここで負けたら私の妻としての立場が・・・下手すると家事でも負けていますから!
「ははは、すまん。ところで、ビデオ録画したエコー映像があるが見るか?」
「ええ、お願いします。」
「ちょっと、待ってろ。えーと、これかな。看護婦さん。頼むよ。」
そう言って、ビデオカセットを渡しました。
「これですか。わかりました。ん?」
看護婦さんは、ちょっと、首をかしげながら、テレビビデオにセットします。
「おっ、これが胎児ですか。すごいな。心臓が動いているのがわかる。手足を動かしているみたいだ。」と驚く主人です。
「あれ?先生、本当にこれが日下部さんのですか?胎児が大きすぎますよ。」という看護婦さんです。
「ん? そんな馬鹿な。まだ、1ヶ月だろ。ん・・・ありゃ、間違えた。これは他人のやつだ。」
「違うんですか。」
「すまん。すまん。これは、4ヶ月目のエコーだ。おまえのはこっちだ。」
そう言って、もう一本のビデオを取り出しました。当時のエコーによる映像はわかりにくいものです。しかし、胎児らしきものが写っています。
「ちょっと、わかりにくいが、これが胎児だ。あと、3ヶ月もすれば、さっきのようになる。」
「ふーん。」
「CTやMRI映像はこっちだ。血管が絡み合っているのがわかるか? 胎児は胎盤を通じでしっかりと栄養を吸収している。」
こちらは素人にはさっぱりわかりません。大根や白菜の切り口をみて、野菜を想像するなんて無理です。主人も首をひねっています。
「それはさておき、おまえはどうする?エコーとかCTとかで見ての通り、着床は確認できた。予定通り、あとは掻き出して、中絶するだけだ。」
「それなんですが・・・」と浮かない顔をする主人です。
「迷っているのか。」と来栖先生は今更何を言うんだという驚いた顔をします。
「ええ・・心臓が動いていましたよね。あれって、やっぱり、生きているですよね。」
来栖先生は、主人のその発言にニヤリとしましたが、主人は気がつきません。
「当たり前だ。魂の有無はどうかしらんが、おまえの体の中で必死で生きている。おまえも胎盤を通じて、栄養を送りつづけて、育てようとしているのは確かだ。それを中絶させるんだが・・・やむ得ないだろう。おまえは出産までしたくないだろうし、小さな命を失うことになるが、仕方が無いことだ。」
そう、気の毒そうな顔で畳みかけます。そこは役者です。
「う・・・ん。それなんですがね。」
腕を組んで悩む主人です。来栖先生の追い込みが始まりました。
「以前、言ったように、おまえのほうが無事出産できる可能性が高く、子育てにむいているのは確かだ。しかし、男のおまえに、そんなことをしろとはいえん。万が一、奥さんが流産してしまっても、受精卵はあるからまだチャンスは残っている。」
「何度でもできるんですか?」
「残り1個あるが、1年が限界だろう。凍結させているというより、眠らせているに近いからな。その間ならば再挑戦は可能だ。それよりも、流産は母親の精神的な負担が大きい。何度もやると習慣性ができることもある。」
「流産の危険も、僕のほうが少ないんですよね。」
「その通りだ。奥さんより骨格的にいい。流産の危険も少ないし、たぶん、出産も楽だろう。奥さんは帝王切開が必要かもしれない。筋腫も確認されたしいろいろと苦労しそうだ。母体への負担を考えると、奥さんに中絶を勧め、おまえに出産を勧めたいくらいだな。」
そう言われて、上を見て考え込む主人です。
無言の時間が続きます。緊張の時間を経て、主人は切り出しました。
「・・・産んでもいいですか。」とぽつりと言いました。
「本当か?それならば、研究の一環として、おまえと奥さんの出産までの面倒をみてもいいぞ。病室も並んで確保しておく。奥さんの治療費まで出せんがな。」
来栖先生はしてやったりと満面の笑顔です。しかも、大盤振る舞いです。
「それはいいんですが・・・あーあ、とうとう、出産かあ。」
まだ、迷っている主人です。
「出産と言ってもおまえの体ほうが若いからたいしたことは無い。安産体質だから負担があんまりないだろう。心配するな。」
「なんかえらく喜んでますね。」と、さすがの主人も疑い始めたようです。
「気のせいだ。高度な治療をしてもある程度は研究費用で落とせるから、いざと言うときは安心しろ。よしよし、今日診察はこれで終わりだ。」
「わかりました。本日は、これで。ありがとうございました。」
主人が帰ってから、看護婦さんがニヤリとしていいました。
「やりましたね。ビデオをわざと間違えるなんて・・小細工をやりすぎですよ。」
「実際、奥さんより、あいつに産ませた方が苦労がなくていいんだ。奥さんはそれを許さないだろうな。しかし、男のあいつにも母性本能があらわれてきたかな。繰り返して、説明してきた甲斐があったというもんだ。」
「それはどういうことです?」
「繰り返して説明して、お腹の胎児を意識させたんだ。たぶん、自分のお腹のなかに生命が宿っている不思議を自覚したことだろう。そうなると、もう、堕胎なんてできない。堕胎する理由も無い。あるとすれば、経済問題、会社と仕事の問題だけだろう。うまく、行くことを祈るだけだ。最悪、生活保護という手もある。」
「そこまでして、産ませたいんですか。」
「当たり前だ。こんなおもしろいことがあるか。」と黒い笑いをします。
当時、こんな医療技術があったどうか不明です。今のインターネットの知識です。不妊治療はタイミング法ぐらいしか経験がないのですみません。