進駐軍を招いたパーティーで
でも、空襲のせいで、紡績工場は全部焼けちゃったし、新しいビジネスを始めなくてはならなかった。
日本の貨幣の価値は危うかった。物や土地で、持ってても、政府の意向一つで、いつ接収されるか、わからない。
価値のあるものは、外貨。米ドルだった。
おじいさまのビジネスのターゲットは、進駐軍だった。お母様が、あんなことになっても……。
私が精華学院の初等部にいるころに、日本から進駐軍は、撤退はしたけど、基地にはたくさんの米兵がいて、日本人はおおかた飢えているというのに、戦勝国の彼らは裕福だった。
大きなシェパードを飼い、その犬に、たくさんのお肉を食べさせていた。
ゆくゆくは、また紡績工場を作って、日本の絹織物を世界に輸出したかった、おじいさまだったけど、とりあえず、政府の高官と、進駐軍の高級将校たちに、顔を売っとく必要があった。
以前から、屋敷に、将校たちを招いて、パーティーをしていた。でも、語学が堪能なおばあさまは、肺炎をこじらせて、なくなってしまったし、お母様は……。普通じゃない死に方をして、もうとうにこの世の人ではなかった。私のお父様は、私が生まれて間もなく、戦時中にかかった病が、もとで亡くなっていた。
女主人も、跡継ぎもいないこの家で、おじいさまは孤軍奮闘し、絶対の権力者だった。
お客をもてなす、女主人が不在のパーティーは、あまり格式のあるものとは、みなされない。でも、やらないよりは、ましだと、結局、芸者を呼んだりして、お茶を濁していた。
そんなとき……、おじいさまが異国の軍人を招いたパーティーのときには、屋敷の奥深く、かくまわれてた私が、呼ばれた。
おじいさまが、大事な商談相手の進駐軍の将校を家に招いたとき、リビングにあるベヒシュタインを見つけた将校が誰かに弾かせろと言った。おばあさまは亡くなっていたので、あとは私しか弾けるものはいなかった。
「妻の物でしたが、妻は亡くなっていまして……。」
「では、もういらんだろう。こんなアジアの小国で、ベヒシュタインに会えるとは、思わなかった。いくらでも、払うから、譲れ。それとも接収されたいか?」
「妻の大切な形見なのです。どうか、御容赦を。孫娘が、います。弾かせましょう。少し、お待ちください。」
「ヨーロッパの宝のベヒシュタインだ。小娘のおもちゃにしてるのは、もったいない。私が本国に、持ち帰りたいのだ。」
おじいさまから、今すぐ、本館の応接間に来いと命じられ、着替えてる暇もなく、普段着の木綿のワンピース姿で、走っていった。アメリカの軍人さんが、来てるときには、本館の方には絶対、行っちゃいけないのに…一体どうしたんだろう…?
息を切らせて、リビングに行くと、
青ざめたおじいさまが、私にピアノを弾けと命じた。
お酒くさい、異国の軍人たちの前で。
「こんな、小さな子供に何が弾けるんだ?キラキラ星を弾くには、もったいないピアノなんだ!」
酔っ払ったおひげの将校が、何を言ってるか、私にはわかる。英語は、小さい頃から、白洲家に通って、おじさまから習ってるから。
「Shall I play your favorite tune. sir?」(お好きな曲をお弾きいたしましょうか?)
「フン!ハンガリー狂詩曲第二番 ニ短調を弾いてみろ!弾けないなら、ピアノは接収する。」
「Hungarian Rhapsodies, 2nd…yes,sir」(ハンガリー狂詩曲第二番ですね。わかりました。)
私は、息を整えると、鍵盤の蓋をひらいた。
そして、弾いた。楽譜もなしで。
故郷を思って、おばあさまが、よく弾いてらしたリストの「ハンガリー狂詩曲。」を。
猛々しい冒頭部。長い長い曲。
ガヤガヤしてたお部屋はいつのまにか、静まり返って、ピアノの音しかしない。
演奏が終わると、立ち上がって、礼をしようとした。でも、おひげの将校は、演奏が終わるとすぐに、駆け寄ってきて、私を高々と抱き上げた。
「ブラボー!ブラビッシモ!ユーアージーニアス!」
それ以来、おじいさまの商談に、私はかかせない存在となった。