アイノコ
この家の子供は代々、乳母に育てられるのに、私に乳母はいない。
黒い髪に黒い瞳のお父様、お母様から生まれた私の髪は、今は茶色い髪だけど、生まれたばかりのときは、金褐色だった。
一年間、目の色は水色で、少しづついろんな色に変わる。おばあさまの生まれた頃もそうだったから、私は、ただ、ヨーロッパ人と日本人の間に生まれたおばあさまに、そっくりに生まれてきただけだった。
なのに、鬼の子、アイノコ、混血児…。
忌み嫌われて、乳母になる者が見つからなかった。
オーストリア・ハンガリー帝国の伯爵だった、ひいおじいさまは、日本にいらした時に、打ち水をしていたひいおばあさまに、一目で恋に落ち、ひいおばあさまの家族の反対を押し切り、人種差別、身分の差別の激しい故郷の、オーストリア・ハンガリー帝国に花嫁として連れ帰った。
排他的な貴族社会が、アジアの小国の平民の娘を受け入れるはずがなかった。
パーティーでも、ひいおじいさまの領地でも屋敷でも、ひいおばあさまは無視され、伯爵夫人としての敬意をはらうものはなかった。いたたまれなくなった花嫁が、日本へ逃げ帰るのは、時間の問題と誰もが思っていた。
とうとうある日、思いあまったひいおじいさまが、屋敷で開いたパーティーの最中に、天井に向かって、実弾を発砲した。そして、その場にいた親族、友人すべてに宣言した。
「私の妻に伯爵夫人としての敬意を、払わない者には、私が決闘を申し込む!」
以来、みんな恐れをなして、ひいおばあさまに敬意をはらうようになった。ひいおばあさまも、語学にマナーに、社交界の会話術、ドレスの着こなし…etc…を、猛勉強して、立派な貴婦人になった。老舗の香水店のゲランの調香師が、ひいおばあさまの名前を冠した香水をつくり、その香りは今でも愛されている。
ゲランの「ミツコ」は、ひいおじいさま亡き後は、女伯爵として、領地を治めた、レディ・ミツコ・クーデンホーフ・カレルギーに捧げられた。
でも、第二次世界大戦の後の日本は、混血児をとても嫌った。おばあさまは、ともかく生まれたばかりの私は、憎い米兵相手の娼婦の産んだ子供と同じ容姿をしていたから。