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聖女の癒しには代償がありまして、人を救うたびに記憶を一つ失います ~それでもあなたの名前だけは忘れませんでした~  作者: 凪乃


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7/10

禁書庫

 夜の神殿は、昼間とはまるで別の生き物だった。


 礼拝堂の天窓から差し込む月明かりが石床に幾何学模様を描き、聖火台の残り火が長い回廊に揺らめく影を落としている。信徒の姿はなく、ただ自分たちの足音だけが高い天井に反響していた。


「こっちだ」


 カインが小声で言い、回廊の奥に続く階段を指した。普段は神殿長の許可なく近づくことすら禁じられている区域だ。重い鉄格子の扉に古めかしい錠前がかかっている。


 カインが懐から鍵を取り出した。


「どこで手に入れたのですか」


「聞くな」


 それだけ答えて、錠前を外す。金属が擦れる音が闇に響いた。


 階段を降りる。松明はつけられない。代わりに、私は左手にほんの微かな光を灯した。癒しの力の欠片——これくらいなら代償はないと、過去の日記に書いてある。


 地下書庫は想像以上に広かった。天井の低い石造りの部屋が連なり、壁面には古い書架がびっしりと並んでいる。革装丁の本、巻物、羊皮紙の束。埃の匂いと、かすかな黴の匂い。何十年も人が入っていない空気だった。


「聖女の代償に関する記録を探す。古い時代の文献だ。おそらくこの奥にある」


 カインが書架の間を進んでいく。私もその後を追った。手のひらの光が書架を照らすたびに、背表紙の金文字が鈍く光る。『聖典注釈書』『祝福の系譜』『聖女認定儀礼録』——表の書庫にあるような文献が続く。


 だが、最奥の書架は違った。


 鎖で封じられた棚があった。書物の背表紙には題名がなく、代わりに赤い封蝋で封印が施されている。


 カインが鎖を切った。短剣の刃が鎖の一環を砕く、硬い音。


 一冊を手に取り、封蝋を剥がす。黄ばんだ羊皮紙に、細かな文字が並んでいた。古い書体だが、読めないほどではない。


 そして——読み進めるうちに、手が震え始めた。


『聖女ノ力ハ神ノ恩寵ニ非ズ。人工的ニ刻マレタ術式ナリ』


 目を疑った。もう一度読む。文字は変わらない。


『術式ハ対象者ノ魔力回路ニ直接刻印サレ、身体ヲ癒シノ媒介トスル。然レドモ、術式ノ安定ニハ膨大ナ精神力ヲ要ス。故ニ、記憶ヲ燃料トシテ消費スル機構ガ組ミ込マレタリ』


 記憶を——燃料として。


 消費する機構が——組み込まれた。


「カイン様」


 声が震えていた。カインが隣に来て、私の手元を覗き込む。


「……読め」


 私はページをめくった。


『此ノ代償ハ術式ノ欠陥ニ非ズ。設計ノ一部ナリ。記憶ノ消費ニヨリ術式ハ安定シ、癒シノ力ハ強大ナモノトナル。代償ナクシテ術式ハ機能セズ』


 バグではなく、仕様。


 最初から——最初から、こう設計されていた。聖女の力が強いのは、記憶を燃やしているからだ。人を救えば救うほど記憶が消えるのは、力が暴走しているのでも、呪いでもない。そうなるように作られている。


 さらにページをめくると、そこには一覧があった。


『歴代聖女ノ末路』


 名前と、在位期間と、最期の記録が並んでいる。初代から数えて、十二人分。


『第三代聖女マリーア。在位十一年。晩年、言語ヲ失イ、最期ハ自ラノ名モ忘レテ没ス』

『第七代聖女エレーナ。在位八年。記憶消失ガ加速シ、廃人同然ノ状態デ神殿ニ幽閉。死因不明』

『第十一代聖女カティア。在位十三年。最期ハ呼吸ト心臓ノ動カシ方ヲ忘レ——』


 本を閉じた。


 閉じなければ、読み続けてしまいそうだった。


 手が震えている。膝も震えている。地下書庫の冷たい空気が、急に肌を刺すように感じられた。


「全員だ」


 カインの声が低く響いた。


「歴代聖女は全員、最後は——」


「はい」


 自分の声が、妙に遠くから聞こえた。


「全員、壊れています。一人の例外もなく」


 左手の光が揺れた。私の心が揺れているからだ。


 神の恩寵などではなかった。聖女の力は人が作り、人が刻み、人が——使い潰すために設計したものだった。代償も含めて、全てが仕組まれていた。


 私は本を書架に戻し、自分の両手を見つめた。この手から溢れる光は、祝福ではなかった。術式だ。誰かが私に刻み込んだ、精巧な消耗装置。


「私は——」


 声が掠れた。


「最初から壊れるように作られていたの」


 カインが何かを言おうとした。だが言葉にならなかったのか、口を閉じ、代わりに私の肩にそっと手を置いた。


 その手の温もりだけが、地下書庫の冷たさの中で唯一、確かなものだった。


 帰り道、私たちは一言も話さなかった。階段を上り、鉄格子の扉を閉め、月明かりの回廊を歩く。


 自室に戻り、帳面を開いた。ペンを取る手がまだ震えている。


『聖女の力は神の恩寵ではない。人工的に刻まれた術式。代償は仕様。記憶を燃料として消費する設計。歴代聖女は全員、最後は廃人になっている。——私は、最初から壊れるために作られた』


 書き終えて、ペンを置いた。


 インクが乾くのを待ちながら、思った。明日の朝、この文字を読んだ私は、今の衝撃を覚えているだろうか。


 覚えていなくても、帳面が伝えてくれる。だから書く。消えゆく自分のために、今の自分が証拠を残す。


 月が窓の外を横切っていく。


 私は壊れるように作られた。でも——まだ壊れていない。まだ、自分の名前を覚えている。カインの名前も。


 それだけが、暗闇の中の灯火だった。


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