第1章『開幕』⑤
「(ま、まけたのか…?)」
途中、何度も前の車とぶつかりそうになる。
その都度必死にハンドルを捌きながら、入り口まで戻り、『東京方面』へ向かった。
あの女が来てないか、バックミラーを何度も確認した。
「ま、間に合う!このまま行けば俺たちの勝ちだ!」
「今すぐ高速を降りろ」
「……何を言ってんだてめぇ」
「高速を降りたら、すぐさまナンバープレートを変えろ」
「はぁ!なん——」
「そのナンバープレートは、もう警察に情報が行き渡っている。このままつけ続ければ追跡される」
「ま、まだバレたとは決まってねぇだろ!」
「それから子供の引き渡し場所を変える」
「はぁ?!」
「『上から』のお達しだ」
そう言いながら、不気味な男は携帯をこちらに向けた。
メールには「引き渡し変更」と書かれた件名の下に、住所が記されている。
そもそも、軽で普通車ナンバーを使うな。
目元は帽子で隠れて見えないのに、なぜか睨まれているような錯覚に陥るほどの殺気を感じた。
だが、この男の言う通りだ。
人に見られた時点で何か対策を取らなければ、いずれバレる。
直前での予定変更には腹が立つが、上からのお達しなら仕方ない。
「それから」
「まだあるのかよ!?」
「全員着替えろ」
不気味な男は、大きなバックを開きながらそう言い放った。
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ついてない。
非常についてない。今日は非番のはずだった。
なのに、何故駆り出されているのか。
「おいっ!もっと背筋を伸ばせ!だらしないぞ!」
「いたっ!」
先輩に叩かれた。痛い。このゴリラ先輩め。少しは手加減しろ。
それに、朝から検問に駆り出されている俺をもっと労われ。
……あぁ、でも、もうすぐお昼か。
今日は好きなテレビを見て、好きなだけゲームする予定だったのに。
それなのに、何故検問に駆り出されたのかというと——
子供の誘拐事件があったらしい。
「らしい」と言っても、目撃情報があっただけだ。
親からの通報があったわけでもない。
絶対誤報だろ。いたずらに決まってる。
今時、この平和な世の中でそんなことする奴いるのかね。
「すみませーん、車の中、少し見させてくださーい」
子供を誘拐したって車は、黒の軽自動車らしい。
写真に映っていたのは二人だが、もう一人は不明。
見た感じ、二人とも身長は高めで体型は平均。
帽子にマスク、全身黒の服装で、目元しか見えない。
拡大しても、こんな目元の奴、日本にいくらでもいるだろ。
顔認証も同時に実施するらしいが、マスクと帽子で隠されていたら意味あるのか。
「ご協力ありがとーございまーす」
大きなあくびが出る。
春の陽気が気持ちいい。
今日は帰ったら、好きなことよりも昼寝を優先してしまいそうだ。
…あーあ、早くおわんねーかなー。
——あぁ俺は本当に運がいい。
遠くで、誰かが笑った——気がした。
「もしもし、聞こえるか」
「聞こえてる」
「——いたぞ」
「わかった」
さぁ、行こうか。
だが——その笑みは、ひとつではなかった。
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詐欺、強盗、傷害、遺体処理や風俗の斡旋など——
数々の犯罪に手を染めてきた。
だが今日ほど緊張したことはない。
そして同時に、これほど高揚したこともなかった。
間違いない。
今日この瞬間、俺はあの人たちと肩を並べられる——そう確信した。
「(いきなり女物の服を出された時はどうなることかと思ったが…)」
それは数時間前の出来事だ。
着替えろと言われ、鞄の中を覗いた瞬間、目に入ったのは女物の服だった。
『女物の服なんて着てどうすんだよ!』
『これは立派な変装になる』
『……意味が分かんねーよ!最初から話せ!』
『もうすでに検問は敷かれている』
『!?』
『け、検問?いくら警察でもこんな早く動けるわけ…』
『動けるさ。彼女たちがいればな。その証拠にネットニュースを見てみろ』
急いで携帯を取り出しニュースを開く。
そこには——
『速報、連続誘拐事件の犯人とみられる人物を現在追跡中!』
という見出しと、コンビニで撮られたであろう写真が載っていた。
『な、何だこれ!?俺たちが連続誘拐事件の犯人にされてる!しかも連続って何だよ?!』
『何だと?!』
『記事の見出しもまた良い。事実しか書いてないからな』
『事実って!お、俺たちが子供を誘拐したのは今回が初めてだ!』
『だが、子供を誘拐したのは事実。記事の見出しも「誰が」とは特定していない、曖昧な書きかただ。——これは、確実に俺たちの首を刈ろうとしているな』
こんな記事が世に出れば、いくら警察といえど動かざるを得ないだろう。
男は記事を見つめたまま、わずかに笑った。
この状況の何が面白いのか、全く理解できない。
『でも、こ、子供は見られていないはずだ!仮に見られていても証拠はない!なのに何でこんな記事が出るんだ?!早すぎる!』
『さぁな。……まぁ一言で言えば、喧嘩を売った相手が悪かった。としか言いようがないねぇ』
『…あの時あのガキにぶつからなければ…!』
『…まぁ起こったことは仕方がない。今はどう対処するかだ』
……確かに、その通りだ。
このまま捕まるわけにはいかない。
それにあんな記事、あとからどうとでもなる。
『それでこの服ってわけか。顔はマスクで隠せても、俺たちの体格で女になるのは無理があるんじゃねぇか?』
『無理でもやれ。捕まりたく無ければな。顔は、俺が女に見えるよう加工してやるさ』
『そ、そんなことできるのか?!』
『あと、ナンバープレートの交換と車の塗装もだ』
『そんな時間あるわけねぇだろう!塗装の材料だって——』
『塗装用のスプレーは車に積んである。こういうのは見てくれだけ整っていればいい。完璧である必要はない』
「しかも今日は暖かくて湿度もあまりない。ラッキーだな」と呟いた。
正直、ここまで準備されているとは思っていなかった。
『…なぜここまでの準備がされている?』
『むしろ、なぜしていない。不測の事態に備えるのは当たり前だろう。完璧な計画なんて存在しない』
……ぐうの音も出ない。
この男の言っていることは正しい。なら、
『(利用するだけ、利用してやるさ)』
この男は使える。
少なくとも、隣にいる奴よりは。
ならば己の野望のために、この男の意見に耳を傾けるのも悪くない。
その後、指示通り高速を降りた。
防犯カメラも人気もないところで、ナンバープレートを交換し、車を塗装し、そして着替える。
三人がかりとはいえ、その作業は一時間ほどで終わった。
どこを見ても、女にしか見えない。
車も見た目だけは別物になっていた。
この量をこなす男の手際には、さすがに驚いた。
——検問は避けられない。
そう言いながら、この男は通る場所を選んでいた。
選んだのは、高速から離れた場所だった。
なぜそこなのか尋ねたら、「ここはおそらく新人が多い。ベテランよりはマシだ」とのことだった。
その判断のおかげで、検問も無事突破できた。
そして——今に至る。
もう勝ち確だ。
ここまで来れば何も問題はない。
さっさとガキを引き渡そう。そう思った。
あぁ、やはり詰まれていたか。
小さく、誰かが呟いた。




