第1章『開幕』①
まだ、夕日が沈む少し前の出来事だった。
「う、うぁ、うわああああん!」
「そんなに泣いて、どーしたのレイ?」
「ユ、ユウ〜!」
ベッドの上で読書をしていたユウに、レイが勢いよく飛び込んだ。
「うっ」
一瞬苦しそうに息を漏らすが、すぐに落ち着いた様子で問いかける。
「何があったの?」
「きょ、今日ね!ユウが休んでいて、それが私で、それで…う、うぇぇん!」
「お、落ち着いてレイ」
話をまとめると、——レイは帰り道、同級生の男の子にこう言われたらしい。
『お前の弟が休んでるのは、お前のせいだ!』
「…?なんでレイのせいなの?」
「わ、わたしが運動できるのは、ユウの元気を吸い取ってるからだって……!」
(……なるほど)
レイは運動が得意だ。体育の成績はいつも一番で、徒競走も負けなし。ダンスも体操も、なんでも出来る。正直、大人と競っても負けないくらいの体力だ。本気で負けたところは、一度も見たことがない。
一方、僕は生まれつき体が弱く、心臓もあまり良くない。だから運動は得意じゃないし、学校にもあまり行けていない。
きっとその子は、
「お前が弟の元気まで使ってんじゃねーの!」
……なんて思ったのかもしれない。
まあ、レイに負けた腹いせ、っていうのもありそうだけど。
「レイ、そんなことないから安心してね」
「でも、でも……!」
「もしレイが僕の運動能力を奪ってるなら、今頃もっとムキムキになってるよ」
「た、確かに……」
「それにさ、もしそうだとしたら、僕もレイから奪ってることになるよ」
「? 何を?」
「レイの学習意欲を」
「うぐぅ……確かに!」
レイは勉強が苦手で、僕は得意だ。テストでは、ほとんど百点をとっている。
双子なのに、似ているのは顔ぐらいだった。
「…でも、お母さんのお腹にいる時、やっぱりユウの分の元気、吸いとっちゃったのかな…」
「…レイ」
「うぅ〜…」
「あぁ、レイ泣かないで」
一度は納得したけど、やっぱり気にしてしまう。
自分のせいで、ユウは体が弱くなってしまったのではないか。もし自分と一緒に生まれていなければ——ユウはもっと元気だったのではないか。
そんなレイに、僕は言う。
「あのね、レイが僕より、いや——誰よりも元気なのは——」
ジリリリリリリリリリリリリィ
「おい、レイ!いい加減起きろ!いつまで寝てるつもりだ!」
「…アサヒ目覚まし止めてぇ〜…」
「自分で止めろ!朝飯できてるから降りてこい!」
「おら、お前の服!」
無造作に投げられた服を受け取りながら、レイはゆっくりと起き上がる。
その直後、荒い足音が階段を降りていった。
(ユウの夢、見てた気がするけど……思い出せないや)
少しだけ考え込んだあと、気を取り直して着替え始めた。
春のやわらかい空気が心地よくて、また眠くなりそうになる。
今日は春休み明け、最初の登校日。入学式の日だ。
「ほんとは、まだ寝てていい時間なのになぁ……」
小さくぼやきながら階段を降りると、
いい匂いが廊下まで流れてきた。
「おっはようございまーす!レイさん!」
「おはよう、ごうだ。朝から元気だね〜…」
「レイさんが夜更かししすぎなんですよ!昨日も遅かったでしょ!」
「いやいや、寝てたって」
「俺、電気ついてたの知ってますよ!物音もしてたし!」
「それ私じゃなくて幽霊じゃない?」
「…えっ」
ぴたりと固まるごうだ。
大柄な体を縮こまらせるその様子に、思わず笑いそうになる。
あの体で幽霊が苦手なのだから、見た目との落差がすごい。
「朝から楽しそうね。ごうだ」
「ぎゃああぁーーー!…ってミツカさん驚かさないで下さい!」
「あんたが朝から楽しそうに『私の』レイと話してるから悪いのよ」
「ミツカちゃんおはよう〜」
「ふふ、おはようレイ」
「朝ごはんできてるから、一緒に食べましょう」
背の高いショートカットの女性——ミツカちゃん。モデルのように整った手足と、小さな顔立ちが印象的だ。
「二人して楽しそうに何話してんの〜!朝ごはんたべようよ〜」
「うぉ!ナオくん重いっす!」
「うげぇ!ナオどいて〜…」
「ちょっと、ナオ!レイから退きなさい!ごうだはいいけど」
「俺もどいて欲しいです!」
廊下の会話に混ざりたかったらしい。
声をかけてきたのは、超絶美形の男。
いわゆる“イケメン”だが、取り柄は顔だけの悲しい男である。
「いや、顔以外にもあるから!」
「何大きな声出してるんですか?ナオくん」
「ストレス溜まってるんじゃない?」
「この間、女の人だけじゃなく職場のおじさんにもストーカーされてたしね〜」
「てめぇらいつまで廊下で駄弁ってんだ!はやくリビングに来い!」
朝から血管が切れそうな勢いのアサヒの一声で、皆リビングへ向かった。
しゃもじを片手に持っているあたり、今日も朝ごはんはアサヒが作ってくれたらしい。
「あれ?朝から乙さんがいるの珍しいね」
「飯食いに寄っただけだ。すぐに出る」
「…誘拐事件がこうも立て続けに増えれば警察も大変でしょう」
そう言いながら、ミツカがリモコンを手に取る。
テレビをつけると「連続誘拐事件の犯人は今どこに」というニュースが流れていた。
——襲ったとされる犯人の車は映っているものの、ナンバープレートは偽造されており、特定は難しく、現在警察が行方を追っています——
アナウンサーの声が聞こえてきた。
「そういうお前も朝早いな、今日は大学の入学式でも四年生には関係ないだろ」
「言われてみれば今日のレイちゃん早起きだね。何かあるの?」
「いや〜それにはちょっと事情がありまして…」
「こいつが教授のノートパソコン、真っ二つにしたからその詫びに今日手伝いに行くんすよ」
「アサヒクン!お口チャック!」
「レイちゃんやっっば」
「何したら人のノートパソコン真っ二つに出来んだよ」
「わざとじゃないよ!」
そんなレイを横目に、二人は引きつった顔をしていた。
言い訳を探そうとしているレイに、「とっとと食え!間に合わねぇぞ!」と急かす声が飛ぶ。
「あれ?ユズキは?どこにいるの?」
「あいつはもう食い終わって歯ぁ磨いて出る準備してる」
「もう!?早くない!?」
「お前の一時間はやく起きてるからな」
まずい、このままじゃ置いていかれる——そう思ったレイは、勢いよくご飯をかき込んだ。
その時だった。
「イッテキマース」
と、なんとも怠そうな声が廊下から聞こえてきた。
すぐに足音が、玄関の方へ遠ざかっていく。
レイは茶碗と箸を手に持ったまま、慌ててその後を追った。
「ちょっと待って!おはようユズキ!」
「いや、おせぇよ。寝ぼすけ」
そう怠そうに言い放ったのは、ユズキだった。
ユズキは靴を履きながら次の言葉を言った。
「おい!ごうだ!バイクのキー借りっぞ!」
「いや、ダメですよ!ユズキさん、運転荒いから俺の可愛いバイクに傷がつく恐れがあります!」
「待て待て!だったら私が運転してあげるから一緒に行こう!」
「絶対にやめてください。傷つくどころかバイクが分解されます」
自分の名前が呼ばれて慌ててリビングから顔を出すごうだ。
この二人にバイクを貸したら、無事では帰ってこない気しかしない。
そんな自信を持っていた。
「そもそもこの時間だったら歩いて行っても問題ないでしょ!」
「ケチだなお前」
「いーじゃん別に。壊れても」
「いいわけないでしょ!何言ってるんすか!?」
ていうかなんで壊す前提で話しているんですか!と怒るごうだを尻目に外に出ようとするユズキ。
「人の話聞いてます!?」
「聞いてねぇ。じゃあな」
「え!待って、私も一緒に出る!」
「…30秒だけ待ってやる」
「うん分かった!」
「そこは3分間じゃないんですね」
「アサヒ荷物なげてー!」
「自分で取りに来い!」
そう言いながらリビングへ戻るレイを見て、ごうだは思わずツッコミを入れる。
ていうか、30秒で支度なんか無理じゃ…と思いつつ見守っていたが、そんな心配はご無用だったらしい。走りながら笑顔でこちらに向かってくるレイがいた。
「お待たせ!行こう!」
「はや!」
「時間を守ったことは褒めてやるが、手に持っている箸と茶碗は置いてけよ」
「あっ」
すると後ろから、「茶碗と箸は置いてから外にでろ!」という声が聞こえた。
朝から疲れただろうアサヒくんには、後で甘いものでも奢ってあげようと、心の中で思うごうだであった。
「ごうだ!これ頼んだ!」
「はい、いってらっしゃいませ!」
「二人ともちゃんと寄り道せず大学行けよ!」
「相手に怪我させんなよ」
「証拠隠滅は忘れないでね!」
「ユズキ!レイに怪我させたら承知しないわよ!」
「お前らは私らがどこに向かうと思ってんだよ」
立ち話をしている間に、いつの間にかみんなリビングから出てきていた。
見送りがあるのは、やっぱりありがたい。
「じゃあ、みんな!行ってきます!」
いい天気で良かった。さて、大学に向かおうか——。




