第1章『開幕』⑩
静まり返った病院の待合室。
ユズキは大きなため息をつき、自分の頭を撫でた。
「……乙の野郎、オモックソ殴りやがって……。」
頭にコブでもできたんじゃないかってくらいのゲンコツを食らった三人——ユズキ、レイ、ごうだ。
宣言通りのお説教とハイパーゲンコツ(すごく痛い)をくらい、とりあえず病院に送らされた。
乙さん曰く、重症の警察官と子供は救急車へ。
軽症のお前らは自力で病院へ行けとのこと。
なので、応援に来た警官の車に乗せられ、そのまま知り合いの病院まで運ばれた。
待合室の奥から、その様子を見ていた一人の女性は、呆れたように口を開いた。
「お前らは、やんちゃしないと死ぬ病気にでもかかってんのかぃ」
「お、先生。ごうだ、どう?」
「検査したけど、異常はないよ。ちょっと待てな、今連れてくるから」
「いいよ、先帰るから。ごうだにも先帰ったって言っといて」
腰を上げて今にも帰りそうなユズキに、呆れ顔をする先生。
「まったく。昔から自由奔放な奴らばっかりだね」
「なんだ?褒めてくれんのか?」
「まったく……褒めてないよ。で、レイも帰ったのかい?」
「いや、あいつは教授に説教されてる」
指差された方へ視線を向けると、外で電話をしながら頭を下げ続けるレイの姿があった。
謝罪の電話だと分かるその姿に、思わずため息をつく。
「ということで、金はつけとけ。後で払いに行く」
「……金はいいから、とっとと帰りな」
「わりぃな」
本当に悪いと思ってるのか分からない声に、先生はわずかに眉をひそめた。
ユズキが腰を上げ、病院を出ようとする。
その背中を見て、最後に一言、これだけは言っておきたかった。
「ユズキ!」
「あー?」
怠そうに振り向く。
「ケガすんじゃないし、させんじゃないよ」
振り向いた顔はすぐに戻され、手だけを上げて返事をした。
「あ、ユズキ!ごうだは?帰るの?」
「帰るわ。ごうだは無事。お前も電話終わったんなら、先生に顔見せてから帰れよ」
「はーい!」
教授との電話を終えたらしいレイがユズキに声をかけ、そのまま病院の中へ戻っていく。
さっきまでボロクソに言われて、凹んでいたくせに、もう元通りらしい。
レイを見送り、ユズキは再び歩き出した。
——目の前には、先ほど病院まで付き添ってくれた警官が立っていた。
「どうした、なんか用か」
「……。」
警官は頭を上げない。
そのまま、深く頭を下げ続ける。
「……本当にごめんなさい!俺が、俺が見逃さなかったら……!」
出てきたのは、謝罪の言葉だった。
——どうしても、顔をあげることができなかった。
自分の判断が脳裏に焼き付いて離れない。
自責の念に押され、顔があげられない。
怒られるだろうか。
呆れられるだろうか。
それとも、軽蔑されるだろうか。
女の次の言葉に怯えながら待つ。
しかし女は違った。
「別に、はなから期待してねぇよ」
警官は顔をあげ、女の顔を見る。
その声には憤りはない。
軽蔑を向けるような眼差しでもない。
——完全なる無だ。
女は、警官の横を通りすぎた。
あぁ、これなら罵倒でもされ、蔑んだ目で見られた方がマシだった。
警官の顔には、羞恥と絶望が入り混じっていた。
静まり返った夜道に、ぐったりとした声が漏れる。
「ごうだ〜……、帰りコンビニ買って帰ろ〜……」
「レイさーん……、コンビニは買えませんよ〜……。コンビニ「で」買うんですよ〜……。それにこれ以上遅くなったらアサヒくんの説教が十倍に増えますよ〜……」
げっそりとした顔の二人は、すっかり意気消沈していた。
疲弊ももちろんだが、この後に控えている“アサヒの説教イベント”に、二人そろって肩を落としている。
想像しただけで恐ろしく、そして面倒くさいイベントだ。
でも、回避はできないから、遠い目をするしかなかった。
———ヴゥーヴゥーヴゥー
不意に、レイのポケットの中から携帯が震える。
誰からだろうか。
携帯を取り出して、画面に目を落とす。
「……あぁー!」
「!?そ、そんな大声出してどうしたんすか?」
「やばい!私、やっぱりコンビニ寄ってくる!」
「はぁ?!何言ってるんですか!だめですよそんなの」
「これ見て!」
ぐい、と目の前に差し出された画面を、ごうだは思わず読み上げる。
「『ゴリゴリ君ビーフシチュー味、新発売!数量限定!』……これがどうしたんすか?」
「食べてない!」
「……へ?」
「だから!あいつら追うのに荷物、コンビニに置いてったから」
「買ったゴリゴリ君溶けちゃって食べれなかったんだよ!」
ものすごく悔しそうにしているレイに、一瞬言葉を失う。
だがすぐに考え直し、呆れた声を出した。
「明日でもいいでしょーが!」
「でも!これ数量限定ですごく人気だから、あったらラッキーくらいのプレミアもんなんだよ!」
「明日には絶対なくなってるって!」
「いやでも」
「大丈夫!買ったらすぐ帰ってくるから!」
「ちょっとレイさん?!」
「じゃあ行ってくるー!」と元気よくそう言い残し、レイはそのまま駆け出していった。
走り去る彼女の後ろ姿を見て、ごうだは深くため息をつく。
ああなってしまった彼女を止めるのは、ほぼ不可能だ。
仕方ない、先に帰ろう。そう思って足を動かした——その矢先だった。
プッ
軽いクラクションの音。
邪魔だったか?そう思い端に寄るが、振り返った先に見えた車に、思わず目を細める。
見覚えがある。
——乙さんの車だった。
運転席から窓を開け、乙さんが顔を出す。
「乙さん!お疲れ様です!」
「あぁお疲れ。そして乗れ」
「え、」
「あの『女』が家にきた」
「……。」
「行くぞ」
いつか来るとは分かっていた。
———分かっていたが、来ないでほしかった。
あぁ、舞台のカーテンに手がかかる。




