ローマの美食家と焦げたハンバーグ事件 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
※
「よし、これで準備万端だ」
日曜日の午前十一時。
小学五年生の匠はキッチンに並べた食材を前に、武者震いをしていた。
まな板の上には、昨日お小遣いをはたいて買った合い挽き肉のパック。玉ねぎ、パン粉、牛乳。
今日の匠には重大なミッションがある。
それは、先週転校してきたばかりのクラスメイト、ユウト君を家に招いてのランチ会だ。
「雑誌には『料理ができる男子はモテる』って書いてあったし……ここで美味しい手作りハンバーグを振る舞えば、ユウト君ともすぐに仲良くなれるはず!」
鼻息荒く意気込む匠の足元では、ミニチュアダックスの『きなこ』が「何か落ちてこないかな」と期待に満ちた瞳で上を見上げている。
「ごめんねきなこ、これはユウト君用だから……よし、まずはトイレに行っておこう」
匠はエプロンを外し、一度廊下に出た。
キッチンへと急いで戻ろうとした、その時だ。
「――――パンとサーカス……」
廊下の向こうから、気取った低い呟きが聞こえた。
ビクッとして見やると、そこには異様な出で立ちの人物が壁にもたれかかっていた。
姉の真綾だ。
しかし、その格好はどう見ても普通ではない。
客用の白いシーツを体に巻き付け、古代の彫刻のようなドレープを作っている。
頭には、庭の月桂樹をむしって作ったであろう緑の冠。そして片手には、100%ブドウジュースが注がれたワイングラスを優雅に揺らしていた。
「『パン(食)』と『サーカス(娯楽)』さえ与えておけば、愚かな民衆は満足する……ローマの統治なんて楽なものね」
真綾はグラスの中の紫色の液体を見つめ、陶酔したように独りごちる。
匠は一瞬足を止めたが、すぐに「関わったら負けだ」と悟った。今はハンバーグ作りに集中しなければならない。
「……で、今日の『パン(昼食)』は何? 弟よ」
すれ違いざま、真綾がアンニュイな視線を投げてきた。
「……そのシーツ、染みになったら自分で洗濯してよね。あと、邪魔」
匠はできるだけ姉に関わらないように通り過ぎる。
姉ちゃんは高校受験を控えた中学三年生のはずだが、古代文明オタクでなりきりが激しい。
今日は古代ローマ貴族の日らしい。
関わったら、いつもの変な歴史講義が始まってハンバーグが焦げてしまう。
匠は逃げるようにキッチンへ戻り、フライパンに火を点けた。
◇
――十分後。
キッチンには、絶望的な匂いが充満していた。
香ばしい肉の香りではない。鼻を突く、炭化と油煙の臭いだ。
「うわあああ! なんで!? 強火でカリッと焼くんじゃないの!?」
換気扇が唸りを上げる中、匠はフライパンの中身を見て悲鳴を上げた。
そこにあるのは、ふっくらとしたハンバーグではない。
表面は漆黒の闇のように焦げ付き、慌てて割ってみれば、中は赤黒い生焼けのひき肉がドロリと顔を覗かせている。
完全に、失敗だ。
「ど、どうしよう……ひき肉はもうないし、お小遣いも……」
ピンポーン。
無情にも玄関のチャイムが鳴り響いた。
ユウト君だ。
約束の時間通りに来てしまった。
「お、終わった……」
匠はその場に崩れ落ちた。
料理上手だと見栄を張って呼んだのに、出てくるのはこの産業廃棄物のような黒い塊。
友達になるどころか、『なんだこいつ』と呆れられる未来しか見えない。
「クゥ〜ン……」
きなこが心配そうに近づき、匠の頬をペロリと舐める。その温かさが、余計に惨めさを際立たせた。
「……何この煙。ゲルマン民族の焼き討ちにでも遭ったの?」
不意に、背後から凛とした声が降ってきた。
涙目で振り返ると、そこにはまだシーツ(トガ)を纏ったままの真綾が立っていた。
しかし、その表情は先ほどのアンニュイなものではない。
泣きそうな弟と、フライパンの中の黒い物体を交互に見つめ、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めている。
「姉ちゃん……ハンバーグ、失敗しちゃった。もう材料もないし、ユウト君来ちゃったし……俺……」
言葉にならない。
真綾は一つため息をつくと、バサリとシーツの裾を翻した。
「……なるほど。兵糧(ひき肉)は尽き、敵軍(客)は門前か。絶体絶命ね」
「うぅ……」
「でも、匠。ローマは一日にして成らず。しかし、ランチは一瞬で挽回できるわ」
真綾はキッチンの冷蔵庫を勢いよく開くと、中身を素早く吟味する。
残り物の豚ひき肉が少し。食パンが一枚。ナッツの袋。そして調味料の棚。
「……十分よ。賽は投げられたわ」
真綾は匠の肩を強く叩いた。
「匠、あなたはユウト君をリビングに通して、きなこと遊ばせておきなさい。その間に、この私が『本物』を見せてあげる」
「え? でも、ハンバーグは……」
「ハンバーグ? そんな十八世紀ドイツ生まれの田舎料理じゃないわ。もっと歴史ある、もっと偉大な……全てのひき肉料理の原点を見せてあげるのよ!」
真綾の瞳に、頼もしい炎が宿る。
匠はわけがわからないまま、姉の迫力に押されて「お、お願いします!」と頭を下げ、玄関へと走った。
◇
「ごめん、ちょっと仕上げに時間がかかってて!」
匠がリビングでユウト君に必死で取り繕っている間、キッチンからは不思議な音が聞こえてきた。
肉を焼く音だけではない。
ゴリゴリと何かをすり潰す音。
そして、嗅いだことのない、エキゾチックで濃厚な香りが漂ってくる。
「……ねぇ匠くん。なんか、すごい本格的な匂いしない? お店みたい」
ユウト君が鼻をクンクンさせている。
「え、あ、うん! 秘伝のレシピなんだ!」
―――十分ほどして。
お盆を持った真綾が、シーツ姿のまま恭しくリビングに現れた。
「お待たせしました、ローマの高貴なる市民たちよ」
「えっ、お姉さん……その格好……」
「気にしないでユウト君。姉ちゃん、劇の練習中なんだ」
匠が慌ててフォローする中、真綾は優雅な手つきで音もなくテーブルに料理を並べる。
そこに乗っていたのは、いつものハンバーグとは全く違う料理。
パンには挟まれていない、小ぶりだが厚みのあるパテが二つ。表面はこんがりと焼け、そこから溢れる肉汁と、独特のソースの照りが食欲をそそる。
「ど、どうぞ……召し上がれ」
匠もおそるおそるナイフを入れる。
サクッとした感触。
一口サイズに切って、口に運ぶ。
――その瞬間、口の中で旨味が爆発した。
「……ん!?」
まず感じるのは、肉の力強い旨味。
しかし、それだけではない。
噛むたびに「カリッ、コリッ」と香ばしいナッツの食感が弾け、濃厚なコクが広がる。
極めつけはソースだ。
甘いような、でもしょっぱいような……魚介の旨味が凝縮された不思議な風味が、肉の脂と絡み合って、強烈にご飯が欲しくなる味になっている。
「うまっ!! なにこれ、すげー美味い!!」
ユウト君が目を丸くして叫んだ。
「普通のハンバーグより肉っていうか……噛むとナッツの味がして、このソース最高! ご飯おかわりしていい!?」
「あ、うん! どんどん食べて!」
匠も夢中で頬張った。失敗した黒焦げハンバーグとは雲泥の差だ。
いや、お店で食べるハンバーグよりも美味しいかもしれない。
足元では、きなこが匂いに釣られて真綾の足元にすがりつき、必死に僕にもちょうだい!とアピールしていた。
◇
「マジで美味かった! また遊びに行ってもいい?」
完食したユウト君が笑顔で帰った後。
匠はキッチンで片付けをしている真綾の背中に声をかけた。
「……姉ちゃん。助かったよ、本当に。ありがとう」
真綾の手がピタリと止まる。
「あの料理、すごかった。ハンバーグじゃないよね? 何て料理なの?」
真綾は振り返り、少し得意げに眼鏡の位置を直した。
「あれは『イシキア・オメンタータ』(isicia omentata) 紀元前一世紀のローマの美食家、アピキウスの料理書第2巻『挽肉料理』にある、最古のハンバーグの祖先よ」
「イシキア……?」
「そう。ハンバーグのつなぎに牛乳なんて使わない。ローマ人はね、パンの中身を『赤ワイン(今回はブドウジュース)』に浸して肉に混ぜ込むの。そして松の実やクルミを砕いて入れ、食感とコクを出す」
真綾は空になったナンプラーの瓶とハチミツの容器を指さした。
「そして味の決め手は、古代ローマの万能調味料『ガルム(魚醤)』現代で言うナンプラーよ。これにハチミツと荒挽き胡椒を混ぜれば、甘じょっぱくてスパイシーな、ローマ伝統の『甘露』の味が完成するのよ!」
匠は呆気にとられた。
あの時、冷蔵庫にあった残り物だけでそんな古代のレシピを再現したのか。
ナンプラーとハチミツなんて、普通なら混ぜようとも思わない。
「……すごいな、姉ちゃん。歴史オタクもここまでくると魔法使いみたいだ」
「ふん。勘違いしないでよね」
真綾はプイッと顔を背けた。
「あくまで、古代のレシピが現代人の舌……特に、味音痴な子供たちに通用するかどうかの『実証実験』をしたかっただけよ……ま、匠の顔がさっきの死にそうな顔よりはマシになったから、実験は成功として記録しておくわ」
ぶっきらぼうに言いながらも、その耳たぶがほんのりと赤いことを、匠は見逃さなかった。
弟のピンチを救うために、必死に頭を回転させてくれたのだ。
「ワンッ!」
その時、きなこが真綾のエプロンのポケットに鼻を突っ込んだ。
真綾が慌てて取り出すと、そこには調理で余ったクルミが入っていた。
「こら、きなこ! これはローマ市民の税金よ! 勝手に横領しないの!」
「ワフッ!」
きなことじゃれ合うシーツ姿の姉を見て、匠は自然と笑みがこぼれた。
うちの姉ちゃんは変人だ。
でも、その変な知識と行動力は、時々こうやって魔法みたいに俺を助けてくれる。
「……で、姉ちゃん。これ片付けどうすんの? フライパン、焦げ付いてるけど」
匠が現実的な質問をすると真綾はハッとして、ササッとシーツの裾を掲げた。
「ローマでは、宴の後片付けは奴隷の仕事と決まっているの……というわけで、あとは任せたわよ、弟君!」
「えっ、ちょっ、待てよ!」
「きなこ、撤退よ!」
真綾は脱兎のごとく自室へと逃げ込み、取り残された匠は焦げ付いたフライパンと、美味しかった料理の余韻に囲まれて、大きなため息をついた。
「……やっぱり、変人だ」
それでも、キッチンに残る甘じょっぱいローマの香りは、失敗した焦げ臭さを完全に消し去ってくれていた。
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
明日01月18日(日曜)17時30分に第2話を投稿いたしますので、そちらもご一読いただけましたら幸いです。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
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『転生式異世界武器物語』
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※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




