76話 あの少女を片付けろ
「世界を創り直す、って……、そんなむちゃくちゃな……」
「無茶であっても、俺はやらなければならない。……これ以上は平行線だな」
「待ってよ……っ! ノワールの言うことは分かったよ。ノワールなりに信念があることも。だけど、悪いことも何もしてなくて、何も知らずに飴の実験に巻き込まれて、そのまま捨て置かれた人はどうするつもり!? これがノワールが創りたい世界なの……っ!? こんなの……、救われない人が入れ替わるだけだって、気づいてよ……っ!」
「ならば、このまま……。生まれた時から虐げられ、希望がない者は、そのまま一生を終えるのが正しいか?」
「それは…………」
「何かを成すには、何かを捨てる覚悟が必要だ。何を犠牲にして何を成すか。……俺は、理不尽に奪われたものをこの手で取り戻す」
ノワールはシオンを見つめて、一瞬だけ優しげな表情をみせると、淡々と述べた。
「綺麗な世界だけ見ていたいのならば、……傷つきたくないのならば、これ以上は俺には関わるな。…………それがお前の為になる」
「……なんだよ、それ。……傷つきたくなんかないよっ! 平々凡々に生きてきたんだもん、ノワールの気持ちなんて想像も出来ないよっ! ……だけど、ノワールがやってることは苦しむ人を生み出してる。そんなの見過ごせないの……っ!」
シオンは震える拳を握りしめて、真っ直ぐにノワールを見つめた。
「何が正しいのか、正解なんて分からないけど……、ノワールがやってることは、きっと取り返しがつかないことになる。だから、私は……、ノワールが救おうとしている人に恨まれたとしても、貴方を止める……っ!」
震えるシオンを、ノワールが冷たい瞳で一瞥した。
「…………そうか。残念だ」
ノワールが片手を上げて、シオンへ向ける。
「お前が俺の行く手を阻むのならば、容赦はしない」
ノワールの手のひらから禍々しい黒い魔力が溢れ出して、シオンに向かって襲いかかる。シオンは思わず、顔を腕で庇って目を閉じた。
「…………っ!」
ドン……ッ、とシオンの身体に衝撃が走る。
「……っと、空間の歪みを察知してみれば、ドンパチ中か。まったく、間がいいのか悪いのか……。嫌になるねぇ」
攻撃魔法に反応して起こった空間の歪みに気がついたフジが、ノワールのかけた魔法を解いて現れた。
間一髪でシオンの肩を抱えたフジは、壁にぶつかって飛び散る闇魔法を煙に変えて消し去った。
「おにー、さん……?」
呆けているシオンに、フジが声を荒らげた。
「……おいっ、シオンッ! ぼんやりするな……っ! あいつは本気だ、逃げなきゃ死ぬぞ……っ!」
シオンが振り返ると、さっきまで居た場所がぐちゃぐちゃに抉れている。あんなもの、生身の人間が当たっていたら防御魔法なんて紙切れ同然だ。
(……ノワール、本当に私を殺そうとしたんだ……)
シオンはその場で腰を抜かして、へたりこんでしまった。その様子をまるで些末なことだと言わんばかりに、ノワールは冷たい視線で見下ろしていた。
「……ったく! 言わんこっちゃないな……! だから温室育ちのお嬢さんには、刺激が強すぎるって言ったんだ……っ!」
フジはそう言って、ぐいっとシオンの腕を引っ張りあげて立たせると、「走れ!」と叫んで引きずるように駆け出した。今のシオンは引っ張られるがままに、ただただ足を動かしているだけの状態だった。
その後ろ姿を、ノワールは追いかけるわけでもなく眺めていた。
「なんだ……? 殺そうとした癖に、追いかけては来ないのか……?」
振り返ったフジが、不思議そうに小さな声で呟いた。
◇ ◇ ◇
「…………何を、迷っている。たかが一度、助けただけの相手だ。……まさか、シオンを殺さずにすんで、ほっとしているのか……?」
ノワールは自分の中に芽生えた感情に、戸惑いと驚きを隠せなかった。
「ノワール様、護衛もつけずにお一人で行動はなさらないで下さい」
「藍焔か。……あの、フジとかいう男。お前の関係者だったぞ」
「どうせ愚弟の取り巻きでしょう。放っておけば、いいですよ。……それよりも、予言の子を追いかけなくて良いのですか?」
藍焔の問いかけに、ノワールは一瞬だけぎこちなく動きを止めた。藍焔でなければ、その僅かな動揺を見逃していただろう。
「……放っておけ、ただの無力な少女だ。戻るぞ」
そう言うと、ノワールは藍焔を一瞥し、霧の中へと姿を消した。
「……そうですか。…………そこにいるな?」
ノワールが居なくなった路地裏で、藍焔が小さな声で問いかけると、どこからともなく顔を黒い布で覆った男が足音一つ立てずに姿を現した。
「あの少女を片付けろ」
「御意」
普段の丁寧な印象とはかけ離れて、『影』に向かって命令口調で淡々と告げる藍焔からは、一切の感情を感じられない。
眼鏡の奥の瞳は、どこまでも冷たく無機質で何も返さず写し出すだけのガラス玉のようだった。
『影』は命令を聞くや否や、またすぐに暗がりに姿を消した。
「……それにしてもまさか、ノワール様でも情が湧くことがあるだなんて、本当に驚きましたよ。ですが、だからこそ……、不安要素の芽は潰しておかねばなりません。……情に絆されてしまうと……、いつか、足元をすくわれかねませんからね」
藍焔は、暗がりに視線を落として呟いた。
「恨まないで下さいね。これは、貴方の為なのですから」




