75話 世界を壊して創り直す
「なんで、そんなこと……っ」
そう、声を絞り出すのがやっとだった。
シオンは信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。
「……その質問に答える前に、俺の問いに応えろ。シオン、お前はこのスラムを見て、どう思った」
「それは……、子供が……、うぅん、大人だって暮らせる環境じゃないって思ったよ」
「それで?」
「……それ、で?」
ボロボロの服の人を見て、帰る家がない人を見て、可哀想だと思った。けれど、シオンの思考は常にどこか他人事で、そういう人たちとして、ここに存在していると漠然と受け入れてしまっていた。
「何とかしたい、とは思わなかったか?」
「それは、思うよ……。でも、仕方ないじゃんっ! 私には、どうにも出来ないんだもん」
ノワールは、ただ問いかけただけだ。それなのに、見て見ぬふりをして救おうともしなかった、うしろめたさから責められているような気分になって、思わずシオンは声を荒らげた。
「あぁ、そうだな。仕方がないことだ。一人の人間がどうにかしてやれることでもない。だが、俺は……、弱く虐げられている者たちを、偽物の統治者たちから救いたい。……それが、俺の使命だ」
ノワールの真剣で真っ直ぐな眼差しに、シオンは息を呑んだ。
「シオンは、スラムの人間を愚かで救いようがないと思うか? スラムに生きる者は人間では無いと思うか?」
「そんなこと、思うわけないっ! 生まれた場所が、生きる環境がそうであっただけで……、私と同じ人間だもん! そんな酷いこと、言われていいはずない!」
「ならば、日陰に生きる者たちも……、光を浴びて、幸せになる権利があると思うか?」
「あるよ! っていうか、幸せになるのに、権利なんていらない! 誰だって幸せになっていいんだよ。違う……?」
シオンが恐る恐る訊ねると、ノワールが首を横に振った。
「いや、違わない。……全ての人間がシオンのようだったら、俺もこんなことは考えなかった」
そう言ったノワールは、全てを諦めたような、それでも這い上がろうとする力強い目をしていた。
「ね、ねぇ! ま、待ってよ……。なんで、救いたいって話が……、皆を苦しめてる審判の飴に繋がるわけ? おかしいじゃんっ! 世界中に拡げてるのがノワールってことなんでしょ!? あっちこっちで苦しんでる人がいるの、知らない訳じゃないよね!?」
「あぁ、分かっている。それは全て、俺の咎だ。そして、誰に憎まれても、俺はやらなければならない」
「何を…………」
「ここのスラムに限らない話だ。力が無いものが虐げられ、生まれついたままに光を知らず、スラム一生を終える者もいる。スラムで生まれてさえいなければ、優れた才能を開花させていたかもしれない者も、生まれながらに才能もない奴らにその席を食い潰されて、芽を出すことなく消えていく」
おかしな話だろう、とノワールは言った。
「未だ発展途中の未熟な世界だから、仕方がないと割り切るのか? ならば、完成するのはいつだ。誰が完成させる? 俺は……、永い時間の中で、未だ力無き者の救われる世界が訪れていないことを知っているというのにっ!」
ノワールの強い口調に、びくり、とシオンが肩を震わせた。
「子供だからと無能な大人に虐げられていいはずがない。抗う力の無い者に力を与える。将来、花開くはずだった才能を引き出す薬、それが審判の飴だ」
「でも、審判の飴を食べても、適合しなかったら暴走しちゃうんじゃ……」
「今までは、な。だが、アムレートが完成させた。もう、暴走することはない」
「今までばらまいてたのは……、実験、する……ため?」
「最終的な調整は人体実験でしか、分からないと言っていたからな」
「そんなのっ、何を考えて……っ!」
「…………試作品の審判の飴は、価格を高騰させていた。まともに生きている者には、渡らないようにな。手に入れることが出来る者は、スラムに棲み弱者を虐げる愚者。そして、豊かな生活を享受しながら怪しげな薬に手を出すような愚者ばかりだ」
「……だったら、なんで学園でばらまいたの!? 何も知らない生徒たちに……、ジンクスなんて仕組みまで作って……!」
「ジンクス……?」
「知ら、ないの……」
シオンの言葉にノワールは首を捻ると、腑に落ちたように眉をしかめた。
「学園都市は……、アンジュだったか。……何も知らぬ子供たちに拡めたと報告はない。……私怨で手を出したか。…………それについては、すまないことをした。今後は辞めさせると約束する」
「……っ、そんな簡単に……、謝られたって……」
許せるわけがない。
フリージアは、審判の飴のせいで、命まで落としそうになったというのに。
「新たな審判の飴は、暴走することなく潜在能力を引き出せるだろう」
「だったら、潜在能力がなかったら? 悪い奴に力を与えちゃうだけなんじゃないの!?」
「覚悟ある者には、抗う為の力を……。リスクを負う覚悟さえあれば、強制的に力を得ることも出来る。自身の現状を変えようと足掻く者は、必ず救われる」
(ノワールが言ってることは分かる。いなくなればいいのにって思うような奴で実験して、助けてあげたい人に力を与える。倫理観無視なアムレートがやりそうなことだけど、その中にノワールなりの良心だって感じる。でも……、こんなことで、本当に世界は良くなるのかな……)
いくら、ノワールが弱い人たちに力を与えても、この薬を使って悪い奴だって力を手に入れられるようになる。それに弱い人たちが皆、善人なわけじゃない。
シオンには、世界を壊そうとしているようにしか見えなかった。
「……やっぱり、おかしいよ……! そんな事しても世界は良くならないよ! うぅん、世界が無秩序に壊れちゃう! 力を持つ人が変わったって、虐げられる人が入れ替わるだけじゃん!」
シオンが叫んでも、想定内だというように、ノワールは気にする素振りもない。
「本当にそうか? ……お前は力を持ったとして、その力を悪いことに使うか?」
「使わ、ないけど……」
「悪とは何か、善とは何か。それは環境や統治者によっても変わるだろう。ならば、健全な世界とは何か」
ノワールは両手を拡げて言い放った。
「力という他者を従わせる基準が平等になった時、正しき者は正しいことに力を使う。――俺は、そんな者達を集めて、この世界を創り直す」
その瞬間、シオンは悟った。
――ノワールとは、相容れることはないのだと。




