58話 お姉ちゃんだから
「誰が泣いてたって……姉貴にだけは笑ってて欲しいのに……。よりにもよって、俺が……、兄貴が……、あの笑顔を壊すのかよ……」
こっそりと病室を後にしたヴォーロは、廊下のベンチに腰かけて一人項垂れていた。
「……ヴォーロ、兄さんと……何かあったんだろう?」
今は一番会いたくない相手、ネージュが様子がおかしいヴォーロに気づいて声をかける。
「……私には話せないのか?」
「…………」
「それとも、話したくないのか?」
ヴォーロが顔を上げると、何かを察しているのか、ネージュは眉をひそめて困ったように笑った。
「ヴォーロが兄さんのことを好きではないのは分かってる。けれど、そんな顔をしている時は私を想って何かを隠そうとしてる時だ。違うか……?」
「…………。姉貴には、話したくなかった。俺が言いたくねぇって言ったら姉貴は無理に聞こうとはしないだろ? だから……、隠せるもんなら隠しておきたい」
「……そうだな。ヴォーロのタイミングで話してくれれば私は構わないよ」
「……ははっ、だよな。……けどさ。隠しておく方が姉貴が傷つくのも知ってんだ、俺たち、双子だもんな。ずっと一緒にいたもんな。…………言うよ。兄貴は……あいつが、審判の飴を造った最悪の研究者だ」
決死の覚悟で告げたヴォーロに、「そうか」とネージュは短く応えた。
「……薄々、そんなことじゃないかと思っていたよ。……そうじゃなければいいな、とも」
「…………姉貴」
「私は、……っ、大丈夫だ。シオン達もこのことは知っているのか?」
「……っ。姉貴と、フリージア以外は知ってるよ」
「……そうか。フリージアには……、いや、今も意識のない患者たちには恨まれるだろうな」
「……ッ、何言ってんだっ! 姉貴は何も悪くねぇ! 悪いのはあのクソ兄貴だけだ! 姉貴はずっと……ずっと、被害にあった奴らを救おうとしてただろ……っ!」
ヴォーロの叫び声が廊下に響く。
「それでも、兄さんは私の家族だ。世界一の医療研究者としての栄光欲しさに、自作自演だと考える者も出てくるだろう。そうでなくとも、身内というだけで、怒りの矛先は私に向いてもおかしくないさ」
淡々と冷静に分析するネージュに食い掛かろうとするも、今は何を言っても慰めにはならないと分かってしまい、ヴォーロは自身の無力さを嘆いて拳を握りしめた。
「言いづらかっただろう……。すまない、こんなことを言わせて。私のことは心配するな。あの兄さんのことだ、腑に落ちたとでもいうべきか……そんなにショックは受けていないさ」
ヴォーロの背中をぽんと叩いて、ネージュがカラカラと笑う。
「落ち込むのは今ではない。今は私の責任を果たさねば」
真っ直ぐと先を見据えて、前だけ向いた発言をする姉の姿は幼い頃から変わらず格好良いままで、ヴォーロはそれが誇らしくて、寂しくて、負けじと気丈に振る舞った。
「そうだな。こんな時こそ、俺らがしっかりしねぇとな! そうだ、イオンに用があったんだったわ。悪ぃ、姉貴。ちょっとアイツのとこに行ってくる」
「あぁ、私もフリージアの検査結果をまとめたらすぐに戻る」
ネージュの元を去ったヴォーロが廊下を曲がると、心配して後をつけてきていた様子のイオンが、申し訳なさそうに聞き耳をたてていた。
「「………………」」
お互い、示し合わせたように声を出さずに、曲がった先に姿を隠す。二人の視線は、残されたネージュを見つめていた。
冷静で、怖いものなどないかのように見える強い女。
そんな印象がしっくりくるネージュが、ヴォーロの姿が見えなくなった途端に、その場にへたりこんだ。
「……っ、……ぅ、ふ……っ」
壁に手をついて、ずるずると座り込むネージュ。自分の口を片手で塞ぎ、嗚咽が漏れる。
声を殺して涙を流すネージュに、ヴォーロは悔しそうに顔を歪ませた。
「……姉貴は、絶対に俺の前では泣かないんだ。姉貴の中で俺は、いつまで経っても、どんなに大人になっても守るべき弟で、弱音を吐いて寄りかかれる存在にはなってやれない。今じゃ、兄貴のことでなんか悲しまない捻くれた男だってのにさ」
「……そう」
「イオン、お前なら……」
「いいや。きっと、今僕が出て行っても、ネージュは涙を隠してしまうと思うよ。決して、あの涙を誰かに拭って欲しいとは思ってないだろうからね」
誰にも見せずに肩を震わせるネージュの小さな背中に、イオンは心の中で決意する。
「格好良いお姉さんだね」
「……あぁ。自慢の姉貴だよ」
「……ねぇ、ヴォーロ。アムレートのことは、僕に任せてくれるかな……」
「……イオン?」
「確信した。僕のこの世界での役目は、きっとアムレートと対峙することだ。僕が彼を探し出す。そして、必ず君たち姉弟の元にアムレートを連れて来るよ」
そうと決まれば、と小さな声で呟いて、イオンは早足で自身の研究室へと歩みを進めた。




