日常
「ねぇねぇ、デリタ先生! 見てこれ!」
昼休みの保健室に女子生徒三人組がなだれ込んでくるなり、スマホを突き出してきた。
画面にはチャット画面と、そこに貼り付けられた一枚の写真。綺麗な顔立ちの青年と、茶髪の藤村が並んで写っている。どうやら芸能人の握手会で撮ったものらしい。
「先生知ってる? アイドルの桐島ユウ! もうカッコ良くてさぁ……!」
目を輝かせる三人を前に、デリタは曖昧に笑い、「よかったわね」と相槌を打つ。
だがその態度に納得しなかったのか、藤村は眉を吊り上げて、「先生リアクション薄くない?」と食ってかかってきた。
「本当にカッコよかったの! 遠くから見ても綺麗で、近くもヤバ過ぎて……ヤバいの!」
必死に訴える藤村に合わせて、他の二人――佐伯と水谷も身を乗り出す。
「毛穴ゼロ! 二次元から飛び出してきたレベル!」
「しかも優しく微笑んでくれて……天使降臨だよ~」
と、次々に感想を重ねていく。
しかしデリタにとって、どれも他人事でしかなかった。
女子生徒たちの熱量についていけず、曖昧な笑みを浮かべて聞き流すしかない。
デリタの働く保健室には、こうして毎日のように女子生徒たちが集まってきては、芸能人やドラマ、ファッションの話題を持ち込んでくる。
中には、学校の課題よりも熱心に語る子さえいた。
最初こそ若者特有のハイテンションに戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。
彼女たちにとってこの場所は、休み時間に自由にくつろげる癒しの場所らしく、教室に戻らず居座り続けることも珍しくなかった。
藤村たちがひとしきり興奮して話したあと、ようやくデリタへ視線が移った。
「ところで、先生って好きな人とかいるの?」
藤村がにんまりと笑いながら尋ねてくる。
「私……?」
いきなりの質問に、デリタは少し驚いた表情を見せた。
答えに迷っていると、何を思ったのか、藤村は前のめりになる。
「いるの!?」
好奇心に満ちた眼差し声を上げた。それに合わせて、佐伯と水谷も、「誰!?」「この学校の人!!?」とデリタに詰め寄る。
「……いないわよ」
デリタは少し体を引きながら、苦笑まじりに答えた。
「うわー! またそれぇ! 先生の嘘つき!」
「絶対いるよね! いつもメイクばっちりなんだから!」
「ずる〜い!」
女子たちが一斉に騒ぎ始める。
(別に隠しているつもりはないんだけど……)
心の中ではぼんやり思いながらも、表には出さず曖昧な笑みを浮かべた。
どれだけ話を振られても、デリタ自身は恋とは無縁だった。
もちろん、昔はそうではない。
女らしくあろうとする中で、当然男性に興味があった時期もあった。
だが、それも苦い経験――思い出したくもないほどの仕打ちと共に深く傷つき、それ以来恋愛はずっと避け続けてきた。
(恋……)
デリタはそっと、あの人の姿を思い浮かべてみる。
途端に胸が高まり始める。しかし、すぐに首を振り、感情に蓋をした。
今の自分が、男の……それもノンケの男性から見れば恋愛対象にならないことはわかっていた。
それに、彼に対しては――性的な目で見ることすらためらわれた。
彼とはそういう関係ではないのだ。
ただ、美味しいものを食べて、温かい場所で、なんでもない話をして……。
感情の高ぶりも揺さぶりもない、穏やかな時間を過ごしたかった。
「先生、聞いてる?」
「あっ……ごめんなさい」
不意に呼び掛けられ、我に返ると、目の前の藤村が怪訝そうな顔をしている。
「もう〜、さっきから上の空じゃん」
「考え事しちゃって」
軽く誤魔化してみてみるが、藤村たち三人の疑いは収まらない。
デリタは何とか詰問をかわそうと言葉を探す。すると、タイミングよく五限目の予鈴が鳴った。
「あ、ほら、チャイムが鳴ったわよ! ……もう終わり!」
これ以上突っ込まれないよう、声を上げて三人を扉へ促す。
「えー? ここで終わり―?」
文句を言いながらも、三人は渋々と立ち上がった。
それでも詰問を諦める気はなかったのだろう。
去り際に藤村が振り返り、念を押すように言う。
「先生、次はちゃんと教えてよね!」
「はいはい。 今度ね」
適当に微笑んでみせたが、誤魔化しはしっかり見抜かれたらしい。
再度念を押すようにこちらを睨み、ようやく教室へ戻っていった。
騒がしい休み時間から一転、静かな午後の業務を終え、身支度を整える。
職員玄関を出ると、サッカー部の三人組に遭遇することなく校門を抜けられ、得した気分になる。
更に今日は金曜日、明日は休みだ。自然と足取りも軽くなっていった。
こういう日は、一週間のご褒美に手の込んだ料理を作りたくなる。
デリタは歩きながら献立を考え、気づけば自然と商店街へ向かっていた。
スーパーでは普段手に取らない香草を買い、専門店では新鮮な魚を選んできた。
自宅マンションに戻ると、カウンター式のシステムキッチンへ荷物をそっと置く。
壁に掛けてある手作りの赤いエプロンへ手を伸ばした。
紐を大きめに作っているため、身に付けるとワンピースのような括れが生まれるデザインだ。
前から後ろへ紐をまわし、腰をきゅっと絞って後ろで蝶結びにする。
壁の姿見を覗くと、大きなリボンが腰で揺れ、大きめの体が少しだけ華奢に見えた。
デリタは機嫌よく、正面の姿も確かめる。
――が、途端に気持ちが沈み込む。
映っているのは、筋肉の盛り上がった、ごついオカマの姿だった。
太い首、目立つ喉仏、成長とともに骨太になっていった顔つき……。
――似合わない。
デリタは反射的に視線を逸らし俯く。すると、赤いエプロンが目に入った。
大きめに仕立てたそれはスカートのように裾が広がり、美しいドレープを描いている。
どうにも近頃、些細なことが気になるようになっていた。
デリタは気を取り直し、食材をシンクへ運ぶ。
袋から季節のサワラを取り出し、三枚に卸した。
中骨を丁寧に取り除き、紙布巾で水気を吸い取る。
選んだ魚が新鮮だったので臭みはほとんどなく、いつも下処理に使っていた清酒は棚に仕舞ったままにした。
次に副菜のためにエビの殻を剥き、背ワタを取る。
粒貝のぬめりを丁寧に取り、薄切りにした。
エビは茶わん蒸しに、貝は和え物に。
機嫌よく下処理を進めていたデリタだったが、ふと手が止まる。
(エビと貝……あの人は食べられるかしら)
アレルギーがあったり、好き嫌いの分かれる食材だった。
デリタは急に不安になり、冷蔵庫を開けて中を覗く。
もし食べられなかった時のために――
以前、あの人が美味しそうに食べていたサラダも作っておくことにする。
デリタはそう決め、レタスやささみを取り出す。
包丁の音を響かせながら丁寧に仕上げていった。
今日は魚介の料理が並ぶので、白や青といった海を連想させる皿を食卓に置いた。
あの人がマンションを訪れるようになってから買ったグラスセットを取り出し、一つは料理の横へ。
もう一つは正面の席――ランチョンマットと皿だけを並べた、空席の位置に置く。
そうしておけば、あの人がいなくても、一緒に食卓を囲んでいるような気分になれるからだった。
料理が残れば、明日自分で食べればいい。
デリタは自分にそう言い訳しながら、一人で楽しむ週末のご馳走を前に、そっと呟いた。
「一週間……お疲れ様、私」
グラスにワインを注ぎ、フォークとナイフを手に取った。
マンションから離れたビルの屋上――
男は、乱立するビルの谷間から吹き上がる風に煽られ、黒いコートの裾を翻かせた。
深く被ったフードは重く、顔の半分を覆い、残りの半分は影に沈んで口元さえ見えない。
ゆっくりと足を進め、風が突き上げるビルの縁でふっと立ち止まる。
眼下には、果てが見えないほど広がる繁華街。色とりどりの光が渦のように瞬き、まるで足元から男を吸い込もうとしているかのようだった。
男は街の喧騒を見下ろしながら、そのまま静かに体を前へ――宙へ倒していく。
重力に引き込まれ急速に繁華街の喧騒が迫る、その瞬間。
男の全身は周囲の景色を写すかのように溶け込み、ふっと姿を消した。
手書き+AIのべりすと




