デリタ
短く切り揃えた赤い髪。丁寧に塗り込まれた濃い化粧。
白いブラウスに黒のタイトスカート。その上から赤いジャケットを羽織ると、ひときわ目を引く姿が完成する。
ヒールの音を響かせながら歩くその大柄な姿に、道行く人々の視線が自然と吸い寄せられる。
朝の大通りを抜ける頃には、サラリーマンが減り学生が増えていく。そろそろ校門が見えてくる、そのときだった。
「お、ゴリラオカマじゃん!」
背後から投げつけられた声に振り返ると、サッカー部の三人組がいた。
キャプテンの大西が片手を振り上げ、もう一方を腰に当てる──いつものオカマのポーズだ。
「おー、今日も化粧濃いな!」
「昨日より眉毛太くね? 先生剛毛?」
「ねえねえ、『今日のブラの色』教えてよ〜」
ゲラゲラと爆笑する三人。
デリタの眉間に深い皺が刻まれる。
「……クソガキ共」
低く響く声。握りしめたポーチが、今にも潰れそうに軋んだ。
「アンタたち! 朝っぱらから何てこと言うの!!」
怒声が校舎に反響する。
スカートがめくれることも忘れ、大股で歩み寄ると──
「ひえっ! ゴリラ激おこ!」
「逃げろ〜!」
三人は悲鳴を上げ、廊下をバタバタと駆けていった。
デリタは肩で息をしながら、その背を見送り、ため息を落とす。踵を返しかけたとき──タイトスカートが太ももまで捲れているのに気づいた。
「やだっ……!」
小さく悲鳴をあげ、慌てて裾を直す。
一瞬にして羞恥が押し寄せ、肩が大きく落ちた。
女らしくありたいのに、気を抜けば喉から低い男の声が飛び出す。
骨太の顔はどんなに化粧をしても男らしく、二メートルを超える筋肉質な体は、歩き方や仕草に気を配っても女には見えなかった。
どれだけ努力しても、デリタは「オカマ」にしかなれなかった。
俯きそうになる顔を上げ、頭を振って、弱気を振り払う。
──こんなことでくじけていては、あの人に顔向けできない。
落ちていた肩をぐっと上げ、再び気丈に歩き出した。
保健室に入ると、デリタはデスクに腰掛け、足を組んだ。
体が歪むから、あまり長くはこの姿勢をとりたくない。けれど──下着の中の違和感がどうしても気になった。
何度か足を組み替え、ようやく落ち着ける体勢を見つけると、深く息を吐く。
そして、今朝の出来事を思い出し、そっと目を伏せた。
どうすれば、もっと女らしくなれるのか。
生まれ持った体にメスを入れることには抵抗がある。豊胸やホルモン注射で体が変わってしまうのも、正直怖かった。
デリタは憂鬱そうに窓の外へ目をやった。
そこには、遅刻ぎりぎりで駆け込んでいく生徒たちの姿がある。
とりわけ、制服姿の女生徒たち。
ただそこに立っているだけで“女”でいられる彼女たちを、デリタはぼんやりと眺めてしまう。
──羨ましい。
その感情が胸に浮かんだ瞬間、彼女たちから慌てて視線を逸らした。
保健室の先生である自分が、生徒に嫉妬するなんて。
「ダメ……」
小さく首を振り、自分の感情に蓋をした。
「剛田ー。ちょっと休ませてくれ」
午後の授業が始まった頃、保健室のドアを開けて入ってきたのは、海道浩司……医療器具の営業だった、
「海道……さん。……私を昔の呼び名で呼ばないでって言っているでしょう……」
言ったものの、海道は全く気にする素振りもなく、にこやかに笑って返してくる。デリタは小さくため息をつくしかなかった。
(この人とは関わりたくない……)
海道は学校に許可を取ってここに来ている。それに、営業のほかに足りない医療器具の備品の受け渡しも兼ねている。だから、追い出すことはできなかった。
彼は慣れた様子でベッドに腰を下ろすと、デリタに飲み物を要求した。
「ブラックがいい」
偉そうに言われて、ついイラッとしてしまうが、グッと堪えて給湯スペースでコーヒーを淹れる。
側の机に置くと、海道は礼も言わずに砂糖をどぽどぽと入れて掻き回した。
「……それで用件はなによ?」
ぶっきらぼうに尋ねると、彼はニヤリと笑い、
「ちょっと疲れてさ。仮眠取らせてくれ」と言いながら、スーツの上着を脱ぎ始めた。
「あんた……そこは生徒たちのためにあるんだから、用が無いなら帰りなさいよっ……」
思わず声を荒げると、海道はネクタイを緩めながら、
「いいだろう。俺たちの仲じゃないか」と軽く言う。
「……どの口がそんなこと……!」
言い返そうとしたが、海道は肩を竦め、
「おいおい。そんなに怒んなよ。でかい図体で迫られたら取って喰われそうな気になる」
「なっ……!」
拳を震わせるデリタの横を、海道は軽やかに通り抜けると、足早に扉へ向かいながら、
「お前も早く彼氏でも作って落ち着けよ」と言い捨てた。
扉を開け、出て行こうとする直前、ちらりとデリタを見て言う。
「ああ……でも」
締りのない顔で、さらに口を開く。
「お前を抱ける程の大男が、この世に存在しないから無理か」
そして笑顔を浮かべ、「悪かったな」と手を振りながら、保健室を出て行った。
扉が静かに閉まると、保健室には自分の呼吸だけが響いた。
デリタは深く息をつき、呼吸を整える。しばらくすると、今度は怒りの代わりに、胸の奥がざわつくような感覚が残った。
あの軽い笑顔、あの無神経な言葉……昔の面影を重ねるだけで、あの時の記憶が蘇りそうになる。
──あの人、変わってない……。
唇を噛み締め、視線を下に向けると、彼が腰掛けたベッドのシーツがくしゃくしゃになっているのに気づく。
苛立ちを抑えながら、デリタはシーツを掴み直し、手早く整えた。
デリタは重い足をなんとか動かし、マンションへの帰路を辿る。
夕焼けに染まる空を見上げる余裕もなく、ただひたすらに足を進める。
心は鉛のように重く、唇は噛みしめすぎて痛かった。胸の奥では、何かがごっそり削り取られたような喪失感が広がっていた。
マンションのエントランスにようやくたどり着くと、階段を上る気力は湧かず、いつもは使わないエレベーターを選んだ。
重厚なドアが静かに開く。体を少し屈めて乗り込み、15階のボタンを押す。天井ギリギリの頭がぶつからないように壁に寄りかかり、ゆっくりと上昇していく箱の中で、デリタは天井をぼんやり見つめた。
――帰ったら……あの人が来ているかも知れない……。
思わず姿勢を正そうとした瞬間、頭が天井にぶつかる。
咄嗟に手で押さえ、低く呻いた。目には涙がにじむが、振り払うようにエレベーターのガラスに映る自分を見つめる。
髪と服の皺を軽く伸ばし、リップを塗り直す。できる限り完璧な自分を取り繕った。
自宅の玄関にたどり着くと、鍵を開けてそっと扉を押し、中へ入る。まず目に入ったのはダイニングキッチン。ベランダに続く窓は閉まり、部屋の空気はまるで止まったままのようだった。
――誰も、いない。
デリタは小さく肩を落とす。ふらふらと寝室へ向かい、狭い部屋の大半を占める巨大なベッドに倒れ込んだ。ダブルサイズのベッドは、デリタの大きな身体でも悠々と寝返りを打てる。
布団に包まり、枕を抱きしめる。
「今日はダメ……何もしたくない……」
小さな呟きは、布団の中に静かに消えていった。
――深夜
ベランダの窓が、カラカラと静かに音を立てて開く。
夜風が部屋に流れ込み、カーテンがゆらりと揺れた。
寝室の扉がわずかに開き、眠るデリタの顔に冷たい風が届く。
昼間の化粧はすっかり落ち、本来の素顔が露わになっていた。
デリタは冷たい風から逃れるように、布団を抱き寄せ、顔も体もすっぽりと覆い隠す。
その布団の盛り上がりに、ひっそりと人影が差した。
闇に溶け込む男は、黒いフードの下から覗く薄い唇をわずかに動かす。
カーテンの隙間から差し込む月光が、黒い服の光沢をかすかに反射した。
男は黙って佇む。
布団の中のかすかな寝息に耳を澄ませ、息を殺してじっと見つめる。
やがて、音も立てずに闇の中へ消えていった。
手書き+AIのべりすと+chatGPT