第2話「人の姿はしているが、初恋心《はつこいごころ》を奪って食す妖怪だ」
「どうして男性側の初恋なんですか?普通、逆では?」
陽彩が小首を傾げると、PPは朗らかに笑った。
「はははっ!男の方が、鮮明に覚えている。その上、初恋の思い出は、美化され易い。きっと一生忘れられない、恋愛の一ページだ。因みに、僕は、背が低い男子は嫌だと言って、あっさりふられた。君は、どんな初恋だった?」
さらりと聞かれて、陽彩は即答した。
「恋した事ありません」
一瞬の間、沈黙があった。
しかし、じきにPPが、にこやかに口を開いた。
「死んだからと言って、恋して悪い理由はない。ここで、運命の相手に出会えるかもしれない。楽しみじゃないか」
「そんな慰めは、いりません。ゾンビに恋しろと?」
陽彩は、不機嫌に眉根を寄せた。
実年齢よりも若く見られる、愛くるしい丸顔をしかめた。
しかし、PPは微笑んで、緩く首を横に振った。
「いや、ゾンビはいない。残念だが、ここは、日本だ。仏の国だ」
まるで子供を諭す口振りだった。
「死んで化け猫になっても、所在地は日本だ。先に言っておくと、僕の管轄は、京都だ」
「そんな情報も、求めていません!」
陽彩は、むっとして突慳貪に答えた。
しかし、PPは、一人でうんうん頷いた。
「今回のターゲットは、静岡にいる。業突張りの男でね。初恋を忘れられず、本当の恋が出来ない。そして、二股ばかりしている。ある意味、憐れな男だ」
「!?どこが憐れなんですか?そういうのを、女の敵って言うんです!」
陽彩は、くりくりした大きな両目を吊り上げたが、それをサッと受け流して、PPは爽やかな弁舌で締め括った。
「焦らず、気負わずやればいい。君なら大丈夫だ。今回は、卵焼きに纏わる初恋らしい。潜入期間は、接触から三日だ。露月より先に、初恋心を取り出してくれ」
「ろげつ?」
「露月も、僕と同じ人の姿はしているが、初恋心を奪って食す妖怪だ。朝の空、人に見えない月光が、弱気な者を照らす時分に現れる。まるで朝露を置くかのように、失恋したての男の胸に、根強い未練を落とす。一層、美味しく頂く為だ。露月は、ノワの中に、傷心した男たちの初恋心を隠している。それが、露月の好物だ」
「悪趣味ですね」
陽彩が、童顔をしかめて呟いた。
「まあ、どちらかと言えば、性格は悪い。人間にとって、記憶の一部、初恋心が、ノワの中にあるという事は、この世で生きる魂が完全ではないという事だ。だから、死に際に記憶の一部が奪われたままでは、極楽浄土へ逝けない。それだけ人間は、不完全な生き物だ。ノワの外見は、胡桃で、途轍もなく固い。僕は、ノワを壊したい。『運命の子供』が、ノワを割ってくれる奇跡が起きるのを、祈り続けている。だから、君に手伝って欲しい」
あまりにも真剣な顔つきだったので、神妙に頷いてしまったが、ここで疑問が生まれた。
「何となく分かりましたけど、運命の子供が初恋弁当を食べちゃったら、どうなるんですか?記憶の一部が奪われたままだと、極楽浄土へ逝けないんですよね?」
「ああ、その点は心配いらない。運命の子供は、初恋弁当を見るのが好きなだけだ。人間にも、食品模型が好きな子はいるだろう?それと同じだ。初恋心は、ちゃんと持ち主に戻る」
それを聞いて、陽彩は、ほっとした。
「良かった……じゃあ、要は、ノワを割るミッションを終えれば、極楽浄土に逝けるんですね?ろげつは、同業者って事ですね?」
「同業者って言い方は……簡単に言えば、君のライバルだ」
言われて、陽彩は唇を噛んだ。
(そんなの、いらないわよ!)
「どんな風貌なんですか?」
「普段は、柔らかな眼差しを宿して微笑んでいる。とても、悪役には見えない。服装は、白いタートルネックに、緑のワイドパンツ姿だ。人の初恋心だけでなく、身体を喰らう事もある」
「は?喰らう?」
黙って聞いていた陽彩は、蒼ざめて立ち竦んだ。
「露月は、笑うと正体を現す。真っ白い妖怪で、赤く分厚い唇から、細長い真っ二つに割れた舌が首まで垂れると、青黒い長髪が逆立って、灰色の片眼がギラリと光る。でも、笑わさなければ、問題ない。それに、口数は少なくて滅多に笑わない。ということだから、気を付けて」
聞き終わって、陽彩は、ぶんぶん首を横に振った。
「絶対に無理です!食べられます!」
「極楽浄土へ逝く為の試練の一つと思えばいい。初恋心を取り出すには、右手を三回振ればいいだけだ。僕は、一度あの世に戻るから、三日後に会おう。では、頼んだよ」
PPが煙のように消え途端、陽彩の視界に、昨今は珍しい木造の小学校が飛び込んだ。
四方を見渡せば、校庭のド真ん中に立っていた。
児童がいないので、おそらく授業中だ。
「はあ……迷宮から抜け出せて良かった。チャンス?も貰えたから……運が良かったのかな?」
ひとまず胸を撫で下ろしたが、陽彩は、空を睨んだ。
「でも、妖怪がライバルなんて、無茶ぶりよ。もう最悪!!だけど、よく考えたら、今の私は化け猫なわけだから、食べられたりしないわね。そもそも死んでるんだから……私のお葬式って、どうなったのかな?パパ、ママ、ごめんね……」
気分が、どんどん塞いでいった。
その時、白いタートルネックに緑のワイドパンツ姿の男性が、空から降って来たのを見て、陽彩は、ピシッと固まった。
(うわああ、早くも死亡フラグ!?あ、ここ乙女ゲームじゃなかった。けど、どうしよう。化け猫の戦闘力って、どのくらい!?あああ!あんな食堂、入るんじゃなかった!乙女ゲームの方がマシだった!)
黄金の両目に涙が溜まった。