第九話
聖女リリアは問題児と言われている。それを自覚しているし、改める気もない。
リリアは紅衣聖女の中でも筆頭と呼ばれたエリザベスの子として生まれた。父親は知らないが、あの母が選んだのだ。それはそれは、素晴らしい男性だったのだろう。とはいえ、リリアの物心つく前に死んでしまったのだが。
聖女の力は血筋で受け継がれる。それ故、聖女の血は絶やすことが出来ない。聖女がいなくなれば水を浄化できず、すなわち人間の絶滅を意味するからだ。
だから妙齢になった聖女には通常、教会が独自の基準で選別した男性をあてがわれ、結婚して子を作ることになる。
力が受け継がれたかどうかは、〝ウンディーネの聖別〟を受けてみないとわからない。なので、わりと死ぬ。しかし聖女の子は聖女でなければ人に非ず。結果、ほとんど全員が受けることになる。
独自の基準とは言っても、それほど複雑な話ではない。高級官僚であったり、裕福な商人であったりと、要するに教会にとって益のある人間だ。このような人間のみが神聖な存在である聖女と交わるという、最大の誉れを賜る。
しかしそれでは対象が一定層に偏り、血が濃くなりすぎる。詳しく知らないが、あまりに近い血統同士を掛け合わせ続けるのは後々良くない影響が出るらしい。
だから叙階聖女以上の優秀な聖女だけは、自分で相手を選ぶことが許されている。
馬鹿馬鹿しい、とリリアはその慣習を唾棄したい気持ちだった。聖女と言っても、それは単に魔力で満ちた水に浸かっても死なない性質を、たまたま持っただけの運の良い人間というだけで、自ら何かを勝ち取ったわけではない。
まぁ、叙階聖女以上に至った聖女に関しては、確かに頑張ったのだろう。評価してもいい。
けれど、選ぶとは何様のつもりだ。相手あってのことだろう。恋愛や出産というものは、もっと自由であるべきなのだ。
指名された側は、よっぽどのことでなければ、断ることなど許されてはいないのだから。
そもそも聖女という名称が気に食わない。
〝聖女〟は元々〝清女〟で、単なる水を清められる女以上の意味はなかった。
聖女が浄化した水も今や〝聖水〟と呼ばれているが、これも元々は汚染されたものが単なる〝水〟で、清めたものを〝清水〟と呼んで区別していただけ。
権威を誇示するため、あれこれ勝手に神聖な意味を付加したのは他ならぬ教会だ。実にくだらない。
しかも今まで述べた事実のうち、ほとんどは秘匿されている。一介の聖女にすぎないリリアがこんなことを知っているのは、エリザベスの影響だ。
自身が至高聖女に至れないと悟っていたエリザベスは、代わりにリリアを至高聖女にすべく、幼少期より厳しい教育を施した。
幼いリリアはもっと遊びたかった。しかし友達を作ることなど、許されなかった。
会うことの出来たのは母と同じ紅衣聖女の子のみで、何を話してみても裏が垣間見えてちっとも楽しくなかった。
どうせ聖女になればお役目を果たさなくてはならないのだから今だけは少しくらい自由に遊ばせてほしい、と母にねだってみても無駄だった。
それと、実のところリリアは女性が好きだった。だから叙階聖女を目指し、幸いにも恋仲になれた女性がいたら、制度を利用してその人と結ばれようと考えた。そうでなければ生涯一人でいい。
けれどそれを母に言ったところ、とんでもなく叱られてしまった。どうやらそのような考えは間違っていて、認められないどころか重罪ものらしい。
そんな母も、リリアが一〇の頃に死んだ。三八歳だった。聖女としては並みだが、魔力耐性の高い紅衣聖女としては少し早い。きっと若い頃からの無理が祟ったのだろうと、リリアは漠然と考えた。
〝ウンディーネの聖別〟は一応受けた。教会の理念はくだらないが、聖女の活動自体を馬鹿にはしていなかったからだ。
すると聖別の段階で浄化を達成してしまった。リリアは持て囃された。
エリザベスの再来だ、いやそれ以上だと。だから当てつけに、何もしないことにした。そして現在、腫れ者扱いされている。
誰しもがリリアに関わりたくないようで、話しかけてくるような者はいなかった。
しかし、それでよかった。
聖女になるような子はたいてい、幼少期より聖女の母の影響を強く受けている。どこか皆、ぎらぎらしているのだ。
顔では純粋無垢を気取っておきながら、騙し合いに足の引っ張り合いは当たり前。関わっているだけで疲れて仕方がない。
そんなリリアだったが、一目を置いている聖女が一人だけいた。エレナという少女だ。
エレナはリリアと同じく〝ウンディーネの聖別〟で浄化を達成した稀有な存在だ。しかも聖女の娘でもない。そして教義や規律に厚く、信仰心もあり、人心掌握にも長けていた。
とんでもないやつが来たと、リリアは思った。
表の顔が優れているやつほど、腹の中では何を考えているかわからない。きっと虚栄心や出世欲の塊で、虎視眈々と至高聖女の座を狙っているのだろう。あのジェマとかいうやつが良い例だ。
だからエレナに呼び出されたときには驚いた。なにせ紅衣聖女すら放任しているリリアだ。わざわざ関わる理由があるとは考えづらい。
何か手柄でも立てたかったのかと、初めはハイハイと頷いておいた。
しかしエレナは懲りなかった。幾度となくリリアを呼び出し、態度を改めるよう注意を重ねた。
そのうち、エレナは本気でやっているのだと気が付いた。
聖女としての役割も、信仰心も、人当たりのよさも、ただエレナの信条に従っているだけだった。
途端にエレナに興味が湧いた。しかしそのとき既にエレナは高位聖女で、リリアはただの聖女だった。気軽に話しかけることなんて出来ない。
そんなことが許されているのは、あのアリシアとかいう聖女見習いだけだ。なんなんだあいつと思っていたら、どうやら幼馴染らしかった。
エレナに声をかけられるのが、本気で向き合ってくれるのが嬉しくて、リリアは態度を改めなかった。
普通の聖女になってしまっては、エレナに興味を持たれなくなってしまう。しかし虚しくもすぐに、エレナは叙階聖女になっていなくなってしまった。
エレナと一緒にいたいのなら、同じ叙階聖女を目指せばいい。そのための力が、リリアにはあった。
けれど、まともにやれば何年もかかってしまうし、エレナのような大きな手柄も思いつかなかった。
それに母への反発心は忘れていなかったし、頑張るのはなんだか癪だった。さらに言えば今までの印象もある。
上は安易にリリアを昇格させようとしないだろう。
エレナが久しぶりに寄宿舎に来たとき、リリアは遠巻きに見ていた。
隠していたようだが、体調が悪そうなことには気が付いていた。
あれだけエレナのことを見てきたのだ。アリシアほどでないにせよ、そのくらいは気が付く。
エレナが泊まることになった部屋は、たまたまリリアの部屋の真下だった。それでなんとなく、ずっと気にかけていた。
ちなみに本来は相部屋だが、同室には誰もいない。いたこともあったが、嫌がってすぐ他の部屋に移ってしまった。リリアは止めなかった。別に興味もない。
エレナの存在を感じていたせいか眠れず、夜風を浴びようと窓を開けた。すると偶然、下の階の窓が開いた。疑問を感じて覗き込んでみたら、銀色の髪が躍り出てきて、走り去ってしまった。
驚いた。あのエレナが深夜に隠れて寄宿舎を抜け出すなど、考えられなかったから。
だからこそ、何をしているか知りたくなった。とはいえエレナはもうとっくに見えなくなってしまったので、見つけられたらラッキーくらいに思っていた。
山の中を二、三刻ほど歩きまわったが、エレナは見つけられなかった。
さすがに諦めて帰ろうとしていたら、ドスン、と比較的近くで何かが木にぶつかるような音が聞こえた。
もしかするとエレナが動物にでも襲われたのかもしれないと冷や汗が出る。リリアは足を急がせた。
ついた場所にエレナはいなかった。しかし、木の皮が一部剥がれていて、血液が付着していた。
まだ乾いていなかったので、真新しいものだとわかった。まだ近くにいるかもしれないと耳を澄ませた。
すると、微かにすすり泣くような声が聞こえてきた。リリアは半信半疑で、声の方へ足を進めた。
そして、見つけた。月光を束ねたような銀の髪が蹲って泣いていた。あんなに美しい髪の持ち主なんて、リリアは一人しか知らなかった。
「――エレナ様?」
振り向いたエレナは、エレナであってエレナではなかった。
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