駆け落ちされて
万衣子としてはかける言葉もない。
「あちらは敏腕弁護士を使って俺有責にしてしまおうとしたみたいだけど、有難いことにSNS時代なんで、まあ助かったかな」
けっこう広いチャペルにもかかわらず席はほぼ満席だった。
花嫁側はとりどりの友人たち、梅本側は親類縁者と鶯堂の幹部たち。
動画を撮っていた者もけっこういて、めったにない展開を反射的にSNSに上げたのは花嫁側の出席者だった。
それがあっという間に拡散した。
「それに、めちゃくちゃ目立つよね。お取り寄せドレスの裾を引きずった花嫁と花婿じゃない身なりの男が手をつないでチャペルからエレベーターホールまで走るのを式場スタッフが追いかけるんだから」
御曹司はホテルのエグゼクティブフロアの部屋に数日前から泊まっていたらしく、二人はそこへ逃げ込み立てこもった。
そもそも二人は前日の夜から朝にかけて涙の別れをたっぷり味わったのち、手に手を取り舞い戻ったのだということが判明して、梅本側は笑うしかない。
「それはたしかに…。いや、ええと、ご愁傷さま? です…?」
「うーん。それについてはなんと、まあ。あっけにとられているうちに鶯堂のみんながチャキチャキ動いてくれて、俺は座っているだけだった」
梅本の従姉妹たちは顔合わせの時から嫌な予感がしたらしく、婚約者のインスタを逐一『魚拓』していたそうだ。
彼女は見合いから交際、そして婚約と結婚の準備など幸せいっぱいの画像と文章を事細かに記し全体に公開していた。
高級フレンチでのプロポーズも梅本は希望通りに店を予約して指輪も購入したというのに、駆け落ちの翌朝に全て削除され、婚約者からモラハラDVを受けていたと書き換えられ、窮地を運命の人に救い出されたという物語が展開され、弁護側もそれで押し通そうとしていた。
なぜなら梅本の両親がDV絡みで離婚したことは分かっていたことだったからだ。
所詮は薬屋の息子。
所詮は暴力のなかで生まれ育った、愛を知らない男。
高をくくっていた御曹司サイドをドラックストアを急成長させた親族の結束力と知力と人脈で見事はね返し、相手方が梅本へ多額の慰謝料を支払うことで決着した。
「大規模な披露宴だったんだよね…。祖母の肝いりって言うのもあったけど、ほら当初は相手方もノリノリだったから招待客は最終的に二百人超えたかな。もう忘れたけれど三百人近かったかも。このご時世に」
「さんびゃくにん」
ホテル側も肝いりの案件だったに違いない。
「うわ…。ご飯がもったいない…。」
「うん。だから大叔母たちが招待客たちにお祝儀はいらないから、ホテルのランチに来たと思ってお過ごしくださいって案内して…そのままなんか普通の宴会になったよ」
生演奏も余興も手配していたので、舞踊や歌を披露したい人は申し出て壇上に上がり、けっこうな盛り上がりとなったと、梅本はたんたんと語る。
「まあ縁起が悪い宴会だけど、出席するために皆さん服装を整えてわざわざお越しいただいたのだし。花嫁側の若い人たちもけっこう着席して食べてくれたな」
「よかった…スタッフのみなさんの努力が無駄にならなくて…って、私が小市民だからかな。そういうところが気になるの」
「そうなんだよね。俺も団地育ちの庶民だから、花嫁が逃げたからはい中止って考えられなかった」
丁寧にフォークでマロンパイを切りながら梅本は唇を少し歪めた。
「そういうところが最初から微妙に合わなくて、彼女も俺との生活に進めなかったんだろうと思う」
自嘲気味の言葉に、万衣子は大きく首を振った。
「いやいやいや。これで良かったんだよ。私は梅本くん側だよ。鶯堂万歳、今後も商売繁盛しますように」
「ふっ…。何それ」
梅本は唇にフォークを握りこんだ拳をあてて、くっくっくっと喉を鳴らして笑った。