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破綻(滝川視点・最終話)



『えーっ。お給料これだけ? 話がちがーう』


 愛莉が印字された給与明細を見るなり叫んだ。


『役職がつくと、うちの会社は手当てが色々なくなるんだよ…』


『えー、でもでも、聞いていた年収とせんぜんちがうじゃない』


『え? 俺、言ったっけ』


『言ったわよ! 〇〇〇って!』


 二倍超増しの金額を愛莉は口にする。


『ああ、それは世帯収入の間違いじゃないかな。元妻と合算したらそのくらいだから…』


『ええ、じゃあなに、ブス子ってけっこう羽振りのいい会社に勤めてたの』


 愛莉は万衣子をブス子と呼ぶ。

 その口調が癇に障るが、そもそも自分がそう言っていたのだと思い直す。


『…今はどうか知らないけど、前はそうだった』


 万衣子はいつの間にか転職をしていた。

 先日彼女の勤めていた会社に連絡先を訪ねると、もう滝川万衣子さんは退社されましたのでと返され驚いた。


『ええ…。ありえない』


 いい所を見せたくて、付き合い始めの頃に愛莉がスマホで『いいな』と呟いていたバッグやアクセサリーのほとんどをすぐに買ってやった。

 しおらしく遠慮する愛莉に『気にするな、また稼げばいいのだから』と見栄を張った。

 その時に年収を盛って言ったかもしれない。




 結婚式を終えて、愛莉の実家に近い新築のマンションに引越して、毎日楽しいはずだった。


 しかし、万衣子の姉弟たちや大貝にあの時の様子を録画されていたことがいつまでも頭から離れない。

 離婚届はすぐに提出されたらしく、問題なく入籍できた。


 あちら側から何か言ってくることは全くない。

 もう、会うことがないのだ。

 忘れてしまえばいい。


 そう思っても、事あるごとに万衣子のことが頭をよぎる。


 自分の母に比べて家事能力が格段に劣っているとさんざん罵ったけれど。

 十分快適な生活が保たれていたのだと思い知る。


 愛莉いわく、料理掃除洗濯風呂キャンセル界隈なのだそうだ。



 そして今になって食の好みが全く合わないと気づいた。


 不倫していた頃は暇さえあればセックスをして、その合間に適当なものを口にしただけで、たまに一緒に出かけたら愛莉の買い物をしてそのままホテル。

 外食すらしたことがなかった。


 蓋を開けてみると、愛莉がかなり偏った食生活をしてきたことを知る。

 ジャンクな菓子、ファストフード、激辛の料理が大好きで、魚と野菜が嫌い。

 さらにネットで流行ったダイエットでトマトを一か月食べ続けた末に見るのも嫌になり、次はゆで卵のダイエットで…と、繰り返すうちにますます嫌いな食べ物が増えていったとあっけらかんと言われ、驚きで言葉が出なかった。


 きっと悪阻のせいよと母に宥められたが、愛莉の実家の様子も似たようなものだったから出産後にかわるとは到底思えない。


 SNSで食事を上げているのを見たことがあったが、それは映えのためであり、食べていなかったことも今ごろ分かった。

 基本的に食に興味がなく、時には喉に指を突っ込んで食べたものを吐き出す。

 すべては理想の体型を保つためだった。


 ここにきてやっと滝川は思い知る。

 価値観が、壊滅的に合わない。



 育ちの違いなのか、なんなのかわからない。

 同じ嗜好の人はたくさんいるだろう。

 だけど滝川は違う。

 ある程度保たれた空間で寝起きしたいし、食も楽しみたい。


 愛莉は結婚生活に向かない女だと、『みんな』知っていたのだ。

 自慢だった新妻の顔も身体も、どうでも良くなってくる。 


 普通の、まっとうな食事がしたい。 

 愛莉は今日もファストフードとスナック菓子をテーブルの上に広げ、スマホをいじりながら食べ散らかしている。


『ほんとありえない。結婚詐欺じゃん』


 実は家計用共同財布からクレジットで愛莉に貢いだ。

 万衣子からの送金がなくなった今、その口座に金はもうない。

 金払いを渋るようになった滝川に、愛莉の機嫌はますます悪くなり、部屋の空気が澱んでいく。


『あり得ないのはこっちだ…』


 そう言いたいのをぐっと飲み込んだ。

 朝食も夕食も何かと理由を付けて外で食べるようになった。

 金がないから内容もたかが知れているが、ましだ。



 たいして日も経たないうちに万衣子の作った何気ない料理が懐かしくなってきた。

 たかが味噌汁の一杯、ありあわせの総菜。

 それが滝川にはどれほど大切だったのかようやく身に染みてくる。


『万衣子…』 


 作ってくれと頼めないのは解っている。

 せめて、一緒に。

 美味しいねと、笑いあう食事がしたかった。

 


 万衣子、万衣子、万衣子。

 万衣子に会いたい。



 大学一年の真冬に、サークルで行った隙間風の凄いトタン屋根の小さな焼き肉屋で、みんなでぎゅうぎゅう詰めになりながら七輪で肉を焼いて食べた。


『ふわ、わわ、おいしい~』


 小さな声に振り向くと、頬に手をあてて子どものように喜ぶ万衣子がいた。

 その反応に気をよくした先輩たちに勧められ、次々と口に入れてはまた小さな歓声を上げる。


 肉の匂いが付いてもいい服装でと指定されて高校の時のジャージを着て三つ編みおさげと途方もなくダサい格好だったのに、それが愛らしくて。


 とても、とても可愛かった。

 誰よりも一番かわいかった。



 本当は。

 あの時、もう万衣子のことを好きになっていたんだ。



 どうして、忘れてしまったのだろう。


 あんなに、可愛いと。

 いいな、すごくいいなと思ったのに。




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