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堕ちる(滝川視点)



 初めて訪れた赴任先は関東から離れたものの想像していたより田舎ではなかった。


 左遷ではないかもしれない。

 そう思うと心が軽くなった。


 独り暮らしを心配する万衣子からのメールが嬉しくてすぐに読んで返信して、夜は寝る前に電話で一日の出来事を話しておやすみと締めくくる。

 まるで遠距離恋愛をしているようで楽しかった。

 業績をあげて、はやく万衣子の元へ帰りたいと思い、仕事に取り組んだ。


 しかし、それも長く続かない。


 仕事関係者たちと飲み会を行った時に、幾人か女性が混じっていて、その中にひときわ目を引く若い子がいた。

 細い手足と薄い腹、小さな顔に大きな瞳、小さな唇が色っぽくて思わず見とれてしまった。

 鈴を転がすような、というのはこのような危うい透明な声なのか。

 白くて長い指先、そして全身からただよう甘い香り。

 名前は愛莉。

 あっという間に滝川は堕ちた。


『ちょっと酔ったみたいで…』


 二次会の終わりにその小さな顔すら重くてたまらないといった風情の愛莉が身体を預けてきた時、まるで漫画のように大きいなと密かに思っていた胸が当たった。

 そこからはもう嵐の中に閉じ込められたようなものだった。

 タクシーに一緒に乗ると『ちょっと気分が悪いかも…』と口を押える彼女を自宅に上げると、玄関のドアを閉めるなり抱き着かれ、唇を塞がれ、理性が飛んだ。

 そのまま廊下に二人で転がって遂げ、場所を変えては何度も交わった。

 愛莉の身体は信じられないくらい美しく、声も愛らしい。

 底なし沼ような快感は今まで経験したことのないもので、何でも味わいたいと思った。

 朝になると愛莉に合鍵を渡した。


『うれしい』


 濡れたくちびるでうふふと笑う。

 世界が変わった。




『ねえ、奥さんの写真ないの?』


 ベッドの上で猫のように転がる愛莉に上目遣いにに問われ、肩をすくめる。


『愛莉と違って、写真を撮りたいような女じゃないからな』


『ふうん』


 無関心な相槌にみせて、実は気にしているように見えた。


『大学の先輩に押し付けられたハズレ女だよ』


 愛莉の歓心を買いたくて、万衣子は地味でブスでつまらないやつだと告げた。

 万衣子なんか比べ物にならない。

 愛莉は今まで出会った中で最高の女だと持ち上げると、実際とても喜んで、滝川の上に飛び乗った。

 それを繰り返し言っているうちに、だんだん本気でそう思うようになる。


 そうだ。

 あれは押し付けられたのだ。

 先輩たちに可愛がられていた万衣子が仕向けたに違いない。

 俺は、まんまと一杯食わされたんだ。



 最初は不倫の背徳感を楽しんでいた。

 しかし愛莉から『ねえ、ずっとずっと一緒にいたくない?』とねだられ、すぐその気になった。


 こうなると万衣子が邪魔だ。


 仕事の都合で帰宅して万衣子の顔を見ると無性に腹が立った。

 消えろ、消えろ、消えろ。

 些細な事もあげつらい、言葉で殴り続けた。

 万衣子が近くで息をしているだけで。

 憎くて仕方がない。

 死んでくれないかな。

 死ねよ。

 死んで俺を自由にしてくれ。

 ついでに遺産と保険金残して、俺たちを幸せにしてくれ。

 鬼のようなことを心から願いながら罵倒した。



 愛莉から妊娠の知らせを受けた時は、天にも昇る気持ちだった。

 年下で綺麗な愛莉を披露宴で自慢したい。

 同期もうらやましがるだろう。

 親に連絡すると二人ともすごく喜んだ。

 不倫がばれたらややこしいことになってなかなかけっこんできなくなるかも。

 赤ちゃんの為にも内密にしてね。

 そう愛莉に頼まれていたので、母が口を滑らせた時には焦ったが、意外にもあっさりと万衣子も日下の家も離婚に応じた。


 結婚が決まってから愛莉は『医師に注意されているから』と抱かせてくれなかったが、実際何度か流産しかけたこともあり辛抱した。

 しかし覚えたばかりの欲望が滝川を悩ませる。

 行き場を失い、仕事に対する集中力も欠いた。


 そんななか、離婚届を書くために万衣子と再会した日。

 急に万衣子を抱きたくなった。


 今だったら。

 自分が万衣子を悦ばせてやれる。

 万衣子の身体はどんなだろう。

 最後に楽しんだっていいじゃないか。


 安易な気持ちでテーブルに押し倒すと、別室にいた万衣子の姉と義妹、そして最悪なことに大貝先輩まで現れた。

 


 万衣子の最後の慈悲で今は他言はしないし訴えたりしないが。

 次はないと大貝弁護士事務所から後日通告された。


 楽しみにしていたはずの結婚披露宴は、弁護士事務所とのやり取りが気になって気もそぞろだった。

 愛莉が何度もお色直しをして、母がかなりはしゃいでいたような気がするが、ほとんど記憶にない。

 周りに促されて、ロボットのように従っただけだ。

 

 ばれたらどうしよう。

 そればかり考えた。




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