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万衣子について(滝川視点)


「まいこ、まいこ~~っっ!」


 空に向かって叫ぶと、整然と並んだ古い団地に面白いくらい響いた。


 星が出ているかもしれない。

 出ていないかもしれない。


 何も見えなかった。


 しかし街灯がそこかしこについているので足元は明るい。

 だからたとえ深夜であろうとも余所者の滝川は難なく歩き回ることができた。


「まいこおぉぉぉ。どこにいるんだよぉ」


 真っ直ぐ歩いているつもりだが、右に左に身体が揺れてしまう。

 片手には最後のひと缶が握られていた。

 焼酎だか日本酒だかわからないが、とにかく片手に握りしめ、ふらつくたびに開いた口から中身がこぼれて地面と滝川を濡らしていく。


 コンビニで適当に買い込んだ様々な酒を誰もいない公園のベンチに座り込み、一つ一つ空けていくうちにあたりは静まり返っていた。


 さびしい。

 かなしい。

 くやしい。


 千戸を超えると探偵が言っていたこの団地は通勤しやすい場所ということで人気の物件でほぼ満室らしい。

 この建物の中にいる人々は、冬の寒空の下、誰かと幸せに暮らしている。


 万衣子も。

 米屋で年寄りの店番相手に笑っていた。


 全てが憎くて、滝川はがなり立て続ける。


 起きろ、起きろ、みんな起きろ。

 温かな布団にくるまれているに違いない、全ての人をたたき起こしてやる。


 頭も腹も、憎しみで煮えくり返りそうだ。


「寝てんじゃねえよ…。くそっ」


 幸せなやつらなんか、みんな、死んじまえ。





 万衣子と出会ったのは、大学に入学してわりとすぐに見学に行ったサークルの部室だった。


 黒縁の眼鏡をかけた中学生が美女の先輩方に囲まれて所在なげに座っていると思ったら、同じ一年生で入部第一号なのだと聞いて驚いた。


 このサークルは『雑食会』と言う名で、興味のあることならなんでもやってみようという趣旨のもと様々なジャンルにわたって遊び倒すのが活動目的とされた。


 参加は常に自由で誰かが発案した内容に興味のある者のみ加わるスタイルで、ある時は低めの山を登ったり、他県の博物館を訪れたり、高架下のB級グルメを堪能したりと様々で、万衣子と一緒の時もあれば二か月くらい会わない時もあった。


 大学の規模が大きいため生徒数はけた違いでサークルも色々あるなか、実はこの『雑食会』は密かに人気のサークルだった。


 一番の理由はOBたちが社会人として成功している人ばかりで、上手くやれば伝手で優良企業へ就職できるかもしれないという噂があったこと。


 さらにコンパをしないと公言していたことが意外と入部希望者が後を絶たない理由だった。


 べつに禁酒というわけでなく酒蔵を巡る会も催されたしバーベキューやキャンプなどで酒を持ち込むことはあったが、無理やり飲ませるのはご法度で、もし酔いつぶれてしまった場合は同性が介抱することという変わった規則がサークル発足当初から決められていたらしい。

 四角四面にも思える規則を品が良すぎてつまらないと思う者は早々に去っていく。


 そして、万衣子が入部第一号だったのはサークル勧誘のイベントで一番たちの悪いコンパサークルの上級生たちに強引に学外へ連れて行かれそうになっているところを大貝さつきが助け出し、雑食会に連れて行ったという経緯があったからだ。


 大人しそうなうえに垢ぬけない容姿でハムスターか兎など弱い草食動物を彷彿とさせる万衣子は、格好の獲物だった。


 それを大学の覚えめでたく強いバックもいる雑食会がかっさらい、さらに学生たちに一目置かれる存在の生徒たちに可愛がられていることが知れ渡ると、万衣子が狙われることはなくなった。


 一部の女子生徒にはなぜかマスコットのように好かれていたようだが、男子学生たちはのきなみ敬遠した。


 ただの陰キャにしか見えないが侮るととんでもない報復がくるのではないかと恐れ、男女交際などもってのほかだ。

 もはや漫画の影の番長扱いだった。


 滝川も、何らかの理由で万衣子と衝突した場合、雑食会経由のコネが得られない可能性を考え、つかず離れずで接し続けた。


 就職もそれぞれ希望の会社に採用され、卒業後は全く会うことなく日々は過ぎていった。



 再会したのは、大貝さつきの結婚式で。

 二人とも三十歳を目前にして独身彼氏彼女なしのていたらくだった。



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