キッチン
夕方になると姉が多くの荷物をタクシーに積み込んで現れた。
それらは万衣子のお泊りグッズ第二弾と食材を詰め込んだクーラーバッグだった。
「ちょっと延泊になるかもしれないから」
滝川の行方がつかめないらしい。
大貝先輩と姉は探偵を雇っていた。
はっきりとした実害がない限り警察の介入が難しいのは解っているが、何かが起きてからでは遅いのだ。
姉妹でキッチンに立ち、料理をしながら姉は語り出した。
「現嫁からクレームの電話が実家に来たわよ」
「は?」
「夫を返せって。いや返せも何もしらんがなってお母さん呆れて言葉を失ったけど、お前の家のブス出せって言いやがったから臨戦態勢スイッチオンよ」
「ああ…。おかあさん…」
相手は滝川の荷物の中から万衣子の実家の連絡先を見つけ出して連絡してきたのだろう。
「会話を録音したのを聞いたけど、よくもまあ、どんだけ自分に都合の良い解釈できるのって、そりゃあもうびっくりするわ」
データはいくつかの媒体に保管中だそうで、『どうせまたかかってくるわよ』と後日まとめて聞かせてくれるそうだ。
「今もマチアプで男の人釣り上げてるって聞いたけど、なんでうちに怒鳴りこむ必要あるの?」
「うーん。あのクソはしょせん金づるなんじゃない? 35年ローン払ってくれて、生活費養育費もきちんと納めてくれるATMかな」
「ええ…若いのに、そんななのかな」
現妻は万衣子より五、六歳下だったと記憶している。
元義母のインスタで見かけた前撮りの『お嫁ちゃん』は確かに内臓がどこに入っているのかわからないようなウエストをして長い指と爪に長い髪と大きな瞳でピチピチの若さと女子力溢れる陽キャだった。
「すんごく綺麗で美容垢ありそうな子…」
万衣子のオタク言語に心優しい姉は素早く反応してくれる。
「あるよ、もちろん」
「ですよね」
人参のラぺと、蕪の酢漬け、酢蓮根が出来上がった。
「だけど、男運は悪かったんじゃないの。私が思うにいつもセフレポジションで終わっていたんでしょ」
「ええ~。そんなあ」
出来上がったひじきの煮つけを保管容器に開け、ほうれん草と牛蒡と人参の白和えに取り掛かる。
「だから、滝川で妥協したんじゃない。一応きちんとした会社勤めだったし」
「そのきちんとした会社を辞めろっていうのも意味不明なんだけど…」
姉が鶏と野菜をせいろに仕込んで蒸し始めた。
「支店が近隣の県しかないからかしらね。今の会社だと北は北海道南は沖縄まで出張も転勤もあるから、ついて行くのは嫌だし、かと言って単身赴任させたら万衣子の二の舞になると思ったんでしょ」
「わたし?」
「略奪は好きでもされるのは言語道断ってことよ」
「ATMなのに?」
「尚更よ。浮気されるなんて屈辱以外の何物でもないわ。実際、今がそれよ。容姿においての下方婚だと思った男が同じく自分より下と思った女に盗られるとか…、ああ、あの女の脳内であって、万衣子を貶めるつもりはないからね。ブスと言いやがった女は、後で〆てやるから安心して」
誰が見てもシュッとした美人の明菜にどれほど言葉で尽くされてもどんどん穴に埋められて行っている感が否めないが、己が平凡な容姿であることは今更で、うらやむのはとうの昔にやめた。
「ええと。はい、おねえちゃんを信じています…」
「最後に決めるのはもちろん万衣子だけどね。私はあいつらにきちんと制裁を与えて幕引きする方がいいと考えているの。もう二度と関わりたくないと思わせるようにね」
そういうの、万衣子は苦手だろうけれど。
姉に見透かされて万衣子は笑うしかない。
怒るのも憎むのもうらやむのも苦手だ。
黒い感情を胸に抱えて、脳内で反芻すればするほど疲れてしまう。
自分には、それに付き合い続ける気力体力が備わっていないとつくづく思うのだ。
「忘れる。いや、忘れたいな…」
「うん。でも、害虫駆除はしよう。必要なの」
「必要かあ…」
二人は魚焼きグリルを覗き込む。
串を打って中に入れた穴子がいい感じに焼けてきた。
「うん。いいね」
「うん、おいしそう」
先に焼いたナスの皮を剥ぎながら姉妹は笑いあう。




