土鍋のプリン
卵と牛乳のやさしい気配と、カタリと何かを置く音にはっと顔を上げた。
「あれ…?」
いつの間にか周囲の様子が変わっていた。
レンジ台の上の大きなおでんの鍋が消えて、何故か土鍋が乗っており、シンクに置いていた夕食で使った食器もテーブルの上のコーヒーも消えており、万衣子の前にあるのはティッシュボックスと小さな紙の箱。
その中には万衣子が無意識のうちに拭った涙と鼻水を吸って丸められた屑が詰まっていた。
「復活した?」
土鍋の前に立っていた姉が振り向く。
向かいの席では梅本が読んでいた本から目を上げた。
「ご、ごめんなさい。私…結構な時間を…」
下の下まで落ち込んで負の感情に浸りきっている間に、二人が色々片付けてくれたのだとわかる。
万衣子が浮上するまで二人は黙ってそばにしてくれたのだ。
「いや、たいした時間じゃないですよ。俺が本を読み始めたのついさっきだし」
梅本が手にしているのは隣室の本棚に並べていた万衣子のもので、今日彼に貸すつもりだったのを思い出す。
「うん。それにちょうどプリンが出来たしね」
「プリン?」
「じゃーん」
姉がぱかりと土鍋の蓋を持ち上げると、うっすらと白い湯気が立ちのぼり消えていくと鍋いっぱいに広がる薄黄色の生地が見えた。
「ええ? プリン?」
椅子から立ち上がり、覗き込むと果たしてそれは間違いなくプリンで。
「そうそう。この間ネットで見つけて美味しそうだったから試してみたら、旦那がうまいうまいって喜んでね。だいたいプリンのレシピっていったん冷やせっていうのが定番なんだけど、これはアツアツのうちに食べても美味しいの」
言いながら姉はとりわけ用の大さじを土鍋の端に入れてすくい上げ、ほかほかと湯気を放つそれを小鉢に装った。
「ほら。キャラメルソース作るの苦手だからメープルシロップで代用するわよ。十分イケるから、これで」
冷蔵庫からメープルシロップを取り出しざっくりとかけると、特有の甘い香りが万衣子の鼻をくすぐった。
「美味しそう…」
「でしょ、でしょ! さあ、おあがりよ」
もう一度座らされた万衣子の前にはメープルシロップかけのほかほか土鍋プリンと匙、そしていつの間にか淹れられたほうじ茶のマグカップが並べられ、悲しみの残骸は消え去っていた。
「なんだか、魔法みたい」
「ふふ。今頃思い知ったか。姉と後輩君の偉大さを」
「うん。ほんとうにいだいだ…。ありがとう」
「どういたしまして」
「さ、先輩。いただきましょう。あたたかいうちに」
「うん。いただきます」
ひとさじ、口に入れるととろりと滋養のある甘みが体中に広がっていた。
あたたかくて。
とても。
とても、やさしいあじ。
まるで万衣子の身体を再び作り直してくれそうな、そんなあじ。
「おい…ひい…にゃ…」
どうしてだか、また、涙腺が決壊してしまった。
結局、万衣子は鼻水を再びずるずるさせながら美味しく頂いた。