青い衣
「ようはですね」
「はい」
場を改め、万衣子が背筋を伸ばしきりりと顔を引き締め話を切り出すと、梅本も真剣な面持ちで姿勢を正す。
「単身赴任先で夫に子どもが出来てまして離婚、です」
「なるほど」
「万衣子、めんどくさいからって端折りすぎ。幸正君もこんな説明で頷かない。甘やかしちゃだめよ」
姉の厳しい駄目だしに、二人はちょっと肩をすくめた。
「ええと。じゃあ…。大学のサークルの先輩たちの結婚式に出席したら仲間内で相手がいないのが私と元旦那で、あまりもん同士結婚しちゃいなよ~って言われて、それもアリかと乗りまして」
「万衣子…」
「あ、これじゃない? うーんと、お互い地味キャラだから結婚式とか写真とか恥ずかしいからすっ飛ばして…、いざ一緒に暮らし始めたら初夜で躓いたって話?」
「初夜」
梅本の戸惑った表情にやってしまったと、万衣子は悟った。
言葉選びを間違えた。
自分はいつもそうだ。
失敗ばかり。
だが、もう取り返しがつかない。
なんとか取り繕わねばと焦れば焦るほどに頭の中が真っ白になり、どんどん早口になっていく。
「ああごめんね。年下のちいくんにこんな耳が汚れる話して。でもこれ抜きにはちょっと話がつながらないから耐えて。ようするに三十歳の童貞処女が夜の営みに失敗して微妙な空気になっているのにお姑さんの孫コールが激しくてええいもう人工授精でよくね? ってなって不妊治療の門を叩いたら検査が子宮だけじゃなくて精子もってわかった時点で旦那側が逃げ腰になりさらに病院の会計でうん十万請求されても涼しい顔で支払っている患者さん見ちゃった私ももし運よく子どもが授かったとしても反抗期とか子育てが上手くいかない時に治療の副作用に堪えて高額なお金もかけたのに生まれたのはこんなんかよって憎んでしまうんじゃないかとか色々頭がいっぱいになって」
まるで口と脳が分離したような感じだった。
自分でもいったいいつ息継ぎしているのだろうと不思議になる。
そんななか言葉が洪水のように万衣子の口から勝手に溢れだす。
「まいこ…まいこ、もういい、ストップ」
姉の制止の声も、ヒートアップした万衣子の耳には届かなかった。
「私としては青い衣をまとって分娩台に乗る心づもりにまでなっていたのにですね!」
「万衣子! もういい! ごめんもういいよ、言わなくて!」
両肩を掴まれてはっと口をつぐむ。
「あれ? わたし…」
なんだか最後に凄いことを口走っていなかったか。
「あおい…ころも?」
最後にそんなパワーワードを吐き出した。
「あわわわ…。ちいくん、ごめん、忘れ…られるわけないか」
手をせわしなく動かし自らの頬に当てたり額に当てたりわたわたしながら、万衣子はこの場から逃げ出したくなった。
でも、聞かせてしまった以上説明すべきだと思い、最終的には両手で顔を隠して小さくなりながら続ける。
「ナウシカじゃないよ。受胎告知のマリア様のほう。おこがましいけれど」
もののたとえで。
信者のみなさんにはもうしわけないけれど。
「ああ…」
呑気な中学生時代でたいした活動はしていなかったけれど、お互い美術部だった。
一緒に美術館で宗教画を鑑賞したことがある。
梅本は何も言わずに頷いてくれた。
「わかりました。先輩。辛かったですね」
処女懐胎。
現代の医療の力なら可能だ。
体質や運や金銭的な問題が絡むけれど、赤ちゃんを抱けるかもしれない。
あとはを行うかそれとも。
義母たちはとても孫を欲しがっていて。
でも、夫は精子検査を拒んだ。
説得しようとすると家の中の空気は険悪になって。
でも。
万衣子は婚姻期間ずっと揺れ続けていた。
世間体とか生物としての焦りとか。
色々ごちゃまぜになって、ぎくしゃくしているうちに夫は単身赴任で物理的に離れると決まった時、すごくほっとした。
離婚が決まった時も。
「うん…。すごく悩んだ。うん。つらかったのかも、わたし」
手のひらがじわりと湿った。