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非攻略対象の悪役令嬢とのルートを何百回でも模索する

作者: 水月 穹

どちらの性別でも楽しめる一人称になっております。是非、読む前に主人公の性別をお選びください。


 あぁ……またこのエンディングか。

 笑顔のヒロインに手を引かれるこの画面も、ヒロインの幸せ溢れる台詞も。画面端に表示された洒落たエンディング名もその番号も。

 もう一生忘れないってくらいに見飽きていた。

 このヒロインとのエンディングはこれで13回目だ。


 違う。

 このエンディングが見たいんじゃない。

 私が見たいのはこれじゃない。悪いけど、彼女じゃない。

 だから、セーブデータをリセットし、新しいデータを用意する。

 また周回を始めるために。


「はぁ……」


 ゲーミングチェアの背もたれに身を任せ、無力感に苛まれながら、白い天井を見上げ溜め息を吐く。

 集中し過ぎるあまり、長時間、パソコンの画面をのめり込むように見ていたせいか体の節々が痛む。

 ヘッドホンを外すと、デスクトップPCのファンが排熱のため、忙しなく回転する音が聞こえてくる。

 どうやら、限界と戦っていたのは私だけではなかったようだ。

 そう思った途端、ただの無機物にペットのような愛らしさを覚える私は、とっくに末期なのかもしれないと自嘲する。


「……もうこんな時間か」


 時計を確認し、カレンダーへと視線を移す。

 カレンダーには、本来あるはずだった予定が書き込まれたままになっている。

 恋人と別れさえしなければあったはずの夏の予定の数々が。


 きっとそれは、こんな引きこもり生活とは大きくかけ離れた日々だったのだろう。

 しかし、別れたことに、そしてこの現状に後悔はなかった。

 むしろ、感謝さえしている。

 そのお陰で、出会えたものがあるから。


「流石は世間が認めた神ゲー……見飽きたとは言え、何度見ても感心させられる」


 今、私がプレイしていたのは、少し前に世間を賑わせた『異世界という箱庭で』という恋愛シミュレーションゲームで、舞台は中世のヨーロッパ風の貴族も通うような学園。そこで十二人の個性豊かな最高のヒロインたちがプレイヤーを待っている……初週で二百万本を売り上げるという伝説を作ったゲームだ。


 発売前から大手出版社と有名作家らが莫大な予算の元に制作しているとのことで話題になっており、発売後はその期待さえもを上回る出来に、多くのプレイヤーは歓喜した。

 私が始めたのは発売から二週間ほど経過した頃だったが、その当時でさえその熱は冷め切らぬどころか、むしろ、多くのゲーム実況者らの影響で、売り上げは伸びる一方だったそう。おそらくは、そこまで計算のうちだったのだろう。


 何故『異世界という箱庭で』が、そこまでの人気を博したのか。

 このゲーム最大の売りは、過去に類を見ないほど分岐をする、その膨大なシナリオ数だ。

 総勢十二のヒロインそれぞれに担当の作家が付いており、有名な恋愛小説の作家、ないし漫画家が、ヒロインに命を吹き込んでいる。故にどのヒロインも魅力に溢れており、不人気なヒロインが一人としていない。

 どのヒロインとのルートも、まるで一つの長編恋愛漫画並みの重厚感があり、十二名……全てのシナリオをクリアせずに、このゲームを遊んだとは言えまい。

 また、一定の確率や、その十二のヒロインの各々の好感度の状況に応じて特殊なイベントが発生するのだが、それもかなりの見応えがあるもので、ヒロインを深く理解する上では外せないイベントとなっている。

 だからこそ、一度でも実況を見てしまった大勢は、むしろ自分の手で隅々までプレイするために、買わずにはいられなくなったそうだ。


「お陰様でめちゃくちゃ容量食ってるけど」


 それにお値段も。恋愛シミュレーションにしては、結構お高い金額設定だった。

 しかし、それ以上の価値があると断言できる。


 そんな大金叩いて購入した『異世界という箱庭で』に登場する十二のヒロインは、どれも甲乙つけ難い魅力あるキャラなのだが、私の最推しはその中には居なかった。


 シナリオの中で、誰しもが一度は目にする非攻略キャラがいる。

 カルミア・スレイン。裏切りの花言葉を持つ『カルミア』と、滅亡の花言葉を持つ『スイレン』を並び替えた名前を持つ、イベント発生のための敵キャラ……いわゆる『悪役令嬢』というやつである。

 時にはヒロインを窮地に陥れることで、プレイヤーに救出イベントを発生させ、また時にはヒロインを唆し、闇堕ちさせんと動く。そして闇堕ちしかけるヒロインをプレイヤーが止めに入るイベントが発生するのだが。

 こんな感じで、彼女は物語に必須の触媒のようなキャラクターなのだ。


 おそらく、彼女のようなキャラが生まれた背景には、その十二名のヒロイン其々に作家がついたことが関係しているのだろう。誰も、自分が命を吹き込んだキャラに率先して汚い真似はしてほしくない。汚したくはない。


 とは言え、皆が皆、綺麗なヒロインでは起こり得ないイベントがある。

 そのために生み出された、悲しき非攻略キャラがカルミアだ。

 それ故、確かにカルミアは性格は悪いし、シナリオによってはまぁまぁ酷い行いをしている。

 知能もやたら高く、高い身分も相まって、敵としてはかなり厄介だ。

 だからこそ、ヒロインと共にカルミアの悪略を乗り越えた時の達成感と、上がる好感度は凄まじく、シナリオに一気に重みが増すのだけども。


 多くのプレイヤーは、自らのヒロインを、推しを貶す彼女を嫌っているだろう。


 しかし、考えてみてほしい。

 彼女は、カルミアはプレイヤーという、神のような存在の恩恵の一切を受けずに、この世界でヒロインらと戦っているのだ。

 ならば、思うプレイヤーもいるはずだ。

 そんな彼女と結ばれたい。彼女をハッピーエンドに導きたいと。彼女はかなりのルートで悲惨な末路を辿る。その光景はもう飽き飽きだ。


 144回。

 彼女とのルートを模索し、私がこのゲームをクリアした回数だ。

 このゲームの作り込みは半端じゃない。

 故に、私は百回程度は時間を忘れ楽しめた。

 それ以降は有名声優の吹き込んだ台詞を聞き飛ばし、急足で進めたところも多いが、周回回数が百回を超えてくると、一度聞いた台詞はもう聞かずとも、美しい声色で脳内再生されるため、問題はない。

 そうして始まる145回目のスタート画面。


 幸い、今は大学の長期休暇中。恋人と別れた今、時間なら余るほどある。

 それに、諦め切れるはずがなかった。


「こんなに作り込みが凄いんだ……カルミアとのルートがあったって、おかしくはない」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 諦めない。

 実際、131回目の周回で初めて巡り会ったイベントもあった。そのくらい、このゲームの作り込みは半端じゃない。値段も、一恋愛趣味レーションゲームにしては半端じゃなかったけど。

 あと、そのデータ容量も。


 だから、あるはずなんだ。


 そう信じ、願い、ひたすらにキーボードを叩き続ける。

 クリアしてはセーブデータを消していく。

 残しておく必要はない。どうせまた辿り着くエンディングだ。


 何度だって。何度だって。

 私は追い求め、周回し続ける。


「あれ?」


 それは149回目の周回を始めようとした時に起こった。

 息をするようにセーブデータを消去し、新たなデータを作る。

 百回はまじまじと見たオープニングが流れ始め、時間短縮のために飛ばそうとキーボードに手を伸ばした……その瞬間、気がつけば目の前からパソコンの画面が消えていた。

 キーボードも、マウスも、ゲーミングチェアも、何もかもがない。


 それなのに、私の視界に映る光景は、本来であればパソコンの画面に映るはずだった映像と酷似……否、一致していた。


「えっ、どういう……」


 自分の身に何が起こったのか。

 いよいよ、頭がおかしくなったのだろうか。私の場合、その可能性を否定しきれないのが、悩みようだ。自分でも同じゲームを短期間で100回以上クリアすることが異常であることくらい、理解はしている。

 夢が覚めたら、病院に行くことを真剣に検討すべきかもしれない、などと思っていて、違和感に気がつく。


「夢? いや、にしてはリアル過ぎる」


 肌をなぞる暖かな風も、呼吸する際に空気が鼻を通り抜ける感覚も、五感で感じる全てが妙にリアルなのだ。

 目に映る光景も、どんな高解像度な画面よりもずっと鮮明でクリア。

 そんな中、目の前の女生徒がハンカチを落とすのが見えた。

 私は反射的にそのハンカチを拾ってしまう。

 同時に思い返す、これはフラグであると。

 この女生徒との、ヒロインとのシナリオを進めるなら必須で、同時に、あるキャラに出会うのならば折るべきフラグ。

 しかし、日本人の常識として拾ってしまった以上、返さなくてはと思ってしまう。


「すみません、落としましたよ」


 私に声をかけられ振り返る、紅い長髪を靡かせる可憐な女生徒……彼女の名はガネットだ。

 一番初めに出会うヒロインで……いや、一言で説明はできそうにない。それだけの重みが彼女にはある。何せ、一人の有名作家が手がけた掛け替えの無い一人なのだから。

 それでも無理やり、簡潔に印象を語るのならば、正統派で、明るく、程よく真面目で、可愛さと格好良さが絶妙な塩梅で内包されたヒロインと言ったところだろうか。

 

「ありがとうございます」


 有名声優の美しい美声で発せられた一言は、もう何度も聞いたはずだというのに、ドキッと心臓を跳ね上がらせる。目の前で発せられた声は、どれだけ高音質なヘッドホンでも聞けないような、リアルな質感を孕んでいた。

 控えめに言って、最高である。


「いえ、どういたしまして」


 この何気ない短い会話が、彼女との好感度を深めてゆく上で重要になるのだが……。


 って、違う。私は何をしているんだ?


 どういう理屈かはわからない。

 ここはあの『異世界という箱庭で』の世界でありながら、しかし、もう何度も見たはずの、三つの選択肢が提示されてはいなかった。

 結果として私は自然と、あるルートをなぞってしまった形にはなるが、ここでの三つの『今この場で呼び止め渡す』『後で職員伝てに渡す』『気が付かない振りをする』以外の、例えば『拾って持って帰る』というような行動も取れなくはなかった。

 そんな無意味な選択をする理由は置いておくとしてだ。


 もっと極端な話、これから始まるであろう入学式にさえ出席する必要は……って、そのルートはすでに存在するか。

 例えば、ここで急に大声で叫び出して、職員室に呼び出される、なんていう絶対にあり得ない、理解不能なルートを開拓することも可能なわけで。

 つまり、つまりは、


「この世界には、カルミアとのエンディングも存在しうるかもしれない」


 もし、私が主人公なのであれば、スペックは悪くないはずだ。物語に没入するため、その容姿はぼかされているものの、あの十二人のヒロインと結ばれる程度には良いのだろう。

 ならば、いけるのではなかろうか?

 幻の十三人目のヒロインの攻略に。

 このゲームを百回以上やり込んだ私ならば。


 足を止め、幸せそうに口角を上げる私を、すれ違う生徒はまるで、見てはいけないものを見てしまったかのような目で眺めては、距離を空けていた。


「はは、刺さる視線もリアル……」


 物語の舞台となる学園の入学式は、海外のオペラの歌劇場のような、ご立派なホールで行われる。


「す、凄い」


 パソコンの画面越しに見るのとは全くの別物だった。

 立体感は勿論、迫力が違う。

 それをこうしてこの目で見られる私は幸せ者だろう。


 ここでもゲームであれば、三人のヒロインとのフラグを立てるルートが、分岐が存在する。

 同時にここに来た時点で一つ、あるヒロインとのフラグは折られてしまっているのだが。

 まぁ、別にそんなのはどうだっていいのだ。


 十二のヒロインのルートに興味はない……こともないけれども。その光景はゲームで死ぬほど見てきた。

 正直この、どれだけVRが進化しようと到達できそうもない、もはや現実としか言いようのない異世界で、十二人のヒロインらとのエンディングを見てみたいかと問われれば、当然YESである。

 しかし、一度きりのチャンスである可能性の高いこの異世界、やはり願わくば彼女との……カルミアとのエンディングが見たい。

 だから、ここでのフラグは何一つ立てない。


 入学式が終わると、各々に割り当てられた教室へと向かう。

 道中、同性の友人と教室へ向かうガネットと目が合った。これは、先ほどハンカチを拾うことで起こるイベントで、拾わない、直接渡さないルートだと見られない一枚絵が存在する。

 私に気がつき声かけようとするも、友人に話しかけられ、諦めるガネットの仕草……、


「やばい……ドキッとした」


 って、いかんいかん。私の目的はあくまでカルミアなのだから。

 教室には、先ほど短い会話を交わしたガレット、そしてメトア、マリンの三人のヒロインがいる。ここでも幾つかの選択肢とフラグが存在するのだが……。

 私はどのフラグも立てずに退屈な、しかしながらゲームでは味わうことができなかった講義に集中した。

 その間、メトアが教授に出された問いに戸惑っていようと、マリンが目の前でペンを落とそうと、私は助けない、拾わない。

 そんなことをしようものならば、フラグが立ってしまう。


 予想外のことと言えば、ゲームでは必要に応じ、何気なく折ってきたフラグが、現実ではこうも心苦しいということだろう。いや、ゲームでも多少の心苦しさはあったけれども、目の前で起こるこれはその比ではない。

 彼女らとの記憶があるが故に、それらを無視する私の心は過剰に締め付けられる。


「苦しい……」


 だから、講義が終わるや否や、私は逃げ出すように教室を出た。これ以上同じ空間にいると、私の記憶の片隅にしまわれた、思い出の数々が呼び起こされてしまいそうだったから。


「あ、あの……」

 

 ガネットの死ぬほど聞いた声色、それでいて初めて聞く台詞が聞こえたような気もするが、きっと気のせいだろう。

 そう思い込まなくては、思わず振り返ってしまいそうだった。

 さらば、ガネットとのフラグ!

 脳内をカルミアで埋め尽くし、彼女の元へと足を進める。


 カルミアは一つ上の学年で、一般の生徒が普通に過ごしていれば会うことはないような、高貴なお方だ。

 現在、どのヒロインとも深い関わりを持たない状態で、速攻で彼女と会いにいくとすれば、向かう先は一つ。


 この学園にはお洒落で広いテラスがあり、昼休憩の間、カルミアは取り巻きらとそこで優雅に昼食を取っている。何故か一つだけ存在する、高級感のある席で、だ。

 おそらく、製作陣が意図して作ったであろう、彼女の縄張りの一つ。

 昼休憩中にそこへと行けば、かなりの高確率で彼女と出会える……と思う。


「とりあえず、行ってみよう」


 今、会うことができたとしても彼女と話せる、なんて思ってはいない。

 カルミアは貴族の中でも高位に位置する公爵家のご令嬢だ。

 私とは身分が違いすぎる。とても相手にはされないだろう。

 それでも、ただ、見たかった。他のどのヒロインよりも、カルミアをこの目で、この異世界で早く見たかった。

 だから足早にカルミアのいると思われる場所に向かう。

 そしてテラスの一番お洒落な場所で、三人の取り巻きを従える彼女の姿を捉えた。


 黄金のお髪に、アメジストのような綺麗な紫の瞳……差別化のためか、一般の制服とは色だけ異なる、黒と赤の制服を身に纏う彼女こそが、悪役令嬢……カルミア・スレインである。

 彼女が、現実で目の前にいる。

 そう意識するだけで、私の鼓動が激しく脈打ち出した。


 本物だ。十数メートル先に、本物のカルミアがいる。


「うわぁ……」 


 間抜けな声を漏らしながら、何をするでもなく、ただ影に隠れ彼女の様子を眺めていると、見覚えのある男の姿が視界に映った。

 白い肌に金髪、そして碧眼を持つ手足の長い高身長のイケメン。


「相変わらず、取り巻きを従えて、優雅に昼食か……カルミア」


 彼の名前はアレク・フェリアス。

 この学園の存在する架空の王国の第一王子。

 一部ヒロインとのルートでは、彼とヒロインの心の争奪戦が行われる。時には共闘イベントもあるが、基本はライバルに位置するキャラクターだ。

 イケメンの第一王子がライバルって、流石に無理ゲーだろ!と、一周目に心の中で叫んだ記憶は、今での鮮明に思い出せる。

 相手は超がつくほどのイケメンな上、王族にして次期国王という圧倒的高位な立場と莫大な財力を持っている。

 本来であれば、平民の主人公に敵う相手ではない……ように思えるが、そこはご安心を。彼には乙女心の不理解と庶民的感覚の欠如というデバフ属性が付与されている。

 そして作中、彼は何度も己が善意でヒロインを窮地に追いやる、超絶嫌われキャラでもあった。

 そうでなくてはプレイヤーに勝ち目がないという、メタい事情もあるのだろう。


 目の前で繰り広がられんとする、私の知らないシナリオに胸が高鳴る。


「そういうアレク様こそ、随分とお暇なようで」


 カルミアはアレクの威圧に屈することなく、ティーカップ片手に、堂々たる態度で言葉を返した。

 カルミアとアレクの間には、並々ならない軋轢があった。

 簡潔に言えば、カルミアとアレクは互いの親の付き合いで幼い頃から縁があり、幼馴染という間柄にあった。そして、一度は将来を誓った仲でもあり……彼こそがカルミアの心を歪めた一因である。

 あぁ、思い返しただけで拳に力が入るか……だめだ、我慢我慢。


 アレクがカルミアのテーブルに勢いよく手をつき、鋭い視線を向ける。


「単刀直入に聞く。お前、リアンに嫌がらせしているようだな」


「さて? なんのことでして?」


 そうすっとぼけるカルミアだが、おそらく、嫌がらせをしたのは彼女だろう。流石にこの展開は初めて見るため、断言はできないが……なんらかの形では絡んでいる事だろう。


「リアン、か」


 リアンとは十二人のヒロインのうちの一人だ。灰色の髪の静かで、少々コミュ障みのある目隠れヒロイン。長い前髪の隙間から見える、青味がかったグリーンの美しい片目からは、相当の美人であることを匂わせつつも、ある程度好感度が上がらなくてはそのご尊顔を伺うことはできないヒロインだ。

 好感度が上がる事で発生するとあるイベントで、初めてプレイヤーの願いに応え、顔を赤ながらそのご尊顔を見せていただけるのだが。

 あれは大変、素晴らしかった。

 また、彼女が一度だけ見せてくれた、堂々ともの言う姿も……って、語るとキリがなさそうなのでこの辺でやめておこう。

 それより今は、アレクとカルミアの会話に集中すべきだ。


「惚けても無駄だぞ、カルミア」


「あら、そうかしら? なら、どうして(わたくし)にそんなことを伝えにきたのでして?」


 アレクはカルミアの問いに答えない。その様子を見て、カルミアは不適な笑みを浮かべた。

 あぁ、来るぞ。


「私が当ててあげましょうか? それは……」


 彼女の決め台詞の一つ。何度も聞いた言葉に、思わず私の口が開く。


「……そんな証拠はどこにもないから」


 ただ見てるだけのつもりだった私の口から飛び出て言葉に、他でもない私自身が最も驚いてた。

 一体、私は何をやっているのだろうか。

 私の言葉ははっきりと聞かれてしまっており、アレクやカルミアの取り巻きだけでは収まらず、周囲の一般生徒の視線までもが、私の元へと集まっていた。

 

「えーと……ですよね、カルミアさん」


「え、えぇ」


 奪ってしまった会話の主導権を彼女に譲渡することでそっと身を引く。

 しまった……ついつい、いつもの癖で口に出してしまった。カルミアにはいくつかの決め台詞があるが、それが出るたびに自然と呟いてしまう癖が、すっかり体に染み付いてしまっていた。

 お陰様でカルミアの取り巻き、アレク、そして周囲の生徒から「何あいつ?」と言わんばかりの視線を向けられる始末。


「あは、あはは……」


 私の不用意な発言のせいで白けてしまった場で、アレクは大きなため息をついた後、テラスを去った。彼としても、証拠もない中問い詰めて自白を誘える相手とは思ってはいなかったのだろう。

 あくまでの警告。そしてそれを成した今、こんな気まずい場に留まる理由はない。

 カルミアの取り巻きらは未だ、私を……少なくとも好意的ではない瞳で見ている。

 一般生徒の視線も痛い。

 ここは一旦出直して、時の流れが皆の記憶を風化させるのを待つのが最善か。


「待ちなさい!」


 気まずさに耐えきれず、その場を去ろうとする私を引き止めたのは、悪役令嬢……カルミア・スレインだった。

 くっ、彼女の言葉を私が無視できるはずがない。


「なんでしょうか?」


「あなた、中々に面白いじゃない」


「そう、ですかね?」


「えぇ、私の言葉を横から奪い去り、第一王子と私の取り巻き、そして多くの生徒を敵に回さんとする姿勢……ふふっ。私は嫌いでなくってよ。そこらの生徒より、よっぽど見ていて面白いですわ」


 推しからの「嫌いでなくってよ」は、全てを敵に回しかけた失態を帳消しする、最高のイベント報酬だった。

 そうだ。思い返せば、こんなことは大した問題じゃない。

 ヒロインの中には、癖のある作家が描いたキャラもいた。あるヒロインのルートでは第一王子もこのカルミアも、そして学園そのものを敵に回す展開もある。

 それでもなんだかんだ死にはしないのだから、このくらい……なんのことはない、はずだ。きっと。

 それに彼女のエンディングを目指す以上、多くの生徒から嫌われることは避けようのない未来だろう。


「光栄です」


 本心のままに出た言葉に、カルミアは目を丸くした後、微笑みをこぼした。


「本当に変わった方ですわね」


「そうかもしれません」


 公式が用意した十二名の最高のヒロインではなく、あるかないかで言えばない可能性の方がずっと高い悪役令嬢とのルート探し、同じゲームを100回以上プレイし続ける……変人であることは認めざるを得ない。


「せっかくですし、お茶でもいかがかしら?」


 唐突なお茶の誘い。これは、間違いなくフラグである。彼女とのエンディングを成立させる上で必須の、立てねばならぬフラグだ。

 断るなんて選択、あるはずがない。


「では、お言葉に甘えて」


 テーブルの中心には、ゲームやドラマの中でしか見たことのない三段スタンド置かれていて、下段からサンドウィッチ、スコーン、ケーキの順に載せられていた。

 さて、どれを頂こうか。

 ケーキの中には可愛らしいマカロンもあった。

 マカロンはケーキの類なのだろうか?などと考えながらも、最も食べやすそうと感じたため、マカロンを一つ頂く。

 食感も甘さも悪くはない。

 うーん、美味しいちゃ美味しいけど、現代の方が美味しいかもしれない。


「あなたは見たことありませんが、ひょっとして平民の出身で?」


「はい」


 プレイヤーの設定は平民。物語にのめり込むためか、主人公に関する深い設定はないが、一応、この学園には猛勉強し、辛うじて入学したと言う流れになる。

 この学園は貴族であれば試験もなく入学できるそうだが、仮に主人公に貴族の家系という設定をつけると、プレイする現代人が共感しにくくなると考えたため、平民になったそうだ。

 ちなみに、ルートによっては貴族の爵位を手に入れるために、奔走する流れがあったりして。これが面白いのだが同時に結構大変で……と言う話は、また今度にしよう。

 私の身分が平民だと発覚したことにより、取り巻きの一人が立ち上がった。

 一応、ここにいる面々は貴族のご令嬢……平民はいなかったっけか。


「平民が、カルミア様と口を聞くなど……」


 この世界では現実の歴史のような酷い格差は存在しないが、貴族と平民の間に大きな差があるのは確かだ。

 だから、平民であるプレイヤーは度々、こういう展開に見舞われる。

 この場合は、ただ平民を見下しているだけでなく、ご令嬢であるカルミアが私のような平民と仲良く会話していると、彼女の品位に傷がつきかねない……なんて、心配も含まれているのだろう。

 さて、どうするかと言葉を選び悩んでいると、カルミアが口を開いた。


「ねぇ、私は彼と話していましてよ? それを邪魔するとは……あなたこそ、どう言うつもりで?」


「で、ですが」


「ですが?」


 有無を言わせぬカルミアの睨みを見て、取り巻きの女生徒は、これ以上は不敬と判断し引き下がる。

 そうそう、これだよこれ。

 カルミアはきつい性格をしているが、そこがまた魅力的なんだよなぁ。

 だからこそ、あの王子様にもプレイヤーにも靡かないんだけど。


「すみません、彼女が失礼を」


「いえ、大丈夫です」


 むしろ、こんなにも威厳の溢れるカルミアを間近で観られて光栄に思うくらいだ。

 ありがとう、取り巻きA!


「お詫びとしてはなんですが、あなたは何か聞きたいことはなくって? なんでも、とはいきませんが、ある程度は特別にお答えいたしますわ」


「聞きたいこと、ですか?」


「えぇ、先ほどは私が質問しましたしね」


 聞きたいこと……そんなのは山のようにある。どんな恋愛シミュレーションゲームでも人間が限られた時間の中で作っている以上、設定の細かさにも限界がある。攻略キャラのヒロインでさえ、彼女らの年齢分の重みは乗せられない。

 しかし、今私の目の前には、おそらくはその人生を生きたであろう御本人様がいるわけで、その設定は創作上のキャラよりずっと細かく、深いはず。

 そもそもカルミアのようなキャラは、攻略キャラではない分、どうしても設定は浅くなってしまう。

 二度とないかもしれない機会……何を聞くか。

 初対面で聞いていいかは怪しい問いではあるものの、私はゲームをプレイしていてずっと気になっていたことを覚悟を決め尋ねる。


「どうして、一部女生徒に嫌がらせをするんですか?」


 ずっと聞きたかった。

 何故、彼女が執拗にヒロインに手を出すのか。

 勿論、ヒロインごとにある程度嫌がらせをするだけの理由が描かれているが、彼女は初登場時から大抵、ヒロインをいじめている。

 あれだけ作り込まれたゲームで、しかし、そこは細かく説明されていない。それは十二のヒロインの多くのシナリオで、彼女が悪役として共有されるが故にぼかさざるを得ない、制作上の事情もあるのだろう。

 しかし、ここはゲームの世界によく似ている異世界で、ゲームじゃない。

 だからこそ、そういう製作陣の都合を抜きにした場合、彼女がどう答えるか気になって仕方がなかった。

 やはり、取り巻きの女子らは私の問いに不快感を露わにするが、カルミアはそれを手で制する。

 そして不適な笑みで、


「当然、嫌いだからでしてよ」


 ただ、そう答えた。

 らしい回答だ。しかし、聞きたいのはもっと深く……そんな私の心中を察したかのように、カルミアは語りを続ける。


「私は観察力には少々自信がありまして。だからわかってしまうのです。リアンしかり、一部の女生徒の浅ましさが」


「浅ましさ、ですか?」


「えぇ、羨ましい限りのスペックを持ちながら、自らでは幸せになろうとしない。常に、何か……いえ、誰かを待ち続けているような、その他力本願なスタンスが、耐え難いほど腹立たしい」


 怒り混じりのその言葉は、妙に納得の行くものだった。

 彼女ら十二人にはそれぞれに幾つかのエンディングがあるが、ハッピーエンドを迎える時、いつだって彼女の隣には主人公がいた。

 彼女らのハッピーエンドには主人公の、プレイヤーの導きがあった。

 そして基本的に、選ばれなかったヒロインは心のどこかに影を、闇を潜めたまま、表面上は幸せそうに終えることが多い。

 その後のことなんてあまり考えたことはなかったが、きっと選ばれなかったヒロインは、各々が抱える事情を心に閉まったまま、今後を過ごすのだろう。

 待ち続けるのだろう……再び、閉した心を開いてくれる存在が現れる日を。


 なるほど。

 カルミアはいつだって手の込んだ執拗な嫌がらせをしてくるが、それらは全て妙に芯をくった内容だった。

 ヒロインら一人一人に、最も有効な悪略を用意する……それが悪役令嬢カルミアだ。

 きっと、彼女はわかっていたのだ。ヒロインらの心のうちを。

『フィクションだから』で済ませていた、カルミアの観察力の高さを見落としていた自分に、怒りが込み上げる。

 百回以上も見ていながら、気がつけなかった自分に。


「そうだったんですね」


「えぇ。全く、他人になんて期待するだけ無駄だというのに」


 溢れんばかりの自信の底に影を潜めた瞳で、彼女は本音を語った。

 カルミアは過去に、あの第一王子アレクに裏切りを受けている。

 元々、二人は幼馴染であり将来を誓い合った仲だったそう。しかし、カルミアは本心で、アレクは立場で考えた誓いだった。

 当時、国王が身内に引き入れたいと思うだけの力がカルミアの家にはあった。

 そしてそれは、別の貴族の台頭により、あっけなく破られる。その時になって初めて、アレクの思惑を、そこに好意はなかったことを知り、カルミアは酷く傷心するのだが。その際、誰も彼女に救いの手を差し伸べなかった。

 以降、二人は事あるごとに対立する形になり、その被害を他のヒロインやプレイヤーが喰らうわけだが。

 そうか。きっとそれが、彼女にそんな信念を与えたのだろう。

 知らない一面が捲られていくと同時に、何故、こんなにも魅力溢れる彼女とのエンディングが存在しないのか、理解してしまいそうになる。


「そうか」


 彼女は、カルミアはヒロインになれたかもしれない可能性を過去に置いてきたのだ。

 彼女は十三人目のヒロインになるはずだった、それだけの素質はあった……しかし、それを自らで捨てたヒロインの成り損ないだと。

 そう、理解してしまう。

 やはり、カルミアとのエンディングは存在しないのだろうか。

 薄々分かっていた……否、心のどこかで分かりきっていた答えに、胸が締め上げられた。




 入学初日……カルミアとの接触に限られた時間のほぼ全てを注ぎ込んだ私は、結果として多くのフラグを折った形となった。

 そのせいか、それから数日は単調な日々が続いた。

 もしこんなルートがあれば、きっと酷評の嵐だろうと言うほどに、無意味で退屈な時間が流れていくだけの日常。

 意味もない講義……クラスにいるヒロイン三名との繋がりは今だない。

 ただ、よく分からない講義を受け、学生寮に帰るだけの日々が続く。

 中世の生活様式は、現代に慣れた私にはいささか辛いものだった。


「はぁ……」


 別のヒロインのルートはまだ残されているが、そんな気も起きないまま、一週間が過ぎてしまった。


「ああ、そろそろだっけ」


 二年生の先輩ヒロイン、リアンとの遭遇イベントがある時期は。

 確か主人公は食堂へ向かう最中、あのテラスである光景を目撃する。

 悪役令嬢カルミアがリアンを連れた第一王子アレクに、糾弾されそうになるイベント。


「堪忍袋の尾がきれたアレクはカルミアを問い詰めるも、残念ながら決定的な証拠はなく……結果、リアンが第一王子にとって特別な存在だと周知させる形となり、そのせいでリアンの境遇はさらに酷いものになる……だっけ」


 このシーンを見かけた数日後、主人公は帰り際、彼女のすすり泣く声を聴き、校舎裏でリアンと出会う。そう言う流れだったはずだ。

 アレクはその恵まれた容姿と高い身分ゆえ、彼と結ばれたいと願う人間が周りにも大勢いる。

 そんな中、もし平民のリアンが特別扱いされたとなれば、当然、彼女の立場は悪くなるわけで。

 今から行われるのは、アレクの自分勝手な善意が招く、リアンにとっての最悪の始まりだ。

 なんとなく食道へと向かうと、その最中、半ば強引に手を引かれ、アレクと共にカルミアの元に向かう姿が見えた。

 その手にはおそらく証拠……しかし、決定打には至らないものが握られている。

 私もその後をそろっと追いかける。


 アレクはカルミアの元に向かうと、リアンへの脅迫状をテーブルへと叩きつけた。


「君がリアンに嫌がらせを仕掛けることは読めていた。だから友人に頼んでリアンの周囲を監視させていたところ、思った通り、生徒の一人がカバンに脅迫状を入れにきた。これがその証拠だ」


 そう言い、勝ち誇った顔をするアレクの後ろに控えるリアンの表情は不安げだった。

 そりゃそうだろう。そんなものは証拠になり得ない。

 悪役令嬢カルミアはそんな一筋縄で行く、悪役じゃない。


「それで? 何故、私がその犯人であると?」


「尋問したところ、お前に命令され、脅されてやったとそう白状した」


「へぇ、それで?」


「彼女に謝れ。そして二度と嫌がらせをしないと誓うんだ。今、この場で」


 そのために強引にリアンをカルミアの元に連れて来たのだろう。大勢の前で、彼女に謝罪させるために。

 そうすることで、リアンを救うために。

 そんなアレクの言葉に、カルミアは大きなため息をついた。

 そんな様子を影から眺めていた私もまた、大きなため息を溢した。


「それで? 何故、私がそんなことをしたと、断言できるのかしら?」


「何?」


「アレク、あなたも王族なら分かるでしょう? 私たちはその立場ゆえに敵も多い身、当然、足を引っ張らんと動く連中は多くいましてよ。脅迫状を仕込んだのが、彼か彼女かは存じ上げませんが……その方が、私の印象を悪くしようと働く輩の類だとは、お考えにならなくて?」


 そう、アレクの持ってきた証拠は所詮、証言のみ。

 彼女が脅迫状を入れた生徒に命令した証拠はない。そもそも、この一件は彼女の取り巻きが独断で起こした件だったはずだ。

 まぁ、予め、取り巻きたちが『カルミアのお気に入りになるため』に嫌がらせを自発的に働くよう、唆したのはカルミアだけど。

 とにかく、どこまでこの一件を深掘りしようと、カルミアには辿り着けない。

 第一王子アレクでは彼女には敵わない。


 プレイヤーとヒロインが協力して打倒する悪役……それが悪役令嬢カルミアなのだから。


「だとしても! お前がやったのは明らかだ!」


「あらそう? それはつまり、そう考えるだけの思い当たる節があるということで?」


 カルミアの言葉にアレクは言い返す言葉もなかった。

 それでも、歯噛みしながら、言葉を絞り出す。


「……俺にあたればいい。分かってる、俺を恨んでいるんだろ! なら!」


 アレクの言葉にカルミアは呆れ果て、失笑を浮かべた。


「それができないからこうしていると……分からぬ愚者ではないでしょう?」


 カルミアも相当高貴な身分ではあるものの、それでも第一王子には敵わない。下手を打てば、首が飛んだっておかしくはない立場。

 そのため、こんな周りくどいやり方を、平民であるリアンを標的にしているのだ。リアンを愛おしいと思いながらも、口には出せないアレクの心の内を読んで、動いているのだ。

 ちなみにリアンのルートでは、こうして第一王子が足踏みしているところを横から主人公が掻っ攫う流れになる。立場や身分を無視し、カルミアに立ち向かう主人公は、リアンからの好感度を一気に高めるのだ。


「だからって、彼女に当たるのは……それは卑怯者のやることだ」


 アレクの発言は一見、まともに見えて、結構失笑ものだった。

 第一王子という自分の立場を知りながら「なら、俺にあたればいい」なんて決め台詞を放ったあなたも結構卑怯ですけどね、とストーリーの中で何度思ったことか。

 これがあるから、どれだけヒロインを庇っても、彼への好感度は上がらない。

 お陰でプレイヤーとしては助かっているんだけど。


「卑怯で結構、非力よりかはマシではなくって?」


 これはアレクへの挑発ではない。

 リアンへの侮辱だ。その言葉を聞いたリアンは下を俯いた。

 その様子を見たアレクは憤慨し、カルミアに歩み寄り、


「いい加減に!」


 振るったその手を、私は自身の頬で受け止めた。頬にジンジンと響く痛みは、これが夢ではないことを伝え、それだけで私の心は幸せで満たされていく。

 これは現実なのだと。


「誰だ! 貴様!」


 見知らぬ主人公……プレイヤーに妨害され、怒るアレク。

 いやいや、むしろ感謝してほしいくらいだ。ここでカルミア本人を殴れば、リアンへの嫌がらせはヒートアップしたことだろう。

 それを救ってやったのが分からないから、アレクは嫌われ者から抜け出せないのだ。


「人のこと殴っておいて、第一声がそれはないでしょ? 王子様」


「貴様が邪魔をするからだろう。私は貴様ではなく」


 鋭い視線を私の背後にいるカルミアへとぶつける。

 よし。アレクは今この場でカルミアを殴ろうとした……それが周知されれば、こちらとしては十分だ。


「へぇ、第一王子ともあろうお方が感情に身を任せ、犯人だという可能性があるだけで、女の子を殴ろうと? それは考えませんでした。すみません」


 私からの挑発に、アレクは眉を顰める。

 私が『異世界という箱庭で』で網羅しているのは何もヒロインだけじゃない。第一王子アレクや悪役令嬢カルミア、他にも講師陣含め、ネームドキャラの設定は大体把握している。

 特にアレクとは何度もぶつかった仲だ。

 だから、彼にとって何が痛手か、今この場所で俺以上に詳しいものはいまい。


 今の行動……王族ならば、根拠もなしに女の子を殴ってOKと囚われ兼ねない。本人の真意は知らないが、周りから見れば、女の子を殴ったって結局王子様パワーで有耶無耶に処理されることは目に見えている。

 もし、王子様でさえなければ、退学覚悟でカルミアを殴った自己犠牲の主人公に見えたかもしれないというのに。


「くっ……」


 悔しそうに歯噛みするアレク。

 しかし、本当に悔しいのは私だ。

 ずっと彼に入ってやりたい言葉があった。


「王子様、一つ言いたいことがあります」


「なんだ?」


「あまりリアンを舐めないでください」


「は?」


 分かっていない、お前はリアンというヒロインの強さを。


「リアンは確かに気弱で、おどおどしていて、ついつい支えたくなる小動物みたいな女性です。でも、あなたの力を、立場を借りるほど、卑怯で、弱い人じゃない」


 最終的にリアンは頭脳で、カルミアの悪略を上回る。そうすることでプレイヤーに『守られるだけの存在じゃない』と。その強さを見せつけてくれるヒロインだ。普段が弱気だからこそ、そのギャップにやられたプレイヤーは多い。

 勿論、私もその一人だ。


「お前はリアンの何を……」


 知っているとも。私が何度、彼女とのエンディングを迎えたと思っている。

 彼女の秘める事情も闇も、そして本当の彼女の強さも美しさも。

 勿論、全てを知っていると言うつもりはない。

 それでも一周しかできないお前に、何しろ、迷惑系王子に負けるつもりはない。


 とは言え、どうしたものか。

 この流れ……何を言っても私が気持ち悪い奴になってしまう。

 不用意な発言をすれば、背後にいるカルミアにまで引かれてしまう。

 どうしたものかと必死に思考を回転させる私に、背後からカルミアが普段からは想像できない、か細い声で問いかける。 


「なんで、私を庇って?」


 カルミアの溢したその問いに、どう答えるべきか悩んだ。

 ずっと前から好きでした!はキモい。

 何せ、彼女にとってこれは一周目で、一度きりの人生なのだから。


 こんな時、主人公ならどう答えるだろう?

 このシーンでは、どんな選択肢が与えられるだろう。

 だめだ、分からない。

 そもそもこんな、悪役令嬢であるカルミアを味方するルートは見たことがない。常に彼女とは無関係か、敵対関係にある。

 未だ誰も見たことがないルートに入っている。

 だから、私は自分自身で言葉を紡いだ。


「カルミアさんは人に期待はしないって、無駄だって言いましたよね?」


 この世界は、ゲームじゃあない。ゲームに酷似した異世界だ。

 だから、どれだけ待ってもフラグが立たないなら。

 フラグがないなら、私が作って、私が立てればいい。


「そんなことはないって、伝えたかったんです」


 確かにカルミアは悪役令嬢であり、嫌われキャラだけど、それでもカルミアを推す人はいる。

 少なくともここに、カルミアを幸せに導くために、そのためだけに『異世界という箱庭で』を150回近く周回したプレイヤーがいる。


「それと……」


 言うべきだろう。

 多少怪しまれたとしても、どうしても伝えたかったから。


「あれはあなたのせいじゃない。第一王子がクズだっただけです。そしてたまたま周りが無配慮で、最低だっただけです」


 私の一言にその場にいた全員が凍りつく。一般生徒は勿論、取り巻き連中も。

 当然だ。王位を継ぐ男に対し一平民のこの発言……この時代背景を考えると、退学どころか投獄されたっておかしくはない台詞だ。

 そうでなくとも、悪役令嬢の肩を持ち、第一王子を貶す私は、相当イカれて見えるだろう。

 私の学園生活は終わったも同然。

 これで十二人のヒロインとのルートも完全に途絶えた。


 しかし、後悔はない。ずっとプレイ中に言いたかった、言えなかった言葉を口にできた。

 それに、私がこの異世界で目指すルートはたった一つ、カルミアとのルートなのだから。


 平民にこうまで言われたことはなかったのか、目抜けな顔で立ち尽くすアレクと、困惑に支配される野次馬を、吹っ飛ばすように、高らかに笑う声が響いた。


「あははははっ!」


 背後を振り返ると、カルミアが腹を抱え、笑っていた。

 涙をこぼしながら、作中では見たこともないほど楽しげに、ケラケラと笑っている。


「そう、そうですわね……」


 涙を拭いながら、私を押し退け、アレクの眼前に立つ。

 そして堂々たる、悪役令嬢の称号に相応しい、傲慢な態度で、


「いいでしょう、カルミア・スレインがこの名にかけて、彼女に二度と嫌がらせはしない、させないと誓いましょう。ですから、どうぞご自由に、誰とでも幸せになってくださいまし」


 過去との決別を宣言する。


「今更何を……そんなの言われずとも」


「ただ、それを彼女が望めばですけど」


 カルミアはそう言い放ちながら、背後のリアンに目を向けた。アレクもカルミアの視線を追うように振り返る。

 そこには不機嫌そうなリアンの姿があった。

 当然だ。リアンからすれば、アレクは窮地を救ってくれた王子様じゃない。取り返しのつかない窮地に突き落とした通り魔のようなものだ。実際、アレクが執拗に彼女に迫らなければ、カルミアの標的になることはなかった。

 悪いのはカルミアだが、巻き込んだのは他でもない、第一王子アレク。

 そして元を辿れば、カルミアを歪め、悪役令嬢にしてしまったのもまたアレクである。

 リアンは一度、お忍びで出かけていたアレクがトラブルに巻き込まれた際、助けた過去がある。そこで彼女に惚れたようだが。

 そんな恩を仇で返す、最悪の男。


 残念。リアンはそんな男を選ぶようなヒロインじゃあない。

 そもそもそんな男を選ぶヒロインは、十二人の中にいやしない。


 リアンは周囲へと一度、深く頭を下げると足早にどこかへと走り去っていった。


「リ、リアン? 私は……」


 情けない声を出しながら手を伸ばすが、彼女には届かない。

 その後、リアンは恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしながら逃げるように場を立ち去った。

 そして野次馬も、まるで見てはいけないものでも見たかのようにちりじりにはけ始める。


「一件落着、でいいんですかね?」


「えぇ、一件落着ですわ」


 それから、静かになったテラスで優雅なティーテイムが再開された。

 改めて入れ直してくれた温かい紅茶が、取り巻きの一人により注がれる。

 私を見直してくれたのか、取り巻きの表情は心なしか和やかである。


「あ、どうも」


 さて。こんな時に、紅茶に関して気の利いた感想が言えれば良いのだが、あいにくとそこまで紅茶に造詣が深いわけではない私は、浅い感想しか言えそうにない。そもそも、どんな高級なものでさえ、現代人の舌には少し物足りなく思えてしまう。

 だから大人しく、紅茶を飲む。

 そんな私のことをカルミアはまじまじと眺めていた。


「えーと、どうかしましたか?」


「悔しいですけど、分かってしまいましたわ……どうして彼女らが、誰かを待ち続け、自分ではない何者かに期待をするのか」

 

「そうですか。それはよかったです」


 カルミアが遠い昔に捨ててきたヒロインの可能性をもう一度、持つことができたのだから。


「人のことを言えた身ではないですけれど、あなたも大概、嫌なやつですわね」


「えっ、いえ、別にそういうつもりで言ったんじゃ!」


「ふふっ……えぇ、知ってますわ」


 そう言い、意地悪に笑うカルミア。

 本当に彼女の観察力と機転の利かせ方には敵わないと痛感させられる。

 そりゃそうだ。世界の何百万というプレイヤーを相手どった悪役令嬢……最後はその肩書きに相応しい、悲惨な末路をたどるけれども。

 作中では幾度となく、プレイヤーは彼女に苦境に陥れられるのだ。

 そんな彼女が、馬鹿なはずがない。むしろ、キャラクター個人としては十二人のヒロインと比べても群を抜いた最高スペックなのではないだろうか?


「ねぇ」


 カルミアがテーブルに手をつき、身を乗り出す。

 白い肌が、美しい紫の宝石のような瞳が、その息が掛かるほどの距離に、グッと近づけられる。

 唐突な行動に、ドキッと心臓が飛び上がった。

 硬直する私に彼女はギリギリまで近づき、


「・・・・・・・・・」


 彼女らしくもない、風に吹かれればかき消えそうな小さな声で紡いだ言葉。


「えっ?」


 想像の斜め上を行く、あまりにも意外な言葉に、私は動きを止め、


 目が覚めると、そこには100回以上見た、『異世界の箱庭で』の最初の一幕が映し出されていた。

 主人公の自分語りなプロローグが始まり、簡易的な状況説明を終えると、すぐにあのガネットとの件に入る。

 いつもならもう読まずして飛ばすような、一言一句が記憶に刻まれたシーンを前に、私は動くことができなかった。

 硬直したまま、ゲーミングチェアに腰掛けるている。

 キーボードも、マウスも。気がつけば、何もかもが現実に戻ってしまっていた。


「今のは、夢?」


 私の、カルミアとのエンディングを見たいという欲望が見せた鮮明な夢。

 その可能性に辿り着くのに、時間はかからなかった。

 動く気力が、もう一度始める意欲が、一気に削がれた。


 全て夢。

 全て幻。

 全て……

 キーボードから手を離した瞬間、何か温かいものが私の手に触れた。


「……えっ?」 


 そこにはあるはずのないものが、ポツリと存在していた。

 私と彼女の思い出の象徴。最後に口にした飲みかけのティーカップが、現代風なデスクの上で不自然に、存在感を放っていた。

 触れてみると、まだ微かに温もりを感じる。

 私は紅茶を淹れる人ではないし、こんなティーカップを購入した記憶もない。恋人だった人の趣味ともまた違う、高級感のある、落とせば簡単に割れそうな重みのあるティーカップをそっと持ち上げた。


 一口……その瞬間に、先ほどまでの光景が鮮明に思い出される。

 まるで忘れないでと言わんばかりに。


「はは、ははは……」


 困惑と歓喜が混じった、掠れた笑い声が止めどなく溢れてくる。

 あぁ……もし、これまでのことが夢ではないのだとしたら。

 そして最後の台詞……あれが私の妄想ではないのだとすれば。


「あるんだ、彼女とのエンディングは」


 私はその熱が冷めぬうちにと、再びキーボードに手を伸ばす。

 その目に映る、とっくに見飽きたはずの光景は、何故だか輝いて見えた。

 これまでの諦めの混じった退屈はもう、私の心の中にはなかった。

 

「……今度こそは見つけてみせる」


 カルミアとのルートを、その先のハッピーエンドを。


「そのためなら、何百回でも模索してやる」


 幸い、時間ならまだある。なんなら、大学が始まろうと、それ以外の時間全てを注ぎ込んでやる。

 彼女の最後の台詞に、私はそう言葉を、決意を返した。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

色々と連載では難しい書き方を試させていただきました。この、性別含め、何もかもがぼやかされた一人称って、ギャルゲーあるあるですよね。物語への没入感が高まればと思ったのですが、いかがでしたでしょうか?

この曖昧な、言い切らないエンディング含め、楽しんでいただければ幸いです。

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