封印の謎
神殿の書庫は、幾重もの本棚が天井まで伸び、古い羊皮紙の匂いが漂っていた。アルベルトは森で発見した石碑の拓本を、丁寧に机の上に広げる。青白い水晶のランタンの光が、黄ばんだ紙の上でゆらめいている。
「これは...古代ラーナ語ですね」
アルベルトは額に皺を寄せながら、文字を指でなぞっていく。エルナとショウタも、その横に立って見守っている。書庫の静寂を破るのは、ページをめくる音だけだった。
「かつて、この地には"霧を司る者"がいたという」
アルベルトの声が、静かに響く。
「その者は人々の願いを聞き、霧を通じて恵みをもたらしていた。作物を育む雨を呼び、獣害から街を守る結界を張り...」
「では、なぜ今のような」
エルナの問いに、アルベルトは重々しく頷く。
「古の戦乱により、霧を司る者は力を暴走させてしまった。人々は自らの安寧を守るため、その力を封印したのです」
「でも、その封印が...」
「ええ、今まさに解かれようとしています」
アルベルトはショウタを見つめた。
「そして、あなたには霧を感じ取る力がある。これは偶然ではないでしょう。おそらく、あなたは...」
その時、書庫の扉が勢いよく開かれた。
「アルベルト様!」
顔を青ざめた神官が駆け込んでくる。
「塔の...南の塔の封印が!」
「落ち着いて説明を」
アルベルトの声に、若い神官は深く息を吸った。
「南の塔に設置されていた封印の水晶が、突如として青い光を放ち始めました。そして、塔の周囲の霧が、異常な速さで濃くなっているのです」
エルナが身を乗り出す。
「巡回している騎士たちは?」
「全員、安全な場所への避難を完了したとの報告が」
その時、ショウタの体が反応した。背筋を走る悪寒。目を閉じると、街全体の霧の流れが手に取るように分かる。
「これは...!」
思わず声が上がる。今までに感じたことのない強い波動が、全身を震わせる。
「どうした?」
エルナの声に、ショウタは目を開けた。
「霧が...塔に集まっている。でも、それだけじゃない」
言葉を探しながら、感覚を言い表そうとする。
「街のあちこちに埋められていた封印が、次々と...まるで共鳴するように」
「やはり」
アルベルトが立ち上がる。その手には、先ほどまで読んでいた古い文献が握られている。
「この文献によれば、かつての封印は七つの塔を結んで張られた。そして、一つが揺らげば、連鎖的に...」
言葉が終わらないうち、遠くで轟音が響いた。地面が揺れ、書架が軋む音を立てる。
「これは、東の塔か!」
エルナが叫ぶ。ショウタには分かっていた。これが始まりに過ぎないことが。
「南と東...次は、北の塔です」
確信を持って告げる。霧の流れが、そう告げているのだから。
「時間は?」
「おそらく、日没まで...」
アルベルトは古文書に目を走らせながら、早口で説明し始めた。
「七つの塔は、この街の七大結界を形作っています。それぞれが、異なる"力"を封じ込めている。南の塔は"霧の獣"を、東の塔は"嵐"を...」
「そして、それらが解き放たれようとしている」
エルナが剣の柄に手を置く。その仕草には、決意が込められていた。
「でも、どうやって止めれば?」
ショウタの問いに、アルベルトは古文書の一節を指差した。
「ここに、興味深い記述がある」
彼は声を潜めて読み上げる。
「霧を司る者の力は、選ばれし者にのみ与えられる。その者は、霧との共鳴により、封印の力を...」
その時、再び地鳴りが響いた。書架から、古い巻物が落ちてくる。エルナが咄嗟にショウタを庇う。
「北の塔...!」
ショウタの予感は的中した。遠くに見える北の塔が、青白い光に包まれている。
「時間がない」
アルベルトが決然と言う。
「ショウタ殿、あなたには危険な役目をお願いすることになるかもしれない。それでも...」
「行きます」
迷いなく答えていた自分に、ショウタは少し驚く。でも、それ以外の選択肢など、もはやなかった。
「私も行くわ」
エルナが一歩前に出る。
「霧の予報士の護衛は、この私の役目だもの」
その言葉に、ショウタは小さく頷いた。かつての不安は、まだ完全には消えていない。でも、今は目の前にある使命に向き合うしかない。
「行きましょう」
夕暮れの空が、徐々に霧に覆われていく。七つの塔の封印が解かれる前に、彼らは何としてもこの危機を止めなければならない。
ショウタは深く息を吸った。霧の流れが、まるで彼を導くかのように、次の目的地を指し示している。