魔導遊園地でこんにちは
「ねえ。そこのお嬢さん、そんなところで独りで俯いちゃってどうしたの?」
穏やかな低い声に、ソフィはハッと目を開いた。
段々と回転木馬の奏でる音楽や人々の楽しそうな声が耳に戻って来て、
『いけない、随分長い時間ぼーっとしてしまっていたみたい』
慌てて顔を上げると、とんでもなく美人な男の人が腰を折り曲げてこちらを覗き込んでいて思わずギョッとした。
ソフィを見つめるアメジスト色の瞳は細められ、形のいい唇は優しげに弧を描いている。腰まである長い銀色の髪がさらさらと風で揺れて綺麗だ。
つい見とれてしまって口が金魚のようになってしまっていると、ソフィをまじまじと見つめていた目の前の美しい顏が少し陰った。
「……ええと、君は……」
ソフィは慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!遊園地で私、雰囲気壊すようなこと……」
「いやいや、謝らなくったっていい。ただどうしたのかなと思ってね。俺で良ければ話し相手になるけども」
「……それは……」
初対面の人に悩みをぶちまけてしまうのは如何なものかなと逡巡する。
彼はこの遊園地の従業員だろうか。黒いシルクハットに黒いステッキ、白い手袋に燕尾服という出で立ちはまるで奇術師のようだ。
ソフィの言い難そうな雰囲気を察したのか、男性は「迷惑だったならごめんね」と困ったように笑った。
「遊園地は笑顔が溢れる場所だ。そんな中で君は何だか悲しそうな顔をしていたから、つい気になって声を掛けてしまってね」
「その……すみません」
「大丈夫だよ。ねぇ君、今日はどうしてここに来たの?良かったら君のこと教えて欲しいな」
穏やかな優しい声に後押しされるように、ソフィは名乗った。
「私はソフィと申します。今日はベーガラ領から……。ええと、お兄さんのお名前は……?」
「えっ。俺?俺はリアムっていうんだ。ここでは半分趣味で奇術師をしているよ。よろしくね」
ふわりと微笑まれ、こくんと頷く。綺麗な人だなぁと思う。
『この人になら、悩みを打ち明けても大丈夫かも』
少なくとも笑ってバカにしたりはされなさそうだ。
ソフィは「実は……」と切り出した。
「父に政略結婚、させられそうでして……」
「政略結婚?」
「ええと、はい。私の家一応割と大きな商会を営んでいるんですけど、そこのお得意様の息子さんと結婚してはどうか、という話が持ち上がりまして……」
「なるほど。その人が嫌だったの?」
「うぅ……そういうわけじゃ、ないんですけど……。ていうか、釣書も見てないからどんな人か知らないし……」
我ながら、なんて恥ずかしい。貯めていたお金を持って家を飛び出し、捕まえた馬車に行き先を聞かれて答えたのは「なんかとりあえずここじゃない、どっか楽しい所」。運転手に首を傾げられながらそれならばと連れて来られたのはここ、魔力で動く魔導遊園地だった。
魔石から取り出したエネルギーを使って動く乗り物や、食べ歩き出来る美味しいご飯に可愛いマスコットキャラクターが居て老若男女問わず大人気のスポットで、10年程前に出来た時に家族と1度来たことはあるが1人で訪れたのは初めてである。
遊園地と言うだけあって行き交う人達の表情はみんな笑顔だ。
ソフィを除いて。
「政略結婚って単語にカッとなっちゃって……。私、自分が本当に好きになった人と結婚したかったんです。と言ってもそういった男性の当ても特に無かったんですけど。でも、親に決められた知らない男の人と結婚するのはどうしても抵抗があって」
「ふぅん、それで結婚相手の顔も名前も聞かずに……」
「そうなんですよねぇ」
はぁ〜っと重い溜息を吐く。今頃きっと両親がとても心配しているだろう。貴族として産まれながら政略結婚は嫌、だなんてとんだ親不孝者だと思う。
『でも!来年の新入生に良い人が現れるかもしれないじゃないの!』
現在、ソフィは2年生。学園卒業まであと1年ある。
運命の人を見付けようと日々学園の中庭を散策したり花壇の花に水を遣ったり友達と恋バナに花を咲かせてみたり、モテる仕草を研究したりと可憐な乙女を演出している。
しかし一向に恋人が出来る気配がない。
毎日栗色の豊かな髪もツヤツヤになるよう手入れして寝る前には入念にマッサージ、お肌だってピカピカになるよう毎晩10時には寝ているのに。
恋愛相談を受けてひと足お先に恋人ができた友人達からの「ソフィの応援のおかげよ!ありがとう!」の声が後を絶たない。私だって恋人欲しい。イチャイチャしたり甘い言葉を囁かれたりしてみたい。
そんなに魅力無いだろうか。栗色の髪に桃色の瞳が可愛いと友達には羨ましがられるのに。華奢で小柄で小動物みたいと言われるのに。
何故私には恋人が出来ないのかと悩み続けていた矢先に父から持ち込まれた政略結婚の話。
これに飛び付いたら負けな気がしたのだ。
そして逃げ出した結果、遊園地で奇術師のお兄さんに慰められるというこの状況。
『……負けるより酷いんじゃないの……?』
気付いてしまった現実の惨めさにソフィは頭を抱えた。
「私ただ普通に恋してときめきたかっただけなのに!」
「じゃあ今日、これから俺とデートしてみない?」
「いやぁ!声に出てた!?……って、え?デート……?」
「そう、デート」
リアムはにっこりと微笑む。美人だけどにこにこしていると親しみやすい雰囲気でとても可愛い。思わず釣られてにやけて顔が変な事になる。
「今日1日、俺がソフィちゃんのこと沢山ときめかせてあげるよ。それで満足したら、家に帰ってその政略結婚の彼と結婚すればいい」
「えっ、でも……」
「ソフィちゃんは俺の顔、嫌い?ときめけない?」
「うっ」
正直言ってめちゃくちゃ好みだ。こんな綺麗で穏やかな優しいお兄さんが嫌いな人なんて居ないだろう。
綺麗な微笑みに見つめられて目がハートになりそう……なのを抑えつつ、「全然そんな事ないでひゅう」と吐き出す。既に割とときめいている。
「そっか、良かった」
「あの、でもお仕事が……」
「大丈夫大丈夫。ほぼ趣味でやってるだけだから。荷物置いて来るからちょっと待っててくれる?」
「分かりました」
リアムはこちらの顔を覗き込むとにこっと笑った。そしてぽんぽんとソフィの頭を撫でてから帽子を外し、どこかに去って行った。
「こ、これが俗に言う、あたぽんってやつ……!」
ドドドドドドッと有り得ない心臓の音が鳴っている。生きているうちの人間の鼓動の数が決まっているというのなら今この瞬間確実に寿命が3分は縮んだことだろう。
「こんな調子で1日デートだなんて大丈夫なのかしら……」
赤くなった顔を手で覆うようにしてソフィはゆるゆると俯く。
程なくして、「お待たせ」という声に顔を上げた。
「全然大丈夫で……はっ!」
目の前に立つリアムは私服に着替えていた。グレーのシャツにベストにチェックのパンツとラフな出で立ちだがとんでもなくかっこいい。
「あの格好で歩くと目立つからね。ちょっと時間は掛かると思ったんだけど着替えて来たんだ。待たせてごめんね」
「いえいえいえいえ!そんなそんなそんな!!!」
あの燕尾服姿は確かに目立つだろうがリアムはどんな格好をしても目立つんじゃないだろうか……。
リアムの抜群のスタイルの良さにソフィは恐れ慄いた。
「もうすぐお昼でしょ。せっかくだからパークの案内をしつつ食べ歩きしようと思うんだけどどうかな」
「えっ、楽しそう!」
思えば開園とほぼ同時に入場したのに全くあのベンチから動いていなかったのだ。せっかく来たのだから思いっきり楽しみたい。
「屋台はこっちだよ。おいで」
「えっ!ひゃあ!」
ぐいっと手を繋いで指を絡められる。所謂恋人繋ぎというやつだ。
『あ、憧れの……!』
しかし密着感が凄いし誰かとこんな風に手を繋いで歩くことなんて少なすぎてぎくしゃくする。恐る恐るリアムを見上げるとくすくすと笑われた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。俺の事恋人だと思って。リラックスしてくれたら嬉しいな」
「は、はい……」
血流の勢いが滝のようになっているのだが大丈夫なのだろうか。
リアムの案内を聞きつつ、屋台が立ち並ぶエリアに辿り着く。
「ここの屋台は全部美味しいんだ。従業員は社割で買えるから俺はここの物は全部食べた」
「……意外と食いしん坊なんですね」
「美味しい物は好きだからね〜。この屋台の中でも特に美味しいのは……あれだな」
リアムが指さしたのはホットドッグの店だ。肉の焼ける匂いと香ばしいスパイスの香りが漂ってきてソフィのお腹がぐうと鳴った。
「今お腹鳴った?」
「……聞いてました?」
「あは、聞いちゃった。可愛い」
『くぅ……っ!恥ずかしい……けど甘い……!』
恋人のやり取りだ。夢見てた憧れの。
サラッと可愛いと言う辺り相当罪深い。めちゃくちゃ女慣れしている事には少しモヤッとするが今日は恋人ごっこなのだからと自分を納得させる。
「これは王道だけどこっちはまた全然違った美味しさがあるんだよね。2種類頼んで半分こしようよ。マスタードは平気?食べられる?」
憐れな首振り人形と化したソフィはこくこくと頷く。
半分こという言い方が可愛い。ソフィより年上なはずの綺麗な男の人が言うと破壊力が凄い。
「そんなに刺激は無いけど辛かったら無理しなくていいからね」
そう言ってにこっと微笑み、屋台の店主に話し掛ける。と、店主が満面の笑みになった。
「おお、リアム坊ちゃん。いらっしゃい。今日は彼女とデートかい?女の子連れて来るなんて初めてじゃないか」
「あはは、可愛いでしょ」
『サラッと言うんだから……!』
恥ずかしすぎて涙目で抗議するがリアムは特に意に介したふうでもなく店主と談笑している。どうやら幼い頃からの顔見知りらしい。なんだか悔しい。
『でも女の子連れて来るのは初めてなんだ、へぇ〜ふぅ〜ん』
ちょっと優越感である。
「はい、お待ちどう。可愛い彼女とお幸せにな」
「うん。ありがとう〜」
笑顔でひらひらと手を振るリアム。店主の前だと少し子どもっぽくて可愛い。
「ソフィちゃん、はい。半分こ。おじさんに切っといてもらったんだ」
細やかな気配りだ。半分こってどうやって?もしや半分食べたやつを相手に渡すの?と若干悶々としていたので感動しつつ受け取る。
ホットドッグにはコショウの掛かったソーセージと……ソースに絡められた麺のようなものが入っていた。
「これは……」
「焼きそばって言うんだよ。焼きそばホットドッグっていうんだけどこれがまた美味しいんだよねぇ」
「うん、美味しい」と1口かぶりついたリアムが笑顔になる。
こんな黒いパスタ食べたことがない。恐る恐る見よう見まねでかぶりつくと、思ったより甘いソースの味に驚いた。
「美味しい!」
「でしょ?良かったぁ。ねえソフィちゃん。あっち行ってみようか」
手を握られて胸の奥がきゅうと疼いた。
『ああ、今私凄く幸せかも』
きゅっとリアムの手を握り返すと、リアムが嬉しそうに微笑んだ。唇にソースが付いている。綺麗で美人なお兄さんだと思っていたが案外抜けてて可愛いなあとソフィは胸をきゅんきゅんさせながら歩いた。
✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦
「結構歩いたね。ちょっと休憩しようか」
そう言ってリアムに連れて来られたのは美しい庭園が広がるエリアだった。色とりどりの花々が広がり、カップルや家族連れの人達がはしゃぎつつ花を愛でている。
花壇の傍には屋根の付いたベンチが多く設置してあり、実質休憩所のような役割を果たしていた。
ベンチに腰掛け、2人で花を眺める。なんだかほんとの恋人みたいだ。
「足とか疲れてない?大丈夫?」
「あはは、大丈夫です。ちょっと疲れましたけど、リアムさんの案内とっても面白かったので!」
魔導遊園地の仕組みや季節毎のイベントについて、そしてアトラクションやおすすめの食べ物など。自分の体験も交えて語ってくれるリアムの話にすっかり夢中になっていた。
「……あそこの地面、実は噴水になってて時間帯によって水が出たり止まったりするんだけどこの前うっかり水が出る時間丁度にあの上通っちゃってびっしょびしょになっちゃったんだよね」
「ぶふっ。……あ、ごめんなさい笑っちゃって」
「実は3回目だったりする」
「あはは!」
リアムが結構ドジな事も知れた。リアムは自分の失敗も朗らかに笑い飛ばす。
「ソフィちゃんに笑って貰えるならびしょびしょになったかいがあったかもね」
『……ああ、こんな人とずっと一緒に居られたら楽しくて幸せだろうな』
そう思って、やめた。リアムは今日1日恋人のふりをしてくれているだけなのだから。
「結構色々乗ったけどアトラクションもまだまだあるし、1日じゃとても全然回り切れないんだよね。でももうすぐ夕暮れか……。そろそろお家に帰らなきゃ、家族が心配しちゃうよ」
「そうですね……」
「ねえ、今日は楽しかった?俺、ソフィちゃんのことちゃんとときめかせられたかな」
こくんと頷き、俯いた。
また次この遊園地に来る時、ソフィの隣に居るのは政略結婚の相手だろう。そして奇術師としてマジックを披露するリアムを遠い場所から眺める。
リアムと目が合い、リアムはソフィの隣に立つ婚約者を見る。そして笑って手を振りながら言うのだ。
お幸せに、と。
「私、さよならしたくない。リアムさんとずっと一緒に居たいです」
隣に立つのはリアムがいい。ソフィの瞳から涙が零れた。
貴族でもない、遊園地の従業員に本気で恋してしまうなんて馬鹿げているかもしれないが、この気持ちを手離したくない。
『私は、リアムさんが好き』
リアムの驚いた顔が滲む。視界が揺らめいて、ぎゅっと抱き締められる感覚に心臓が跳ねた。
「大丈夫、大丈夫。今日はもう終わっちゃうけど寂しくないよ。泣かないで」
『そうじゃない、そうじゃないの』
リアムの腕の中で嗚咽を零す。髪を撫でる手つきが優しい。
もうこの熱を感じることが出来ないのがどうしようもなく悲しい。
「私、リアムさんの事が……」
「うん、俺も。俺も、ソフィちゃんのことが大好きになっちゃった」
顔を上げると、リアムの指に涙を掬われた。きっと涙でぐしゃぐしゃになってみっともない顔になっている。
リアムはくすりと笑った。そしてそっと頬が温かな手で包まれ、柔らかいものが唇に触れる。
『ああ、このまま2人で溶けて無くなってしまえたらいいのに』
そっと目を閉じると涙が頬を伝って落ちて行った。
温かな熱が離れて、リアムは蕩けるような瞳で笑った。
「またいつでも会えるからさ、笑ってよ。ソフィちゃん」
彼は言葉通り、いつでもこの遊園地で待っているのだろう。笑おうとしても笑えない。ソフィは指で無理やり両頬を引き上げて笑ってみせた。
「あは、可愛い」
絶対絶対変な顔のはずなのに。益々涙が出て来てしまってソフィは顔を覆った。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか。馬車乗り場の方まで送るよ」
リアムが立ち上がる気配がして、ソフィは勢い良く駆け出した。
「ありがとう、さようなら……!」
「えっ!?ちょっと……ソフィちゃん!?」
このままずっと一緒に居ても辛いだけだと。
ソフィは振り返ることもなく、馬車に乗り込んでわんわん泣いた。
✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦
ベーガラ侯爵家にて。
「ソフィ!こんな時間になるまで今までどこに行ってたんだ!」
「あらまぁいやだそんなに泣いて!どうしたの?何があったのよ」
家に着いてすぐ、案の定父に叱られた。母の心配そうな視線を受けつつ、ソフィは嗚咽混じりに答える。
「ゆ、遊園地に行ってたの……。お父様に政略結婚って言われたから、勢いに任せて飛び出しちゃって……。心配かけて、本当にごめんなさい」
「遊園地?遊園地って……ローゼブル公爵領の魔導遊園地のことか?」
こくんと頷く。そして息を吸った。
「お父さんお母さんごめんなさい。私、政略結婚は出来ません。遊園地で会った奇術師のリアムさんを好きになってしまったの。親不孝な娘で、本当にごめんなさい」
この思いを抱えたまま誰かと結婚なんて出来ない。それがソフィの出した結論だった。
貴族と平民の恋愛なんてどうにかなると思えない。それでも自分の気持ちに嘘は吐きたくなかったのだ。
どんな罵詈雑言で罵られても構わないとぎゅっと目を瞑る。と、父と母の顔がぱあっと晴れた。
「なぁんだ、顔合わせの日が待ち切れなくて会いに行ってたの!情熱的じゃない!」
「ソフィ、リアムくんとの縁談がそんなに嬉しかったのか!良かった良かった!」
「……え?」
ぱちくり。ソフィの目と口が空いた。
「いやぁ、リアムくんが休日遊園地に居る事も把握済みとは恐れ入った」
「確か遊園地で奇術師としてボランティアしてるのよね。手品で沢山の人を驚かせて笑顔にするのが趣味なんて素敵な事だわ」
「うむ、全くだな!可愛い娘に良い縁談が来て何よりだ!……ところでソフィ、親不孝ってなんの事だ?」
「……えーと、待って……?」
ソフィはふらふらと階段を上ると自室のドアを開けた。そして机の上に放置していた縁談相手の釣書と姿絵を開く。
ソフィは悲鳴を上げた。
「ローゼブル公爵家の嫡男、リアム・ローゼブル……!?う、嘘でしょリアムさんが、私の……!?」
姿絵の中のあの綺麗な顔が。
こちらを見て悪戯っぽく笑っている気がした。
「あ……ああああああああぁぁぁ!!!もーやだぁ!今度会う時どんな顔して会えばいいの〜〜〜!!?」
ソフィの絶叫が屋敷に響く。
因みに顔合わせの日は会った瞬間にお腹を抱えて笑い出したリアムを涙目でぽこぽこと殴り付けるソフィの姿が見れたという。
お読み頂きありがとうございます(*^^*)
面白かった、続きが気になるという方は↓の☆で評価して頂けると嬉しいです。