さて、説明してもらおうか
アレク様と執務室のソファへ向かい合わせに座る。
「さて、説明してもらおうか。あの男とレンカとの関係を」
彼は冷たい笑みを浮かべたまま、私に鋭い視線を向ける。
わざとその名を呼ぶなんて、あの人の……タンガの存在が相当気になっているのだろう。
『やっと見つけた、レンカ』
言葉とともに浮かべた彼の焦がれるような表情を思い出す。
アレク様は私の落ち着きを失った様子を見て、唇の端を皮肉げに歪めた。
「恋人を捨ててまで私に取り入り、甘い汁でも吸おうとした?」
「違います! そもそも彼は恋人ではありませんから」
たしかに、まるで行方不明になった恋人を探していたみたいだもの。
あれではアレク様が誤解しても仕方がないわ。
「ならばなぜ君は名を偽る必要があったのか?」
もっともな疑問だ。
彼は私の名がハンナであり、領内に住む夫婦の娘だと思っている。
子供のない夫婦に養女として引き取られたことは教えていたけれど、どこで生まれたのか……例えば翼人の国での自分のことは話していない。
アレク様は辺境という国の最前線である地を統べる家の一員として、とかく嘘を嫌う。
強い敵よりも身内のつく嘘の方が嫌いだという、筋金入りだ。
そんな人が笑みを浮かべながらも、逃さないとばかりに厳しい顔付きをしている。
さぞかし内心では私に対する不信感が渦巻いていることだろう。
新たな地で生まれ変わろうと名を捨てることを選んだ結果が、まさかこんな疑いを呼ぶことになるなんて思いもしなかった。
今更説明したって言い訳にしかならないのではない。
全てを話そうと決めたのに、この期に及んで心が揺らぐ。
結果、執務室は居心地の悪い沈黙が支配していた。
「どうした? 普段はうるさいくらいに喋り倒す君が、言葉を探すなんて珍しいじゃないか」
アレク様の皮肉にも棘が多く感じられるのは私が負い目を感じているせいだろう。
忘れかけた頃に姿を現したトウカとタンガ。
そして打ち明ける機会はいくらでもあったのに、それを先送りにしてきた自分自身の愚かさを腹立たしく思う。
それと同時に、わずかでも信頼を寄せてくれていた彼に報いるため、これ以上隠し事はできないと腹を括る。
アレク様の冷ややかな色を湛えた瞳を見つめ返した。
「彼の名はタンガ。幼なじみです」
「へぇ。首筋に剣を突きつけられながらも君の手を離さないような男が幼なじみね」
「お疑いになるのももっともな状況ではありますが本当です。たしかに彼から好意らしき感情をほのめかされたことはありますが、彼の道具として利用されるのは嫌だと交際を断りました。だから正直なところ、彼のあの態度には私もとまどっています」
「利用される、とは?」
「当時の私は取り巻く状況がずいぶんと特殊だったのです。これから順を追ってお話ししますが、その前にひとつだけ願いがあります」
「お願いできる立場なのかは置いておくとして、まあ聞いてあげよう」
「もし名を偽ったことを咎めるならば、私の身ひとつに。父と母は、私を救ってくださった恩人です。彼らは騙されただけの善良な領民であり、安定して食料を生み出すことのできる優秀な農家でもあります。この領地の骨としてアレク様を支える方々を、私ごときのせいで咎められてはお二人に顔向けができません」
「ふうん……ならば君自身の命はいらないというわけ?」
「それで済ませていただけるならば。ただ願わくば、私の話を聞いてからご判断ください」
「いいだろう、まずは話を聞こうか」
こうして私は包み隠さず話すことを決断した。
ぽつりぽつりと話し出せば、行き場を欲していた言葉は流れるように紡がれる。
役立たずのレンカが、白精霊師のハンナとなるまでの物語を……。
「しかしまさか君が伝承に残る翼ある人だったとはね」
「私の背にあったのは、鳥の翼ではなく蝶の翅でしたが……」
「蝶の翅を生やした人間までいるのか、それは知らなかったな」
驚いたことに、アレク様は辺境伯領に伝わる書物から翼人らしき存在がいることを知っていた。
彼らは翼ある人と呼ばれていて、書物には『背に羽が生え、頑強な体躯を持ち、空を自由に駆け回ることのできる能力を備えていた』と記されているそうだ。
それだけでなく、当時は領民との交流があったらしい。
当時は今とは違い、ずいぶんと友好的な関係を築いていたようだ。
だからアレク様だけでなく、領民も実際に翼を使って飛ぶ人間を見てもそこまで驚かなかったのね。
おそらくだが領民達の間でも昔話や御伽噺として翼人の存在は語られていたのではないだろうか?
領民の落ち着いた態度が腑に落ちて、深く頷いた。
ただある時期を境として翼人側から交流を拒まれるようになったらしい。
相手国の意向とだけしか理由は記されておらず、それ以上の詳しいことは不明だそうだ。
「それで今も君の背に翅はあるの?」
「いいえ、私の翅は失われました。」
「それがないというのなら、君が翼人である証明にはならないよね」
「ですが、その代わりにこれがあります。」
立ち上がると、アレク様に背中をむけて服の胸元を緩める。
そして覚悟を決めるように深く息を吐くと、背の中程まで一気に服を脱いで肌を晒した。
背後でアレク様が息を飲む音がする。
優しくしてくれた侍女さんにさえ、決して見せなかった背中の傷跡。
自分では見た事はないが、薬師から『醜くて直視できない』と言われていたから相当深いものなのだろう。
……もし醜いと、目を逸らされたらどうしよう。
羞恥心と恐怖で震える私の手が胸元をきつく掴んだ。
「もうわかったから服を着て?」
「はい、お見苦しいものをお見せしまして申し訳ありません」
「刃物で斬られた傷ではないね。獣に襲われたの?」
「はいそうです。翅は、その時に毟り取られました」
私の上着を直したアレク様が衣の上から傷跡を確かめるように撫でる。
その労るような手つきが優しくて、視界が涙で滲んだ。
「……すまない。私が疑ったばかりに辛い過去を思い出させてしまった」
「かまいません、疑いを晴らすために必要なことですから」
珍しく落ち込んだ様子のアレク様にそれ以上は何も言えなくなる。
私はただ淡く微笑んで、気にしていないとばかりに首を振った。
「どうして今まで背中の傷のことを誰にも言わなかったの?」
「言えば、過去も話さねばなりませんでしょう?」
「今ならば精霊術で簡単に治せる。それなのになぜ治さない?」
「戒めです。この傷は、未熟で弱い私の過去そのものですから」
日常生活の怪我でつくようなものではないということは薬師の言葉から察していた。
どこか険しい表情のアレク様は、一体どんな私の過去を想像しているのだろう。
ただ決して心穏やかな日々を過ごしていなかったことだけは理解できたらしい。
アレク様は痛みを堪えるように、眉を顰めた。
「それでは君が過去に囚われたままじゃないか……それで、もう痛みはない?」
「はい、傷自体は治りました。雨が降ると時々引き攣れて違和感を感じますが、その程度です」
「翼人は長い年月を経て脚色された存在だろうと思っていたから現実に存在したという事が信じられないよ。まるでおとぎ話みたいだ」
「ただ私にとっての翼人の国は、子供の知るおとぎ話のようにキラキラしたことばかりではありませんでした」
優秀で、鷹の羽を持つ妹しか見ていない父と母。
善意に見せかけて居場所と所有物を奪っていく妹と、権利があるとばかりに虐げてきたその他大勢の翼人達。
当時の未熟で弱かった自分自身の事も含め、全てを余すことなく打ち明けた。
口を挟むことなく聞いていたアレク様だったが、タンガとのやり取りを聞いて露骨に嫌な顔をした。
「そんな追い詰められた状況で、よく彼に依存しなかったね。君にとって唯一好意を向けてくれた人なのだろう?」
「もしおとぎ話ならば、彼は王子様だったのでしょう。私を苦境から救い上げてくれる、唯一の存在。でも私には王子様は必要ありませんでした。評価されなくても私には実績があったからです。誰かの背に庇われながら生きなくてはならないほど、自分が役立たずだとは信じたくありませんでした」
自負というものだろう。
実際、収穫量も一番だったのだから後ろめたい思いを抱く理由など何もない。
誰かの描いた絵に沿うように、自分を役立たずだと貶めるのは腹立たしかった。
そう答えるとアレク様は心底嬉しそうに笑う。
「なるほど。君の筋金入りの負けず嫌いを、翼人の国の人は単なる強がりだと思っていたのかも知れないね。自分の置かれた状況がおかしいと冷静に判断ができるのは得難い資質だ。さすが私の見込んだ精霊師だね」
アレク様の表情が柔らかいものへと変わる。
伸びた手が、優しく頭を撫でた。
こうやって誉められるのは、いつだって嬉しいわ。
部屋を包む緊張感が、少しだけ緩んだ。
「それにしても白精霊師である君を役立たず扱いするとは、彼らは無能なのか? それとも精霊師を上回るほどに翼人が精霊術に長けているとか?」
「というよりも、そもそも精霊術なんて言葉を翼人の国では聞いたことがありません」
「翼人達は精霊術そのものを知らなかった、つまり無知ということか」
「単に知らなかったのか、それとも知識が失われてしまったのか……今となっては調べようもありません」
そこまで話したところで違和感を覚えた。
知識とは、長い年月をかけ収集した情報の蓄積である。
翼人の国ができた当初から今まで、本当に精霊術関係の情報が全く記録に残っていないのだろうか。
たとえば私の担当した区画の収穫量が人よりも多かった理由、それは精霊術の祝福によるものだ。
知識を得た今だからわかるけれど、私は翼人の国でも無意識に精霊術を使っていたらしい。
アレク様のときように派手にやらかしたわけではないから気がつきにくかったのかも知れないけれど、生きるために必要な食糧に関わる情報が些細なものであろうと誰一人の目にも止まらないものなのだろうか?
蝶の翅を持つ者が無意識のうちに精霊術を使えるならば、いつの間に役立たずと呼ばれるようになったのか。
そう考えると蝶の翅を持つ者達を指す役立たずという言葉に違和感を覚えた。
あれほど露骨に役立たず扱いするなら、ある程度育ったところで翼人の国から追い出せばいいのに。
子供はさすがにうしろめたいかもしれないけれど、成人すれば別だ。
それこそ古くからのしきたりのせいにして成人と同時に国を追い出せばいい。
そのほうが差別を助長するように振る舞う、あの国らしいやり口だ。
……それがどういうわけか、強制的に転居を繰り返させるとはね。
役立たずと呼びながら放置するでもなく、まるで監視しながら国へと縛りつけているみたいじゃない。
その意図になんとなく嫌なものを感じて思わず黙り込んだ。
アレク様は慎重な態度を崩すことなく先を促した。
「それで話は終わり? 名を変えた理由は……まあ、今の話の流れからは想像つくかな」
「それは、なぜこの領地に来ることになったのかという理由に関係します」
そして害獣が居住地を襲った運命の日の、私が知る事実のみを話した。
仲間に畑を荒らされ、収穫物を駄目にされたこと。
新たな種をもらいに行ったのに拒否されたので自ら国を出ようとしていたこと。
荷物を取りに自宅へ戻ろうとしたが、妹が獣に襲われた場面に遭遇したこと。
妹をかばった私は、背中に深く傷を負ったこと。
そして最終的には罪を問われ国を追われたのだ、と。
途端、アレク様が訝しげに眉を顰めた。
「獣に襲われそうな妹を庇った姉に罰を与える? それ、どう考えてもおかしいだろう?」
まあ普通ならそう思いますよね。
だけどあの国は普通じゃないから。
「妹は庇われたことを否定しました。『私は助けてなんて言っていない、それは姉の妄想だ』と。彼女は共同体において利益をもたらす有益な存在であり、皆に愛されています。その彼女が言うことですから、そちらが正しいとみなされたのでしょう。私は褒められるどころか、余計なことをしたとなじられたのです」
トウカが否定したために、私はただ狩りを邪魔しただけの存在となり、罪に問われたのだ。
あれだけ周囲には大勢の人間がいて彼女の助けを呼ぶ声を聞いていたはずなのに、誰もかばってくれないから結論は覆らなかった。
私は唇を噛んだ。
助けを求められもしないのに、誰が救いの手を伸ばすものか。
獣の臭いと唸り声、荒々しい息遣い。
今思い出しても身がすくむ。
トウカを助けようとしなければ、こんな醜い傷跡を背負うこともなかったというのに。
感謝して欲しいなんて、思っていない。
あのときトウカの悲鳴を聞いて勝手に体が動いたのは損得ではなかったから。
家族だから、助けなければと思ったのよ。
それなのに小さな善意の欠片すら、あの国は不要なものと切り捨てる。
全ては共同体を維持するため、自分達の地位と名誉を守るため。
何より一番許せなかったのは、傷を負った私から命すら奪おうとする国のあり方だ。
アレク様は不快そうに眉を顰める。
「そこまで虚仮にされて君の両親は抗議も何もしなかったの?」
「何もしないどころか、両親は私を恥じていました。彼らは枕元で言っていましたよ、『お前なんか生まれてこなければ、こんな辛い思いをしなかったのに』と。あのときの冷ややかな視線は、今でもときどき思い出します。しかも国の上層部からは私が大人しく罰を受け入れるならば家族の罪を問わないと言われていたようで、ある程度傷が塞がって私が家に戻された後あとは逃げ出さないように納屋へ軟禁すらしたくらいです。そこで療養しているときにも背中に薬を塗りながら『妹の方でなくてよかった。あの子がこんな酷い怪我を負わされたら可哀想だから』と繰り返し話していましたからね。ですから家族は望みどおりに私が居なくなって心から清々していることでしょう」
食事を運んだり背中に薬を塗ってくれたのは優しさからと思えたけれど、実のところはそうではない。
私を生き長らえさせることが、国の上層部との約束であり義務だから。
理由はわからないが彼らにとって姉である私は妹の引き立て役となるべき存在だった。
だから、どれだけ結果を出そうとも認めないし、認めないから役立たずなのは当然のこと。
両親にとって地道な努力の苦手なトウカに努力を強いるよりも、私の評価を下げるほうが簡単だった。
二人にとって私の存在価値は、それだけだった。
その結末が、国外追放。
最後まで両親に私への愛はなかったのだ。
「おまえの家族って……、とんでもないクズだな。」
「アレク様、口が悪いですよ。でもそういっていただけたら、それで救われます」
当時の自分は、傷のせいで酷い痛みに襲われていたけれど、それでも泣くことはなかった。
悲しいとか、辛いとか、そう思う心の柔い部分はとっくの昔に擦り切れていて、そのような酷い扱いを受けることは、よくある日常の出来事のひとつとなっていたから。
だけど今ならわかる。
痛めつけられても受け流す、その無関心な態度が余計に彼らの怒りを煽ったのだということを。
「というわけで色々ありまして、こんな私に優しくない国なんかとっとと捨てたいと考えていました」
「まあ、その発想に至るのは普通だな」
死んだように生きるくらいなら、命を落とす覚悟で自分らしく生きる場所を探そう。
犯してもいない罪を負わされ国を追われる身となったが、むしろ彼らとの繋がりを断つには良い機会と思って、反論することもなく粛々と受け入れた。
「それが今から三年くらい前の話です」
国外追放となった私は、賢者様に教えられた洞窟から下界へと降りようとしたのだ。
ところが洞窟は思いの外入り組んでいたために、何度も道に迷ってしまったのがよくなかったのだろう。
最低限の水と食料だけでは足りず、最後のほうは飲まず食わずで出口を目指すハメになった。
そしてなんとか出られたものの疲労と空腹で気を失った私が次に目を覚ましたところが、父母と呼ぶあの二人の家だったのだ。
私が倒れていた場所というのが、ちょうど運良く二人が管理する小麦畑のそばだったらしい。
彼らは倒れている私に気がつくと、急いで家へと運び込み、手厚く介抱してくれたのだ。
本当、優しい人たちに助けてもらってよかったわ。
あのあと、いるかもわからない神に私は深く感謝したものだ。
彼らに保護されて一度は意識が回復したものの、今度は今までの無理が祟ったのだろうか。
そのまま熱を出して再び寝込んでしまった。
熱に浮かされ、ぼんやりとしたまま夢と現実の境をさまよう。
夢の中でチラつくのは翼人の父と母の残像。
最後に言葉を交わした時と同じ、罵る父と泣いて責める母の姿だった。
夢の中でまで、厳しくしなくてもいいじゃない。
悪夢に魘され、私は涙を流しながら二人の前でこう口走ったらしい。
『父さん、母さん……なんで私だけ捨てたの?』
アレク様は表情を歪めた。
無言で手を伸ばすと、私の手を握る。
慰められているのがわかって何か言わなければと思うけれど、上手い言葉が出てこない。
二人からこの話を聞いて、これが私の本音だったのかと愕然としたものだ。
国とともに甘えを捨てたつもりでも、未熟で弱い私はまだ胸の奥に潜んでいたらしい。
望んで家族を切り捨てたはずなのに親へすがろうなんて、どうかしている。
だけど今思えば、この言葉が『ハンナ』としての人生の始まりだった。
アレク様は痛ましげな表情を浮かべ視線を下げると、深く息を吐く。
「辛い思いをしたという君の事情を知らないあの二人は、おそらく君の台詞を違う方向に解釈したのではないかな? たとえば君が両親に売られそうになって逃げてきた娘なのでは、と」
私は頷いた。
哀しむべきことに、他国では人を商品のように扱うことがあるらしい。
そして、矛先が女子供といった弱い存在に向けられがちだということも。
今も残る背中の醜い傷跡は、それを裏づけるものとでも思われたのだろうか。
「私は彼らの誤解を否定しませんでした。それが、一つ目の嘘です」
そんな事実はないのに彼らは危険を承知で人買いから匿ってくれると約束してくれた。
しかも迷惑を掛けている私に二人は『辛いときくらい他人に甘えていいんだよ』とまで言ってくれた。
そうして身体を癒やしつつ、匿われること半年。
売り飛ばそうとした両親も諦めたころだろうと判断したのか。
少しずつ外へと出る事を許された私は、ある日、二人にこう提案されたのだ。
『このまま、この家の子にならないかい?』
私は涙を堪えるように目を閉じた。
まさか、こんな身元のわからないような娘を引き取ってくれると思わなかった。
素直にそう聞くと、彼らに子供はいないそうで二人きりの暮らしを覚悟していたそうだ。
「それが私という存在を得た途端、毎日が輝いて見えたと言うのです。まるで世界が一変したかのように充実していて、とても幸せだ、と」
こんなふうに二人を巻き込むくらいなら断るべきだったのだろう。
だけど今まで生きてきて、こんなにも愛に溢れた優しい言葉を掛けられたことはなかった。
「それに彼らから、ここは滅多に人が来ないから、人目に触れる事もなく安全だとも言われました。赤の他人のはずなのに私の身を心配してくれる気遣いが嬉しくて……私は深く思い悩むこともなく頷きました。いつか素晴らしい夢は覚めるものだと知りながら、彼らの与えてくれる温もりに甘えて縋りついたのです」
このまま黙っていれば、誰にも不審に思われることはない。
最初だけ上手くやり過ごせば、彼らの子供になれるのではないか。
私は全てを話すという選択肢を放棄し、養女となることを承知した。
「では、ハンナという今の君の名は彼らがつけてくれたのかな?」
「はい。二人からは一応名前を聞かれました。ですが思い出せないことにしたのです。お二人は両親に捨てられた衝撃と高熱のせいで記憶を失ったのだと思ったようでした。これが二つ目の嘘です」
私は、自分過去に繋がるものは全て捨てたかった。
そこには当然、己が名前も含まれる。
浅はかだとは思うが、どうしても名乗りたくなかった。
レンカという名は、役立たずという言葉の代名詞のようだったからだ。
「深く思い悩み、名を思い出せないと告げた私に彼らは新しい名をつけてくれました。もし子供が生まれたら付けたいと思っていた名前がある。それをあげるねと。そうして私は新たな名を得て彼らの娘、ハンナとなりました。そしてあの一件がありアレク様と出会って……その後のことはアレク様がご存知のはずです」
白精霊師となるまでのはアレク様が一番よく知っている。
今日までの私は本当に運が良かったと思う。
私のためにと、心を砕いてくれるような人達に出会えたのだから。
たとえそれが、束の間の夢であったとしても後悔はしていない。
両親となった二人からは養女となるのに領主の審査はいらないと聞いている。
だが、この領地は他国との境界線を守るという厳しい土地柄だ。
さまざまな思惑を抱いた間者から国を守るための防衛線。
もしかしたら二人が知らないだけで養女となるためには満たさねばならない基準があったのかもしれない。
それに違反したのだとすれば、私だけでなくあの二人にも何らかの処罰が下されるのは当然。
私は過去を隠し、無害な人間に成りすまそうとした。
咎められるのならば、罰を受けるのは私だけでいい。
それが嘘をついてまで、望む未来を手に入れようとした私が支払うべき代償だ。
全てを話し終えた私は真っ直ぐに顔を上げてアレク様を見つめる。
すっきりとした私の表情とは裏腹に彼の表情は冴えない。
「深い事情があるのは理解したよ。だが領主に対する虚偽の申告は処罰の対象だ」
「お願いです。罰は事情をお話ししなかった私にだけ与えてください」
「罰を与える以前に、君はまだ大切なことを話していないよね。」
獅子を思わせる金の髪が揺れる。
あの日のように、澄んだ曇りのない青が私を射抜いた。
鋭く尖った彼の言葉が、思わぬ角度で刺さって呼吸が止まる。
「今の話が本当なら、なぜ最初から全てを私達に打ち明けなかったのか?」




