面倒事に巻き込まれる予感しかしない
その者は背に翼がある、と?
「面白いじゃないか」
うんざりとした表情の私とは反対にアレク様はニヤリと笑う。
彼は回れ右をして、こっそり逃げようとした私の手を掴むと麗しい微笑みを浮かべた。
私も彼の笑顔に負けじと微笑む。
珍しいものでも見たのか護衛の皆様が目を丸くするけれど気にする余裕はない。
「行かないの、ハンナ?」
「私はここで大人しくお待ちしておりますね」
「君の手助けが必要になるかも知れないし、一緒に来てきてもらいたいのだけど、何がダメかな?」
「ダメではありませんが……わかりました、行きます」
ああイヤだ。
面倒事に巻き込まれる予感しかしない。
それでも滅多にない彼からのお願いだ、きっと何か思惑があるのだろう。
現地に到着すると近隣に住む住人が不安そうに空を見上げていた。
視線の先には空を我が物顔で飛び回る影がある。
太陽を背に向けているため、顔はわからない。
だがたしかに翼が生えているように見えた。
アレク様は笑顔を張り付けながら、不愉快そうに眉を顰める。
「ハンナ、ちょうどいい機会だから君のお披露目もかねて、あの羽虫を叩き落としておいで?」
やっぱりそういうことだろうと思った。
精霊師と呼んでいいのは専門の学校を修了した者のみ。
学費や生活費だけでなく、旅費や滞在費まで含めると地方の領民が精霊師の称号を得ることは経済的にも難しい。
だから精霊師と呼ばれる人は都会に行くほど多く、地方に行くほど少ない。
そしてこの辺境伯領内に精霊師はアレク様を含めて、一握りしかいなかった。
私という存在を辺境伯が能力を持つ者に対しては援助を惜しまないという見本としたいのだろう。
実力主義を掲げてはいるものの、ぽっと出たような私にいきなり投資するなんて剛胆だ。
……それはさておき。
雇用主から力を示せと言われたのであれば、面倒でも応じないわけにはいかないだろう。
「加減しましょうか?」
「民に被害が及ばないならば、遠慮はいらないよ」
「では、無事にアレを捕獲できたらご褒美をください」
「おもしろいね、何を要求する気?」
「大丈夫ですよ常識の範囲内です……たぶん?」
「ふうん、まあいいよ。私の知る常識の範囲内ならね」
「それではあの不心得者を御前に跪かせましょう」
国同士での取り決めでは上空といえども領土と同じ。
領空を侵したのだから相手の出方によっては、最悪の場合、戦争となってもおかしくはない事案だ。
秘密裏に事を運ぶのではなく私の披露に使うというのだから、落としどころを探る必要はない相手だと判断したのだろう。
臣下としての礼をとり、頭を垂れる。
「では、しばし御前を失礼いたします」
「待つのは得意ではない。速やかに頼むよ?」
「善処します」
アレク様の指示に微笑むと、風を捉えるようにローブを翻す。
これは呪具であり、私が学校を修了する記念として創り出したもの。
自然界における人が抱くだろう願いのほとんどを具現化した自慢の品だ。
もちろん空だって飛べる。
弾みをつけるように虚空を蹴ると、ローブに集めた風を身体に纏わせて上昇していく。
翼ある何者かは驚いたように私と距離を取ろうとするが、相手を上回る速度で滑空し、退路を塞ぐ。
ぶつかりそうになり、空中で急停止したところで、その顔をしっかりと確認した。
……やっぱりね。
翼を羽ばたかせ、空を駆けるように飛ぶ姿が記憶と重なる。
彼女は不機嫌そうな表情を隠さず、蔑むような視線を私に向けた。
体つきは丸みを帯び、ますます女性らしく綺麗になったと思う。
「アンタ誰よ⁉︎ っていうか、全身布だらけで気味が悪いわ!」
とはいえ、人目のないところで口が悪くなる性格は相変わらずだ。
布だらけというのは、私の全身を隠すようなこの長いローブのことを指しているらしい。
対する彼女の格好は軽装だ。
翼の動きを妨げないよう背中の広くあいた上着にショートパンツで太ももから膝までを大胆に露出している。
足元も頑丈な皮のブーツを履き、活動的で華やかな彼女の雰囲気にとてもよく似合っていると思った。
一方の私はローブを着用しているので顔どころか肌の見える箇所がほとんどない。
この頭の先から足先まで全身を覆うようなローブが精霊師の正装であり、肉体を保護するだけでなく内側の温度が一定に保たれるため、非常に快適だった。
歩きにくいのが唯一の難点だけれど、個人的には着る服に悩まなくてもいいのもあって普段から重宝している。
視界も内側からは外の様子が見える仕様になっていているため問題はないしね。
第一印象は良くないが礼儀は欠かさないようにしないと。
私は下界からも見えるように、大袈裟とも思えるくらいに深々と礼の姿勢を示した。
「こんにちは、お嬢さん。我が領にご用事があるのなら伺いますが?」
あとからこちらに非があると言われるのは腹立たしいもの。
慇懃な態度をとる私を嘲るように彼女は笑う。
「アンタには関係ないことよ。邪魔だから消えて?」
「残念ですが……こちらには、それを尋ねる権利があるのです」
「ふうん。それってさっきから地面の上を這い回っている鬱陶しい蟻達のためってこと?」
「ここまで騒ぎを大きくしてしまったのだから我々に事情の説明くらいはしていただかないと……若い娘さんを手荒く扱うのは気が引けますから」
鷹の羽を持つからと、許しはしない。
ローブの内側から彼女に冷ややかな視線を注ぐ。
彼女は鼻で笑い、見せつけるように翼を翻すと心底蔑んだような視線を私に注ぐ。
「翼を持たない蟻に私が捕まえられるわけがないじゃないの。空は私達、翼人のためにあるのだから!」
バサリと大きく翼を広げ、彼女は誇らしげに胸を張る。
憐れなのはどちらかしら。
現実に気がつかない者の言動は、ときにひどく滑稽と思えるものだ。
「盛り上がっているところで申し訳ないのだけれど、私に翼はないわ」
「……え」
「だけど空を飛ぶことができる」
一瞬、私の言葉を理解できなかった彼女が目を瞬かせる。
そして青褪めた。
「な、んで?」
「空は翼ある者だけのものではない、とだけお答えいたしましょう」
精霊術には空を飛行するための術式がいくつか存在する。
それを知るアレク様は空を飛ぶ存在に驚いたのではなく、翼で飛行する存在と聞いて驚いただけなのだ。
ただし飛行術式は起動させるために莫大な力を使わなくてはならないことが難点とされるのだが、それだって呪具の補助を受ければ負担を軽減できるのだ。
とはいえ、ローブに飛行術式を組み込めたのは白の精霊術を操る私だからできたこと。
私は天空で白く輝くローブを翻す。
ローブの白色は白精霊師にだけ許された色。
今の私を現す色だ。
彼女の瞳には、未知なる力に対する嫌悪感が滲んでいた。
「なんて気味の悪い! 羽もないのに飛ぶなんて、あり得ないわ!」
「実際に飛んでいるのだから、あり得ないことはないでしょう? それにそのご自慢の翼で逃げられるものなら逃げてもかまわないですよ? もちろん、逃げ切れるとは思えませんが」
「周りにもいたけれど、その余裕たっぷりの言い回し本当にムカつくのよね。いいわ、見てらっしゃい!」
牙を剥くような台詞を吐いて、彼女は腰に挿した剣を抜き構える。
そして唇を歪めた。
「あんたこそ、そのローブがあるから飛んでいられるのでしょう? それを引き裂いたらどうなるかしらね?」
ハンナはローブの内側で目を見張った。
これまでのやりとりで相手の弱点を見抜ける洞察力は素晴らしい。
「残念だけどね、私は空中戦に誰よりも優れているのよ!!」
言い捨てると、狙いを定めつつ私に飛びかかった。
彼女は小柄な体型を活かし、縦横無尽に飛び回る。
慣れた様子から推察して、狩りで彼女がよく使うという戦術なのだろう。
さすが鷹の羽を持つ者。
緩急をつけてながら、最後は一気に滑空し獲物に飛び掛かる様はまさに鷹そのものだ。
だけど獣相手なら通用してもアレク様に仕込まれた私には単調で、かわすのも容易いわね。
渾身の一撃を何度もかわせば、徐々に彼女の表情が困惑したものへと変わる。
それもそうよね、狩りのためと小さなころから剣を握っていた自負はあるでしょうから。
だけど私だって『辺境伯領に住むならば剣ぐらい使えて当然』なんていう理屈で鍛錬を受けさせられたのだ。
軟弱な体はたちまちのうちに筋肉痛と大小様々な切り傷擦り傷でボロボロになった。
それを自分の精霊術で癒やせとか、どれだけ鬼畜なのよ。
だけどアレク様のいう『辺境では食後の腹ごなし程度』の鍛錬の成果で、今や私の剣技も多少は見られるものになったらしい。
おかげでこうして彼女の攻撃を危なげなくかわすことができる。
彼女の実力も測れたし、とても有意義な結果を得られた。
だからもういいわ。
「あなたがどこまでも抵抗するというなら、こちらも遠慮はいたしません」
負けるものか。
心が折れなかったのは、私を虐げた人達に対する反骨精神からだ。
私はこの国で学びながら、事あるごとに考えていた。
もし再び彼らに会ったとしたら私はどうなってしまうのか、を。
かつてのように振り回されるのか。
それとも怒りのあまり、取り乱すか。
現実はそのどちらでもなかったことに安堵する。
呆れるくらいに彼女は自分本位で、少しも変わることはなかった。
自分のせいで誰かが犠牲になっても、彼女は自分の過ちを認めることはしないだろう。
だから心も痛まないし、遠慮もいらない。
私はローブの内側でほくそ笑む。
広い世界を知らない、愚かな女に感謝を。
お礼に心を込めて叩き落としてあげよう。
風、土と木に祝福を与え術式を編む。
「あれを捕縛しなさい」
指せば、伸びた幾本もの蔦が空に浮かぶ彼女の手首と足首を拘束する。
逃げる隙など与えず、自慢の羽ごと身体を蔦で縛りあげられた彼女は完全に身動きが取れなくなった。
飛ぶ術を失った今、哀れ少女は蔦にくるまれ空に浮くのみ。
……このままだと地面に叩き付けられる。
そんな未来を予感したのか、彼女は真っ青な顔でイヤイヤをする様に首を振る。
「そ、そんな。嘘よね、助けて……降ろしてよ、早く!」
「嫌よ。そう懇願するあなたにまた殺されそうになるのは」
「は⁉︎ 見ず知らずの他人にそんな事しないわ!」
「あら、そうなの?先ほどの殺気は本物だったようだけど……そういえばご両親は?」
「いるわ! 家には大切な両親が待っているの! こんなところで死んだら絶対悲しむわ!」
「そう、ならご兄弟は? たとえばお姉さんなんていたのかしら?」
「姉は……」
そう答えて彼女は口を噤む。
一瞬逡巡した後、再び口を開いた。
「いたけど、たぶんもう死んでいるもの……ほら、質問には答えたでしょう? 早く離してよ!」
彼女には罪の意識もなく、ただ問われたことに答えただけ。
手入れの行き届いた茶色の柔らかい髪が揺れる。
小鳥のような可憐な容姿に、どれだけの人が魅了されてきたことか。
純粋で愛らしいという外面を利用して、無邪気に人を貶めた。
やっぱりあなたのこと大嫌いだわ。
ノコノコと下界にやってきて、やり返されるリスクなんて想像もしていない。
「そう、奇遇ね。私にも妹がいたけれど、今はもういないの。小麦畑を愛する素敵な両親しかいないわ」
さようなら。
恭しく頭を下げながらローブの内側で微笑んだ。
そして祝福を与えた蔦に、彼女を地上に降ろすよう命ずる。
「望み通りに地上に降ろしてあげて……最短距離を高速でね」
「!」
絶望のあまり表情を歪めた彼女を巻き込みながら、蔦は巻き戻るように地上へと戻る。
それと同時に私もローブをひるがえしてアレク様のかたわらへ降り立った。
今まさに目の前で彼女の身体が地に叩き付けられそうになる。
離れたところから誰かの悲鳴があがった。
「もういいわ」
叩きつけられる寸前、風に指令を乗せて速やかに蔦の術式を解除する。
そして蔦に包まれたままの彼女の身体を地面へと転がした。
低い位置からとはいえ、派手に転がされた彼女が悲鳴すら上げないことを訝しく思って見れば、すでに気を失っていたらしい。
運のいいことだ。
あのまま意識を保っていたら、落下の恐怖で二度と飛べなくなっていたかもしれない。
私に命じられるまま、蔦がアレク様の前に彼女を差し出す。
そして私はアレク様の前に跪いた。
「お待たせいたしました。」
「羽虫如きに、ずいぶん手間取ったようだね?」
「申し訳ございません。少々、確認したいことがございまして」
「あまりにも遅いものだから私直々に射落としてやろうかと思っていたところだよ」
「アレク様の力では過剰です。こんな小さな個体なら欠片すら残らないのではないですか?」
それもそうだねと、アレク様が微笑んだ。
大型の害獣すら屠る強力な一撃が彼女に撃ち込まれたら確実に粉砕だろう。
アレク様は金の精霊術を操る。
金精霊師は、戦闘術式との相性がすこぶる良い。
それは汎用性の高い白精霊師と比べて特化型とも評されるほどだ。
アレク様は争いの絶えない辺境の地に相応しく、広範囲且つ攻撃力の高い戦闘術式を編むことができる。
体内に満ちる力も十分に備え、精度も高いので辺境伯領の最終兵器と呼ばれていた。
さすがに目の前で人が粉になる瞬間は見たくない。
アレク様の指示で蔦を緩めれば、兵士達によってたちまちのうちに彼女は縛り上げられる。
静まり返っていた場が、再び騒然となった。
領民の視線を色分けすれば、安堵が七割、私に対する畏怖が二割、得体の知れない存在に対する恐怖が一割。
思いの外、嫌悪感を示す者が少なくて安心した。
「それで、彼女から目的は聞き出せたのか?」
「いいえ、ですがそれとは別にご報告したいことがございます」
「どんなこと?」
「彼女と……、私の過去についてです」
被っていたフードを外して、真っ直ぐにアレク様を見つめた。
交渉ごとがある場合、相手に顔が見えないのは悪手だからね。
私の覚悟を読み取ったのか、彼は探るように目を細めた。
バレなければ黙ったままでもいいかな、なんて虫のいいことを考えていたのが悪かったのだろうか。
こうなる未来なんて、全く予想していなかったの。
悪しき因縁は、どこまでも私を追い詰める気でいるらしい。
彼女の目的によっては、私の過去も話さねばならなくなるだろう。
何らかの理由でこの領地に害を及ぼすつもりだとすれば、彼らをよく知る私が黙っているのは契約に反する。
あくまでも、この辺境伯領のために。
さて、どう話したらよいか。
今まで黙っていたことを詰られそうだし、正直言って気が重い。
まだ内容を知らないアレク様は、ただ私を労わるように頭をなでる。
途端、周囲を取り巻く領民の中から感嘆のため息が漏れる。
見回せば、うっとりとした視線がアレク様に注がれていた。
この方は美しいだけでなく頭脳明晰で武勇に優れ、実力ある精霊師としても名高い。
全くといってよいほどに非の打ち所のない上司は領民からも大人気なのだ。
「いいだろう、城に帰ったら早速聞こう。衛兵、この者を牢屋に放り込んでおけ」
「はっ」
兵士達は頭を下げ、トウカを護送車に乗せて運ぶ。
ふと視線が合ったので、無駄に待機させたお詫びを込めて微笑んだ。
一瞬呆けた彼らは、視線を逸らしギクシャクと動き出した。
手慣れている作業のはずなのにいつもより手際が悪い気がするのは気のせいかしら?
怪訝そうな表情を浮かべる私に気がついたアレク様が周囲を見回して苦笑いを浮かべた。
「ハンナ。顔は常に隠しておけと言っただろう?」
「っとすみません、忘れてました」
あわててフードを被り直す。
地上に降りてきて初めて知ったのだが、私の容姿は一般的な人の感覚で美しいとされる部類に入るそうだ。
それは地味と揶揄されてきた私にとって非常に喜ばしいことだったが、アレク様曰く、人の世では美しさが邪悪な人間を寄せつけることもあるらしい。
無駄に美しいアレク様が言うと信憑性が増すというもの。
だから普段はフードを被り、できるかぎり顔を隠していた。
フード以外にもローブに施してある容姿の判別をつきにくくする術を併用するときもあるけれど、披露を兼ねたこの場では隠す意味がないからと外していたのを忘れていた。
「なんというか、彼らからすれば君の顔は猛毒並みらしいな」
「失礼ですね! うら若い乙女が聞いたら命を断つレベルの台詞ですよ!」
「そうかい? 猛毒ほど甘いという比喩のつもりだよ」
アレク様はからかうような口調で笑った。
たとえにしても、もう少し心に優しいものはなかったのだろうか。
この際だと女心の機微という重要かつ繊細な事柄について薫陶しようとした、そのとき。
「ああ、ようやく見つけた!」
誰かの切なる声とともに、私の手首を掴んで強く引いた。
後ろに倒れそうだったところを、隣に立つアレク様が私の腰を引き寄せる。
彼の胸元に抱き留められ、最終的には庇われるような体勢になった。
アレク様がすかさず剣を抜いた。
「それ以上動くなよ? 動けば間違いなく首が飛ぶ」
常になく感情の籠もらない冷ややかな声。
本気で怒りを覚えているらしい。
私の腕を掴んだ何者かは、抵抗することなく兵士によって取り押さえられた。
おそるおそる振り向けば、マントのフードが剥ぎ取られ、顔を晒されるところだった。
顔を見て、息を飲む。
とまどい、怒り、恐れ……、あらゆる感情が逆流して私を混乱へと追い立てる。
「やっと見つけた、レンカ」
どうして。
なぜ、あなたがこんなところに?




