あいつといると、自分が自分でなくなる
時は遡る。
レンカを洞窟の奥へと送り出した賢者は、彼女の気配が消えるまで見送っていた。
そして完全に消えたところで振り返ると、藪の奥へと声を掛ける。
「ちゃんと見送ったかい?」
それを合図に姿を現したのは、三人の男。
三者三様に葛藤を抱えたような暗い表情をしていた。
彼らこそタンガを筆頭とした次期賢者候補達だ。
賢者は一人一人の顔をしっかりと見つめ、言葉を紡ぐ。
「思うところは各々あるだろう。だが、あの姿を忘れてはいけないよ? 彼女が背負った罪は我らも共に背負うもの。我々の力不足ゆえに、犯してもいない罪を負わせることでしか彼女の命を守れなかったということを、ゆめゆめ忘れることのなきように」
古き記憶に囚われることなく、自由に生きて欲しい。
レンカへの餞の言葉は彼らの思いでもあった。
重くのしかかる賢者の言葉に三人は頭を垂れる。
彼らの脳裏に蘇るのは奇しくも同じ台詞だった。
『ちょうど良いではないか。全ての罪をあの役立たずに負わせよう。アレも、ようやく皆の役に立てるのだ。むしろ本望だろうよ』
今となっては誰が言い出したのかなど意味はない。
問題は、その提案に反対する者がほとんどいなかったという現状だった。
ただ通り掛かっただけの罪なき者に責を負わせてしまえば、この国の倫理そのものが崩れてしまう。
悪しき前例となることは避けたかった賢者を中心に賢者候補達は知恵を絞ったが、結果的には関係者を納得させることができなかった。
それどころか、狩人達との関係が悪くなることを恐れた薬師にまで治療を拒否されそうになる始末。
彼女の命すら危うかったため、仕方なく罪を償わせるためとしてなんとか命を繋いだ。
この国では、そうでもしなければ守れぬほどに蝶の翅を持つ者の命は軽くなってしまったのだ。
タンガは拳を固く握りしめる。
守るどころか、更に深く傷つけることしかできなかった己の無力さに吐き気がした。
不安など微塵も感じさせない足取りで闇の奥へと身を投じたレンカに、幼いころの無邪気な彼女の姿が重なる。
『タンガ、遊びに行こう!』
鳴る鈴のような愛らしい声が己が名を呼ぶ。
まるで音楽みたいだ。
声を聞くだけで心が弾む。
そして彼女の澄んだ瞳は、いつもタンガだけを映していた。
誰よりも自分を信頼してくれている、その状況だけで十分満たされて。
この関係はずっと変わらないと思っていたのに。
時が経つにつれて、周囲の扱いだけが大きく変わっていく。
鴉の羽を持つタンガは推されて賢者候補となり、レンカは役立たずとなった。
そして周囲からも色々と吹き込まれたようでレンカはタンガと距離を置くようになる。
それを寂しいと思った。
世間とは、なんと残酷なものだろうと。
そしてそれ以上に残酷だったのは身を粉にして働き、どれほど尽くしても、蝶の翅を持つというだけで報われないという現実。
だからタンガは賢者となって国を変えることを目指した。
レンカを、己が手に取り戻すために。
そしてこのときから、タンガの中でレンカは戦友となったのだ。
彼女ならば、どんなに険しい道でも自分と共に歩んでくれる。
賢者となるための調査にも進んで協力してくれた彼女の姿に、いつしかそう思い込んでいた。
全ての始まりは友人である彼女を助けたい一心、それだけだったはずなのに。
『彼が必要としたのは私ではありませんでしたから』
どこで道を間違えたのだろう。
賢者様に問われ、淡々とした表情で答えた彼女の言葉は自分に向けられたものだ。
他の誰でもない、自分が彼女に言わせた台詞。
「ひどい言葉で詰ったけれど、タンガの全てを否定する訳じゃないわ。元友人として応援している、あなたに幸せが訪れるように」
あの台詞を聞いた瞬間、彼女が少なからず自分に情を傾けていてくれた事を知った。
存在すら失われた今、この瞬間に気付くなんて。
戦友なんかじゃなかった。
もっと昔から今までずっと……俺は、彼女を愛していたのか。
それが本音だと気付いて、タンガは呆然とする。
なぜ俺は生死の境をさ迷う彼女の隣で支えてあげなかったのだろう。
命を繋ぐために奔走していたからなど、言い訳に過ぎないのではないか。
彼女の中で俺は……彼女を虐げたその他大勢の翼人と同じ位置まで成り下がってしまった。
もし一度でも、会いに行けば結果は違ったのだろうか?
でも傷つき弱り果てている彼女に会えない理由はもう一つあった。
幼き日の彼女の面影が脳裏に蘇る。
あのときのように、弱々しい無防備な姿を見てしまえば抑えが効かなくなりそうだった。
自分には賢者となるという夢がある。
それすらも色褪せて思えるほどに、彼女に溺れてしまうのが怖かった。
自分を嘲り、突き放そうとする彼女の顔。
ひどく醜いはずのそんな表情すら美しいとは、一体どういう事だ?
あの表情を見たとき、タンガはレンカに恐れを抱いた。
一つの瑕疵もなく完成された美しさが、そこにはあった。
翼人達は蝶の翅を持つ者達を、翅だけが美しいと評する。
直接言葉にすることもあれば、言外にも、それ以外は取り柄がないという意味を添えて。
だが真実は異なる。
男女問わず、蝶の翅を持つ者は翅や顔立ちを含めた容姿の全てが桁違いに美しいのだ。
その美しさは、同性であれば羨望と嫉妬を、異性は欲望に抗えぬが故に恐れを抱くほどだ。
だけどそれを、当人達だけが知らされていない。
周囲がそれを悟られないように振る舞うからだ。
それどころか地味だと揶揄し、極端な場合だと醜いと教え込む。
本当は美しいのに、彼らがそう思わないよう、家族や共同体全体が示し合わせているのには理由がある。
記録によれば、過去、彼らを巡って翼人同士の熾烈な争いが繰り返し勃発した時期があったらしい。
それこそ命をかけて奪い合い、多くの血が流れたという。
二度と不毛な争いを起こさない。
いつしか蝶の翅を持つ者には容姿の美しさを教えないようにするというのが、羽を持つ者達にとって暗黙の了解というものになっていた。
そしてそれこそが、翼人の国の歪さに繋がるとタンガは思っている。
実際のところ、蝶の翅を持つ者達が成長途中は地味と揶揄される素地はあった。
蝶でいうところの、羽化する前の蛹の状態なのだろう。
大抵の場合、くすんだような色味そのままに育つ。
そしてある程度成長するまでは翅も生えてこないため、子供の頃は地味で目立たない。
あのレンカでさえ、昔は冴えない容姿をした平凡な女の子だったのだから。
ところが翅が生えると容姿の特徴が一変する。
地味であった色味が艶を持ち、輝きを増して一気に垢抜けるのだ
それは、まるで羽化した蝶のよう。
共通するのは白く透き通った肌と紅を差さずとも色鮮やかな唇、切れ長で涼やかな目元。
調和のとれた顔立ちを引き立たせるすらりとした肢体は、女性であれば頼りないほどに細く、艶めかしい。
さらに色鮮やかな背を飾る翅が空に舞えば、鱗粉を振り撒き、意図せず人々の視線を奪う。
そして極め付けは生まれつき品の良さを感じさせる物腰と、何もせずとも洗練された仕草。
どこか野性的で粗野な雰囲気を持つ翼人に混じれば、その差は明らかだった。
そんな彼らの美しさは、容易く翼人達の理性を奪ってしまう。
タンガも幼い頃に両親から厳しく言い含められた。
レンカには気をつけろと、決して気を許すなと。
綺麗なものを、なぜ綺麗だと誉めてはいけないのだろうか?
ずっと不思議に思っていたけれど、歳を重ねていくうちに理解した。
レンカ達、蝶の翅を持つ者達の美しさは安易に触れてはならない類のものだ。
たとえるなら、神性もしくは魔性とでも呼ぶべきか。
ある種の危うさを感じさせるが故に、抗えず囚われる。
そして蝶の翅を持つ者の中でも際立つレンカの美貌は、本人が望まずとも人々を狂わせるのだ。
だから彼女はより顕著に人々から避けられてきた。
美しさで人々を望むままに魅了できる可能性を秘めた、忌むべき存在として。
今思い出すと、あのときの自分は魅了されたとしか思えなかった。
紳士的に振る舞っていたはずの自分が気付けば彼女を腕の中に閉じ込めていたなんて。
レンカは何も悪くない。
だけど彼女の儚げな美しさを前にしてしまえば、鍛えたはずの理性も形なしだった。
"逃がさない"
"手に入れて、誰の目にも触れぬように閉じ込めてしまいたい"
タンガはレンカを通じて仄暗い自身の願望を突きつけられ、狼狽えた。
まるで蒐集家のようじゃないか。
そしてひどい言葉で彼女を突き放した。
冷静になれば、なんと心ない態度で傷付けたのか。
言い換えれば翼人の粗暴で残酷な一面を呼び覚ますもの、それが蝶の翅を持つ者だ。
たとえば大切な食料であるはずの小麦を、虐げるためだけに踏み躙った雀の羽を持つ者達。
群をなす性質から温厚な者の多い彼らでも、例外ではないらしい。
嫌がらせと片付けるには悪質であり、本来得られるはずだった利益を損なったのだ。
見過ごすことはできないからと密かに通報を受け、険しい表情で駆けつけたタンガに、彼らは当初『レンカがやった』と罪を擦り付けようとした。
タンガは不快感と同時に怒りを覚える。
蝶の翅を持つ者にならば何をしても許されるとでも思っているのか。
見回りにくる度、忙しく働くレンカは丁寧に苗へと水を与えていた。
最近、めっきり見せなくなった幸せそうな笑みすら浮かべて。
その様からは彼女が小麦を慈しんでいる事など容易く理解できるというのに。
間近で見ていただろう彼らが、その程度のことにも気付けないなんて、翼人としてだけでなく管理者としても失格だ。
だからタンガは容赦なく矛盾点を突いて彼らを追い詰めた。
彼女が畑を荒らしたというのなら、なぜそれを許したのか。
目の前で畑を荒らされそうになったというのなら犯人として取り押さえればいいだけのことだ。
軟弱な肉体を持つ蝶の翅を持つ者が相手であれば取り押さえるのも容易いだろう。
そしてそのまま彼女を罪人として引き渡せばいいものを、犯人とされた彼女がこの場にいないのはなぜか。
そして収穫物の損なわれたとされる区画が、きれいに片付いている点について。
なぜ、ここまできれいに後片付けをする必要があるのか。
証拠を隠滅する目的があったのではないかと問うたら、急に顔色が変わった。
共有財産である収穫物を不当に独占することは重罪となる。
レンカが収穫物を毀損したことにして、彼らが不当に収穫物を得ようとした証拠ではないかと追求したところ、ようやく観念したのか、雀達は一部始終を告白した。
彼らによると、無惨に踏み躙られた小麦の残骸はレンカが一人で片付けたそうだ。
大切に育てていた作物を踏みにじられた彼女の心中を想像すると胸が痛む。
「悪気はなかったんだ。ただちょっと困らせてやろうと思っただけで」
薄笑いを浮かべたまま、冗談だとでもいうような軽い口調で班長はそう言った。
困らせようとしたのに悪意がなかったわけがないだろう。
彼らは本気で蝶の翅を持つ者になら何をしてもよいと思っているのだと悟った。
「それにタンガだってスッキリしただろう?」
「なぜ俺が?」
「あの性悪に振られたそうじゃないか。些細な嫌がらせのひとつくらい見逃してくれよ」
タンガを見る目は同類と言わんばかりで、意味深な笑みを浮かべる。
あまりにも醜悪な姿に思わずカッとなった。
「お前と同列に並べるな、不愉快だ」
「カッコつけるなよ、所詮はお前も同じ穴の狢だろう?レンカをそういう対象として見ていた時点でな」
アレは、容姿だけなら一級品だからな。
いやらしい表情で、ここぞとばかりに囀る雀達。
無能な上に、品性下劣とは救いようがない屑だな。
タンガはため息をついた。
数を力とばかりに寄せ集まっても、所詮は雀。
その程度の嫌みで、こちらが折れるとでも思っているのか。
タンガは冷ややかに見下したような表情で彼らを見回す。
纏う空気が変わったことを感じ、雀達は狼狽えた。
「言いたいことはそれだけか?」
「な、なんだよ。いきなり……」
「甘いんだよ、君は。俺がここに来た時点で証拠や証言が揃っているという事に気付きもしないなんて」
「は? 証拠、証言? あるわけないだろう、そんなものが……!」
「共同体の利益を損ねる行為には、それだけ不快感を覚える者が多いということだよ」
そう言って調書を掲げる。
一度罪を見逃されたものは、次も同じ手を使う。
……次は君が同じ目に合うかも知れないね。
不安そうな雀達に、そう囁くだけで十分だった。
鴉は狡猾。
獲物を観察し、油断したところを狙う。
愚かな雀は周囲を見回して、ようやく自分達の置かれている状況に気づいたらしい。
「お、おい。どういう事だ!?お前達も賛同しただろう!」
「つまり計画性があったという事だよね。それは自白ととってもいいかな?」
「違う! 本当に悪意はなかったんだよ!」
「悪意がないと言えば、どんな罪でも許されると思っているのか? ならば聞かせて欲しいのだけど、悪意なく、どうやってレンカを貶めるようなことをした?」
相手を貶めるような行為に悪意がないわけがないだろう?
それまで饒舌だった雀達が無言になる。
押し黙っていた班長が重い口を開いた。
「レンカが悪いんだ。あいつといると、自分が自分でなくなる」
彼は怒りと困惑、そしてほの暗い欲望の入り混じった暗い目をしていた。
ただ残念なことに何もしていないレンカからすれば完全な言いがかりだ。
「それは君達のした行為の言い訳にはならない。こんな事になって残念だよ」
レンカの件を切り離したとしても、農産物を意図的に毀損した行為は重罪だ。
こんなはずじゃなかった。
そう思ったのだろう、班長は表情を歪める。
この件の責任を問われ彼が降格されることは間違いないだろう。
そして、この共同体で肩身の狭い思いをしながら生きていくのだ。
翼を持つ者を狂わせる、蝶の魅力。
それはやはり翼人の心を蝕む毒なのか。
だがタンガには、レンカの魅力がそんな禍々しいものとは思えなかった。
彼女は報われなかったとしても、努力を放棄しなかった誇り高い人だ。
貶められようとも、自分から墜ちることを何よりも嫌う人。
そんな彼女が持つ魅力は、根本的に我々と違う。
もっと別の何か、隠された能力があるのでは?
賢者として引き継がれてきた知識から蝶の翅を持つ者の情報が大きく抜け落ちている、そうとしか思えない。
思考を切り替えるように、タンガは大きく息を吐いた。
まずは今回の件について、どうレンカをフォローするか、だ。
きっと彼女のことだ、思い詰めているに違いない。
それとレンカに咎はないことを上層部に説明するのも骨が折れる。
彼らは、彼女を必要以上に嫌っている。
端から見れば、それは理不尽としか言いようのないほどだ。
「賢者様に指示を仰ぐか」
いくつかの課題は残ったけれど、とりあえず今回の件はこれで片付きそうだ。
そう安堵したところで、突然、風に乗って獣の吠える声と人々の悲鳴が聞こえてくる。
途端、嫌な予感がした。
周辺の弛緩した空気が、一気に緊迫したものに変わる。
「タンガさん!!大変です!!」
相手目線です。
寒い日が続きますね。
体調にはお気をつけてください。




