もう十分、頑張ったよね?
タンガを手酷く振ったという噂が、気づいたころには消せないほどに広まっていた。
しかも口説いてモノにした途端、興味を失ったように振った性悪だとも。
それを聞いた父母は私をいないものとして扱うことにしたらしい。
目も合わせなければ、話し掛けもしない。
私の食事も抜かれたけれど、全員分の食事を作らされるという事もなくなった。
そして両親の不愉快そうな視線を感じることも、もうない。
彼らの瞳にはトウカだけが映っていて、今も三人で楽しそうに夕食を囲んでいる。
一度だけ、私がトウカのためにタンガを振ったとは思わないのかと尋ねたけれど無視された。
まあこちらは関わりが薄くなっただけで今までの扱いと大差はないから何とかなる。
ただ意外なことにトウカだけは普通に話しかけてきて、態度は今までと何も変わらなかった。
問題は農作業の手伝いの方だった。
輪を掛けて嫌がらせが酷くなったのだ。
おそらくタンガが私を庇うことはないと判断したからだろう。
それこそ、作業の進捗に支障が出るくらいの状況になっていた。
そしてとうとう決定的な出来事が起きる。
何者かに収穫直前の小麦を刈り取られたのだ。
しかも私の担当する区画だけだ。
打ち捨てられ、踏みにじられた小麦を前にして深くため息をつく。
小麦には罪はないだろうに、酷いことをするものだ。
しかも収穫物は共同体の財産となり分配されねばならぬもの。
自分達の口に入るはずの作物を嫌がらせのためと躊躇いもなく踏みにじるという行為に、私を憎む闇の深さを思い知らされる。
これじゃあ、一から育て直すしかないわね。
仕方なしに新たな種をもらいに行けば、今度はそれすら拒否された。
「小麦すらまともに育てられないような役立たずはクビだ。まあ性悪女らしく、別のもので対価を払うというのなら考えてもいいがな?」
ニヤニヤと嬉しそうに笑いながら雄の雀達が囀れば、ああ、これが狙いかと知る。
女性達は汚いものを見るような視線を私に向けるだけで助けてもくれない。
ここまでされても縋るなんて、本当にバカみたいだわ。
レンカは冷ややかな視線で彼らを一瞥すると、そのまま背を向ける。
……さてどうしようか。
働かざる者は食うべからず、それが自給自足で生活する共同体の不文律だ。
つまり働いて貢献することができない今の状況は共同体からの追放を宣言されたのと同じ。
この国では、もう暮らしていけないわね。
そう結論付けて、踏みにじられた葉や茎を片付ける。
「ごめんね、私に育てられたばかりにこんな目に合わせてしまって」
いつものように呼びかけても乾いた茎からはカサリと音がするだけで答えはない。
それが、一番堪えた。
踏み躙られた小麦が自身の姿に重なり、涙が一筋、こぼれ落ちる。
もう十分、頑張ったよね?
私物を回収したら、その足で出ていこう。
強靭な翼もなく、軟弱な肉体しか持たない私が外の世界で生きていけるかなんてわからないけれど。
それでも死んだように生きるよりはマシだ。
まずは山を降り、人の住む領域までたどり着けば何とかなるかもしれない。
賢者様からは容姿は翼人と変わらないと聞くし、基礎的な生活の知識にも大きな差はないと聞いている。
上手く馴染めるようなら、そのまま下界で暮らせばいい。
ただ、蝶の翅はどうしたらよいだろうか。
ちょっと考えて決めたのは、とりあえず隠すということだった。
使わないときの蝶の翅は背中に紋様として刻まれているだけだし、布地が厚い服を着てしまえばいい。
翅さえなければ、地味な容姿の私が人の住む領域で暮らしても目立つことはないだろう。
あとはたどり着くために、どの経路を使うか?
実はこれが最大の難関だった。
普段から人間との交流がないため、下山する経路が伝承の域を超えないのが気掛かりだ。
今まで逃げたいとは思っても躊躇していたのは、このため。
それに国を出た途端、崖に真っ逆さまという末路は避けたいものね。
もしかしたら賢者様ならご存じかも知れないが、教えてくれるとは思えない。
一瞬、タンガの顔が浮かぶ。
賢者候補筆頭の彼なら出口の場所を知っているかもしれない。
だが彼の伸ばした手を不要と振り払ったのは私だったと思い直す。
今更頼るのは虫がいいというものだわ。
それに私が出て行こうとしている理由を聞いたなら正義感の強い彼のことだ、何としてでも原因を追求し、皆を巻き込んで解決しようとするだろう。
波風を立てないためにも、彼には何も言わないほうがいいわね。
下山する経路については自分の勘を信じるしかなさそうだ。
ひとまず家に帰って必要な荷物をまとめようと踵を返した、その時。
「危ない!」
上空から、誰かの叫び声が聞こえた。
見上げれば、そこにはトウカと鷹の羽を持つ者を中心とした若い狩人達がいる。
それと同時に聞こえたのは恐怖に身が震えるような咆哮。
視線の先では見たことのない大きさの獣が血を流しながら暴れ、建物を薙ぎ倒していた。
噂にだけは聞いている。
最近、野獣が変異して凶暴化するものが現れたと。
見境なく翼人や家畜を襲うため、狩人達は見つけ次第、積極的に狩っているようだ。
だけどいつも仕留めてくるものより、ずいぶんと体が大きいように思える。
それ故に狩人は致命傷を与えることができなくてここまで追い込まれてしまったのだろう。
狂ったように振るわれる鋭い牙や爪。
手負いの獣は普段以上に力を発揮するらしい。
あまりにも激しい抵抗に狩人達も手を焼いているようだった。
地上に降り立ったトウカ達に向けて怪我をものともせず獣が突進していく。
経験値の高い者は牙や爪から身を躱すようにして上手く飛び立った。
だが、狩りに参加して日の浅いトウカは違う。
初めて見る獣の抵抗にひどく怯え、体が上手く動かず地上に落ちたままだ。
しかも落ちた先は運悪く獣の鼻の先だった。
彼女と視線が交わる。
「助けて、姉さん!」
無意識に体が動いた。
今にも襲いかかる様子であった獣の爪先をかわし、トウカを抱き締める。
そして蝶の翅を広げ飛び立とうとした、次の瞬間……。
ぐいと体を強く引かれ、誰かの腕が私を地上に縛り付けた。
ハッと目を見開いて顔を覗けば、トウカの醜く歪んだ表情が視界いっぱいに広がる。
……そんな、どうして⁉︎
「このまま死んでよ。あんたみたいな役立たずにタンガ様は渡さない」
この状況を狙って起こしたわけではないだろう。
だがトウカは、またとない好機ととらえたらしい。
変わらぬ笑顔の裏に隠されていた彼女の悪意。
今更それに気がついても、時はすでに遅い。
しがみつく彼女によって動きを止められた私は逃げ遅れ、すぐ後ろには獣がいた。
バリバリバリバリバリ!!
聞いたことのない激しい破砕音。
鼻につく、鉄のような臭い。
視線の端には赤黒い花が咲く。
鋭い背中の痛みに、意識が遠のく。
それと同時に、ふと体が軽くなったような気がした。
――――これでいい。ようやく自由になれる。
深く傷付きながらも、口元は微笑むような弧を描いていた。
大笑いしたいくらいに心が高ぶる。
どこか夢見るような私の表情に気がついたトウカが眉を顰めた。
この私が醜く泣き叫ぶとでも思ったのだろうか?
あなたの前で醜態を晒すわけがないじゃない。
本当は気がついているのよ?
あなたが私のことを大嫌いだということを。
大好きだというのは、他人に聞かせるための嘘だってことぐらい気がついている。
私は力を振り絞り、精一杯微笑んだ。
「トウカが無事なら、それでいいの」
その瞬間、彼女は驚愕して目を見開き表情が歪む。
この状況で悪意を投げ返せばあなたと同じだもの。
私、同じ場所には堕ちたくないの。
トウカは、私の善意を受け止めきれるかしら?
最後まで綺麗に笑えているか、最後に頭を占めたのはそれだけ。
命懸けで相手を追い詰めるなんて、私はたしかに性悪だ。
憎しみを込めて睨みつけるトウカに今一度、優しく微笑みかける。
残念だけど私は悪意を隠したまま、どこまでも綺麗なままで逝くの。
これは奪われ続けた者の矜持だ。
怒りに満ちた表情で、トウカが腕を振り上げる。
私に彼女が手に持つ刃を突き立てようとした、そのとき。
「レンカ!」
悲鳴にも似た誰かの叫び声、この声を最後に聴いたのはいつだったか。
そう思ったのを最後に、ふつりと記憶が途切れた。
――――
ザクザクザク。
拙い足取りで山道を奥へ奥へと分け入っていく。
木々の隙間から、こぼれる日差しが眩しい。
刺すような日差しに目がくらんで、思わず足を止めた。
「大丈夫かい? 傷が痛むなら少し休もうか?」
「平気です、ありがとうございます」
高齢の賢者様に気遣われるのが申し訳なくて、レンカは笑顔を浮かべて強く首を振った。
しわくちゃの顔に安堵したような表情を浮かべた賢者様の後を追うようにして再び歩き出す。
正直に言えば、今も背中に引き攣れるような痛みは残っている。
歩くと時折傷は痛むけれど、一刻も早くこの地から出たい私には多少の痛みくらい平気だ。
それに生きているのが奇跡のような傷だったそうだから、多少痛みが残るくらい仕方のないことなのだろう。
ここに至るまで、レンカが野獣に襲われた日から二ヶ月あまりが過ぎていた。
あのあと、荒ぶる獣は駆け付けた者達の援護により無事討ち果たされたらしい。
家屋のいくつかが激しく打ち壊され、ずいぶんと畑が荒らされたそうだ。
死者はなく、重症なのは私くらいで、他は皆軽傷で済んだと薬師が話していた。
そして一時は生死の境をさまよった私も奇跡的に一命を取り留めることができたのだが。
その代わり、私の背にあった蝶の翅は獣の爪に毟り取られ永遠に失われてしまったけれど。
意識を取り戻したときには背中にあったはずの翅が骨すら残っていなかった。
今は肌を引き裂かれたような醜い傷跡だけが残っている。
突然翅を失ってしまったせいか背中の軽さが慣れず、いまだに心許ない。
翅のせいで差別されると恨んだこともあったのに、いざ失ってしまうと惜しくなるなんて滑稽だわ。
こんなふうにどこまでも自分勝手だったから、罰が下されたのかも知れないわね。
そして罰といえば、もう一つ。
意識が戻った私に両親から知らされたことがあった。
処罰は、国外追放。
私が生死をさまよっている間に、いつの間にか未来すら決められていlたということだ。
処罰の理由は、私のせいで被害が拡大したから。
……ここまでまでくると笑うしかないわね。
なぜ巻き込まれただけの私が罪に問われたのか、それはどうやら人々の思惑が絡み合った結果らしい。
まず当時の状況については、現場の惨状を確認すれば何が起きたのか皆が察しただろう。
鷹の羽を持つ者を筆頭とした狩人達が致命傷を与える事ができず、獣の激しい抵抗を受けた。
そして取り逃した獣が翼人の居住区域に侵入したのだ。
権利には、義務が生ずる。
自身よりも強い動物と戦うという危険な立場にいるからこそ、鷹の羽を持つ者を筆頭とした狩人は共同体でも優遇されていた。
権利を主張する者が義務を果たせなければ罰せられて当然。
だが狩人達を安易に処罰するわけにもいかない事情があった。
なぜなら獰猛な獣とも渡り合える貴重な戦力であり、確実に食料を得るためにも必要な存在だから。
彼らがいない間、食糧はどうやって確保するのかという問題がある。
一方で家屋に被害を受けた住民からは責任の所在を問う声が上がっていた。
彼らを納得させるためには、誰かに罪を償わせるしかない。
そこで目を付けたのが、私だ。
狩りの最中、突然姿を現した私に動揺した獲物が、居住区域に逃げ込んだ。
そして狩人達は獲物の近くにいる私が邪魔で速やかに討ち取る事ができなかった、ということにしたのだそうだ。
正直なところ、なんとも迷惑な話だと思う。
あれだけ大きな獣が、ちっぽけな私に動揺するのかという疑問はある。
だが、表向き騒動は収められた。
……全ては鴉の羽を持つ者達によって、そう結論付けられたから。
そして私の処遇を決めるために話し合いの場が持たれたという。
意識がないことを幸いとばかりに、このまま死なせればよいという迷惑な意見もあったらしいのだが、それは鴉の羽を持つ者が……賢者や賢者候補達が揃って反対したらしい。
彼らは羽の種類に関係なく平等に罪を償う機会を与えるべきだと主張したのだ。
そして国の上層部も私へ罪を負わせることに一役買った鴉達の主張を蔑ろにできなかったらしい。
私は犯してもいない罪を償うためだけに手厚い看護を受け、生かされたのだ。
そして、今日。
私はこの国を出て行く。
罪人が放たれる日だというのに、冴えた青が天蓋まで続く。
雲ひとつなく、こんなにも晴れやかで美しい空を私は見たことがなかった。
「やはり空が恋しいかい?」
賢者様の慈しむような声が聞こえる。
老いて皺の多い顔には、人懐っこい笑みが浮かんでいた。
こんなことでもなければ話す機会などなかっただろう、まさに雲の上の人。
国外追放とされなければ、お会いすることもなかっただろう。
なんだかそれがおかしくて、小さく笑った。
「おや、何か面白いものがあったかな?」
「いいえ。ただ空の色が青く澄んでいて、とても綺麗だなと思いまして。」
「ああ、本当だね。そういえば、こんなふうに明度の高い鮮やかな青を異国では天色と呼ぶらしいよ。」
賢者様の指が、空に文字を綴る。
天色とは、神々の坐す天を示す色のことだという。
その言葉には、空の遥か彼方にあるという天上世界への憧れが含まれているのだろうとのことだった。
天上世界とは人間が憧れるという、老病死苦のない楽土と言われていた。
確かにこれだけ澄んでいたら、どこまでも遠く高く飛べると思うかもしれないわね。
飛べなくなった今からこそ、レンカは飛びたいと願う者の気持ちが初めて理解できたような気がした。
「さて、ここが贖罪の空洞である。レンカよ、こちらへ」
人里離れた山奥の、さらに奥にそれはあった。
賢者だけが知る、この国から外界へと繋がる道。
他国と国交がない今、賢者以外には罪人を国外に追放する場合にのみ使われる道なのだという。
賢者様は、罪人を扱うには丁寧すぎるようにも思える仕草で私を入り口へと導く。
本来、国外追放とされた者はこの場で羽を切られてからこの道へと放たれるそうだ。
だけど私にはすでに翅がないから、そんな残酷な儀式もなく、ただこの場所へ歩かされただけ。
ちなみにこの洞窟は、私の知る噂の中にはなかった。
……噂なんかを簡単に信じちゃだめよね。
洞窟の奥は淀み、行く道は暗く、先を見通すことはできない。
この道筋が正しく下界へと繋がっていればいいけど。
賢者様は真剣な表情で私に尋ねる。
「足を踏み入れれば二度とこの地へは戻れぬ。今のうちに聞いておきたい事はあるか?」
「この先はどこに繋がっているのでしょう?」
「さあ。時間が流れてしまった今は、どうなっているのかはわからぬ」
「実はこの洞窟の中には仕掛けが施されていて、落とし穴に真っ逆さまに落ち、地面に叩きつけられて死ぬという……」
「それでは追放という罰をわざわざ設けた意味がないだろうが」
「それもそうですね……でしたら大丈夫です。今までお世話になりました、もう行きますね」
あっさりと会話を打ち切った途端、賢者様は苦笑いを浮かべた。
苦笑いの意味が理解できなくて、瞳を瞬かせる。
なにか選択肢を間違えたのかしら?
「いや、すまない。どうも名残惜しいという気持ちはないようだと思ってな」
「当然です、心残りなど何一つありませんから」
「家族や……親しくしていた友人くらいはいただろう?」
「聞くところによると、私の罪は家族には及ばないとのことですので今までどおり、三人で幸せに暮らしていくことでしょう。それに友人と呼べるほど親しい人物がいましたが、彼が必要としたのは私ではありませんでした。時が経てば彼もまた、変わりなく幸せに暮らしていくはずです」
友人とはもちろんタンガのことだ。
私が彼を必要としていても、彼は私を必要とはしていなかった。
その証拠として目が覚めてからここに至るまでタンガは一度も会いに来なかったのだから。
裏切られたなんて思っていない。
愛されないことには慣れているもの。
悲しいと感じる心は、とうの昔に喪ってしまった。
それにその程度のことで傷ついていては、この国で蝶の翅を持つ者が生きていくことは難しい。
幸いなことに、ここに至っても寂しさなど欠片も感じなかった。
家族に命まで奪われかけた私は、同時に国に残す人達への情も失ってしまったらしい。
もはや残していく他人の存在なんて、もうどうでもよかった。
「大丈夫ですよ。私がいなくなっても、この国は変わらないでしょう」
役立たずが出て行って、皆幸せ。
淡々と答えた私を見つめる賢者様の表情は、どこか悲しみに満ちていた。
問題児を追い出した喜びが隠せないというならわかるけれど、その表情は痛みに堪えるよう。
……清々したというのが本音ではないのかしら?
それにこんな長話までして何を聞き出したいのか今ひとつわからない。
意図が読めないからこそ、話は終わったとばかりに口を閉じる。
賢者様は一つため息をついてから、微笑みを浮かべた。
「では最後に貴女に助言を。これから先の世界に、この国の常識は通用しない。古き記憶に囚われることなく、自由に生きて欲しい。そして善悪は時と立場によって入れ替わる。正義に奢り、力を振りかざすことなく、ときには悪しきものにこそ救いの手を」
前半はともかく最後の台詞にはカチンときた。
大人しく最後まで聞いて損したわ。
この際だ、思ったことは全部言ってやろう。
「私からも一言いいですか?」
「うむ、かまわない」
「最後の助言は、国に残る皆さんにこそ必要なのでは?」
「違いない」
嫌味を返したはずなのに、怒りもせず賢者様はただ目元を緩め、穏やかな表情で笑う。
父よりも遥かに歳上の彼は度量も父よりも遥かに上、らしい。
トウカを甘やかすだけで咎めない父に苦言を呈したときには『翼を持たぬくせに、親に歯向かうとは生意気だ』との理屈で私の方が厳しく叱責されたというのに。
あの日、両親のトウカ贔屓に嫌気がさして家出した結果、暗い山奥をさ迷うことになったのも今となっては過去の一つとなった。
「そうだ、これは餞別だよ」
「これは……貰ってもいいのですか?」
「もちろん、遠慮なく受け取っておくれ」
家族は見送りにすらこないのに、他人であるはずの賢者様からは食料や水、武器にもなりそうな鎌まで渡された。
相手は罪人なのに武器を渡すなんて、親切を仇で返されるとは思わないのだろうか?
ただ正直なところ、鎌は草や枝を切り払うのにも使えるし、とてもありがたい。
今後確実に必要になるものなので、丁寧にお礼を言った。
「ではお世話になりました。どうかいつまでもお元気で!」
他に見送りの者はいないし、別れの挨拶は簡単だった。
弾むような足取りで、洞窟へと向かう。
こんなにワクワクしたのは、久しぶりだ。
入り口で渡された燭台に火を灯せば、行く道を明るく照らす。
もらった食料を食べ、水を飲み、ただ淡々と歩みを進める。
何日歩いたかわからなくなったところで、とうとう食料や水も底をついた。
諦めることは死ぬのと同じこと。
とにかく歩き続けなければ、あとは死ぬばかりと覚悟を決めたところで、次第に洞窟内の空気の流れが変わっていくのを感じた。
濃厚な地上の気配。
天に近い、あの国から完全に抜けた事がわかって、逆に心が弾む。
真っ暗な道の先から差し込む明かりを見つけ、這うようにして空洞を抜けた。
太陽に照らされた草と、木と、むせ返るような大地の香り。
そして出口のすぐ側には、美しい小麦の穂が揺れている。
サワサワ、サワサワ。
……おかえり。
おかえり、レンカ。
君が大地へと帰ってくるのを、ずっと待っていたんだよ。
「うん、ただいま。」
そう微笑んだところで、レンカは意識を失った。




