あんなに優しくしてやったのに
翼人を、狂わせる。
そう言われるようなことをした記憶もなければ身に覚えも全くない。
トウカ自身はそうは思っていないようで、鋭い視線が突き刺さる。
「姉さんがいなくなってから、父さんも母さんもおかしくなってしまったの。あれだけ姉さんを無視して邪険にしていたというのに、会いたいなんて言い出すのよ? 父さんや母さんが姉さんに文句を言ったり、罰を与えたのは親としての躾なのに、謝罪なんて必要ないでしょう? それなのに会って謝りたいことがあるなんていうのは姉さんに操られているとしか思えないわ!」
「簡単にいうけど、人を操るなんて普通にできるわけないじゃない。第一、それができるなら追い出される前に、その手を使うでしょう?」
そもそも国外追放になんてならない。
呆れたように答えたらトウカは悔しそうに唇を噛んだ。
「それにしても、あの父さんと母さんがねえ……? ちょっと信じられないわ」
「それだけじゃないわ。姉さんの担当していた小麦畑の収穫量が激減したのよ。何度、担当者が変わっても同じなの。今じゃ誰も手をつけない荒地になってしまったし、それに比例して、他の区域も収穫量が落ちてきているわ。小麦だけでなく食糧となる獲物も減ってきて、代わりに害にしかならない大型の凶暴な獲物ばかりが増えているの。かなり遠くまで狩りに行かなくてはならないし、怪我も増えて、皆疲れ果てているわ」
「賢者様には相談されたの?」
「もちろん相談していたけれど……半年程前に亡くなられたの」
「まあ、なんてこと!」
穏やかな性格で、罪人と呼ばれた私にも優してくれた賢者様。
彼の言葉が後押ししてくれたからこそ、まっさらに生まれ変わろうと思えたのに。
……復讐に取り憑かれることなく、全て忘れようと思えたのに。
私はタンガへと視線を向ける。
取り乱していないということは、すでに賢者様のことを知っているのか?
もしくはこのタイミングで彼が辺境へと戻ってきたのは、それが理由の一つなのかもしれない。
「賢者様が亡くなられてからさらに国がおかしくなっていったの。国の上層部は好き勝手なことをし始めて、賢者候補達が諌めても聞く耳を持たないの。それどころか賢者という仕組みをなくそうとまで言い始めて……それに同意する人もたくさん出てきて、雰囲気が悪いのよ」
送り出した賢者候補が誰も帰ってこないから廃止して当然だと国の上層部は主張しているらしい。
トウカは不安そうに身をすくめる。
たしかに一理あるわね。
権利には、義務が生じる。
こういう苦境のときほど賢者の存在が必要とされるのに、後継者は誰も戻ってこなかった。
ここまでくると制度そのものに欠陥があるとしか思えないだろう。
国を出た私ですらおかしいと気がついたのだ、義務を果たさない賢者候補に不満を募らせた翼人が制度そのものを廃止すべきだと騒ぎ出すのも時間の問題だった。
最後の世代である賢者候補が戻って来なければ賢者は確実にいなくなる。
いつ戻るかもわからない賢者を待つより、今この場にいる者達で国の方針を決めればいい。
賢者制度の終焉を迎えたということだ。
タンガが戻らなければ、確実に賢者はいなくなる。
ちらりと彼の表情を伺う。
顔色は悪いけれど、ずいぶんと落ち着いていた。
ある程度はこうなることを想定していたということか?
だがトウカは……さらに私の想定の上をいく言葉を叫んだ。
「国がおかしくなったのは姉さんが逆恨みして呪いをかけたからなんでしょう⁉︎」
場が、しんと静まり返る。
ここまでくるとこの場にいる翼人以外の誰もが私の国外追放は罪なく負わされたものであることを悟っただろう。
それを空気から感じ取った私は、むしろ冷静になった。
たしかに白精霊師と呼ばれる今の私ならばそれに近いことができるけれどね。
他の精霊術はともかく白精霊師ならば……実のところ呪詛を掛けることは容易い。
こちらの畑の豊作を願うのと同じ心で、あちらの畑の不作を願えばいい。
祝福を陽とするなら呪詛は陰。
表裏一体の効果を併せ持つ白の精霊術は私の匙加減で及ぼす影響も範囲も変わる。
もしかして無意識のうちに、っていうこともあるのかな?
そもそも精霊術と呼ばれるものは、術者に素質がなければ発動することすらできないのだ。
逆に素質さえあれば訓練などしなくとも近いものを使うことができる。
翼人の国にいたころの私がまさにそうだ。
そのあたりの事情にも詳しいアレク様に視線を向ける。
視線が合うと、彼は肩をすくめて見せた。
今はなんとも判断できないということかな?
無意識のうちに私自身がやったのか、それとも。
……もっと大いなる別の力が働いたか?
「否定しないということは姉さんがやったのね? 皆もきっとそうだって噂してたわ……なんて恐ろしいことを」
「呆れて言葉が出なかっただけなんだけどね。自分を追い出した国の行く末なんて興味ないわよ」
昔からトウカは思い込みが激しく、主張を曲げない自我の強さも持ち合わせていた。
だから皆、内心は納得していなくても彼女の言うことに従う。
……その方がやり合う面倒がなくて楽だもの。
それともトウカの難癖を受け入れられない私の方がおかしいのだろうか?
「ねえ、トウカ。私が呪ったというけれど、どうやったの? 酷い怪我を負わされて生死の間を彷徨い、国から出されるまでは監視付き、怪我が治るまえに身一つで放り出されたの。そんな私にいつ呪うような暇があったのかしら?」
「それは、そうだけど……姉さんは国外追放されても仕方ない存在だったでしょう⁉︎」
「国外追放されても仕方のない存在にされた私が国を呪ったと言うのなら理由は何よ?」
「それは……」
はっきりと言えばいいのに。
気に入らないというくだらない理由だけで虐げていたからだと。
「そもそも呪いなんて物騒な言葉が出てくる時点で、国の人達に呪われる心当たりがあるということでしょう? たとえば蝶の翅を持つというだけで邪険に扱っていた心当たりがあるとかかしら? それなら自業自得よね。なのにあなた達の言い訳を聞いていると、まるで私が加害者みたいじゃない」
「そんな言い方はないでしょう⁉︎」
「自分達が追い出しておいて責任転嫁するほうが、よほど酷いわよ」
トウカが一瞬怯むような表情を見せた。
翼人の国にいたころの私の何かが彼らの気に食わなかったのだろう。
たまたま追い出されたのと時期が重なったというだけで、呪ったと糾弾される私のほうが迷惑だ。
そう答えると、トウカは急に元気になって……またナナメ上な発想が思い浮かんでいそうだけど……まるで憐れむような視線を私に向ける。
「姉さんて昔からそうよね……どれだけ家族から気を遣われているのか思いもしないで、いつも我儘ばかり。父さんや母さんや私が、嫌われ者の姉さんのことを、あんなに優しくしてやったのに、それを素直に受け入れないから余計に嫌われるのよ。しかも自分で自分を追い詰めて、自分から卑屈になって殻に閉じこもって。はっきり言うけど周りからすると迷惑なのよ! しかも悲劇の女主人公のように同情を買っては男の人に取り入るの……本当、姉さんと血が繋がっていると思うだけで気持ち悪いわ」
行動を悪くとるなんてレベルの話じゃない。
家族は蝶の翅を持つ者のことを悪だと決めつけ憎んでいる。
どうりで互いの溝が埋まらないわけだ。
血の繋がった家族なのに、ここまで憎むことができるものなのか?
捨てられたことよりも、家族が優しくしてやったという認識でいるほうが何倍も悲しい。
黙り込んだ私を、トウカは嘲笑った。
「そのうえ不要となればタンガ様のときのように手酷く捨てるのよ! 最低だわ!」
「トウカ、それは根拠のない言い掛かりだ! 彼女は悪くないと言っただろう!」
自身の名が出たためか、タンガは強く否定する。
だけどトウカは怯まなかった。
「だって姉さんは、私が見ているまえでタンガ様を誘惑しておきながら、拒絶されると突然突き放したでしょう⁉︎ あれを違うとは言わさないわ!」
「レンカが誘惑……あの状況がどうしてそう解釈されるのか?」
「姉さんがタンガ様を振るですって⁉︎ はっ、そんなこと私が許さない! 身の程知らずにも限度があるわ!」
「どうして君達は蝶の翅を持つ者の行動を偏見に満ちた視点でしか見られないのか⁉︎」
「偏見も何も、蝶の翅を持つ者は怠惰で淫乱だと決まっているでしょう?」
タンガはどうしたものかと頭を抱えているけれど、いつものことだからそのうち慣れる。
それよりも今は背後からの圧がすごい。
「……君から誘惑したの? へえ、是非一度経験してみたいものだね」
視線の先には表情を消したアレク様がいた。
静かに呟く口調が怖い。
誤解です。
あとでちゃんと説明しますから今はその圧力を抑えてください。
入口を固める兵士の皆さんの顔色が真っ白です。
それにしても、あの日の出来事をトウカは見ていたのね。
夕闇に、ひらりひらりと舞う蝶の翅。
私の背中にあった翅は、あの時が一番綺麗だった。
もしトウカが見ていたというのなら、タンガを手酷く振ったという噂を流したのは彼女の可能性が高い。
トウカが取り巻きの人達に広めれば、驚くほどの速さで噂が広がったというのも納得だし、故意に私を貶めるような内容になっていた事も理解できる。
「姉さんにはその気がなくても、振り回されて不幸になった人がたくさんいるのよ!」
また理解不能な事をいう。
私の知らないところで他人が不幸になったとしても、全ての責任を私に負わせないで欲しい。
何度も言うが、私は国を追われた人間。
残された誰かが不幸になったとしても、それは自業自得だ。
「レンカは蝶の翅を持って生まれてきただけだ! 彼女の資質に問題があるわけではないと、何度言えば君達は理解できるんだ⁉︎」
「私は国中の人間の気持ちを代弁しているのです! 蝶の翅を持つ者は何もできないくせに意地汚くも自分の権利ばかりを主張する。優しくすれば際限なくつけ上がるような怠け者の集まりだと! その象徴的な存在が姉さんだったんです! 今更、何を綺麗事ばかり仰っているのですか? 正しく現実を評価していないのはタンガ様のほうです」
「……今の君達の思考は、そこまで歪んでしまっているのか!」
タンガはトウカの肩を掴む。
その手をトウカが強く振り払った。
「理想に取り憑かれて、不幸になっているのはタンガ様の方です! 私はその闇からタンガ様をお救いしたい、それだけなんです! どうしてわかっていただけないのですか?」
「君に救ってもらわなくてはならないほど俺は困っていないからだ!」
「そこまで言うのなら教えてください。蝶の翅を持つ者に、何が出来るのですか? 彼らの存在がなんの役に立つというのです?」
タンガはぐっと言葉に詰まる。
彼はまだ蝶の翅を持つ者に何ができるかを、わかってはいないらしい。
トウカは彼が言い返さないのを良いことに私の行動の一つ一つをあげつらう。
曰く、高く飛べないのは怠けているから。
人に嫌われたのは相手によって態度を変えるから。
国を追われたのは……普段の行状に加えて私が役立たずだからだと。
「タンガ様だけではありません。アレク様も騙されているんですよ! こんな自分勝手で役立たずな人間に手を差し伸べても恩を仇で返されるだけです!」
そう答えたトウカは真剣な眼差しをして、アレク様の腕に手を添える。
アレク様は笑顔を崩すことはなく、ただ値踏みするような視線だけを彼女に向けた。
トウカは満面の笑みで彼の視線を受け止める。
「ねえ、アレク様? 姉よりも私のほうがお役に立てますよ?」
さきほどまでとは比較にならないほどの怒りに、目の前が真っ赤になる。
そうやって、また私から奪おうとするのね。
自身の震える肩を抱き、落ち着けと念じた。
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、トウカの勝ち誇ったような笑顔。
「ねえ、姉さん。もしタンガ様の言う通り、言い掛かりだというのならば言い返せばいい。なのに、これだけ言われても言い返さないのは自分で認めているからでしょう?」
役立たずだ、と。
決定的な言葉が彼女の熟れたような赤い唇から放たれた。
これでも翼人達は彼女を清廉潔白だと褒め称えるというのだから、笑える。
彼女はいつも自分が正しいと思っている。
今だって自分の方に正義があると信じているのだろう。
自身の正義を貫くために、他人を貶めてもかまわないと思うほどに。
……ああ、だめだ。
賢者様の仰ったとおりに、全てを忘れ、まっさらになって生きていたかった。
だけど羽を持つ者達は私を容易に捕まえては、暗く澱んだ檻へと閉じ込めようとする。
私達を役立たずだと決めつけるのはあなた達、翼人の国にとって都合がいいからでしょう⁉︎
ここまで私を…蝶の翅を持つ者達を貶めようとするならば。
受けて立とうじゃないの。
蝶の翅を持って生まれたからといって、恥ずべきことは何一つない。
正義はどちらにあるのか、はっきりさせようじゃない。
冷静さを欠いてはいけないと私は眼を閉じ深く息を吐いた。
震える自分の肩を抱く手に、誰かの手が添えられる。
まるで私の怒りを代弁するような高い体温。
触れただけで言いたいことがわかるのは不思議ね。
侮る者には力を見せつけて、完膚なきまでに叩き潰してしまえ。
それだけ彼に馴染み、この辺境という地に馴染んだということだろう。
私の評価は自分自身の手で覆すべきもの。
いくらでも手は出せるのにアレク様が見守ってくれているのは、そうしなくては私が先に進めないことをよくご存知だから。
期待に応えなくては、臣下としても隣に立つ事は許されない。
私は、眼を開く。
体内に満ちる力を吐き出し、一変させた空気にトウカが怯んだ。
承諾を得るために視線を向ければアレク様は小さく頷く。
「蝶の翅を持つ者は役立たずではありません。そのことは私がよく知っています」
「なら姉さんに何ができるのよ!!」
「羽などなくとも空を高く遠くまで飛ぶことができるわ。トウカ、あなたも見たでしょう?」
「そ、それは……」
「できることはそれだけではありませんわ。今の私なら、おそらくあなた達が抱える問題のほとんどを解決に導くことができるでしょう」
「は……? できもしなくせに、馬鹿じゃないの⁉︎ 姉さん如きにできるわけがないじゃない?」
「地上に降りてからの私のことなど何も知らないあなたが、なぜそう言い切れるの?」
そう、翼人は飛ぶことしかできないくせに私達を役立たずだと決めつけた。
目の前で翅のない私が飛んでみせたとしても彼らは現実を認めることなくこういうのだ。
「だって蝶の翅を持つ者じゃないの」
そういうのを思い込みというのだよ、トウカ。
そして昔から言われているように、思い込みは判断を鈍らせる。
「そこまでおっしゃるのなら、蝶の翅を持つ皆様をこの辺境の地で引き受けましょう」
「は、何を言って……そんなことできるはずないじゃないの!」
突然、顔色を悪くしたトウカ。
私は首を傾げた。
「なぜ? 役立たずはいらないのでしょう? ならば私が責任を持って彼らの身元を引き受けるわ」
「……レンカ、君は何を考えている?」
「さきほどトウカは国中の人間の気持ちを代弁したじゃない。『何もできないくせに意地汚く自分の権利を主張する』、『優しくすれば際限なくつけ上がるような怠け者達の集まりだ』と。それを私が引き受けるというのです。何も問題はないでしょう?」
タンガは鋭い眼差しで私を見つめた。
失礼ね、悪意を疑うような目で見ないでよ。
賢者が何もしてくれないから、代わりに私が彼らに手を差し伸べるというだけのことよ。
私はにっこりと微笑んだ。
「それとも、今更蝶の翅を持つ者を手放すのが惜しくなったのかしら?」
「違うわ、できないのよ!」
顔色を悪くしたまま、トウカが叫ぶ。
……どういうこと?
喜んで引き渡すかと思えば、予想していた以上に抵抗された私は眉を顰めた。
実のところ、いくら鷹の羽を持つとはいえ翼人の国において蝶の翅を持つ者をどうこうできるような決定権はない。
だが、彼女の立場なら提案することは簡単なはずだ。
今までだって、そうして望みを叶えてきた。
同じように願って、蝶の翅を持つ者を手放せばいいだけなのに、それをかたくなにできないという。
ならば、できないという理由が他にもあるということだろうか?
トウカは私の視線を受け止めた。
「だって蝶の翅を持つ者は、もう翼人の国にいないからよ」




