どうしてこんなところにいるのよ!?
思わぬ展開に、驚きの声を上げなかった自分を誉めてあげたい。
そうか……タンガはトウカと婚約したのか。
私を伴侶にと望んだのは、やはり気の迷いだったらしい。
アレク様は微笑んだ。
「偶然にも君の探している人物と同じ名前の男性を我々は保護しているよ」
「そうなのですか!」
「ちょっと聞きたいことがあってね、城内に留め置いている。このあと時間を設けるから顔を見て探している相手か確認するといい。もし探し人ならば故郷へ一緒に帰ったらどうだろう? ご家族も喜ばれるのではないかな?」
「ありがとうございます!」
先程までの攻撃的な態度が嘘のように、トウカは素直に喜んでいる。
やはりタンガのことを好きなのだろう。
好意を隠そうともしない彼女の態度を見て、アレク様は笑みを深めた。
その微笑みに不穏なものを感じて、思わず彼から視線を逸らす。
彼の輝くような笑顔は嬉々として策を巡らせているときのもの。
表面上、和やかな雰囲気のままに話し合いは終わるのだろうか……。
「そういえば、そのタンガという人物なのだが……彼もまた人を探しているようでね?」
「えっ、そうなのですか⁉︎」
「なんでもレンカという名の女性らしい」
「!」
「おや、顔色が変わったね? もしかして君はその人物を知っているのかな?」
アレク様は全く邪気を感じさせない表情で、首を傾げる。
今、この場で聞く必要があるのだろうか……。
私にとって愉快ではない言葉が並ぶ予感に、思わずため息をつく。
このときばかりは、表情を隠せるフードがあってよかったと心から思った。
そしてトウカは先程までの無邪気な表情が消えて、苦々しいという表情を浮かべる。
邪魔な私が居なくなって悩みとは無縁の恵まれた環境にあるはずなのに……。
それとは別に思い悩むことでもあったのだろうか?
「レンカは罪を犯し国外へ追放された罪人です」
「表情から推察して、知り合いか……もしかしてご家族?」
「姉、でした」
「君は探さないの?」
「今はもう縁を切っているから他人です。それに姉が下界に追放された後で無事に生きていけるとは思えませんもの。姉は怠け者で誰かの手助けがなければ生きていけない軟弱者でした。そのくせ気位ばかり高くて、誰の言うことも聞かない最低の女です。常日頃から両親は姉の犯した失態を謝罪しては辛い思いをしていましたし、私も彼女のせいで悪くもないのに他人から貶められて迷惑をしていました。だから姉とはいえ、家族とは思いたくないですし……もし、死んだとしても何とも思いません。彼女の自業自得だと思っています」
「でも彼は生きていると思っているみたいだけど?」
「それはタンガ様が慈悲深く、優しい方だからです。幼馴染みですし、どうしようもない人間でも彼は生きていて欲しいと願っているのでしょう。それにしても亡くなってから三年も経つのに、死んだ人間の呪縛にとらわれいるなんて……不器用な一面も持つ可哀想な人なんですよ」
「それで君の婚約者が、どうして我が領内にいるのかな?」
「三年ほど前、賢者候補として課題を与えられ、答えを探すためと旅へ出たのです。ですが間もなく期限を迎えるのに、まだ戻ってこないので……心配になって様子を見に降りてきたのです」
国に戻るなら、この辺りからだろうと見当をつけてこっそりと降りてきた。
それをたまたま巡回中だった兵士に見つかったのだという。
献身的に見える己の姿に酔っているのか。
トウカは両手を組み、まるで聖女が神に祈るかのような仕草で天を仰ぐ。
そして潤んだ瞳でアレク様を見つめた。
「……ですがアレク様が、どうしてもと私の身を望むのでしたら致し方がありません。タンガ様にも、ちゃんとお話しすれば理解していただけるでしょう」
「それはどういう意味?」
「私の持つ強大な力をご覧になって離れがたく思っていらっしゃることでしょう? 私達翼人には地上に住まう人々を導くという崇高な使命があります。地上の民が翼人の力を必要とするのであれば仕方ありません。求めに応じて、このまま城に残りましょう」
え、何その使命ってやつは?
驚愕のあまり意図せず覗き込んでしまった彼女の瞳の奥には、崇高な使命とやらを語っているにも関わらず邪念が……アレク様に対する強烈な思慕が浮かんでいる。
動揺して、思わず視線を逸らした。
いつもそうだ。
この子は自分が望めばなんでも手に入ると思っている。
そうやって無邪気な顔で私から全てを奪っていくのだ。
アレク様は取り繕うのも馬鹿らしくなったのか、困惑した顔で苦笑いを浮かべていた。
「……今までの話の流れで、どうしてそうなるのかな?」
「その人を使ってまで、強引に空から引きずり降ろしたかったのは私の魅力に抗えなかったからなのでしょう? 国の皆もそうですし、本能に従って私を求めてしまうのは仕方のないことです」
トウカは自分の胸に手を当てて、微笑む。
その微笑みは自信に満ち溢れていて、息を飲むほど美しかった。
ただ、トウカの語る本能は翼人に限ったもの。
元から飛ぶ術のない人間には理解できない感覚なのだ。
ところが、珍しくアレク様が動揺した。
その動揺はどんなものか私には読めない。
感覚の相違からくる忌避感か、それとも…。
翼人として蝶の翅を持って生まれた私では、どう足掻いてもトウカには敵わない。
燻るようなドロリとした醜い感情を思い出して、ローブの陰で唇を噛む。
ようやく持ち直したアレク様は表情の読めない顔で微笑んだ。
「それはまた実に興味深い発想だね」
「ふふ、アレク様に褒めてもらえて嬉しいです」
いや、褒めてないから。
一時停止し、勢いよく私を振り仰いだ彼は憐れむような視線を浮かべている。
ええ、お気持ちは理解できますとも!
私は心底同意するように天を仰いだ。
もはや理解不能。
翼人の国で共に暮らしていたころは、最低限の意思の疎通はできていたように思う。
まさかトウカの姿をした別人?
むしろそのほうが納得できるわ。
そして彼女は蔑むような視線を私に向けながら、さらに斜め上な言葉を言い放った。
「ただ、あのローブを着た護衛の人はクビにして下さいね? 私に対して失礼な態度をとったし、対外的には護衛と取り繕ってはいても、体型や声からして中の人は女性なのでしょう? 結婚前は仕方ありませんが、結婚後は妻となる私の他に女を侍らすのは許しません」
しんと、場が静まり返る。
痛いほどの沈黙に耐えきれず、私は深々とため息をついた。
その発想こそが卑しいというのだよ、トウカ。
アレク様も、トウカのぶっ飛んだ発想にとうとう我慢できなくなったのだろう。
微笑みを通り越し、腹を抱えて大笑いした。
今まで王子様然とした態度をとっていた彼の、急激な変化にトウカは訝しげな表情を浮かべた。
「……もういいんじゃないかなぁ、穏便に済ませなくても」
笑いを納めたアレク様は、表情を冷ややかなものへと変える。
外からはローブに隠されているはずの私の瞳を正確に捉えた。
やれ、やらないなら私がやるぞ?
注がれる視線に、彼の激しい怒りを感じる。
トウカへの怒りは、私に対する信頼の裏返し。
彼は彼女と私の言い分を比較して、私の話を信用に足ると判断してくれたらしい。
それは羽の種類に関係なく、人物を比較して私を選んでくれたということ。
その事実が何よりも嬉しかった。
まあたしかに、トウカの態度は翼人を上に置き、人を下に見ている思考や態度が丸わかりだものね。
アレク様は誇り高いのだ。
部下だろうが領民だろうが、辺境の地に住まう者が侮られることを許せない。
こうなりそうな予感がしたから、穏便にトウカを山へ帰そうとしたのに……。
だが上司が殺れ……失礼、やり返せというのだ。
久しぶりに姉妹として語らってもかまわないでしょう。
私はためらうことなくフードを外して顔を晒す。
トウカの目が、見開かれた。
「久しぶりね、トウカ」
「嘘、姉さん……死んでなかったの⁉︎」
「勝手に殺さないでくれる? 翼人の国にいたころよりも元気いっぱいよ?」
ご飯もお腹いっぱい食べられるものね。
呆然とした表情を浮かべたトウカはだったが、すぐ嫌悪感を剥き出しにした表情に変わった。
「どうしてこんなところにいるのよ⁉︎ アレク様から離れなさい、穢らわしい!」
穢らわしいって……家族でなくても言っていい台詞じゃないわよ?
ああそうか、もう家族じゃないものね。
私は皮肉げに唇を歪めた。
押し付けがましい好意的な態度は止めることにしたらしい。
率直に言って私はそちらの態度のほうが好ましいと思えた。
それも嘘なのでしょうし、今更よね。
私はただ、にっこりと笑う。
「むしろこちらが聞きたいわ。どうしてあなたが掟を破り、ここにいるのかを。」
トウカは顔色を悪くして視線を逸らした。
賢者を除き、下界へ降りる事を禁ずる。
理由は環境や人間達の欲望に翼人へ害を成すものが多分に含まれているからだとされていた。
たとえば人間を商品と考える品性劣悪な者達の存在だろう。
実際、羽のない私でも女性だというだけで王都で拐かされそうになったのだから、人にはない翼があると知れれば余計に狙われる可能性が高い。
ただ表向きの理由はそうでも、地上へ降りる事を禁じたのはそれだけじゃなさそうだけどね。
地上での生活を知った今だからこそ余計にそう感じる。
翼人の国にはない選択の自由があるからだ。
あの、翼人の国を取り巻く閉塞感。
鷹の羽を持つ者だけが民の尊敬と利益を享受する歪な世界。
夢も希望もなく、生まれたときに授かる翼の種類で将来さえも決まってしまう。
それに不満を持つ翼人にとっては羽の種類に関係なく未来を選ぶことのできる下界は、さぞ魅力的に違いない。
掟を定めたのは、そういう不満を持つ翼人達が国の在り方に反抗して安易に下界へと降りるのを防ぐためでもあるのだろう。
安全に下界へと降りる洞窟の場所を賢者だけが知っているのはその証拠だ。
そしてこの掟とは何代か前の賢者様が定めたもので、人間の世界でいう法律に近いもので破っていいものではない。
もちろん罰則だってある。
そう、掟に従えばトウカと再会すること自体があり得なかった。
「もう一度聞くけれど誰の許しを得て、ここにあなたがいるのかしら?」
「うるさいわよ、誰だっていいでしょう⁉︎」
案の定、トウカは視線を逸らした。
たぶん許可を得ていないだろうな。
法により国を出て行き、戻ることを許されたのは賢者だけだ。
トウカのいうようにタンガが賢者の試練のために下りているのであれば、許可が出たということはあり得ない。
国に帰り着くまでが賢者の試練。
であれば誰の許可も得ずに降りてきたと思うのが妥当だろう。
天然の要塞でもある森を越えるのは鷹の羽があれば容易だ。
掟を破ることになるから、誰もやらないというだけのこと。
見張りもいるはずだし、良い子を演じるトウカが自分を悪者にしてまでタンガを迎えにくるとも思えない。
では賢者の掟をよく知るはずのトウカがなぜ地上を目指したのか?
まさか翼人の国に異変が起きているとでもいうのかしら?
他にも理由がありそうだし、無難な世間話から探りを入れてみよう。
「タンガと婚約したそうね、おめでとう。」
「……それ、嫌味?」
「なぜ? 婚約者だから迎えに来たのでしょう?」
自分の口で彼が婚約者だと言ったではないか。
訝しげに眉を顰めればトウカは疑うような表情を浮かべる。
彼女はしばらく無言で私を観察していたものの、問題なしと判断したのだろう。
突然近づいてくると私の耳元に唇を寄せた。
警戒心の欠片も感じさせない行動は、自分には何もできやしないという優越感からくるものらしい。
「ほんと堕落したわね、姉さん。神に与えられた翅を失い蟻になるなんて」
なんて可哀想なのかしら、そう囁いて彼女の唇の端は嘲笑するように弧を描く。
全く、誰のために翅を失ったと思っているのよ。
望んで他人を傷つけようとする彼女の存在そのものが気持ち悪くて、距離を取ろうと半歩後ろに下がった。
下界に住む人々を見下しているとは思っていたけれど、これほどとはね。
幼い頃から植えつけられた選民思想というものだろう。
上空にいれば、地上に暮らす人々の存在は黒い点にしか見えない。
だが蟻が寄り集まれば自分の体よりも何十倍もの大きさを持つ獲物を倒せることを彼女は知らないのだろうか。
人を甘く見ていると、手痛い反撃を受けるわよ?
……地上にいたアレク様もトウカのことを羽虫と言っていたし牽制なのかな。
そんな言葉遊びはどうでもよいとばかりに、もう一度同じことを尋ねた。
「それで、本当のところは何しに来たの?」
「さっきも言ったでしょう? タンガ様を迎えに来たのよ……アンタ、もう耄碌したわけ?」
他人に聞こえないよう捨て台詞を吐くところなんかは全く変わってないわ。
まだまだ子供なのだと思わず苦笑いを浮かべた。
「何がおかしいのよ?!」
「相変わらず元気ね、と思っただけよ。」
「何を暢気なことをっ! 姉さんがいなくなって私達がどれだけ苦労した事か!」
「どうして私のせいなのよ?」
名を捨て住む国すら違う私がどうやって被害を加えるのよ。
意味がわからなくて首を傾げた。
トウカは声を荒げる。
「姉さんが国外追放されたせいで、罪人を出した家だと肩身の狭い思いをしているのよ!」
一瞬にして部屋の空気が凍った。
ここで国外追放という単語を叫ぶとはね。
事情を知るアレク様はともかく、事情を知らない兵士からは不穏な視線を向けられた。
手ごたえを感じたらしいトウカは、涙ながらに言葉を重ねる。
「罪人の家族だから、身を粉にして働いても認めてもらえないし、白い目で見られるのよ! よくそんな平気な顔で他人事みたいに言えるのよ?」
トウカは顔を両手で覆い泣き崩れる。
その手の隙間から口元が醜く歪むのが見えた。
本当、嫌になるほど変わらない。
「トウカ」
私は言葉に力を乗せた。
でも残念だけどね、私は昔と違うの。
「私だって妹を助けたことが罪に問われるなんて思ってもみなかったわ。だからあなたが現実を受け入れたくないと反発する気持ちも理解できる。でも私が犯してもいない罪を背負うことで、あなたと両親が罪に問われず国に残ることができるのなら、それで私はかまわないの」
物事の見方は一つではない。
呆気にとられたようなトウカへ私は優しく微笑んだ。
あのまま翼人の国にいたら、こんな駆け引きとは無縁だったでしょう。
「だから、あなたのせいで私が国外追放となったことを気に病むことはないのよ?」
トウカが、言葉を失った。
そうでしょうね、だって私は真実しか言っていないもの。
この場において無言は肯定となる。
場の空気が明らかに変わった。
兵士の視線が痛ましいものを見る目に変わる。
私に対して好意的な空気となったことを肌で感じたらしいトウカは慌てたように叫んだ。
「きれい事を言わないで! それはあなたが怠け者で軟弱だったからでしょう?」
「残念だけれど、この国では怠け者で軟弱だったぐらいでは国外追放にならないの」
「……え?」
トウカは顔色を悪くした。
翼人の国は閉鎖的だから物事の見方が偏ってしまう。
だから賢者候補だけは見識を広げるためと下界を見に行くことが許されるのだ。
そして翼人の国をより良く導くための掟やしきたりだって、実のところ賢者に都合よく作られているように思える。
たとえば下界に降りた賢者候補が誰一人戻らなくても責任を問われることはない。
それを誰も無責任だとは思わないのだろうか?
今になって思えばあの国の賢者という制度はとても欺瞞に満ちている。
はじめから賢者とはこんなにも歪な存在だったのだろうか?
考え込んだ私の肩をアレク様の手が軽く叩いた。
「姉妹水入らずのところ申し訳ないけれどね、国の現状は彼も詳しく知りたいそうだから、ついでにまとめて説明してもらえばいいと連れてきた」
「……いきなりどうしたのですか?」
「事前に彼の話を聞いていた者から大きな相違があると報告を受けてね」
どうせ説明するのなら、二度手間にならない方がいいだろう?
そう言ったアレク様の隣には懐かしい顔が並んでいた。
「ああ、タンガ様! お会いしたかったです!」
先程までアレク様に縋っていたトウカが鮮やかに身を翻す。
トウカはタンガの首に手を回し、引き寄せるようにして抱きついた。
そして私の方にチラリと視線を向けて優越感に満ちた顔で微笑んだ。
だからなんでわざわざ私に見せつけるの?
もしかして、そういう趣味でもあるのだろうか?
一方で、抱き着かれた格好のタンガは引き剥がすように手荒くトウカの腕を外す。
そして表情を変えぬまま冷ややかにトウカを見下ろした。
国にいたころの彼とはずいぶん態度が違うわね?
温度のない冷めた視線に耐えきれずトウカは狼狽えた。
「タ、タンガ様?どうされたのです? 私が誰かわかりませんか?」
彼は無言のまま、トウカを一瞥する。
そして言い放った。
「トウカ、俺は君と婚約などしていない。どうしてそんな嘘をつくんだ?」




