私は嘘が嫌いなんだ
「大切なこと、ですか?」
「今の話に偽りがないのなら、なぜ嘘をついた? 偽りの背景など不要なくらいに、君の話は十分同情に値すると思うけど?」
私は視線を逸し、わずかに唇を噛む。
このまま彼が気がつかなければいいと、そう願っていたのに。
なぜなら、それこそ未熟で弱い私がついた最後の嘘だったから。
「自分の痕跡を消すには偽りの設定や記憶がないほうが都合がよかった、それがきっかけでした。ですがいつかは本当のことを話したいと思っていたのです」
「それならどうして今まで黙っていたの?」
「言えなくなってしまったのです」
「だから、どうして?」
「この国で国外追放といえば重罪を犯した者の証だと知ってしまったからです」
死刑の次に重い刑とされるのが、国外追放。
なんらかの事情で死刑を免れた重罪人を身一つで国を追い出し処分するためのものだ。
名は違っても実質、死刑と同じ。
それほどに、国外追放とは重い刑罰だったのだ。
「経緯を語ることで国外追放された娘と知ってしまえば、皆の私を見る目が変わってしまうかしれない。運よく生き残った重罪人と思われてしまうとそれが怖くて、どうしても言えませんでした」
関係が深まるたびに、きちんと話さなければと思った。
だがあるとき、私は国外追放という刑の重さと同時に情状酌量という減刑措置があることも知ってしまったのだ。
つまり普段の行状が良ければ国外追放にまでされることはない。
減刑措置など翼人の国にはないし、あったとしても私にそれが適用されるとは思えなかった。
だが、私が日頃から理不尽とも思える扱いを受けていたことは、あの国にいなくてはわからないことだ。
だから口をつぐんだ。
遠くない未来に、翼人のほうから接触してくるなど思いもしないで。
それによかれと思った選択が思いも寄らない事態を起こすことを私は翼人の国で嫌というほど学んでいる。
長年慣れ親しんだ感覚とは容易に変えられぬもので、理解してもらえるかも不安だった。
もし、普段の行いが良くないから追放されたと思われたらどうしよう。
そんな出来の悪い娘などいらないと思われたら……。
また捨てられるかも知れない。
「私はただ、父と母と呼ぶことを喜んでくれたあの二人の温かい瞳を失望で曇らせたくなかった。尊敬するアレク様が授けてくださった学ぶ機会を、自ら望んで捨てた過去なんかのために失いたくなかったのです」
翼人の国で、人々から疎まれ蔑むような視線など飽きるほどに浴びてきた。
擦り切れた心は受けた痛みを生活の一部としてとらえ、深く傷つかないよう守ってくれる。
でも、だからといって全く傷つかないわけではないのだ。
ぽろりと一つ、涙がこぼれ落ちる。
「父さんと母さん、そしてアレク様に嫌われたくない。そんな理由で私は嘘を重ねました」
嫌われたくなくて、嘘をついた。
まるで幼い子供みたいじゃないか。
途端、唸るようなアレク様の声が聞こえた。
「たしかにハンナにはそういうところがあったよね」
「アレク様?」
「自分からは決して弱点を晒そうとしないし、欲しいものがあっても言葉にしない。それは他人の醜いところばかり見せられてきて他人を信用できないからだし、欲しいものだって望んでも叶わないと諦めているからだろう? 最初から言えばよかったなんていう台詞は今更だ。かつての君の扱いを聞けば思いをうちに秘めるのも無理はない」
「……」
「懸念したとおり君が国外追放を受けたと聞けば、うろたえただろう。それは潔く認めるよ」
そこでアレク様は言葉を切った。
真剣な眼差しで、慎重に言葉を選ぶ。
「でも今のように説明してくれたら、理解くらいはできるつもりだ」
いつも強気な彼の瞳が揺れて、私は息を飲んだ。
そうか彼は……傷ついているのか。
「君は翼人と私達を重ねていたのだろう? 過去を忘れたいと願う君が一番過去にこだわっている」
「……そうですね、そのとおりです」
「今の両親の元ではそれなりに自由はあっただろうけれど、今や稀なる白精霊師となった君の願いを全て叶えることは難しい。それでも焼きたての肉が食べたいとか、たまには買い物をしたいなんていう、ささやかな願いくらいは脱走せずとも叶えてあげられると思うよ?」
「ご存知でしたか」
「あれだけ嬉しそうな顔をしているのにバレないと思うほうがおかしいよね。とにかく、かつての君が叶えてもらえなかった願いでも、今なら叶うものだってあるだろう。……でもね、言わなければ誰にも君の気持ちはわからない」
「……!」
「言わずとも全てを察しろというのは、とても傲慢なことだと思うよ。今回の件で私が君を咎めるとすればそのことくらいかな?」
「では処分はどのように?」
「物的損害があったわけでも、人に被害が出たわけでもない。言葉足らずだったというだけで重い処分はできないだろう? 今回は翼人の国について報告書をあげてくれればそれでいい。次からは気をつけるようにね」
「ありがとうございます!」
ああ、よかった。
安堵して深く息を吐いた。
気持ちが一気に浮上して、微笑みが浮かぶ。
途端にアレク様が挙動不審となった。
視線をさ迷わせたあと、赤らんだ目元に手を当ててブツブツと何やら呟いている。
「……忠告なんて全然聞かないし、妙なところが前向きなくせに、弱ったときの本音と儚げな微笑みが思わず手を差し伸べたくなるっていう、この格差は何? こんな可愛い生き物他にはいないよ?」
「なんですか、それ?」
「わざとなの? それとも私を殺す気?」
「ようやく許されたのに誤解されるような恐ろしいことを言わないでください! アレク様をどうこうするなんて人間的にも物理的にも私には無理なのですから」
アレク様が相手では私ごとき瞬殺だろう。
真剣な話をしていたはずなのに、論点がどこかずれている気がする。
しかも彼の顔は全然嬉しそうじゃなかった。
どういうこと?
許されたはずよね?
困惑した私を置き去りにしたまま、アレク様はどこか納得したような表情で頷いた。
「君は悪意に晒され過ぎて、他人が向ける好意には鈍感なわけか。なるほど、なんか色々察したよ。君が一番可哀想だけど、欲望のままに突き進んで玉砕しただろう周囲の人間も哀れだ」
「いや好意も何も、今までの話で人の温もりを感じさせる要素が何かありますか?」
「だからだよ、嫌悪と好意は裏表だ。本当に憎しみしかないのなら相手と関わろうとしない」
この話の流れのどこに、それを察する要素があるのだろうか?
台詞の意味が理解できなくて首を傾げる。
彼は深々とため息をついた。
「好悪に線引きなどできない、それこそ君が追い詰められた原因だよ。過去の話を聞くうちに、なんとなくそうじゃないかと思ったんだ。今までは特殊な環境故に自覚する余裕もなかったのかも知れないけど、実際のところ君は極上に分類されるくらいに容姿が美しい。そんな君がふと垣間見せる弱気や傷ついたときの表情が、彼らにとっては何物にも代えがたいご褒美になるみたいだね。悪だと知りながら君を虐げてきた人達は、皆、無意識のうちに君のそんな表情が見たくてわざと君を追い詰めていたのではないかな?」
「ですが彼らには地味だの不器量だのと、さんざんバカにされてきたのですよ?」
「愚かとは思うけれど、感情は制御できるものではないからね」
「うーん、ですがやはり考えすぎじゃないかと思うのですが」
「頑なに認めないね、なら試してみる?」
突然、向かい合わせに座るソファからアレク様が長い手を伸ばす。
私の肩をトンと軽くつき飛ばした彼は素早く私の隣に回り込んだ。
そして気付けば彼の両腕へと囲い込まれるようにしてソファに押し倒される。
宝石みたいな青い瞳が、目の前にあった。
「綺麗だよ、ハンナ。君はどんな表情でも美しい」
突然の出来事にうろたえる私の目と鼻の先で囁く。
ソファに縫いつけられたように固定された手首は、少しも動かない。
傷つけたいという意図は感じられなかったけれど、いつもとは違う強引さにとまどいは隠せなかった。
「何度も言うけれど、私は嘘が嫌いなんだ」
熱を孕んだような視線が絡みつく。
彼の純粋な好意は嬉しいけれど受け止める覚悟があるかは別の話だ。
ただ呆然と見上げることしかできない私に、真摯な眼差しが突き刺さった。
……まるで飢えた獣のよう。
待ちかねた餌を前に、どこから喰らうか見定めているみたいだ。
首筋にかかる吐息に背筋を甘い痺れが走る。
「……っ!」
「声まで甘く変わるなんて、どこまで理性を保てるか私を試すつもり?」
そんなつもりはないのに。
反論しようと口を開くも、吐息がこぼれてしまいそうで慌てて口を手でふさぐ。
彼が寄せた唇は首筋から始まり、額、頬を滑って再び首筋へ。
翻弄するように、口づけが落とされる。
タンガが触れた時は冷え切っていた芯が、次々と襲い来るうねるような熱で溶かされていく。
このままでは全てを暴かれ、奪い尽くされてしまいそう。
そして、そんなふうに彼から触れられることを嫌だとは思わない自分に愕然とした。
「今すぐ君を私のものにできたらいいのに」
切なそうな顔で、眉を寄せた表情が妖艶で目が離せない。
吐息に誘われるように、アレク様が私の唇を啄むように口づけた。
こんなもの、知りたくない。
甘美なまでに身体深く蠢くような衝動が何なのかを、知るのが怖い。
恐怖に駆られ、アレク様の胸を強く押し返す。
鍛えている彼からすれば大した力ではないだろうに、彼の体は簡単に離れていった。
私はカッとなる。
それは本気じゃないから、だろう。
精霊術で吹き飛ばしてやろうかしら?
そのぐらいはできると睨む私と鼻先が触れそうな距離で、アレク様はうっそりと微笑む。
それはやれるものならやってみろと言うような表情だった。
紳士という仮面を取り去った傲慢にも思える彼の態度に、心底腹が立って声を荒げる。
「からかわないで! 私は真剣に話していたのよ⁉︎」
「……冗談なんかだと? こちらはいつだって本気だ」
アレク様は笑みを浮かべながら、挑むような眼差しで言い放つ。
笑顔なのに全く笑っていないと思うのはどうして?
彼の珍しく余裕のない態度に、思わず本音がこぼれた。
「なんで襲うような真似を?」
約束したじゃないか。
雇用主と配下として、友好的であるよう努めると。
私はもう嫌なの。
他人が妄想する恋愛劇に演者として巻き込まれたくなかった。
巻き込まれた末に、悪役としてひどく傷つけられるのも御免だ。
彼の強い視線からどうしても逃げたくて思わず顔を背けた。
「たしかに、今までは君の望むように程よい距離で付き合ってきた」
「それなら、どうして……?」
「君を奪われたくはないから」
「私は配下として、ずっとアレク様のそばにおりますよ?」
「そうとも限らないのではない?」
痛みを耐えるような、低い声。
どうしてそんなに苦しそうな顔をするのよ?
いつも自信に満ちている彼の、はじめて見る不安そうな表情に視線を奪われた。
「幼馴染は私から君を取り戻しにきたようだ。あの挑むような目を見ればわかるよ」
「だからって、アレク様がこんな強引なことをしなくても……」
「誰だって大切なものほど奪われないように手を尽くすものだろう? だから君が幼馴染みへの情に流されることのないよう、私という存在を刻みつけておきたかった」
かくいう私も十分、子供じみているよね。
お揃いだと自嘲するように彼は笑った。
「覚えておくといい。君を奪う気なら、誰が相手だろうと排除する」
アレク様は、荒々しい仕草で拳を握った。
卓上に並ぶ茶器が、彼の内なる力を受けてカタカタと揺れる。
術に長けた金精霊師は闘気だけで人を倒すらしい。
今の彼は、まるで黄金の鬣をもつ獅子だ。
いまだかつて自分に向けられたことのない彼の力が、うねるように絡み付く。
猛々しい態度や言葉とは裏腹に、陽だまりみたいな温かい力が私を満たす。
心地よくて目を閉じた。
泣いてしまそうなくらいに、幸せだった。
……この記憶があれば一人で生きていける。
震える私の瞼に、アレク様の口づけが落とされた。
「泣いているのは、こんなに執着する私が恐いから?」
私は、首を振った。
彼の力の片鱗など二年の月日を経て、すでに慣れたもの。
今では畏怖よりも強大な彼の力に守られる安心感のほうが勝る。
この力は私や領民を守るためのもので、私を傷つけないない力だもの。
「恐くはありませんけど……アレク様がずいぶんと冷静さを欠いているなとは思いました」
淑女の皆様の前では紳士的な態度を取れるのに。
冷静さを欠いてしまうほど執着されたら愛されているのかと勘違いしてしまう。
「それに私ばかり試すようなことを言いますが、あなたの本心はどうなのです?」
答えを聞くまでもない。
彼の口は決して愛しているとは言わないだろう。
だって私を妻に選ぶことで得られる利益など、ないに等しいのよ?
彼には、高貴な身分に伴う義務がある。
白精霊師の力など、雇ってしまえばいくらでも使えるもの。
むしろ妻ではないほうが配慮がいらないから使い勝手はいいはずだ。
それに強く美しいアレク様には降るほど縁談があり、高位の女性達から伴侶にと望まれていることも知っている。
彼女達ならば自身の人脈を生かしてアレク様を支えるだろう。
だけど身分の低い私には人脈も権力もない。
弱く未熟な私でも現実を知りながら甘い夢を見るほど愚かではないはずだ。
「……ずいぶんと信用がないね。私だって高貴なる者の義務くらいわかっている」
そうではないのだと、彼の瞳が寂しそうに揺れた。
普段は隙のない彼の無防備な表情が鮮烈で、わずらわしいくらいに心臓が音を立てた。
「君だけなんだよ、私に守られることよりも私の隣に並ぶことを目指したのは。強大な力をもちながらも驕ることなく努力を重ねる君を尊敬するし、女性として愛おしく思わないわけがないじゃないか。たしかに、貴族の女性が操る話術や人脈は彼女達の武器であり力だ。でも辺境の地には、君のように自身の誇りを守るために戦う者こそ相応しい」
彼は知らないだろう。
彼が言葉にしたことが、翼人の国で私が願ったことであるのを
役立たずとして守られるのではなく、力を尽くして愛する者のために戦いたい。
……嬉しい。
私は私のままでいいと、そう言われたような気がした。
人として愛されていると信じていいのだろうか?
身の程知らずにも、彼の愛が欲しいと願ってもいいのだろうか?
「どうしてそんな悲しそうな顔をする? 何か心配事でもあるのなら、言葉で教えてほしい」
彼の手が、私の手を引き寄せた。
先程までの荒々しいものとは違って、壊れものを扱うみたいに優しい。
指先に寄せられた唇の温度に先ほどの出来事が脳裏によみがえる。
思わず覗き込んでしまったアレク様の瞳の奥は、どこまでも青く青く、澄んでいて。
罪人が放たれる、そんな日に不釣り合いだった青い空を思い出させる。
あれほど強く思い知ったじゃないか。
人が人を捨てるのは、簡単だということを。
同胞である翼人達や血の繋がった両親ですら、あっさりと私を切り捨てた。
私の心が手に入ると知れたら、彼は離れていってしまうかもしれない。
……また期待して裏切られるくらいなら、この気持ちは秘密に。
そう決意して立ち上がると、自ら手を離して彼から距離を取った。
「臣下として信頼いただき、光栄に存じます。」
それだけ告げて私は口を噤む。
無理よ、これ以上は心が保たない。
翼人達が執拗に刻んだ心の傷は短時間で癒せるものではないのだ。
こわばった表情に何かを感じたのだろう、アレク様は苦笑いを浮かべる。
「どうにも頑固だね、それとも早急に事を運びすぎたかな?」
「何のことでしょう?」
「続きはまた今度にしよう。とにかく今回の件に関する話はこれで終わりだ。だけどもう、後戻りはできないよ。君も……私もね」
最後に、アレク様はそう言って微笑んだ。
これで終わりって、許されたはずなのに。
続きはまたって、何をよ……?
揺さぶられた私の心には、一抹の不安だけが残された。




