シュミット伯爵の短い夢は蜃気楼に消ゆ
18禁不評っすね。てことで、ノーマル創作してみたらとても楽しく書けました。
景勝地にレジャー施設、海に面し点在する島々の一望を治めるシュミット伯爵領は中核市認定されており、リヴィゥー市は世界遺産にも登録され歴史地区「隠れた宝石」と謳われ、大飢饉世界崩壊前の古い街並みが今も残っており、近年人気を誇っている。
聖ラウス教会、レジェチョバス教会など古い教会が多く姿を残し、当時の信仰の高さも感じられる。
国際航空線も多く、世界最大の航空機事故は耳に新しい。
クライヴ・シュミット伯爵は賠償金もろもろにより、一気に貧乏貴族へと落ちていった。
まだ二十代のクライヴは突然襲われたこの不幸に茫然自失、背を丸めビーチで膝を抱える姿がよく目撃された。
ザザーーーーン しゃわしゃわしゃわ ザザーーーーン
波間に視線を奪われ黄昏るクライヴの横顔。に額縁がつく。
鏡の中に映ったクライヴの横顔だ。それをまるで映画のワンシーンのように見つめるグレーテルとシトロン。
『本当に映りました。不思議ですね。その鏡の中はどうなっているんですか?』
『説明したところで理解など出来ぬ。見たいものが見える、とだけ思っておけば良い。』
『ハーレ様がいないな。早く出せ。』
『お前達が「ハーレ様に子供はいるのか」、「いるなら見てみたいなぁ」、「ハーレ様の夫となる者はどのような御仁であるか」、「子供っているのかな、男?女?」「ええいっどうせなら出会いから見せろっ」、と言うから遡って夫視点のロードショーカメラアングルで見ているというのにっ』
長々と言い訳がましいベルダ本人が一番ノリノリのような。
『シッ!ルイが来たわ!』
ザザーーーーン しゃわしゃわしゃわ ザザーーーーン
打ち寄せる波とクライヴの狭間に、影が伸びた。
「貴方がシュミット伯爵?」
ハスキーな心地よい響きでクライヴを呼ぶ声。クライヴが影をたどって視線を上げると、腰まで伸びた金髪にエメラルドの瞳は慈愛を帯びてクライヴを見つめていた。
「呼ばれたから来てあげたわよ。」
まるで天使のような慈愛の瞳とは逆にハスキーな声から紡がれる意志の強い発言。
クライヴは頭が混乱した。呼んだ?誰が誰を?俺が君を?
「鈍いわね。領主より側近が優秀なのかしら。」
目の前の、自分よりも年下であろう十七、八歳くらいの少女に馬鹿にされた事はわかったクライヴは眉をしかめ、立ち上がって尻の砂を払いながら自虐する。
「俺なんかが領主で悪かったな。」
「あら。腐ってるわね。こんな美少女相手に口説き文句のひとつも出てこないなんて、それとも貴方、男が好きなの?」
「はああ?!俺はっ、、、もっと可愛げのある女が好きだ。」
「言うじゃない。」
潮風に流された金髪が鼻にかかり、かき上げるように髪を払い笑みを溢す少女。
クライヴは落ち込んでいた事も忘れて少女の美しさに心奪われた。
「決めたわ。助けてあげる。そのかわり、」
「何言ってんの。俺を助ける?またかよ、もー。勘弁してくれよ。」
クライヴの顔が明らかにガッカリする。クライヴは少女を無視して追い払うようにシッシッと手の甲を振った。
『ハーレ様に対して何たる侮辱!我が大地の礎にしてくれる!』
バキバキバキ
ログハウスの上の木が大きくなり、ルイの寝室の窓を覆い隠すように伸びた。
『シトロン。過去映像だ。これに干渉できるのはハーレルイぐらいだぞ。』
『シトロン。いい子にしてないとルイが帰ってきたら言いつけますよ。』
『、、ぅぬぬ』
落ちぶれてもクライヴは伯爵家。今までは尊敬の眼差しで遠巻きに指を咥えて見ていただけの娼婦が我先にと抱きついてくるし、銀行員が手のひらを返して取り立てにくると必ず「保証人になりそうな方を紹介できませんか、こちらで交渉しますので」と他の貴族との繋がりを作ろうと、中には脅迫まがいに詰め寄ってくる者もいる。
クライヴはやっとひとりになれた砂浜を歩く。
「私も可愛げのある子が好きよ。」
背中から優しい声が聞こえる。
クライヴが振り返らずに歩いていると、
クワーッ
上空から獣の鳴き声がした。上空を旋回する大人の人間ほどの大きさのオルニトケイルスが数匹、飛び回っている。
ケケケケケケケカカケケ
笑っているのか怒っているのか、そのうちの一匹が、ぐるんと宙返りした後クライヴ目掛けて突っ込んでくる。
「うわっ」
ギュワーッ
クライヴは思わず右手でかばったが、オルニトケイルスが飛んでくる気配がないので手を下ろすと、すぐ目の前に首をへし折られたオルニトケイルスがヒクヒクと痙攣していた。
そこへ、さっきの少女が近付いていく。
「おい、危ないぞ。、、、んなっ」
少女はおもむろにオルニトケイルスを蹴り上げ、仰向けになったところに腕を突き刺し、オルニトケイルスの皮膚を突き破り心臓を掴んだ手を抜いた。
「瀕死の状況で放置すれば数週間後には遺体が腐って臓器は宝石に変わる。けれどこれは私の獲物だから、私の好きなようにするわ。」
「何なんだよお前、、、。」
「あら。言ってなかったかしら。」
少女の手から心臓が消える。しゅわしゅわとしたシャボンの泡が少女の足元から頭上へと消えていき、血を浴びていた少女の体がまるでお風呂上りのように蒸気した。
そして、流れるような美しいカーテシーで、
「世界一強い魔女でお見知り置きくださいませ。ハーレルイにございます。」
天使のように微笑んだ。
『さすがハーレ様。美しい。』
『ドラゴンの心臓はダイニングテーブルに収納されたのでしょうか。異次元ポケットの食材が尽きない秘密を少し覗いてしまいました。』
『ハーレルイは何でもかんでも異次元ポケットに入れてしまうからな。畑や家畜も村ごと入ってるって知ってるか?』
『、、、聞かなかったことにします。』
領地の山脈にいつからかオルニトケイルスが巣を作った。瞬く間に数が増え、飛行機事故が起こった。
オルニトケイルスは知能が高く、並の賞金稼ぎ達ではオルニトケイルスを怒らせるだけで事態が悪化する一方だった。
『なるほど。オルニトケイルスは仲間意識が強く、大群での指揮系統にも優れた生物だ。人間などが敵う相手ではないわ。』
隠居していた両親からも責め立てられて、クライヴは頭を抱えてどうにもならないどうにかできるならとっくにやってるだろ!と逃げた。喧嘩する両親の元から連れ出してくれた祖母と昔よく歩いた砂浜に。
祖母と歩いた砂浜で、「昔はね、それはそれは強い魔女様がいっぱいいてね、皆の願いを叶えてくれたもんさ。こうやってね、手を組んでお祈りするんだ、世界一強い魔女様助けてください。」祖母の口から出た白い吐息が、紙飛行機となって空高く飛んでいった。「何をお願いしたの?」「孫が困っていたら助けてくださいってお願いしたのさ。今はもう、会ったって話しも聞かないからおまじない程度に思っていたが、、、まだいるんだねえ、魔女様。ありがたいねえ。」祖母はありがたいありがたいと手を合わせ、小さいクライヴは飛んでいった紙飛行機が見えなくなるまでずっと見つめていた。
「あ。」
思い出した。とクライヴは声を出した。
「貴方のお祖母様、嫌いじゃないわ。」
慈愛のこもった瞳でそんなことを言うハーレルイに、クライヴは笑い出した。素直じゃないな。と。
オルニトケイルスと話をつけてくると、背を向けたハーレルイは蜃気楼のように消えた。
グワーギュワーッカカケケカカギャッギャッ
騒がしく響いていたオルニトケイルスの鳴き声が、ピタリと止んだ。
「今日の夜明け頃に出てくって。よかったわね。」
戻ってきたハーレルイの髪は乱れ、服は粘着物質でベトベトして気持ち悪そうにしている。オルニトケイルスの子供達に懐かれて遊んでくれって追いかけ回されたんだと。
くっくっくっくっ
「何がおかしいのよっ」
浄化魔法使えるだろと言えば、オルニトケイルスが汚いもの扱いされたって思うかもしれないでしょ、とか。優しすぎるだろ。とクライヴは笑いが止まらない。
恥ずかしそうに髪を撫で付けるハーレルイは、風呂ぐらい用意しなさいよっと唾を飛ばす。そんなルイの手を掴んで歩き出したクライヴに、ルイは頬を染めて大人しくついていった。
『いい雰囲気です。』
『ハーレ様の手を掴むなど身の程知らずめ』
伯爵邸へと招き、使用人が減ったせいで掃除の行き届かない部屋を見てハーレルイは浄化魔法をかけてくれた。例のシャボンが屋敷を走り回り、上空へと上がって消えていく。
すっかり綺麗になった屋敷でゆったりと風呂に入ったハーレルイは、跪くクライヴの手をとった。
「こんな気持ちになったのは初めてだ。今日は一緒にいてほしい。」
「今日だけ?」
「出来ればずっとっ。離れたくないと、君も思ってくれているのなら、ずっとここにいてくれないか。」
「貴方がそれを望むなら。叶えてあげられるわ。」
見つめ合う二人がその距離を縮めて、クライヴの腕がルイの腰を引き寄せる。
シーンは変わってベッドの中。クライヴの腕枕でくつろぐルイと、ルイの額に頬寄せるクライヴ。
『ぅおいっ、鏡!巻き戻せ!』
『黙れエロ精霊。グレーテルもいるのだぞ。見せるわけがないだろう。』
『ぅぬぬ』
クライヴはふと、浮かんだ疑問を口にした。
「魔女は年をとらないのか?」
「時間軸が別のところにあるのよ。年をとる概念のないところよ。」
「じゃあ、僕が君と共に年をとりたいって言ったら?」
「言ってないことに返事はしないわ。」
「僕は、死が別つとも、共に老い、この愛しい想いを、いつまでも君と共に分かち合いたい。結婚してほしい、ルイ。愛してる。」
「私も愛してる。クライヴ。私を裏切らないで。」
「まさか、そんな心配は必要ないよ。そんな事あるわけがない。」
「知識を封印すれば共に年をとって寿命を迎えられるわ。でも魔女ではなくなってしまうから、ただの人間として生きていくしかないし、魔女だった時の記憶もなくなる。」
「それが怖いの?僕も君が魔女だったと忘れる?」
「いいえ。この指輪は愛で愛を縛る指輪。この指輪を私の指にはめる者のことだけ私の記憶に残る。」
ハーレルイはベッドの中で封印の指輪をクライヴに見せる。
「君の指にはめてもいい?」
「今?」
「今。、、、だめ?」
クライヴはハーレルイを抱き寄せ、口付け、首、肩、乳房へと唇を落としていく。
「んっ、クライヴ?」
ぐいっと、赤い顔のハーレルイがクライヴを軽く押しのけると、クライヴはひょいっとシーツから顔を上げた。力では全く敵わないと苦笑いのクライヴ。
「ルイ。手を出して。」
クライヴが少し強引にハーレルイの左手を探り出した。
「せっかちね。」
「愛してる。」
クライヴの手から、ルイの左薬指にはめられる封印の指輪。
魔力を帯びて輝いていた金色の髪が、ただの金髪に、宝石のように瞳の奥まで澄んでどこまでも吸い込まれそうだったエメラルドの輝きは失われ、エメラルドの瞳孔がドクリと脈打った。
「ルイ?」
「クライヴ、、、これを、貴方に。」
ルイの右薬指にはめられた指輪をクライヴの左薬指にはめる。
「これは?」
「私の愛よ。」
「ルイ。なんて可愛いんだ。もう離さないよ。」
クライヴの唇がルイの瞳を閉じさせた。
シーンは変わって
そんな熱い夜も、五年、十年と時が過ぎると共に、枕が二つ乱れる事なく綺麗に並んだまま朝を迎えるようになる。
シュミット領地は栄え、貿易も順調だ。
田舎から出稼ぎに出てきた十七歳の使用人が「ひとりで食べるご飯ってさみしい。私、友達いないから。」と腕に絡みついてきたのが始まりだった。
屋敷で一緒にご飯を食べさせてやりたいと言えば、ルイは苦笑いで受け入れてくれた。
『ハーレ様にあのような顔をさせるとは、、、百万回殺しても足りぬ』
『ハーレルイは男を見る目がないな』
『ハーレ様に落ち度があると?鏡の分際で知ったような口を』
『事実だろう』
『貴様!ぶち壊してくれる!』
『壊せば続きはどのようにして見るのだ。ふん。』
『あ!こら鏡!お前の顔などいらぬ!ハーレ様を出せ!』
『シトロン。静かにしないと追い出しますよ。』
『!』(オレンジ色がブルーに)
『ハハハハ!』
『ベルダ。ルイがいない間この部屋を掃除しているのは誰ですか?鏡を磨いているのは誰でしょう。』
『、、、。』(グレーテルがいない日々、埃まみれになっていた視界を思い出す)
ベルダの顔がぐにゃりと歪む。揺れるPHV馬車が映る。
遅くなった帰り道は危ないからとPHV馬車(機械で動かす馬車)で社員寮まで送ると、彼女が僕を好きだと気持ちが抑えられないと言うのでつい、抱いてしまった。ワンピースから溢れんばかりの巨乳は僕の手の中に収まりきらない、、、僕は何度もPHV馬車で彼女を抱きまくった。
ある日、巨乳がルイに言った。別れてほしいと。次の日、巨乳はいなくなっていた。お金を渡したら田舎に帰ったとルイが言った。
息子を授かった。
『ハーレ様に少しも似てないな』
『珍しく意見が合うな。子供は嫌いだ。』(まだシトロンが小さい頃、いじわるな人間の子供に殺されかけたことがあった。仲間がルイに救われたと言ったが、ルイに助けられたのはシトロン自身だった。)
『シトロン、、、ごめんなさい。』
キュイユッ
画像が一時停止状態で止まる。
『、、、、、、、、、グレーテルはすきだ。』
一時停止されていた画像が動き出す。
生まれたばかりの赤ん坊を抱くクライヴ。
小さくて、よくこんな小さいのが生きてるなと驚いた。しかも泣き声がすごい。息子が小さいうちは寝室は別にしようと提案した。寝不足で仕事にならないからな。
笑うようになると、とても可愛い。よちよち歩きで俺の後ろをずっとついてくる。仕事に行く時はガン泣きされて参った。
浮気はもうしない。
はずだったんだけどな。
俺は巨乳に弱いらしい。友人のパーティでドリンクを配っていたウサギ耳の女の子。副業の店舗の巨乳客。取引先の爆乳スーツ。
現場を見られたり、罵り合いにまで発展したり、その度にルイは。厄年が終わるまでとりあえず我慢してみようとか。三十代から四十代の境目は多くの男が進退に悩むという論文を僕の為に集めたり。夜中にこっそり泣いているルイに、もう無理、愛されてないなら別れた方が楽になれる、離婚すれば愛されていないと泣かなくて済むでしょう?寂しそうに微笑むルイに、いよいよ俺は捨てられると覚悟した。
次の日、愛人達と手を切った。もう浮気はいい、とルイと酒を酌み交わした。
穏やかな、じんわりと心に甘い記憶がルイと僕の間に重ねられて、このまま二人同じ時を過ごしてゆくのだと。クライヴは疑いもしなかった。
息子に可愛い婚約者が出来た。甘えん坊で、すぐに泣く。機嫌が悪いと思ったら満面の笑顔で踊ったり。見ているだけで癒されるようだ。肌もすべすべでいい匂いがする。
それに比べて。ルイは口うるさいくらい話しかけてくるから疲れる。いつだったか、お前といても癒されない、俺はどこで癒されればいいんだ。と酒の勢いを借りて吐き捨てていた。酔いが覚めればどうにも居心地が悪く、屋敷から足が遠のいた。
『またか。もはや病気だな。』
『ハーレルイが甘やかすからつけ上がるのだ。実に不愉快だ。』
『ベルダはまるでクライヴに嫉妬しているように聞こえますがそんなはずありませんよね?』
『なんだと?!鏡が?』
『ハーレルイなどどうなろうと知らん。くだらん。』
『だそうだぞグレーテル。鏡などにハーレ様の素晴らしさがわかるはずもないのだ。』
『そうでしょうか。』
『『そうだ』』
クライヴの息子の結婚式は海辺の教会で行われ、通りすがりのオープン馬車(屋根のない馬車)が祝福のラッパを鳴らした。
息子が結婚してからは息子達の屋敷に度々泊まるようになったクライヴは、ルイに内緒で可愛い嫁にお小遣いを渡した。
外泊についてルイは仕事だと言えば何も言わないので、週末だけ屋敷に帰って平日は息子のところで寝泊まりするようになり、仕事から帰ると出迎える息子の嫁がとても可愛いかった。
いくら金を払ってもいいから、こんな可愛い嫁と一緒にいたいとすら思う。ルイは田舎でゆっくりしたいと言っているし、どこかに棲家を与えて静かにしていてもらおうと思った。お互いにその方がいいと。
たまには母さんのとこでゆっくりしたいという息子と嫁を連れて週末帰ると、ルイはキレた。
『しゃっ!』
『ハーレルイ!』
『、、、。』
部屋に閉じこもるルイは放っておこう、面倒臭い、じゃなくてそのうち頭を冷やして出てくるだろう。クライヴはまたいつも通り、ルイはひとしきり泣いたら気が済むだろうと軽く考えていた。
踊りませんかと無邪気に笑う嫁に誘われて、久しぶりに若い女とステップを踏んだ。まだまだ俺もイケる。
弾むステップにくるりとターンした。
足が止まった。すぐそこに、僕の記憶の中の、世界一強い魔女がいた。
『きた!ハーレ様!』
『うむ。ハーレルイ。それでこそ私の』
『私の?』
『の、、、』
「解除」
魔女の口から放たれた言葉はクライヴの右手の指輪を奪った。
記憶の中の美しい魔女があの日囁いた「私の愛」がクライヴの中から消えていくような、肩が重くなるような違和感に襲われる。
「君は、、、。」
頭の中が真っ白になった。何が起きた?クライヴはルイの艶やかな美しさに言葉さえ失う。
「、、、。全部夢だったのよ。」
思考の外で話し続けていた魔女の言葉が頭に流れ込んできた。
夢?
そんなわけない。目の前にいる君は、僕が愛した世界一の魔女ハーレルイなんだから。
「父さん、誰?」
ハーレルイから冷ややかな視線を受ける息子が僕に問う。
息子の嫁は不機嫌にぶすっと頬を膨らませて僕の腕に絡みついている。
ハーレルイの、どうでもいい、というあの懐かしい顔が背を向ける。
ただその無関心は落ちぶれ貴族だった僕ではなく、何度もルイを裏切り続けた男に向けられたものだと瞬時に理解した。
「ま、待ってくれっ!」
ハーレルイの後ろ姿が蜃気楼のように消えていく。
全ては一瞬だった。
金色の腰まで伸びた髪。白く細い四肢とエメラルドの瞳。
ついさっきまでは確かに僕のものだったハーレルイは、何もかもを捨てて消えた。
ふと、壁に掛かる姿見鏡が目に入る。白髪だらけの艶のない髪と、垂れた瞼やむくんだ頬にシワとシミ。やけに腹だけがぽっこりと膨らんだ上半身と。ズボンの股には、四十代半ばからピタリと止まらず漏れ出た汁がシミになって、ジッパーが開いていた。
慌ててジッパーを上げる。
気まずそうに僕から離れる嫁と息子は帰っていった。思えば息子はルイと出会った頃の僕と同じ年になっている。母親がいなければならない年齢はとうに過ぎた。
ルイは僕と息子を捨てたんじゃない。見限ったのだ。
静まり返ったリビングに、クラシックレコードが自動で切り替わる。神秘的なピアノの音が、初期のロベルトが書いたソナタ風幻想曲は約三十分間、僕の涙が枯れ果てる前に途切れた。
ガガガ
音が飛んで、また始めから繰り返される幻想曲は、あと少しというところで音が飛ぶ。
『ハーレ様はお優しい。うんうん。罰も与えずにただ静かに立ち去るだけとは。』(腕を組んで自問自答する大精霊)
『見るのも嫌だったのだろう。それでこそハーレルイよ。』
『素敵な曲ですね。泣きたくなるような。』
クライヴの破滅はすぐに始まった。
ハーレルイに仕えていた使用人達は皆辞めた。
「奥様のいないこの屋敷には何の未練もございません。」
常連客も離れた。
「手抜きしてるよね。あはは。隠してもわかるって、バカにしないでよ。」
取引先は飛んだ。
「支払いは済ませた後なんだぞ?!今までこんな事は一度だってなかっただろう?!ルイは半額は取引後の支払いに、していた、のか、、。」
何故だ。僕はいつからこんなポンコツになったんだ?ルイがいた頃は、、。
いや、僕は、最初から、こういう男だったじゃないか。
僕の親だって、僕にそっくりの。
「貴方。建前と本音が入れ替わってますわ。本音を隠してくださいまし。」
「恩を仇で返すんですか?今止めれば、また初めから信頼関係を築く事からになりますよ?」
今ならわかるよルイ。
ルイは、口うるさく、いつも僕の為に、自分が嫌われる事よりも僕の為にと思って言ってくれていたのに。
ルイと一緒にいた頃は、ルイの言うことを真っ直ぐ受け止めていられたのに。いつから、ルイの言うことがうるさいと思うように?
息子や嫁がルイはうるさいと嘲笑い、避けるようになったのはいつからだ?
それとも、他の女と付き合うようになってからか?
僕が、ルイを裏切ってから?
ルイと出会って、僕は、僕の、、、幸せそうに微笑むルイの笑顔が、苦笑いに変わったのは、いつだ、、、。
お祖母様助けて、、、もう一度だけ、、、世界一強い魔女様助けてください、、、。
けれどもう、その薄汚れた息からは、薄汚れた息しか出てこなかった。
泣き崩れるクライヴに手を差し伸べるルイはもういない。
『相応しい末路よの』
『さて。ああ、ハーレルイがひと仕事終えて一旦帰ってくるようだ。明日の朝に帰るとの伝言だ。』
『ひと月ぶりですね!やった!』
ログハウスに、瘴魔の森に、賑やかな声が響く。
ハーレルイが帰ってくると、リスや小鳥達が噂する。
ハーレルイが帰ってくる。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
がはっ。こだわりの「死が別つ」が普通の「分かつ」になってるのに今更気付いた。訂正。クライヴのちょっぴり残念感を感じさせる一幕なのに。