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さようなら、長春色の追憶  作者: 視葭よみ
File01 出会いの季節
8/32

動き出した夏 1

 金曜日の一時限目は、古典。二時限目は、理科という名で化学基礎。

 何段何活用何用法が云々の頭からファンデルワールス力やなんとか結合の頭へと切り替えるには、なかなか困難が付きまとうものだ。教師陣には、時間割作成時にもう少し配慮をしていただきたかった。

 こんな戯言は置いといて。

 一時限目から救急車やパトカーのサイレンが授業中に聞こえてきて忙しなかったが、二時限目においては担当の先生が授業開始直前にプリントや指示を預けてから戻ってきていない。

 先の一年間において小学校では最高学年としてリードする立場だったといえども、その実態はまだ一二、一三の子ども。中学受験を経たからか、やるべき勉強は済ませる。

 済ませてから、遊びだすのである。

 同じ学校を目指し、勉強し、合格を勝ち取ったからには、数年前から我慢していた分はのびのびと羽を伸ばしたいらしい。この時期だからというのもあるのだろうが、席を立って親しくなり始めた友人のもとへ足を運び談笑したり、筆箱の中身をばらまいたりしている。無法地帯の割にはまだ治安が良いのはさすがとしか言いようがないものの、これでいいのか疑問は残る。


「なんでさっきから変な顔してるの?」


「してない」


 いつの間にかやってきていた智博に筆箱の中身で矢倉を組まれていた。キャンプファイヤーでもしたい気分なのだろうか。まだ春だから早いのだが。


「何してるの?」


「暇つぶし」


「授業中なのに?」


「ホワイトボード、見て」




 10時には、席に戻って!!




 と、大きな文字が書かれている。優等生の女子が書いたような、癖のないきれいな文字だ。先日、じゃんけんによる委員決めが行われた。その際、女子の学級委員は水守さんになった。おそらく、ホワイトボードの文字は彼女が書いたのだろう。ちなみに、もう一人はキャンプファイヤーがしたい彼である。


「説明したじゃん。プリントと今日の宿題やってね、って。先生が何か急用でいないけど、一〇時になったら戻って大切な話するから静かにしとくように、って」


「へえ」


「聞いててよ」


「ごめん。ところで、もう一〇時なるけど」


「そうだね」


 シャーペンを芯が出る方で立たせようとしている友人を眺めていると、不意に僕が言わんとしていることを察してくれた。


「戻れってこと?」


「ホワイトボード」


「はーい、戻りまーす」


 矢倉を丁寧に壊してペン類を筆箱へ戻してくれた。

 その最中、


「急だけど、下校準備して! 一組からだから、このクラスは一五分後くらいに教室出るよ。学級委員、終礼はいらないから。もう少し待ってて」


 梛木先生は現れるなり余裕のない指示を出して、すぐ去ってしまった。

 ほとんどの生徒が自席を立って好きにしていたところに、突然出された指示だった。


「何かあったのかな」


「何かって?」


 智博の問いに首を傾げ返したら「問題、一つくらい解けよ」と最後のシャーペンでコツコツと紙面を叩いてから筆箱に戻してくれた。

 それから水守さんと軽くアイコンタクトを取ると、不十分な指示を下された割には的確に場を上手く仕切る。クラスメートの帰り支度が終わると「もう少しってどれくらいだろうね」という話題から、いつの間にか携帯を用いてクイズ大会を開催していた。

 彼の社交力の上限が見極められずにいると、戻ってきた梛木先生が下校の指示を出した。結局、まったく理由を知らされず下校することになり、寄り道しないようにと釘を刺されて、浮ついた空気が膨らんで収まる。

 徒歩下校の智博とは校門前で別れ、妹に電話した。梛木先生によると、四組が一五分後に下校とのことだったから、下校時間が一クラスにつき五分確保されていたとすると、一組の妹は一〇分前までには下校していることとなる。一〇分も経過して迷わず帰宅できたとすれば彼女はすでに自宅の最寄り駅に到着しているはずなのだが、そうでなかった場合、寄り道をしないようにと言われているものの僕は彼女を見つけて一緒に帰宅する必要がある。

 呼び出し音を聞き流していると


「はぁい、まさぁ?」


 気の抜ける声が届いた。文明の利器に感謝する。


「うん。今どこ?」


「ふぇ?」


「家、着きそう?」


「ううん、まだ。駅の、電車が来るところ」


「了解、そこで待ってて。すぐ行くから、そこで待ってて」


「はぁい。ばいばーい」


 電話を切り、駆け足で到着した諭槻ヶ丘駅のプラットホームを見渡すと心細く俯いている妹を発見した。探し回らずに済んだことに安堵して直後に来た電車に乗り込んだ。

 なぜ急に帰宅させられることになったのか気になるが、事情を知っているのは教師陣だけだろう。妹にこの話題を振っても無意味なことはわかっている。特に言葉を交わすことなく電車に揺られていた。

 が、不意に今日の日付を思い出し、思ったことをそのまま声に出した。


「本屋に寄りたい」


「寄り道、ダメだよ?」


「一冊だけ。今日が初版日」


「あたしも行きたい。本屋さん、好き」


 普通の本は一切読まないし、行っても面白くないだろうに。それに、待たせていると思うとゆっくり他の本を眺めることもできない。

 とどのつまり、一人で行きたい。


「寄り道、ダメです」


 むぅ、と視線を向けられる。

 さすがにこの子であっても、自分がダメだと言われたことをやろうとしていることを強行しようとしている兄には納得いかないらしい。

 しかし、複数冊を一度にまとめて購入できない身分である以上、可能なかぎり本は初版日に買うべきものである。この初速が、著者様の収益や精神面の利益にも繋がる。(つまり、著者さまを応援したいのは本心だが、単純に早く読みたい。)

 やすやすと諦めるわけにはいかない。両手を顔の前で合わせて頭を下げる。


「……お願い!」


「じゃんけん、する?」


 少し困ったように提案する。妹の魂胆には気づいた。頷いて「せーの」で手を出す。

 僕がパー、妹がグー。


「あー、負けちゃった」


 おそらく、わざと負けてくれた。この子なら、表情を読んで相手が誰だろうと一〇〇連勝できる能力がある。

 わざとらしさを隠しきれていないことを差し引いても、圧倒的に感謝が残る。近いうちに何か貢ごうと心に決めた。




 無事に芳樹悟さんの『リトル・ミッシング』を入手できたものの、お小遣いの関係上、稲垣文乃さんの新作『月夜に祈りを』は我慢せざるを得なかった。稲垣さんの著書は愛読させていただいているものの、出版があまりにも不規則で発売予告が一切ないために初版日を逃してしまうことが多い。そのたびに熱心な読書家への道が遠いことを痛感する。

 無念だが、翌月に必ず購入することを誓い、帰宅した。


「おかえり」


 弾んだ声がリビングから聞こえてきた。


「ただいま。どうした?」


「あのね、部品の溶接、できた!」


 ぴょこぴょこと跳ねながら該当するガラス製部品を見せてくれる。

 残念ながら、平凡な素人には理解に外である。が、あまりにもテンションが高くて嬉しそうなので無碍にするのもかわいそうな気がした。

 ソファーに座らせて頭を撫でる。


「へえ、おめでとう。さすが碩学」


「セキ?」


「すごいねってこと。ココア、飲む?」


「ココア!」


「準備するから、待ってて」


「はーぁいっ!」


 この子のテンションがここまで高いということは、なかなかうまくいかなかったことが成功したか、面白いものを見つけたか。

 今回は前者だ。ある程度は集中した状態を長時間保ったはずだから、今の彼女の脳は糖分を欲しているだろう。放置していると、体調を崩すか、睡眠時間が倍以上になるか、いずれにしろ面倒なことになる。対策は早めに打っておいたほうが良い。

 着替える前にキッチンで材料を確認する。幸い、ココアの粉と牛乳は切らしていない。小さめの鍋を弱火にかけ、必要量の粉と少しの牛乳を沸騰させないようにゴムベラで練りながら温める。誤って牛乳の量を多くしてしまったらしく時間がかかってしまったが、できたものを妹のマグカップに注ぐ。さらに牛乳を少し追加して完成。

 リビングにもっていくと、ソファー前のローテーブルで図面を書き直しているところだった。


「さっきの部品はどこの?」


 尋ねると、該当する場所を指さしてくれた。無言だから、もう一度、集中状態に入ろうとしているのだろう。だが、反応してくれたということは、まだ入り口付近にいる可能性が高い。


「へえ、そっか。はい、ココア」


 被りを振られても、明日は第三土曜日。学校がある。

 図面を取り上げると、驚いたような丸い瞳で見つめられる。虹彩が真っ黒で混じりけがないから見えにくいが、瞳孔が大きい。以前、武井さんに教えてもらったのだが、瞳孔が大きい状態は興奮しているからなのだとか。

 数度瞬きすると、取り返すことをあきらめてぼんやりと虚空を眺める。


「休憩してください」

 ついに何も反応してくれなくなった。それだけでなく、図面以外の紙に続きを描き出す。




『闇を纏うミネルヴァの梟

 月明かりは輪を結び

 星の歌に祈るだけ


 その先には何もない』




 この、歌。これが、彼女をイマジナリーな象牙の塔から引きずり出すための唯一の方法である。

 ピリリとした雰囲気が柔らかいものに変わり、視点が僕の持つ図面へ定まる。


「休憩してください」


「やぁだ、返して」


「また明日」


 むう、とむくれたが無視してココアを差し出すと拗ねつつ、納得してくれた。

 それを確認して部屋へ戻り、何が何だかさっぱりわからない図面に首をかしげてから勉強机へ放り、着替えた。

 世界屈指の頭脳の持ち主として小学校には一度も通っていなかった妹だ。通学することに慣れていないからまだ大変な時期のはずである。そうではなかろうと、彼女の体力は一般的な小学生にも劣るだろう。過保護と言われようとも、今日の残りの時間はしっかり休ませたい。

 十二時くらいに起こせたら昼食を済ませてもらうとして、入浴の準備をさっさと済ませ、夕食は軽めにするか。図面は明日にでも返せばいい。

 優先順位を脳内で組み立てていく。


「ブランケット、いる?」


 リビングに顔を出してみても姿が見えないと思ったら、もうソファーに寝転がっていた。ココアにはまだ手を付けていない。スイッチが切り替わって急に眠くなってしまったのだろう。


「ねえ」


「んー」


「部屋はいるよ」


「んー」


 妹の部屋から薄ピンク色の肌触りのいいブランケットを取ってきた。足元も整理したかったが、変に動かしてむくれられるのも面倒だったから歩行に注意して往復するだけにした。

 ソファーではすでに愛らしい寝顔とともに穏やかな寝息をたてている。顔にかかってしまった髪の毛を背に流してから、ブランケットをかけた。






 昼は、残念ながら起こせなかった。先ほど、ようやく勝手にぼんやりと目を覚ましたところだ。ソファーに座り直し、ウサギのぬいぐるみを抱いている。


「歩ける?」


 小さくうなずくと自室へ入っていった。どうせならブランケットも引き上げてほしかったが、まだ寝ぼけているのだろう。たたんでソファーの背にかけた。

 ちょうど部屋から着替えを持ってきた妹に尋ねる。


「お風呂あがってからごはんでいいよね?」


 焦点が定まりきらない瞳を向けられ、応えた。


「今日は軽め。野菜のポタージュとパンでいいよね?」


「野菜、きらいぃ」


「大丈夫、離乳食っぽい感じだから」


「そっかぁ」


 彼女を見送ってから、キッチンでポタージュの味を確認する。少し牛乳を足して野菜の風味を薄めた。

 ギターをしまう代わりに自室から携帯をもってくると、なんとなく音が欲しくてテレビをつけた。携帯を確認すると、智博にすすめられて先日インストールしたメッセージアプリLINKsに、いくつか連絡が入っているとわかった。水色のホームアイコンをタップする。

 登録されているのは数名のみ。その中でも連絡がよく来るのは智博くらいだ。案の定、彼から三件のメッセージを受け取っていた。LINKsでは、チャット形式なので、一つ一つのメッセージは非常に短いのが一般的である。




 テレビ見た??


 おーい


 もしもーし




 なんだ、このほぼ無意味なメッセージたちは。

 そう思いつつ、テレビに目を向けた。芸能人同士の熱愛や実りのない政治について報道されている。一応「今見てるとこ」とだけ返信しようと文字を打つ。


「続いてのニュースです。今朝九時過ぎ、私立翔衛学園の敷地内で発見された遺体についての続報です」


 聞き覚えのある学校名に、遺体が発見されたという不穏な情報。

 一瞬で意識がテレビに釘付けにされた。食い入るようにして画面を見つめる。


「捜査関係者への取材から、遺体の身元は、同校に通う高校一年の岩本夏樹さんと判明しました。警察は事故と自殺の、両方の可能性を……」


 遺体の発見は、今朝九時過ぎ。僕が下校した時刻、教室を出たのは


 ―― 一〇時十六分二七秒 ――


 二時限目は九時四五分からだが、教師陣が慌ただしくしていたのはその少し前からだろう。そうでないと、授業開始前に化学基礎のプリントを預けにくる発想は出てこない。救急車やパトカーのサイレンの音は一時限目の最中に聞こえてきた。そのころに遺体発見がされたということだろうか。九時過ぎと報道されているし、時間帯から不自然な点はない。


「ねえ、まさ。離乳食ってちっちゃい子が食べるご飯だよね? あたし、まさと同じ年齢なのに」


 妹の抗議の声や直後ニュースを見た表情を気にしたりできるほどの余裕は、持ち合わせていなかった。それよりも、校内であった事件に興味を引き寄せられてしまった。


「ポタージュ、そんなに野菜の味はしなかった」


 いつもなら、風邪ひくからとまだ湿っている髪の毛をちゃんと乾かしてくるように言うのだが、それだけ動揺していた。すぐ隣で同じように呆然としてしまっている彼女に聞こえていたか、わからない。別のジャンルの報道になって少ししてから不意に我に返った。それは、彼女も同様だった。


「髪の毛、もう少し乾かして。その間にご飯用意するから」


「……うん」


「ココア、温める?」


「うん」


「一杯、もらっていい?」


「うん、いいよ」


 脱衣所からドライヤーのノイズが聞こえてくる。冷蔵庫から取り出した妹のマグカップを電子レンジで温める。小さめの鍋を取り出して牛乳とココアの粉を入れ、弱火にかける。同時進行で皿によそったポタージュとスプーンをリビングのテーブルに置き、パンを忘れていたことに気が付き、適当に準備する。ちょうど、ドライヤーのノイズが止む。脱衣所から妹が顔を出す。


「スープと一緒にココアいる?」


「うん」


 温め終わっていたココアを電子レンジから取り出し、妹に渡した。同時に、自分のココアを用意している最中だったことを思い出す。幸い、弱火だったからか、吹き出してはいなかった。


「ありがとう」


「ごはん、準備できてるから食べてて」


「うん」


 妹をリビングへ送り出してから、鍋のココアが粉っぽくはないことを確認してから自分のマグカップに淹れた。

 携帯を確認すると、こう兄からのメールに気が付いた。遅くなる、ごめん。とだけ、それだけの文面だった。

 彼の帰りが遅くなるということは、何かがあったから。その何かは、僕が想像している内容の通りだろうか。

 温かいマグカップを両手で包み込み、深く息を吐いてみた。対応するように、甘い液体を喉に流し込んだ。

 まだ智博に返信をしていなかったことを思い出し、携帯でLINKsを起動した。




 見た


 驚いた




 すると、すぐにメッセージが返ってきた。




 下校の理由って、これかな?




 これに対し、




 かもね




 と、返した。


「まさ」


「ん。食べ終わった?」


「うん。ごちそうさま」


「ああ、はい。お皿、いい?」


「お願いします」


「どうも。ココアは?」


「まだ飲む」


「了解」


 キッチンを去る後姿を眺めてから、洗い物を進めることにした。

 その直前、携帯が震えた。智博からメッセージを受け取ったらしい。




 学校のサイト見た?


 明日、休みだって


 来週は?


 しらない


 そっか




 知らされない分、どうしても気になる。事件についての情報を求めネットサーフィンしたが、結局、ニュースで報道された以上の情報はわからなかった。

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